期待と不安
(カエルム船長の視点)
執務室で私は個人端末を放り投げた。承認依頼は山のように積み上がっている。
船長といえども、その業務のほとんどは書類仕事だ。椅子にふんぞり返って命令を飛ばすだけのお気楽な仕事と勘違いされがちだが、実のところ、そうした楽しい仕事は比率としては僅かな割合でしかない。
だが、今日に限ってはそのどちらも手に付かない。私は書類仕事をするフリをして、船長執務室に引きこもっていた。
理由は二つある。
一つは、政府からの――というよりも大臣個人からの、であるが――圧力に苦慮していること、もう一つは、純粋にヒカリ少尉の試験結果が楽しみだからだ。
地球の周回軌道を離脱してからというもの、文化技術復興大臣から鬼のような数のテキストメッセージが届いている。これではまるでストーカーではないか。もはや相手にするのもウンザリとしていた。
ヒカリ少尉は、自分がハイブリッドだから選ばれたと思い込んでいるが、経験上、恐らく大臣の狙いはそれだけではないと思える。なぜなら、そもそもとして、文化科学復興省は、アストロ・レールウェイ計画においては当初から蚊帳の外だからだ。
今となっては懐かしい思い出だが、私は警察省時代、当時の元上司とともに政府や議員の不正を暴く特殊捜査を担当していた。聡明な政治家が愚鈍としか思えない判断をするとき、裏に何かがある。それは不正だけでなく、選挙対策であったり、感情的な部分での利害調整が絡んでいたり、あるいは個人的な野望が絡んでいたりすることもある。あの大臣は、ヒカリ少尉を貸し出すことによって、計画に一枚噛もうとしているのか、あるいは内閣評議会の誰かに対して政治的な貸しを作ろうとしているのだろう。
だから、ヒカリ少尉が自らの意思で志願しようとしていること、そのために試験を受けることについては今のところ船外には伏せている。今明かしてしまえば、どのような結果になろうと、政治的なメッセージになってしまうからだ。それはヒカリ少尉本人が望まない。
大臣に対峙したときも、「大切な部下がハイブリッドを理由に選ばれたと感じて傷ついている」という点のみに触れ、暴走している熱血船長のようにとぼけ通したたのは、我ながら正解だったと思う。でなければ、ヒカリ少尉は政争に巻き込まれ、もっと辛い立場に追われたことだろう。
知ってか知らずか、ルナ准尉が誰の目にも目立つ形で『訓練』を行ってくれたのは、幸いだった。さすがに上官に対して公衆の面前で命令をしはじめたときは肝が冷えたが、衆目を集める点ではかえって功を奏し、クルー達には姉妹漫才の一種として受け入れられているようだ。
しかも、ヒカリ少尉は一時的にとはいえ、危機的な状況において、あのサリー少尉の代わりを完璧にやってのけたのだ。ヒカリ少尉の本来の素質や専門性もあるだろうが、最も株を上げたのはルナ准尉である。クルー達の間では「ズブの素人を数日で実戦投入できるレベルまで育て上げた鬼教官」と専らの評判である。そして鬼教官でありながら、危機的状況に怯えるヒカリ少尉を、手を握って勇気づけていたという美談まで流れている。
最後の点については、私の印象では逆だったのだが、まあ、噂とは信用ならないものだ。
いずれにせよ、これで、ヒカリ少尉が合格したとしても、試験に手心を加えたわけではなく、純粋にルナ准尉の成果ということになる。アストロ・レールウェイが政争に屈したとか、大臣に恩を売ったとかというような政治的意図がないことは、少なくともクルーの目には明らかとなるだろう。そして、大臣から見れば、分からず屋の愚かな熱血船長を、部下自身が実力で打ち負かしたことになる。四方八方丸く収まることになるだろう。
まあ、逆に不合格となった場合は、目も当てられないのだが。
……それは、健闘を祈るほかない。
ドアチャイムが鳴る。
「入れ」
やや警戒するような面持ちで入ってきたのは、ルナ准尉だ。せっかくならこの機会に少し話しておきたいと、私が呼んだのだ。
「失礼します」
「忙しいところすまないね」
「いえ、実は試験が気になって業務が……」
