突然の招待
総裁室で辞令交付式が執り行われた。
私達は一列に並び、直立不動で、総裁の入室を待っていた。
私とルナの他に、火星側の職員二名が並んでいる。彼女たちは恐らく私達と入れ替わりで地球に派遣されるメンバーだろう。
しばらくして、総裁が大名行列を引き連れて入室する。何とか教授の総回診って感じだ。
火星アストロ・レールウェイ公団の総裁は、研究開発卿であるデイモス・ブライトン公爵が兼任している。つまり、目の前にいるのは火星政府の序列ナンバー三の人物だ。外交官としては下っ端の三等書記官である私では、本来お目にかかれないような高位の人物である。そう考えるとバリバリに緊張する。
ただ、幸いにも、今はあくまでも火星アストロ・レールウェイ公団の職員としての立場である。外交儀礼などは考えずに、所属組織のお偉いさんとして接すればよいとのことであった。でもなぁ、私ってば上には反抗的なタイプなんだよなぁ。困った困った。
「ヒカリ・サガ少尉、本日付けにて、貴殿を火星車両センター開発課に配属し、その業務に任命する。貴殿は火星アストロ・レールウェイ公団の重要な一員として、開業に向けた開発業務に専念せよ」
「了解しました、総裁」
「ルナ准尉、本日付けにて、貴殿を営業部営業課旅客サービス企画係に配属し、その業務に任命する。なお、当公団では准尉の階級が設定されていないため、貴殿は少尉の階級で任官することとなる。貴殿は火星アストロ・レールウェイ公団の重要な一員として、開業に向けた旅客サービス企画の策定に尽力せよ」
「了解しました、総裁」
ルナの声がうわずっている。これは予期していなかったのだろう。ある意味、棚からぼたもちの昇進である。火星にはそもそも大学が存在しないため、准尉もない。彼女は火星でなら正当に評価されることだろう。
続いて、地球に派遣される二人である。
「ルキア・レッドフォード大尉、ミンユェ・リー少尉、本日付をもって、貴殿らの火星アストロ・レールウェイ公団におけるすべての任を解き、地球アストロ・レールウェイ公団への出向を命じる。地球アストロ・レールウェイ公団においては、当公団での経験を活かし、両公団間の連携強化に寄与するよう尽力せよ」
「了解しました、総裁」
「了解しました、総裁」
「諸君らの活躍に期待する」
こうして辞令交付式が終わった。
ようやく気が抜けると思ったところで、突然総裁が口を開く。
「この後、歓送迎会を兼ねて昼食会はどうだろうか」
これは、完全に総裁の気まぐれのようだ。大名行列が蜂の子を散らすように慌ただしくなる。しばらくして筆頭秘書官のような人物が総裁に言った。
「この後一時間は予定が空いております。食事はすぐ手配させます」
「うむ」
私達には拒否権はないようだった。
しばらくして、佐官用のラウンジで昼食会が開かれた。参加者は、総裁、私達二人、ブライトン少尉、そしてレッドフォード大尉と、リー少尉である。
「ご招待に感謝しますですわ」
などと、私は火星公用語で適当な挨拶を言っておく。当然ながら、ルナは視線で私を窘めた。
だって、こういう改まった食事会なんて、初めてなんだもん……でございますのよ。おほほほほ。
運ばれてきたのは、前菜のミニサラダ、スープ、そしてメイン料理のハンバーグであった。
……ん? ハンバーグ?
