あなたに触れる

大和滝

あなたに触れる

 プリント、お皿、階段の手すり、機械じゃない誰かが作ったもの……、もちろん他人。いつかは治ると思っていた私の潔癖症は、むしろ悪化する一方だった。

 小学生の頃はまだ給食は食べることができた。

 中学生になって男子や女子たちの自慰行為を初めて知って、人の手を触れなくなった。

 高校生になって初めて彼氏ができた。彼と手を繋ぐことはギリギリできた。だけど、キスは無理だった。そして1週間で別れることになった。

 そして今、大学生になった私は素手で消毒をしていないものと、人が触ったものは一切触れなくなった。そのために私は手袋をはく生活が当たり前になった。

 

 私は今大学で法学を学んでいる。法学部の人数は約90名。今私はその中の1人に恋をしている。

 出会いは、とある講義でたまたまその人の近くに座っていたら、私はシャープペンシルをうっかり落としてしまって、私は誰にも拾われないようにすぐ自分で拾おうとした。そうしたら彼は、私が拾うよりも速く私のシャープペンシルを拾って、私の手に置いた。置き方も置き方だ。私の手から落ちないように握るように置いた。

 大胆に触られたからもちろん気分は悪くなった。さすがにそんな素振りは見せない。けど彼の視界から出たあとに手袋を外してすぐ手を洗ってから消毒液をいっぱいに擦り込ませた。手袋をはいていても手が触れると不快でしょうがない。

 もちろん拾ってもらったシャープペンシルも手袋も家に帰ってなげた。違う。なげようとしたけど何故か私は今でも使っている。

 手袋は定期的に変えているから今は違うものだが、これは違う。このシャープペンシルを使うと心がモヤモヤする。あの人を思い出す。この感情はなんだろう。私は恋だと思っているけど、もしかしたら拒絶反応の一種かもしれない。だけどなげていないことの説明がつかないから困っている。

 だから私は彼ともう一度接触を試みようと思う。

 そして今、運命と呼ぶべきか、私は彼の隣の席にいる。

「あの、前この講義出てなくて、ノート見せてくれませんか?」

「いいよ!てか初対面じゃないんだから固くならなくていいよ」

「え?」

「前に水色のシャーペン落としちゃってたよね。あと手袋してるからわかりやすい」

「そうなんですね。あの節はありがとうございました」

「なんもなんも〜、はいノート」

 ノートの名前を見た。“笹野蓮迦ささのれんか”と書いてある。可愛い名前がギャップでいいなと思ってしまった。

「名前なんていうの?」

「私は河合美里かわいみさと

「美里さんか。いい名前だね」

「ありがとう。蓮迦って名前、私好きです」

「嬉しいなぁ〜、ありがたいわ」

 いい名前だね。多分私がどんな名前でもそう言ってた。だけど嬉しくなるのはどうしてなんだろう。よく考えたら私今、彼のノートに触っている。手袋をはいているからってのもあるけど、何も抵抗感がない。こんなの初めてかも。

「そういえば美里ちゃん、なんでいっつも手袋はいてんの?末端冷え性とか?」

「いや、違う」

「そっか〜」

 手袋はくほどの潔癖は引かれることが多いから、あまり言いたくはない。けど、深く聞かないあたり、なんかムカつく。

「なんでか聞いてこないの?」

「興味ある。けど、自分からきくんじゃかっこ悪いじゃん」

「なにそれ。バカみたい」

「男の子だし」

「そういうもんなのね」

 赤色に染めたヤンチャな彼、今までは近寄りたくもなかった。けど今日初めて接する人種。

「じゃあ、女に話してもらえれればカッコいいんだ?」

「うーん、どちらかといえば?でもこの流れで言っても微妙だぞ?」

「流れじゃないよ」

「え?」

「触れないの、人に」

 彼はキョトンとしているけど、そんなのお構いなしに私は自分についての昔話をした。


「———てな感じでね、ずっと手袋はいてるんだ」

 そういえば講義なんにも聞いてないな。誰かに後で写させてもらおう。

 久々にたくさん喋ったせいで渇いた口を潤すためにペットボトルの天然水を一口飲んだ。すると黙り込んでいた彼はやっと口をあけた。

「じゃあ最近はほとんど、誰とも手とか素手で繋いでないんだ」

「う、うん」

「じゃあ、俺が手を繋いだら、俺は特別になれるかな」

「は?」

 多分彼は遊び人だと思う。この言い回しはきっと慣れてるんだ。こんなチャラチャラした人は一番嫌いなはずなのに、どうして……。特別ってこういうこと?

「てかノート写さないと!せっかく借りてるのに」

「あ、そっかそっか、そうしなー……て、え!」

 彼は急に目をまん丸にして私の右手とシャープペンシルを強く握った。

「これってあの時拾ったシャーペンだよね?」

「う、うん。そうだよ」

「なげてないの?美里ちゃんくらいの潔癖症なら、あの後すぐにゴミ箱行きだと思ってたのに」

「ちょっとなにそれ。投げた方がよかったの?」

「いや、全然全然!嬉しい」

 なんだそれって感じ。こういうタイプは嘘なんてついていないし、きっとつけないタイプだから、可愛いし、何より信用できる。

「あれ?今大丈夫なの?」

「え、なにが?」

「手、めっちゃ握ってる」

 彼の指差す方を見ると、しっかり私の右手に、彼の右手は覆い被さっていた。

「え!嘘」

「ごめんごめん!いいよ、今消毒しちゃって。俺気にしないから!」

「うん。ごめんね」

 私はカバンから大慌てに消毒液の入ったボトルを出して、手に出そうとした。

 だけど、どうしてだろう。液体が私の手のひらに落ちるギリギリで、私は自分の左手を下に傾ける動作を止めてしまった。

「出さないの?」

「わからない。出せない」

 彼はクスッと笑って、静かに目を閉じた。そして優しい声で私に言った。

「里美ちゃんってさ、俺のこと好き?」

「わからない。でも、恋してるかも」

「俺ってもしかして里美ちゃんにとって特別?」

「もしかしたら、そうなのかも」

「手袋外してみない?」

「なんで?」

「里美ちゃんが素手で俺に触れたら、俺らって特別なのかも」

「触れなかったら?」

「所詮は勘違い」

「特別ってなんなの?」

「わかんない。けど、多分いいやつ」

「なにそれ。バカみたい」

 私は彼と話しながら、手袋を片方ずつ丁寧に外していた。

「それも男の子だから?」

「多分そう」

「絶対違うでしょ」

「デタラメだからね」

「やれやれだよ」

「じゃあさ今僕を抱きしめてる温もりはなに?」

「なんだろうね」

「柔らかい」

「女の子だから」

「特に背中の方に2つ温かいのあるんだけど」

「当たり前じゃない。だってずっと手袋はいてたもん」

 私は結局この講義は蓮迦くんと一緒になにも聞かなかった。蓮迦くんが友達からノートを見せてもらったから、私も一緒に見せてもらった。

 結局私の潔癖は治っていない。いまだに人とは握手できないし、レストランにも行きたくない。だけど、例外はできた。

 いやいや、できたのは特別だ。

 笹野蓮迦っていう特別だ。


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あなたに触れる 大和滝 @Yamato75

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