蒼鹿の花嫁〜身代わりの災い公主は蛮族の王に溺愛される〜

小蔦あおい

プロローグ

第1話 婚礼の儀

 金糸や銀糸の刺繍がふんだんに入った婚礼衣装。それに身を包む莉珠りじゅの身体は震えていた。

 緊張からくるものなのか、はたまた恐怖からくるものなのかは分からない。

 輿の中は絹の垂れ幕のせいで薄暗く、外の景色も遮られている。けれど、ゆっくりと動くそれが着実に目的の場所へと向かっていることだけは肌で感じ取っていた。

 莉珠は膝の上に乗せている拳をぎゅっと握り締める。


 ――今ならまだ、逃げ出す機会はあるだろうか。

 随行している十数人の兵や侍女たちを振りきって逃げるところを多角的に想像してみる。が、どれも非現実的だった。

 婚礼衣装や身につけている宝飾品、頭につけている髪飾りも重くて動きを鈍らせる。走ったところですぐに捕まるだろうし、婚礼衣装姿では民衆に紛れようにも一目で花嫁だと分かってしまう。


 思案投げ首になっているうちに莉珠を乗せている輿がぴたりと動きを止め、ゆっくりと下がっていく。

「公主様、到着しましたよ」

 侍女の発した声と同時に輿の扉が開かれる。やはり今更逃げるなんて無理だと諦観した。

 莉珠は顔を上げると深く息を吸い込み、意を決して外に出る。侍女の手を借りて地面に足を付けると、伏せていた顔を上げる。



 真っ赤な毛氈もうせんの先には荘厳な寺院が建っていてその下には祭壇がこの日のために設けられている。そして手前には莉珠と同じ婚礼衣装に身を包んだ青年がこちらに背を向けて立っていた。

(話で聞いていた毛むくじゃらの巨漢ではないみたい……)

 青年の顔を見ることはできないものの、背は高く身体は引き締まっている。その堂々とした後ろ姿や精悍な雰囲気から彼がこの国の若き王だということが一目で分かる。


 莉珠は顎を引くと目を閉じてまつ毛を震わせた。

(私は……あの方を、そしてこの国を騙している)

 けれど真実を告げることは許されない。告げれば身体に打たれた邪針じゃばりがヒルのごとくのたうちまわり、壮絶な痛みと苦しみを与えた末に命を奪うのだから。



『――……簡単に死ねると思ったら大間違いよ。どこへ行こうとおまえの命はこなたが握っている。そのことをゆめゆめ忘れぬことね』


 頭の中でねっとりとした女の声が響く。本人がいるはずもないのに耳元で囁かれているような錯覚を覚え、莉珠の背筋はおぞけた。

 手を貸してくれた侍女が莉珠の頭に紅蓋頭こうがいとうを被せると先へ進むよう囁いてくる。


 莉珠は心を奮い立たせて毛氈の上を歩き始めた。進んだ先の壇上に上がると進行役が速やかに婚礼の儀を執り行う。

「今ここに天と地に祝福されし二人の男女が結ばれる」

 まだ心の準備ができていないうちに婚礼の儀が淡々と進んでいく。

 緊張と不安から莉珠の心臓は早鐘を打ち、今にも気絶してしまいそうだった。


「互いに向き合い、花婿は花嫁の紅蓋頭をお取りください」

 莉珠が言われた通りに身体を向けると、花婿の手によってゆっくりと紅蓋頭が取り払われる。太陽の眩い光に晒された莉珠は目を細めた。だんだんその明るさに慣れてくるとはっきり景色が見えてくる。

 青冥の下で厳かに建つ建物の屋根は瓦が敷かれ、それを支える柱には幾何学模様の彫刻が彫られており、軒や枡形には青と緑の極色彩の模様が施されていた。

 そして目の前にはさらさらとした艶のある黒髪に青色の瞳を持つ、端正な顔立ちの青年が立っている。


「精霊よ、死が二人を分かつまで二人の運命を結びたまえ」

 進行役が祈祷を終えると側で控えていた侍女が二つの盃と皿にのったナツメを盆にのせて近づいてくる。

 渡された盃を飲み交わし、続いて互いにナツメを食べさせあう。

 青年がナツメを一粒つまむと莉珠の口元へと運んでくれる。

 莉珠が躊躇いがちに口を開けると、青年が口の中へナツメを優しく押しこんできた。

 乾燥させたことで甘みを凝縮させたナツメ。しかし、いくら噛んでも味がしなかった。嚥下を終えると今度は莉珠がナツメを食べさせる番になる。


 莉珠は震える指先で摘まんだナツメを青年の口元へ持っていく。

 すると、青年は躊躇うことなくナツメを食べた。これで二人は正式に夫婦となる。

(……ごめんなさい。私はあなたの本当の花嫁ではないし身体は汚れているわ)

 懺悔を胸に抱く莉珠は眉根を寄せると赤色の瞳を閉じる。



 その日、莉珠は偽りの花嫁として蒼鹿国そうろくこくの王・惺嵐せいらんのもとに嫁いだ。

 邪針という呪いをその身に宿して――。


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