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「二年前の七月、私たちは水生研の合宿であの島に訪れました」
「すいせいけん?」
「正確には水棲生物研究会。私たちは西国海洋大学の水棲生物研究会に所属しています」
「水の生き物を調べるんですか?」
僕の素朴な問いに、彼女はコクリと頷くと少し笑った。
「そのままですね。水生研では主に海岸周辺やダイビングで、海洋生物の観察や採集をやっています」
なるほど、まさに我々山屋とは正反対の方向に行くわけだ。
「その合宿は、水生研のなかのシュノーケル班のメンバーが集まって行ったものです」
「研究会の中でも専門に分かれるんですね」
「そうですね。我々シュノーケル班もスキューバダイビングをやりますが、主流はタンクを使わないスキンダイビングです。やはりダイビングはお金もかかりますから、そちらがメインでって人は別チームでやってますね。他にもヨットを使うチームや海外遠征する人たちもいますし、釣りがメインで研究はそっちのけって人たちもいますよ」
彼女にとって大切な仲間なのだろう。話す笑顔が楽しそうだ。それに少しは、僕たちに気を許してくれたかもしれない。
「話がそれましたね。二年前は、私たちシュノーケル班八人の合宿でした。そこでまさか、あんな悲しい事故が起きるなんて」
「その八人に、大島さんと小橋さんがいた」
「そのとおりです。私はまだ何も知らない新入生で、大島さんは三年生で副部長。小橋さんは二年生の先輩でした」
僕はチラリと三輪さんを伺うと、真っ直ぐに高遠さんの顔を見つめ黙っている。話に集中する先輩に代わり僕は質問を続ける。
「毎日、海に潜って採取活動を?」
「そこまで規律正しくはないです。七泊八日の日程で、午前と夕方の数時間を採集活動に当て、他の時間は結構自由でした。やはり夏の島で合宿ですしね。本当に楽しい日々でした。五日目にあの事故が起こるまでは」
ここまで語ったところで、高遠さんは一度腰を浮かし、椅子に深く座り直した。いよいよ悲しいお話の、本編が始まるのだろう。僕はそっと目を閉じる。
「あの日の夕方は、ひどい雨だったと記憶しています。朝から風が強くて、採集活動は早い段階で中止になりました。宿で昼食を食べ終わる頃は、まだ晴れていましたが、次第に外が暗くなっていったのを覚えています」
「昼食の時は、みんないたんですか?」
一言の言葉も挟まず、じっと聞き役に徹している先輩に代わり、僕が質問を繰り返す。
「間違いありません。二人がいないと気づいたのは、三時半のおやつタイムでした。その頃には、もう雨が降り始めていました」
「そんな悪天候の中、海に行ったんか?」
驚きのあまり、思ったことが口から滑り出た。そんな感じで先輩が呟く。
「海に行ったのかどうか。ただ宿の女将さんが毎日午後の三時半に、何かしらのお菓子とお茶を出してくれるんです。でもその時に二人の姿はありませんでした」
「すぐに探してもらえればと、小橋さんのご両親が悔やまれてましたが」
「はい。本当に申し訳なく思っています。ただその時は、あの天候で、まさか海に行ってるとは思いもしませんでした」
「いや、あたなが悪いわけでは」
非を咎める形になったことに気づいたようだ。三輪さんは、少し照れ臭そうに、顔を赤らめて視線を逸らした。どうにも気まずい雰囲気になってしまったが、ここで話を終わるのも変だろう。
「彼らを探しに出たのは、その後ですか?」
僕は続きを促した。高遠さんもこの質問に救われたように、話を再開する。
「ええ、午後の四時頃だったと思います。雨の強さが増してきて、さすがにおかしいと誰かが言い出したんです。それで、宿のご主人が車で道路沿いを探しに出てくれて、会のメンバーは個人で行ける範囲を見回りました」
「でも、いなかった」
まだ少しトゲの残る三輪さんの言葉に、彼女は苦しそうにうなずく。
「行ける範囲はあちこちを探したのですが」
「見つかったのは島の北にある浜だったと聞いています」
「美鈴浜です。そこで最初に見つけたのは、誰だったのかしら。とにかく北の美鈴浜だと知らせが来ました。それからのことは、正直よく覚えていません。ただ石だらけの浜の上に横たわった大島さんが、心臓マッサージを受けていたのだけ、よく覚えています」
「クルミのことは、誰も見ていないのですか? ご両親の話では、海に浮かぶ女性を見たと証言した方がいたそうですが……」
そこで不意に高遠さんは顔を下げ、手元のハンカチで顔を覆った。大島さんが心配蘇生をされるシーンを思い出したのだろうか。彼の顔も知らぬ僕でも、聞くのがつらい話だ。彼女にとって、あの日を思い出すことは拷問に近いのかもしれない。僕は腕時計に目をやり、話を遮ろうとした。しかしそこで、高遠さんはついと目を上げると、三輪さんの顔を真正面から直視した。
「海で小橋さんを見たという話もあったような気がします。でもみんな、混乱していました。私にわかるのは、大島さんが流れついた近くで、彼女の荷物とサンダルが片方見つかったということだけです。ただ状況から海にいたのは間違い無いと、海上保安庁は判断しました。島の漁師さんも船を出してくれたのですが、もう夕闇も近づくころで、何も発見はできなかったと聞いています」
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