第12話 初ドライブ

「…ひぐっ、げほっ。」


 山のふもとの旧道で車を降りたフェリエッタは、その場にしゃがみ込んで嘔吐おうとしていた。その近くで、黒薙が水の入ったペットボトルを持ってたたずんでいる。


「はぁはぁ。」


「落ち着きましたか。」


「は、はい。自動車?でしたっけ。こちら世界の人たちは、いつもあんな乗り物に乗っているんですか。」


「まぁ、…そうです。」


「すさまじいですね。」


 フェリエッタは、そう答えると、片膝かたひざを立てながらゆっくりと立ち上がる。




「うー、やっぱり外は寒いですね。コート、ありがとうございます。」


 フェリエッタは、黒薙から借りたコートのすそを引っ張りながらそう言った。彼女は、ローブの上からさらに羽織はおるようにコートを着ていたが、それでもまだ寒そうにしている。


「えっと、ここが最初の石化犠牲者が、見つかった場所の近くなんですよね。」


「はい。そうです。」


 二人がいる旧道の周囲には、草木が生い茂っており、道から少し外れると黒いはやしが広がっていた。旧道は、山へと続き、道も細くなっているため、ここから先に進むには車を停めていった方がいいだろう。


 林の中は暗く、いかにも何かいるような、そんな気配がしている。


「コカトリスの巣は、この辺りにあるのでしょうか。」


「んー、それは分からないです。何か手掛てがかりになるものでもあれば良いんですけど。」


「分かりました。この辺りを、少し捜索そうさくしてみる必要がありますね。」


「あ、あの、ちょっと待ってください。クロナギさん。」


 先に歩き出した黒薙を、後ろにいるフェリエッタが呼び止める。


「どうかされましたか。」


「もしかしたら、コカトリスがいるかもしれないので、石化対策をしましょうか。」


 フェリエッタはそう答えると、右手を突き出し、念じる。


「“我が創成そうせいしたるは青、光を整然せいぜんする薄皮はくひとなれ、偏光水膜ポライジングフィルム”」


 フェリエッタが呪文じゅもんを詠唱すると、青い魔法陣と共に、彼女の手の中に小粒サイズの水球すいきゅうが現れた。それは、フェリエッタの手のひらの上で、ぷかぷかと浮いている。


 フェリエッタは、魔法で生み出した水球を顔の上にもって行き、まるで目薬をするかのように、目の中に数滴すうてき入れた


「クロナギさんも、これを目に入れてください。」


「…それを目の中に入れるのですか?」


「はい!」


 フェリエッタは、手のひらに浮かぶ水球を差し出してくる。




 黒薙は、得体のしれない水滴を目に入れることに対して、イヤそうな顔をする。だが、人懐っこい笑みで水球を差し出すフェリエッタを見て、観念したようだった。


 黒薙は、フェリエッタに近づき、目の中に水球を入れやすくなるように顔を上げる。


「これでいいですか。」

「もうちょっと、上に向けますか。」



 フェリエッタはそう言うと、上を向いている黒薙の顔に手をかざし、彼女の両眼の中に水球を水滴入れた。


 水滴が入り、ひとみに吸い付くような感覚に襲われた黒薙は、何度かまばたきをしてしまう。次第に目に馴染なじみ、あたりを見回したが、周囲の景色けしきに特に変わったようには見えない。


「はい、もう大丈夫ですよ。」


「これは、一体何だったのですか。」


 黒薙は、まだ慣れない目を押さえながら、フェリエッタに問いかけた。


「この水は、コカトリスの目から出る特殊な光の波長を、さまたげることができる水です。これを目に入れておくと、コカトリスの目を見ても石化しなくなるんです。ただ…」


「ただ、何ですか。」


「数時間たつと、効果が無くなるので、そこだけは注意してください。」


「…分かりました。気を付けます。」


「ほんとは、同じような構造を持つ自然物質しぜんぶっしつを作り出すのが一番なんですけど、私にはできないのでこれで我慢してください。」


 フェリエッタはそう言うと、黒薙と共に歩き出した。




 山への旧道は、アスファルトでかろうじて舗装ほそうされてはいたが、かなり荒れている様子から、車通りも少ないことがうかがえる。周りは、背の高い木々に囲まれており、かげりがある。


 フェリエッタは、周囲をきょろきょろ見回しながら歩いていた。


「何かありますか。」


 フェリエッタの様子が気になった黒薙は、彼女の背後から声をかける。


「え! いや、何もないですけど、どうかしました?」


「すみません、周囲を警戒されていた様子でしたので。」


「あー、ごめんなさい、この世界に来て初めて外に出たから、いろいろなものが目に入ってしまって。」


 黒薙は、それを聞き、運転中のフェリエッタは、初めて乗る自動車にられていて、それどころではなかったことを思い出す。


「どこか、変わっているところでもありますか。」


「んー、でも、世界の外も私のもといた世界と、あまり変わらないんですね。」


「そうなのですか。」


 フェリエッタの予想外の反応に、黒薙は少々驚く。


「い、いや、もちろん全然違いますよ。魔法がないし、魔物もいない世界なんて、正直しょうじき今でも信じられないです。」


 フェリエッタは、黒薙が驚いている様子を見て、あわてて訂正する。


「空が青かったり、人がいたり、木が生えていたりすることは同じだなってことです。」


「なるほど。確かにそれは思うかもしれません。」


「でも、こっちの世界の方が、何かかがやいて見えます。私は、それが嬉しいんです。」


「…。」


 フェリエッタの言葉を聞き、黒薙が少し黙る。フェリエッタは、そのことに気が付かず、黒薙に話しかける。


「私、元の世界なんかよりこっちに来て良かったのかもしれないです。」


「! …どうしてですか。」


「向こうの世界にいる時に、私ちょっと辛いことがあったんです。不謹慎かもしれないけど、私はいますごく充実しているんです。ずっと、こういうことがしたかったのかもしれません。」


「…そうなのですか。」


「そうなんですよ!」


 フェリエッタは、黒薙に向かって、笑顔で答えるのであった。




 日がしずむまで、周囲を捜索していたフェリエッタと黒薙だったが、コカトリスらしき痕跡こんせきを見つけることはできなかった。 


 夕暮れ時になり、寒さも限界を迎えたため、二人は車まで戻って来ていた。


「んー、何も見つからなかったですね。」


「やはり、山沿やまぞい付近という情報だけでは難しいですか。」


「そうでしたねー。もうちょっと、コカトリスの居場所を絞り込めるような、何かが必要みたいです。」


「どうなのですか。コカトリスは、この時間も活動しているものなのでしょうか。」


「えーと、コカトリスは、昼行性ちゅうこうせいなので今の時間は、たぶん活動してないですね。」


「分かりました。冷えてきましたし、本日はこの辺りにしておきましょう。」


 黒薙は、そう答えると、車のエンジンをいれた。


「それでは、戻りましょうか。」


「あ、あの、すみません。帰りは、もう少しゆっくり走ったりできますか…。」


 フェリエッタの願いもむなしく、黒薙はいきよいよくアクセルを踏むのであった。

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