見上げれば降るかもしれない

清瀬 六朗

見上げれば降るかもしれない

 みそらの隣でもそもそと体を動かして、盈子えいこが言う。

 「ずっと見上げてるけど、降らないじゃない?」

 「ふぁあないじゃなぁあい」と、発音も明晰めいせきでない。

 そうやって不満を表したいのか、それとも眠いだけか。

 学校の寮の屋上で、みそらも盈子も厚手のセーターを二重に着て、その上にダウンジャケットを着てファスナーをきっちりと締め、分厚い毛布を掛けて折りたたみベッドを並べて横たわっている。

 何をやっているかというと、流星群の観測。

 一二月のこの時期に出現するふたご座流星群の観測だ。

 流星観察は空をずっと見上げていなければいけない。座っていると首が痛くなるので、ベッドに寝そべってやるのだ。

 みそらは、ちらっ、と隣の盈子に目をやった。

 ふくれっ面に口をとんがらせているけど、もともとそう見えるような顔つきだから、不満なのかどうかはわからない。

 小さいな。

 盈子は。

 それだけ確認して、みそらは冬の夜空へと目を戻す。

 盈子の顔を確認することではなく、空をずっと見ているのが、今夜の「活動」なのだから。

 だから、盈子は見ずに、言う。

 「降る、って、何よ?」

 「だから、雨みたいに降るんじゃないの?」

 また「降るんじゃないの」が「ふうんじゃないのぉ」になっている。

 そういう誤解か。

 流星群というと、流れ星が雨のように降り注ぐものだと思いこむという誤解。

 そういう現象はあることはある。流星雨という。

 でも、それは、一世紀に何回かという珍しい現象だ。

 だから、みそらは答える。

 「雨みたいには降ったりはしないって」

 その答えで十分だろう。

 「えーっ?」

 盈子は大げさに反応した。

 不満なのか、不満に見せたいだけなのか。

 「だって、みそらが見せてくれた資料に、出現数百二十って書いてあったよ。だから、雨みたいに降るんだろうな、と思って」

 「ああ」

 言ってることの因果関係がわからなさすぎ。

 百二十という数字が「降るような」を表すと思っているらしい。

 そこで冷たく指摘する。

 「百二十って、一時間出現数が百二十ってことでしょ?」

 またふくれっ面の横面を一秒以内だけ見る。

 「つまり一分で二つ」

 百二十の六十分の一は二だから。

 今度は盈子の反応は見ないで続ける。

 「しかも、理想的な空の暗さで、しかもいちばん見えやすいところに出現するとしたら、という仮定の数がそれだから。だから、いまの空の条件なら、十分じゅっぷんに一個見えたらいいほう」

 「あ」

 ぶすっ、と、盈子が言う。

 「だまされた」

 だれもだましてないって、とは言わない。

 言わないでいると、盈子はさらに不満そうに言いつのる。

 「それに、理想的な空の暗さ、って何よ?」

 また、もそもそもそ、と体を動かす。

 どちらでもいいけど。

 なんか、徐々に近寄ってきてない?

 盈子。

 「ここだって、じゅうぶんに暗いじゃない?」

 みそらは平然と説明した。

 「理想的な、っていうのは、こうやって見ても、横にいるのが盈子だってわからないくらいに空が暗い。それくらいが理想的な空の暗さ」

 「それはない」

 盈子は断言した。

 でも。

 何がない、って?

 「それはないよ。どんなに暗くなったって、わたしの隣がみそらだってことはわかるもん」

 「いや、だから」

 もそもそもそもそ。

 これまでより、盈子の体の「もそもそ」が大きく、長く続く。

 何をしようとしているのだろう?

 また、流星を見張るのを中断して、盈子の顔を見る。

 盈子はその前からみそらの顔を見ていて、みそらが自分を振り向いたのを見て笑った。

 「相好そうごうを崩す」というのはこういう笑いかたを言うのかな。

 「くくっ」

 笑い声もかわいい。

 「そうやって、きょとん、としたときのみそらの顔、好きだよ」

 そう言って「もそもそ」を続ける。

 みそらの右手のところがすっと寒くなった。

 「うんっ?」

 その異変の意味を考える前に。

 がば。

 そして

「うくくうくくうくくっく」

という、へんにリズムのついた笑い声。

 盈子はもう空を見上げる体勢ではない。寝返りを打ってみそらのほうを見ている。

 みそらのほうだけを見ている。

 みそらの毛布の下へと手を突っ込んで、みそらの手を両手で握っているのだ。その盈子の両手が、その笑い声のリズムと少しずつずれながら揺れる。

 「もうっ!」

 みそらが迷惑そうに言うと

「ふふっ」

と盈子は笑った。さっきの「うくく」より弱い声。

 優しい声。

 「空を見上げてるより、こうやってみそらの顔を見てるほうがおもしろい」

 「そりゃ、おもしろいのはそうだろうけどさ」

 「ふふうー」

 盈子は「罠にかかった」とでも言いたげだ。

 でも、そんなことは、みそらだってわかっていた。

 おもしろい、というより。

 盈子の隣にいたい。盈子を隣に感じていたい。

 そのために、この観測に盈子を呼んだのだ。

 「でも、もし、ほんとに降るような流星雨が出たとしても、そのときわたしの顔を見てたら、盈子、見逃しちゃうかも知れないよ」

 「ええーっ?」

 盈子は大げさに不満の声を上げる。

 大げさなだけにかえってうそくさい。

 「だって、そんなの降らないって、みそら、言ったじゃない?」

 「だから、それは平均、だから」

 みそらは余裕で言い返す。

 「平均で百二十、ってことは、一秒に百二十出て、あとはゼロ、ってこともあるわけだから」

 つけ加える

 「だったら、降るように見えるよ」

 「ふうん。そうなんだ」

 盈子は笑う。

 その顔が白く浮き上がるくらいの明るさは、ここの夜空にはあった。

 「ふうー」

 盈子は長く息を吐く。

 「でも、いいや」

 盈子はまた笑って、こちょこちょっと言った。

 「それより、みそらの顔を見てるほうがいい」

 じゃあ、なんで天文部に入ったんだ?

 そう思ったけど、みそらは言わない。

 盈子がここの天文部に入ったのは、もちろん、みそらが誘ったからだ。

 小さくて、細くて、弱々しくて、勉強をやる気もいまひとつという盈子。

 そこで、みそらも弱く息をついて隣を見ると。

 盈子はみそらを見ていなかった。

 まぶたを閉じていた。

 空は理想的なほど暗くはないので、盈子のまぶたの上の睫毛まつげの列までよく見える。

 潤んだ目がひとを惹きつける。その盈子は、目を閉じた顔もかわいくて、美しい。

 夢のなかで、盈子はみそらといっしょに空を見上げて、百年に一度の流星雨が降るのを見ているのかも知れない。

 二人きりで。

 みそらといっしょに。

 そう思うと、みそらは、盈子に手を握らせたまま、また空を見上げた。

 十分に一個ぐらいは、暗い流星が流れるかも知れない空を。

 流星雨が夢のなかのできごとだとわかってがっかりするかも知れない盈子に、「でも流星はほんとうに降ったよ」と教えてあげるために。


 (おわり)

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