好きだと言わせて?
dede
第1話 好きだと言わせて?
ブーツが地面を踏みしめる度に、ポケットの中で音が鳴る。
シャランッ
揺れる度に、ガラスの容器と流れ星みたいな金平糖が打ち鳴らす澄んだ音。
綺麗な音、と素直に思う。でもその音は私に問う。キレイだから好きなの?
これを一目惚れといっていいのだろうか。
ああ、ううん。一目じゃないか、其の頃には何度か見かけたことがあったハズ。
これは、そう、一聴惚れか。
なんにせよメディアではロマンチックに描かれる事が多いけれど、私にとっては落胆というか随分惨めな気持ちにさせられた。
「ごめんね、サリナちゃん。前の生徒さんがまだ終わってないからリビングで待っててくれる?」
「はい」
冬だったと思う。確かコタツに入ってた記憶がある。
小3の私はピアノ教室に早く着いてしまい、じゃちょっと片付けようと待ち時間でコタツの上に宿題を並べていた。
『じゃ、さっきのトコからね』
壁越しに先生のくぐもった声が聞こえて、すぐにピアノも鳴りだした。
(あ)
背中がゾクゾクとして、手が止まった。
なんて素敵な音色だろう。気づけば目を閉じ耳に意識が集中していて、それが扉が開くまで続いた。
「ありがとうござましたー」
「はーい。もう暗いから帰り気を付けてねー」
扉から出てきた先輩を、その時初めて意識して見た。
「お待たせサリナちゃん。……サリナちゃん?おーい、サリナちゃん」
先生が私の目の前手を振っても私はポワーンとしてたそうだ。その後のレッスンも散々。
先生はその日の出来事を内緒にしてくれているけれど、年に一度ぐらい二人きりの時に愉快そうに話題にする。
私は嫌な瞬間を人に見られたなぁと恥ずかしく思う気持ち半分、それを見られた相手が先生で良かったなと思う気持ちが数年前までは半分。
最近は先生でよかった1/4で、残り1/4はなんで先生で知られちゃったかな、と思ってる。
それから私はこの先輩に対する、逃げ出したいような嬉しいような恥じ入るような近づきたいような気持ちと何年も付き合っている。
学校の廊下で出会えば、喜びと逃げ出したい気持ちをグッと抑え込んで素知らぬ態度ですれ違い、
ピアノを聞く機会があればじっと耳を澄まして演奏に酔いしれ、
何もなければ絶えず居ないかなと姿を探している、そんな一喜一憂する毎日を送っている。
一番嬉しいひと時だったのは、兄もこのピアノ教室に通っていたのだけど親が送り迎えしてくれる日に私、兄、先輩の順番で先輩が予定より早く着いた時だった。
私も先輩も兄のレッスンが終わるまでリビングで待つのである。二人きりで。
少しだけど会話することだってあった。
「テレビのチャンネル変えていい?」とか、そんなどうでもいい事ばかりだったけど。
「たまに会いますよね。名前、なんて言うんですか?」
一度だけ、勇気を出して私から話しかけて名前を聞いたことがあった。
「ナギサ。君は?」
「サリナって言います」
名前が知れてその日は有頂天だった。冷静になった後は失礼じゃなかったか心配になって思考がグルグルしてしまったけれど。
兄がピアノ教室を辞めてしまった後は、そんな幸せな時間もなくなってしまったけれど。
「あの曲やった?あれの入り方難しくなかった?」とか、以前よりも話せるようになった。それだけで嬉しかった。
でも思うのだ。
私は先輩のピアノを聴いて好きになったのだけど、それじゃ、ピアノが弾けなくなったら私は先輩を好きでなくなってしまうのだろうか。
中2の秋、今から3ヵ月前のこと。レッスンが終わって玄関で靴を履こうとしたとき
「あれ、サリナさん今日ブーツなんだ?なんだか私とお揃いみたいだね」
と、私と先生のブーツが並んでいるのを見て先生は弾んだ声で言った。
「あ、はい。先生のブーツ素敵だったんで……あの、イヤでした?」
「ううん、そう思ってくれて嬉しいよ。でも、あー」
言葉を選んでいる先生に私は苦笑いを浮かべる。
「分かってます。持ってる服との合わせ方は今試行錯誤中です」
お店でたまたま見つけた先生のによく似たブーツ、思わず勢いで買ってしまった。
らしくないデザインだったせいで、持ち合わせの服とはチグハグだった。
かといって、先生と同じ服を着た私を思い浮かべてみる。素敵なコーデだけど、私には似合わなかった。
