◆明けの明星と宵の明星(シルヴェスター辺境伯side)

 シルヴェスター辺境伯は自室に戻り、大きなため息を吐いた。


 娘のことや邪神のこともある。なによりこれからこの状況を王家に報告をしなければいけないことに気が重くなる。


 なんと伝えるべきか、と通信オーブを前にしばし考えた。


 だが良い案など浮かぶはずもない。

 自分だって状況を十分に把握できていないのである。


 一晩考えれば少しはマシな案も出てくるだろうか、邪神の封印が解けた際に来た通信は、ウェスパルの捜索を理由にこちらから切ってしまったのだ。


 娘が見つかり次第、状況報告をすると伝えただけに、王家は今も連絡を待っていることだろう。


「はぁ……」

 再度大きなため息を吐いて、通信を繋げることにした。



「よくぞ戻った。してウェスパル嬢は見つかったのか!」

 通信が繋がると、ずっとオーブの前で待機していたのだろう陛下の顔が大きく映る。端に映り込む臣下たちの表情も固い。


 少し前まではシルヴェスター辺境伯も同じような態度だっただけに、これから伝えることが信じてもらえるか怪しいものだ。



「娘は屋敷に戻ってきておりました」

「おお、それは良かった。怪我などはなかったのか」

「はい、無傷でございます。ただまことに申しづらいのですが……」

「なんだ、申してみろ」

「あの子は邪神を連れて帰ってまいりました。今は自室で共に芋を食べております」

「は?」


 力の抜けた声は、シルヴェスター辺境伯が少し前に妻に向けたものとよく似ている。信じられるはずがないのだろう。


 それでもこれが今報告できる情報なのだ。

 オーブに映し出されている呆けた顔は見て見ぬふりをして、報告を続ける。


「邪神曰く、再び神に戻るつもりはなく、当家に来たのもただ芋を食べに来たのだと」

「貴殿は邪神の言葉を信じるというのか」

「いえ。ただ、彼は元とはいえ一度神になった存在です。封印前から幾分かは弱体化していたとしても、到底人間の敵う相手ではありません。シルヴェスターの全員がかかってもおそらく負けます。領外の人間となればプレッシャーで動けずに終わるでしょう。再度封印を施せる者がいない今、余計な諍いは避けるべきかと」

「貴殿がそう言うのならそうなのだろう。だが一つ気になることがある。ウェスパル嬢はなぜそんな存在を連れ帰ったのだ?」

「私にも分かりかねます。邪神は風呂の間も娘の側を離れようとしないので聞き出すわけにもいかず。今のところ、娘も邪神と普通に接しているように見えたとしか」

「……そうか。シルヴェスターには負担をかけるが、そのまま邪神を捕獲しておいてほしい。細かい采配は任せる。かかった費用もこちらが負担する。光の魔法使いが現れるまでどうにか持ちこたえてくれ」

「承知いたしました」


 通信が終了し、オーブに映っていた向こう側の様子も見えなくなる。オーブに布をかぶせ、棚にしまい込む。


 おそらくこれから頻繁に連絡が来ることだろう。

 光の魔法使いが現れるまでこの丸投げ状態が続いてはシルヴェスター側も困る。



 だがこのオーブは三百年前に存在した『最後の錬金術師』と呼ばれる男の作品だ。王家とシルヴェスターのみが持ち、壊れたらこれきり。


 あと何度使えることか。


 出来れば本当に困った時以外に使いたくないのだが、あちらからすれば今も十分困った状況なのだろう。


 言葉だけ聞かされて、今頃パニックになっているかもしれない。

 だが実際見ればパニックどころでは済まなくなる。


 娘が邪神を連れ帰ったことに対しても驚いたのに、その上、あの子は邪神と平然と会話を繰り広げていたのだ。


 どちらかといえば大人しく、家族や幼なじみ以外とでは緊張してしまいがちなウェスパルが、である。


 やはり闇の魔法を持つあの子は邪神と惹かれ合う運命なのだろうか。

 シルヴェスター家には何代かに一度、闇の魔法を持つ少女が生まれる。

 その少女達は揃って邪神に興味を持ち、封印を解こうと試みたらしい。


 この世で初めて生まれた闇の魔法を使う少女がそうであったように。


 代々シルヴェスター家と王家のごく一部の者には、とある話が伝えられている。

 話によれば、ルシファーが邪神に落ちるよりも前、彼は人と共存して暮らしていたらしい。


 この一帯の土地を守る彼は人間達の信仰を集めていた。


 そんな彼に仕える双子の姉妹がいた。姉妹は五大属性のどれとも違う、闇と光の力を使えたという。


 姉が光の魔法を、妹は闇の魔法を使って互いにバランスを取り合っていた。

 だがルシファーが大地を焼き、邪神に落ちたことで姉妹の運命は大きく別れた。


 姉である光の巫女はルシファーの神格を剥奪し、洞窟に封印した。

 妹は姉の行為は神に反するものとして怒り、封印を解こうと試みたらしい。だが結局最後までそれは叶わなかった。


 闇の巫女の魂は何度と転生を繰り返し、邪神の封印を解こうと試みているのではないか。


 生まれた子どももいつかそうなってしまうことを恐れ、辺境伯は『ウェスペル』と名付けることにした。


 宵の明星であれば明けの明星と出会うことはない。

 一生この子がルシファーに出会いませんように、との意味を込めて。


 けれど先代が金星同士引き合ってしまうかもしれないと、手直しを加えた。生まれた子どもは『ウェスパル』となった。


 その願いもむなしく、彼女は邪神に惹かれてしまった。


 この状況が逃れられないものだとしても、早すぎる。

 シルヴェスター辺境伯当主に代々伝わる記録によれば、闇の魔法を持つ少女が邪神に興味を持つのは十代後半に差し掛かった頃なのだ。


 ルシファーの封印が解けかかっていたというのもあるのだろうか。

 考えたくはないが、王都で嫌なことがあったウェスパルが邪神に縋ったというのも否定はできない。


 帰ってきたあの子の表情はとても暗く、妻からも話を聞いていた。

 なのに風呂から出てきたあの子は何事もなかったかのようにケロっとしていたのだ。


 邪神は妙にウェスパルと親しげで、その上なぜか芋芋と繰り返している。

 二人の間に何かしらの約束事が交わされていても不思議ではない。


 そもそもルシファー自体、謎に包まれた存在なのだ。

 シルヴェスターに伝わる話の中でも、彼がなぜ大陸を焼いたのかは明かされていない。


 かつての彼をよく知ろうにも、封印の際、光の巫女がルシファーの資料をほとんど燃やしてしまったのである。他の神についての資料の中にあるものでさえ見逃しはしなかった。


 それほどまでにルシファーを許せなかったと言ってしまうのは簡単だ。

 だがなぜ妹の闇の巫女はルシファーを恨んでいなかったのか。家族を奪われたのは彼女とて同じだろう。


 闇の巫女とルシファーの関係を知るため、シルヴェスター辺境伯とヴァレンチノ公爵家は長年にわたって研究を続けている。


 公爵家の養子となった兄もまた、研究を熱心に続ける者の一人だ。

 姪のウェスパルが闇の魔法を使えると分かってからはより一層研究に励んでくれている。



 だがやはり謎は解けぬまま。

 兄が何年も前に立てた『ルシファーは芋好きなのではないか』という推論は真実味を帯びてきているが、それだけだ。


「神よ、どうか我が娘を守ってください」

 力の敵わぬ相手を前に、辺境伯はただただ神に願うことしか出来ない。



 その娘が邪神の隣で爆睡していることなど、彼は知るよしもないのだった。

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