専門市民……つまり、お貴族様の食事と考えると少々庶民的……いや質素すぎるような気がするが、火星という環境を考えると、これも豪勢な食事のうちに入るのだろう。
レッドフォード大尉とリー少尉は困惑顔である。一般市民、つまり下流階級の出身なのだろうか。彼女たちは、運ばれてきた料理を、一瞬、食べ物と認識できなかったようだ。前菜として出されたミニサラダには口を付けず、ハンバーグにフォークを二本突き立てて悪戦苦闘している。
彼女たちは、生まれてこの方ディストピア飯で、生野菜も、小判型のハンバーグも食べたことがないのだろう。善し悪しは抜きにしても、なかなか考えさせられるものがある。
しかし、私もどちらかといえば困惑サイドの庶民である。カトラリー捌きは五十歩百歩。フォークを外側から使うか内側から使うかも怪しい。どう助け船を出そうかと考えあぐねていると、私よりも先にルナが二人に話しかけた。
「レッドフォード大尉、リー少尉。失礼ながら、地球料理は初めてですか?」
二人は顔を見合わせたのち、おずおずと答える。
「はい、どうやって食べて良いか分からなくて……」
「こんなことで地球に馴染めるのか……」
ルナは優しく微笑む。
「遠い星の料理ですもんね。でも、安心してください。地球流の食べ方を伝授します。私をよく見ててくださいね」
なるほど。確かにハンバーグは地球料理、テーブルマナーも地球発祥だ。しかも、我々ハ地球人ダ。嘘はついていない。
ルナは、本人達に恥をかかせないよう、遠く離れた地球の料理だから知らなくて当然だ、という体で説明をしていく。本当に人を教えるのが上手い。
ルナは料理の解説を交えながら、フォークやナイフの使い方を見せていく。背筋から指先に至るまで、そのすべての所作が優雅である。こうしてみると、本当にルナは良家のお嬢様だ。普段の私に対する手癖の悪さは……なぜなのか。
一方の二人は、猫背でぎこちない動きだ。見よう見まねで、ようやく一切れを口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼して、二人の表情がパッと明るくなった。
「美味しいです。こんな大きな肉の塊、食べたことありません」
「葉っぱって甘いんですね! 初めて食べました」
言葉のチョイスはアレだが、その笑顔を見れば、何だって美味しく感じる。
「地球には実用的なフードレプリケータがないので、こういう風に食材をそのまま使った料理が多いんです。慣れるまでは食べるのが大変だと思いますが、ぜひ地球料理を楽しんで来てくださいね」
「ありがとうございます、ルナ少尉」
だが、総裁が怪訝そうな顔で何かを言おうとしている。おそらく彼女たちがディストピア飯しか食べたことがない、ということを知らないのだろう。これはヤバい。ここでテーブルマナーについて説教されでもしたら、せっかくの配慮を台無しにされてしまうかもしれない。
それを察したのか、ブライトン少尉が口を開いた。
「お父様、わたくしももっと色々な地球料理を味わってみたいですわ。地球からレシピを送って貰えるようにお願いしていただけないかしら」
「……あ、あぁ。レッドフォード大尉、時間があれば、娘の頼みを聞いてやってくれないか」
「はい! もちろんです」
「まぁ! ありがとうございますわ」
その後もルナとブライトン少尉が巧みに話題を誘導しつづけ、昼食会はなんとか切り抜けることができた。
レッドフォード大尉とリー少尉は、すっかり地球料理の虜になってしまったようだ。もう地球から帰ってこないかもしれないな、この人たち。
さて、私は一つの問題に気づいていた。恐らくルナも気づいているだろう。
……そう。サラダもハンバーグも、ぶっちゃけ大して美味しくないのである。まあ、ディストピア飯に比べれば、美味しいという程度である。
サラダは、まるで古代の電子レンジで温めたかのようにフニャフニャだ。挽肉の再現度自体は悪くない。だが、おそらくデータの時点でハンバーグは火を通しすぎてカスカスなうえに、味付けが薄すぎる。そういえば、スープもあった。旨みがなく、もはや記憶から消去されるレベルである。
つまり、火星全体で階層問わず、食事に改善の余地が極めて大きいということなのだ。ディストピア飯問題以上に根が深い。
地球と火星との交易が本格化すれば、資源の制約は確実に緩くなる。そして、食文化も大きく変わるだろう。
これはアストロ・レールウェイにとっては大きな商機に違いないが、しかし、急速な変化は社会に大混乱を招くかもしれない。内政干渉は許されない。
けれども……。
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