このままだとブーツがお蔵入りする可能性もありうる。折角買ったのにと思う反面、似合わないなら仕方ないと諦めの気持ちもあった。
つくづく思う。先生と私は違うんだなと。同じもので揃えたところで同じには成れないのだと。
私の憧れの人。私の好きな人の好きな人。
私は、この人と較べて貰わなくてはいけないのか。尻尾を巻いて逃げ出したくなる。でも諦める事もできやしない。
中途半端な私。おまけに先輩の事を本当に好きかどうか疑いだしているという……私は本当に不誠実だ。
先輩が文化祭で演奏した。
私じゃなくても、舞台で演奏している先輩はカッコよかったらしく以前よりも人気者になっている。
先輩にキャーキャー言っている学校の女子を見て、先輩の上辺しか知らない癖にと思う反面じゃあ私はどれだけ先輩の事を知ってるか考えてみたら悲しくなった。
私だって大して彼女たちと違わないのだ、好きの期間が長いというだけで。
先輩の演奏で好きになって。そしてどれだけ先輩の事を知っているかというと、さほど知らないのだ。
「けど違う」という思いと、「でも一緒」だと思ってしまう間で行ったり来たりしている。
「あ、それ私も行く」
「あ?珍しいな?」
「そういう気分なの。私もいいかな、ママ?」
「お兄ちゃんが一緒なら別にいいわよ。ただ暗いから気を付けてね」
兄がふたご座流星群を見に行くので夜中家を抜け出す許可をママに求める現場に居合わせた私は、それに便乗した。
早めに寝て、暗い中起きて着替える。
寒いのでブーツを履いていく。誰も見てないから見た目は気にしない。コートのポケットに手を突っ込んで兄と歩き出す。
目指すは近所の川岸だ。あの辺りだったら建物の灯りも少なくて星も良く見えるだろうという目算だ。
「流れ星なんて興味ねーだろ?」
「いいじゃん別に。おにーちゃんも、興味ないでしょ?」
「あー、まあ、一度は見てみたいと思ってた。あと、単純に気分転換だな。行き詰ってるんだわ」
「またいつもの作詞?」
兄は小学校でピアノを辞めたあと、何を間違えたかヒップホップに傾倒し、ラップの作詞作曲をするようになった。
以前何度か兄の作った曲を聞いた事がある。曲はともかく歌詞の方はどこかスカした感じがして好きじゃなかった。
それを素直に伝えたところ、「善処します」と本気で落ち込んでいたが毎回改善されていない。
「いいや、今回はラップじゃなくて……ナギサの曲に歌詞つけて「なにそれ聞いてないんですけど!?すごい聴きたい!」」
兄は苦笑いを浮かべながらスマホを操作して「これな」とかけてくれた。
夜3時、静謐とした街中に、先輩のピアノが流れた。
「……綺麗」
うっとり曲を聴きながら歩いてると、川岸に着いた。空を見上げたら、タイミングよく星が流れた。
「あ、流れた」
「あ?マジ!?見逃した!」
「まだまだこれからいっぱい流れるよ、きっと。……この曲に歌詞をつけるの?おにーちゃんが?」
「ああ、だから行き詰ってるんだよ……」
「お願いだからスカした感じの歌詞はつけないでよね?」
「分かってるっつーの。でもなぁ」
「好きな人でも出来たら何か掴めるかも?」
「ほいほい好きなヤツなんてできるわけ……あ、俺も見つけた!インスピレーションが降りてきますようにインスピレーションが降りてきますようにインスピレーションが降りて……」
「いや、おにーちゃん、長すぎて間に合ってないよ……」
かく言う私はその後何度も流れ星を見つけたけれど、願い事を口にしないで見送った。
今の私は願い事を口にして良いかさえも躊躇っていた。
「ねえ、おにーちゃん。ナギサ先輩来年ピアノ教室辞めちゃうかもだって」
「あ?……ああ、かもな。中学卒業するなら。そんなの分かってた事だろ?」
「そうだけどさ……」
分かってる。けどうまく飲み込めない。
兄が空を眺めてる横で私は川岸を眺めた。
昔辞書で調べた事がある。渚っていうのは、海岸だけを指すのではなく川とか湖とかの波打ち際全般を指すらしい。
だからあそこも渚だ。でも、せっかくなら海の渚がイイと思う。
湿った砂浜をこのブーツで歩くところを想像する。足裏の感触はきっと気持ちいいに違いない。