「ハッハッハ、私も同じだよ」
「……ところで、どのようなご用件で」
「ヒカリ少尉のことをどう思うか聞いておきたくてね」
ルナ准尉の声色が低くなる。
「……それは、試験結果に影響しますか?」
「ああ。口頭試問の実施にあたっては、事前に指導役の意見を聴取できることになっている。それだよ」
「それはあくまでも任意規定だと理解しています。お話ししても、マイナスにしかならないような気がしますが……」
「実のところ、ルナ准尉、君の指導成果については、中々クルーの間で評判が良いんだ。君が正当に評価されるためにも公式に記録を残しておきたくてね。今後のヒカリ少尉の活躍は、君の実績にもなる。だが、もちろんヒカリ少尉が不適格と考えるなら今のうちに指摘しなければ、アストロ・レールウェイにとって損失となり、それは君にとってもマイナスの評価になる。公正な評価のためにも、率直な意見を述べてくれ」
実際、ルナ准尉は不遇である。その才能に比して、学歴の壁により、評価される機会が与えられていない。その上、実力で掴み取った機会さえも、政治の意向でヒカリ少尉に奪われてしまった。ヒカリ少尉の側仕えのような立場では、本来彼女が受けられたはずの評価は得られないだろう。だからこその提案なのだ。
彼女は少しためらった後、私の意図を理解したのか、渋々と受け入れた。
「……了解しました」
「実際のところ、どうなんだ?」
私が身を乗り出して訪ねると、ルナ准尉は私をまっすぐ見据えて、冷静な口調で話し始めた。
「適格か不適格かは、私には分かりません。普通に評価するならば、一ヶ月の速成訓練しか受けていない分を大目に見るとしても、任務への真剣さを欠き、集中力を欠き、少し目を離せば奇行に走り、上下関係にもルーズで、資源管理も生活態度もルーズ、専門知識に関しても実用性に欠け、一般知識にも著しい偏りがあり、自分で自分を守る自立性も欠如しています。不適格という他ないでしょう」
驚いた。この数日で、彼女とヒカリ少尉の仲はかなり深まったように見えた。それ故に、ヒカリ少尉の有利に働くよう、もう少し曖昧な表現に留めるのではないかと思っていたのだ。奇しくも、その評価は、私のヒカリ少尉に対する評価とほぼ一致している。つまりルナ准尉は、自分の友人であっても、客観的な見方を貫けるということだ。
「なかなか手厳しいな」
「……ですが、ヒカリ少尉を、そういった軸で評価するのはもったいないと思います」
「ほう」
「コンジットに並々ならぬ執着を示す変な人ですが、その全く役に立ちそうもない視点や知識が、私たちが危機的状況を脱するヒントになりました。ヒカリ少尉は、新しい視点を示してくれる存在だと思います。そして、危機的状況を誰よりも楽観的に捉えて、冷静で積極的、かつ独創的に行動していました。気を失ったサリー少尉を処置し、咄嗟に交代を申し出ることができる新入職員など他にいません」
「確かにそれはそうだな」
「認めたくはありませんが、どれもこれも私にはできなかったことです。個人的には羨ましくて我慢なりません。ヒカリ少尉は無鉄砲かもしれませんが、その能力は、開業前の今だからこそ必要とされるものだと思います。その点においては、私たちの一員となる貴重な素質を備えているのではないでしょうか」
私はまるでシエラ副長から意見を聞いているような錯覚に陥っていた。ルナ准尉は十九歳ではなかったか。きっと指導者としての素質が彼女にはあるのだろう。早熟すぎるが故に、既存の評価軸では彼女を正当に評価できない。
能力を正当に評価されていないという一点においては、ルナ准尉とヒカリ少尉は似たもの同士なのかもしれない。そう思うと、歯痒いものがあった。
「なるほど。では、最後にもう一つ。君はヒカリ少尉と一緒に働きたいか?」
「はい、もちろんです」
ルナ准尉は一点の曇りもなく、そう答えた。
それは、私が最も重視する答えだった。
(カエルム船長の視点 おわり)
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