第8話 眩い輝き

「ハァッ!」


 口上が終わった瞬間、男は地面を強く踏みしめる。そして、大地を蹴り飛ばすその力で前へと飛び出した。

 なるほど、確かに早い。偉そうに言うだけの技量はあるのだろう。

 だが。


「フンッ!」


 男は声を漏らしながら、上段から剣を振り下ろす。

 しかし、その剣がイリスの身体に当たることは無い。

 軽い身のこなしによって、いとも容易く男の剣は避けられた。


「ぐ、クソがッ!」


 屈辱に顔を歪めながら男は再び刃を振るった。

 その攻撃に対し、イリスは至って冷静に対処する。舞うように地面を滑り、男の剣の軌道を読み取っていく。

 未だ、イリスは剣を振らず。


 技量の差は歴然だなと、俺がそんな風に考えていた時だった。

 

「この剣で――――」


 凍てつくような声色で、イリスが小さく言葉を吐いた。

 瞬間、ゾクリと俺の背筋が震えだす。

 遠くから眺めているだけだというのに。自分がその言葉を投げかけられた訳でも無いのに。

 ふと、強烈な悪寒が脳裏をよぎっていく。


「あなたは、彼女を傷つけたのか」


 冷たい怒りを口からこぼしながら、イリスは男を睨みつけていた。

 その問いに対し、男は軽薄な笑みをうかべながら口を開く。


「あ? だからどうしたってんだ?」


 悪びれる様子もなく、男は淡々と言葉を吐いた。


「ここ、聖キャバリス学院は騎士を養成するための場所だ! 強くするために鍛えるなんざ当たり前のことだろうが」

「……まだ剣の振り方も知らないような少女だとしても?」

「あのさぁ、俺は優しさでやってあげてんだよ。むしろ感謝してほしいくらいだね。身の程知らずのクソガキに、まずは現実を教えてやってるんだからさァ」


 二人の会話を聞きながら、俺は一人静かに冷や汗を流していた。

 イリスの姿はまさに、張り詰めた風船のようであった。

 そんないつ爆発するか分からない状況の中、男は突然何やら納得したように頷き始める。


「あぁ、なるほどな」


 そして、吐き捨てるように口を開く。


「お前、新入生首席のイリスか?」

「……そうですが」

「だったらてめぇには分からねえよ」


 嫉妬。

 男の表情に映されていたのは、そんな黒い感情であった。

 


「才能を持って生まれた人間に、持たざる者の気持ちが分かってたまるか」



 その言葉をイリスが聞いた瞬間。


「……………………残念です」


 イリスの口から底冷えする声が漏れる。

 その言葉には落胆と、失望。そして、諦念の感情が滲む。


「ここならきっと、に出会えると信じていたのに」


 そう言って顔を上げたイリスの瞳は、暗く濁っていた。


「ガッカリ」

「ハハッ、何言ってんだ? 本物の騎士とか、痛い夢見てんじゃねえよ。そんなに俺が気に入らないなら、お前の才能とやらでねじ伏せてみろ!」


 男はニヤリと笑いながら再び剣を構えた。そのまま足を前に踏み出し、地面に対し深く腰を沈めていく。

 そして。


「勝てば官軍、負ければ賊軍ってなぁ!」


 男はイリスに向かって再び突進した。

 ただし、今回の攻撃は今までよりも遥かに素早い。

 下から抉り取るように、男の剣が襲い掛かる。


「……ハァ」


 だが。


「口を開けば才能才能って」


 男の視界から、イリスの姿がかき消える。

 否、そう錯覚したのだろう。

 傍から見ていれば、何が起こったかは一目でわかる。


「そんなモノにこだわって、何になるんですか?」


 男の背中越しに、冷たい声が響く。

 慌てて男が振り返れば、そこにはユラリとたたずむイリスの姿があった。


「それがどういう意味を持つか、あなたたちは何も知らない癖に」


 そう呟いた時のイリスの表情を、俺は忘れないだろう。

 仄暗い感情が声色から滲み、まるで何かに対する憎悪をぶつけるように言葉を吐き捨てる。

 何故だろう。イリスの顔が、今にも泣き出しそうに見えて――――


 俺は思わず、目を見開いた。


「…………何を、言ってんだ?」

「あぁ、すいません。言っていることの意味が分からないですよね」


 イリスの言葉に、男は意味が分からないといった様子で眉をひそめた。

 その姿に対し、イリスは自虐的な笑みを浮かべながらかかとを僅かに上げる。

 そして地表を滑らかに、舞い踊るように移動していく。


 その足捌きは、並大抵のモノでは無い。


「なるほど、そういうことだったのか」


 俺は静かに納得する。

 初めて出会ったあの時、俺たちはイリスの接近に気付くことが出来なかった。

 その理由が、これか。


「私の言うことは、昔から理解されないんです。育て親だった人いわく、私はみたいなので」

「……さっきから、意味わかんねぇこと言ってんじゃねえぞォッ!」


 どこまでも飄々とした態度を崩さないイリスに対し、男は苛つきを隠すことなく声を荒げた。その表情には怒りが滲んでいる。

 それもそのはず。

 男からすれば、得体の知れない後輩から自分の在り方を否定されたと同義なのだから。

 俺ですら、真っ向から自分を否定されれば苛つきもする。


「死ねェッ!」


 声高らかに叫びながら、男は剣を振り上げた。


「つまらない」


 しかし。

 イリスの動きは素早く、既に刃を振り下ろしたその場所に姿は無い。

 そして、男の視界の外からその攻撃はやってくる。


「ハッ!」

「ぐぇ……ッ!?」


 男の懐に潜り込んだイリスが、鳩尾に剣の柄を叩き込む。

 痛みが口から溢れ、反射的に男の口から嗚咽がこぼれる。

 男はたまらず後退しようとした。


 しかし、イリスはその行為を許さない。


「逃げないで」


 そう言い放った直後、イリスの剣が男の膝に振り下ろされる。


 ガクン

 その瞬間、男は膝から崩れ落ちる。

 だが、それで攻撃は終わらない。


 イリスの剣が、空気を切り裂く。

 男の腕部、胸部、肩部。その全てを剣で薙ぎ払う。

 それはまさに蹂躙であった。

 しかし、それを周りの観客は見惚れるように眺めている。


 人を惹きつける、美しき剣技。

 俺はその正体を知っている。

 燦然さんぜんと輝く、まばゆい存在。


「そこまでッ!」


 試合を中断させるべく放った言葉。

 その口から溢れそうになる吐き気を、俺は必死に抑え込む。



 アレが、だ。

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