けれどココから海は遠い。きっとこのブーツが砂浜を踏みしめる日はきっと来ないだろう。
(あ、これ先輩好きそう)
和菓子屋さんで見つけた。ブーツの形をしたガラスの容器に、色鮮やかな金平糖が入っている。
こういう面白くて可愛いものが好きだからきっと気に入るはず……買っちゃおうかな。食べ物だし、贈られてもきっと迷惑にならないと思う。
先生が言っていた。告白したらと。接点がなくなってしまう前に。
そのために先輩のクリスマスの予定まで教えて貰った。
告白するなら今だと頭では分かっている。今告白しなければ今後は疎遠になっていくばかりだ。だから、今しかないのだ。頭では分かっているのだ。
「……買うか」
告白はともかく、プレゼントしたらきっと喜んでくれると思う。
できれば、金平糖がなくなった後も容器は取って置いてくれると嬉しいな。このガラスのブーツ、可愛いしインテリアとしても悪くないと思うのだ。
「失礼しま……あ、まだ前が終わってなかったですね。待ってます」
イブの日、先生とレッスン……というか話していたらナギサ先輩がやってきた。
「あ、いいよ。もう終わるから。それより少し時間貰っていい?」
「え……い、いいですけど」
「よかった。サリナさん?」
「はい。あの、先輩。少し外で話せませんか?」
私は先輩を連れ立って外に出ると、少し離れた公園に赴いた。
お膳立てして貰った。プレゼントも用意した。今日こそ私は告白しようと思う。
それなのに……私は未だ迷っている。この人を私は好きだと言う資格はあるのだろうかと。
しかし機会は設けて貰った。サイは振られた。ポケットの中のプレゼントの感触を確かめる。言うなら今。
「……先輩、メリークリスマスですね」
「うん、メリークリスマス。それで、何かな?」
その時先輩の荷物がいつもより多い事に気づいた。
「先輩、その荷物は?」
「ああ、これ?その、先生のクリスマスプレゼント。あ、ごめん、サリナさん。いるって知ってたらサリナさんにも用意してたんだけど」
胸にチクリと刺す痛み。ううん、分かってた事だし。イチイチ傷つくな私。
「あ、いえ。それは別にいいんですけど……その、先生に、好きって、伝えるんですか?」
気付けば聞いていた。随分自虐的な事を聞いたものだ。
「あれ、俺ってそんな分り易かったかな?……ううん、プレゼントだけ。俺、相手にされてないから」
そう言って、自虐気味に先輩は笑った。それに私は急激に怒りが込み上げてきた。
「……メですね?」
「え?」
「ダメダメですねって言ってるんです先輩!!相手にされてないからって何だって言うんですか!」
「でも、歳の差もあるし」
「だから何です?」
「先生と生徒だし」
「だからそれが何なんです?それでも好きなんでしょ?先輩、好きなんでしょ?先生のこと好きなんですよね?言わなきゃずっと今のまんま、いいえ、今後もっと悪くなる一方でしょ!!そんなの先輩も分かってるでしょ!?」
「……」
「そんな先輩、大嫌いです。……帰ります」
私は先輩の表情も見ずに背を向けるとそのまま歩き出した。
振り返る事は出来ない。泣き顔なんて見せられない。
道の角を曲がって、先輩から私の姿が見えなくなってからは駆け出していた。
ブーツが地面を蹴るたびにポケットの金平糖がガラスとぶつかって鳴る。
分かってる、こんなの八つ当たりだ。告白するかどうかなんて先輩の自由だ。私は私みたいな事を言う先輩を見ていたくなかっただけなんだ。
私だって好きだと言いたかった。プレゼントだって渡せなかった。
それどころか、真逆なことを言っていた。
なんてことをしてしまったんだ。
未だに先輩の才能が好きなんじゃないかと疑問は残ってる、けど。
私だって5年間、先輩の事が好きだったんだ。
「わ、私だって好きだって言いたかったのに……」
でも、それでもそんな先輩は見たくなかったんだ。
「……プレゼント、し損なっちゃったな」
私は涙と鼻水を拭いながら空を見上げる。
そこには少し満月に足りない月が浮かんでいた。
「……先輩、少しは告白する気になってたらいいな」
どこかから流れてくる、ベルの音が身に染みた。
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