かいこう

JEDI_tkms1984

かいこう-1-

 その男は精悍せいかんであった。

 幼い頃から野を駆け回り、山に登り、川を泳いだ。

 他に遊び方を知らなかったから、彼にとっては暇つぶしといえば体を動かすことだけだった。

 自然に恵まれた港町に生まれた彼は、父の跡を継いで漁師になった。

 数名の仲間と共同で購入した船に乗り、漁をする毎日である。

 充実した日々だった。

 太陽が昇る前に海に出て、魚を釣り、帰ってくる。

 休日は仲間とバクチを打ち、浴びるほど酒を飲む。

 それだけで充分だった。

 男はこの生活を死ぬまで続けるのだと思っていた。





「お、珍しいな。今日は寝坊か?」

 夜闇の向こうに赤みが差し始めた時刻である。

 港にはすでに仲間が集まっていて、漁に出るための準備を終えていた。

「すまない。昨夜はなんだか寝つけなくて」

 男はおおあくびをした。

「おいおい、大丈夫かよ。稼ぎ頭なんだからしっかりしてくれよ」

 季節によって獲物や漁を行う海域、漁法は異なる。

 この時期は網を垂れ流してひたすら船を走らせる流し網漁が中心となるが、要所では潜水漁業も行う。

 いわゆる素もぐりだ。

 彼はもぐり漁が得意で、その収獲量は仲間の比ではない。

 息が続くため長時間の潜行ができることもあるが、それ以上に彼には隠れているウニやタコなどを素早く見つけ出せる能力があったからだ。

 その理由は本人にも分かっていない。

 ただなんとなく――そこにいそうだ、という勘がはたらくのである。

「そろそろ解纜かいらんするぞ。ほら、お前も早く乗れ」

 眠気覚ましに酒をひと口含むと、彼はあわてて船に乗り込んだ。





 海面はその時々によっていくつもある顔を覗かせる。

 眠気を誘う揺り籠のような優しい波を運んでくれることもあれば、船をまるごと海底に引きずり込む水流をうねらせることもある。

 今日の海はおだやかだった。

 水平線をあいまいにする天と海のおぼろげな青と碧に、彼らは仕事を放りだしたくなった。

「毎日こうだとどんなに楽だろうなァ」

 舵を取りながら仲間のひとりが言う。

 座礁や根掛かりにさえ気をつけていれば、流し網漁というのはさほど難しいものではない。

 特に今日のような波のない日であればなおさらだ。

 おかげで男は、じきに到着するポイントでのもぐり漁に集中することができた。

 随行するボートに乗り換え、道具を取り出す。

 狙うのはウニやアワビ。

 船の支払いがまだ残っているから、できるだけ多く稼ぎたいところである。

「じゃあ、行ってく――!?」

 船べりに手をつき、海面を覗き込んだ彼は目を疑った。

「おい、どうした?」

 異変に気づいた仲間が声をかけた。

「いま、海中に人の顔みたいなものが……」

「なんだって? まだ寝ぼけてるんじゃないのか?」

「いや、たしかに見たんだ。青白い女の顔みたいなのが」

「船幽霊ってのはな、時化のときとか深夜に出るんだよ。こんな真昼間から出てきやしねえよ」

「うーん……」

「酔ってるか寝ぼけてるかだな。どうするよ? 今日はやめとくか?」

 からかい半分に心配された彼は少し考えてから言った。

「大丈夫。軽く潜ってみるよ。さっき見たやつも確かめたいし」

 釈然としない様子のまま、男はモリを手に海へと飛び込んだ。

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