第6話 これから②

 波ヶ咲はがさきマガリは、現在彼女を取り巻く有象無象の念を振り払う。

 クソが付くほどのこの田舎で生活を続けていたマガリにとって、「東京」というワードがどれだけ魅力的か。などと、今現在の状況にとっては毛ほども必要のないモノである。

 だが、それらを抜きにしたとても、マガリの回答は決まっていた。こうした無駄の思考に耽るたびに、またしても頭の奥を殴られるような感覚に陥っているのだ。この痛みと共存していく覚悟は、マガリには無かった。

「わかりました。行きます、東京」

 

 

 

 七崩県ななくずれあがたは運転席に、そして、後部座席に黒柴阿弥陀くろしばあみだとマガリが陣取る。蒸したエンジンの音が、音質の悪いラジオを乱雑に掻き消そうと試みていた。

 赤色の目立つ軽のミニバンが外観の畑を置き去りに、土まみれのコンクリートを踏み締めて進む。外からは、随分と目立っているはずだ。この辺りで見られる赤い車など、トラクターくらいなのだから。

「あー……これどっち行くんだっけ」

「えっと、次の信号右です」

 現在、三人を乗せたミニバンの目的地は、波ヶ咲宅に向いていた。何も言わずにマガリを東京へ連れていくことなど、当然できるはずもない。マガリが家を出る準備と、両親の説得。この二つの目的へ、七崩県は四輪駆動を走らせていた。

 七崩県がマガリの指示通りにハンドルを切ると、その先に簡素な一軒家、田舎特有の余りに余った土地を使った庭を構えた邸宅が、姿を表した。

「あ、これです」

 マガリの声に、七崩県は路上駐車と洒落込む。もはや車の通りすら珍しいこの土地では、こんな駐車でも何の実害も出ないという稀有な例である。

 相変わらず、コンクリートは土埃を秘めて、地に足をつくたびにそれらが舞い上がる。田畑の近くではよく見る光景にも、七崩県と黒柴阿弥陀は慣れ親しんでいない故か、時折咳き込んでいた。

 マガリが先導し、波ヶ咲家の玄関が開かれる。少し錆びた鍵穴へと、鍵を差し込んで半回転。鈍い音と共に、取っ手を引いた。

「ただいま」

 マガリの胸中は、自宅への帰還を遂げた安堵で満たされる。しかしそれらを押し出すように、帰ってこない姉に思うことも幾つか募るばかりだった。

「えっ……と、その……」

 玄関の戸を潜り抜けた先で、何かを言いたげな黒柴阿弥陀の言葉を七崩県は抑え込む。その光景に、マガリは少し申し訳なさに支配された。

 玄関から左に曲がって、すぐにある両開きの引き戸。片方が開け放たれたままの先、マガリは、テーブルを囲んだ両親のキョトンとした表情を見た。

「……父と、母です」

 二人に、解説を語る。見たらわかるだろと言われて仕舞えばそれまでだが、念には念を、と、マガリは微笑んだ。

「……わかった。私がご両親と話をするから、二人は荷造りしてきてくれ」

 七崩県は、マガリに微笑み返す。マガリは両親に、大切な話だから。と告げて、黒柴阿弥陀を連れて階段へと向かった。

 

 

 

 衣類や、あまり使った記憶のない化粧品などを、リュックサックとスーツケースに詰め込めるだけ詰め込む。マガリはもとより、あまり物欲や趣味が無かったので、未練がましい有象無象の選別は無かった。ただひたすらに、生活必需品が詰め込まれていくばかりだったのだ。

 ふと、黒柴阿弥陀が口を開く。相変わらず、バツの悪そうな表情で、ゆっくりとマガリへ語りかけた。

「……波ヶ咲さんのご両親って、どんな人なの?」

 唐突な、全く予想もしていなかったような問いに、マガリは呆けて口を開く。しかし、話題が逸れても尚、黒柴阿弥陀は表情に迷いという影を落としていた。先日の件が、未だ彼女の中に罪として居座り続けているのだろう。

「お母さんは、強い人です。私と直姉、二人とも自宅で産まれたって言ってました」

 マガリは黒柴阿弥陀の、真意の見えない質問に、淡々と答える。だが、恐らく彼女は、この空気が耐え難かったのだろう。姉のいない家に帰ってきたという真実に触れるマガリと肩を並べることが、とても居心地悪いのだ。

「お父さんは——」

 

 遮るように、扉の先から大きなくしゃみが反響した。テレビタレントじみた親父のような蛇足を付け足し、鼻を擦る音。紛れもなく、七崩県の声だった。

「あー、ひとまず話はついた。マガリちゃんの体調考えんなら、今すぐ出発だ。準備できてるか?」

 しっかりとファスナーの締められたリュックサックとスーツケースには、パンパンとまではいかない程度に、生活必需品が既に詰め込まれていた。七崩県の言葉に連れられて、マガリはゆっくり立ち上がった。

「それじゃあ、行きましょう」

「……うん」

「あぁ、それと……」

 マガリは、慣れ親しんだ己の部屋に想いを馳せながら、少し付け加えた。黒柴阿弥陀は、首を捻る。

「よかったら、これからはマガリって呼んでほしい……な……」

 この先、マガリがどうなるのか。彼女本人ですらも、その先の未来は見えていない。だが、昨日の一連を代償に、黒柴阿弥陀という友を得られたというのなら。そんな事を、彼女は考えていたのだ。

 拍子抜けしたような、黒柴阿弥陀のその表情。しかしその面も、一瞬で柔らかく微笑んでくれていた。

「じゃあ、マガリちゃんも敬語なし。私のこと、阿弥陀でいいからね」

 双方の距離が、随分と縮んだようだ。波ヶ咲直を失ったことに、黒柴阿弥陀は一切の関係はない、と。マガリが心の底から、そう考えているという事を、彼女は理解した。

 黒柴阿弥陀は、昨日の風呂場でマガリに託された頼みを、必ず遂行すると。

 波ヶ咲マガリをアメノウズメにすると、そう誓った。

 

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