第2話 異世界の魔女

「親愛なるマザー・トマシーナへ、お元気にしていますでしょうか?

 こちらは、住み込みで働くお屋敷から見えるラベンダーが色づき始めて、夏の訪れを感じ始めている頃です。アリスティア魔法学院まほうがくいんを卒業して、キャベンディッシュ家の専属魔導士せんぞくまどうしとして雇っていただいてから、早いもので2年の月日が経ってしまいました。

 こちらでの仕事は、難しいことばかりですが、魔法学院で学んだ魔法を活かして人々の役に立つこともできて、やりがいも感じている日々です。先日は一緒に働く使用人の友達と遊びに行って、街で甘いものも食べてきました。人生で初めてパフェというものを食べましたが、とてもおいしかったです。

 こっちは元気にしているので、心配しないでください。またいつか会えるのを心待ちにしています。あなたに幸運を。

                      フェリエッタ・ウィリアムズより」





 フェリエッタはペンを置き、故郷ふるさとの孤児院宛ての手紙を、もう一度読み返して思った。…一体誰なんだ、人生を満喫まんきつしているこの人は? 


 久しぶりに、育ての母であるマザー・トマシーナへ手紙を書こうと思ったのはいいが、安心させようとちょっと見栄みえを張って盛りすぎてしまい、すでに別人となった自分ことが手紙には書かれていた。


 さすがにやり過ぎたので、もう少しけずった方がいいかなと考えたフェリエッタは、30分ほど迷った挙句あげく、最近気になっている男の子がいるというエピソードを追加して手紙にふうをする。


 手紙を書き終えても、フェリエッタには、まだしないといけないことが山ほどある。そろそろ机の上にまる書類仕事をやり始めないと、今日も寝られなくなってしまう。




 フェリエッタが、このニース地方の領主ヘンリー・キャベンディッシュのもとで働き始めたのは、2年前の16歳からであった。


 最初は、魔法学院での学生時代に学んだ知識を活かして、魔導士として働くことが出来るのかとワクワクしていた。だが実際は、フェリエッタには、誰にでも出来るような書類作成の仕事ばかり押し付けられていた。


 農民のために魔法を使って雨を降らせたり、魔物を退治したりといったはなやかしい仕事は、一緒に働いている別の魔導士ばかりいつも任されていた。




 夏が迫ってきているとはいえ、夜中は何かと冷え込むものである。温かい飲み物が飲みたいと考えたフェリエッタは、自室をガサゴソとあさる。


 キャベンディッシュ家の一室を借りたこの部屋は、せまく、かなり荒れていた。


 両親を亡くし、孤児院で幼少期を過ごしたフェリエッタは、雇い主である名家のキャベンディッシュ家からはあまりいい顔をされていない。ここには、学校の推薦すいせんで働き始めたが、待遇たいぐうがいいとは言えないのも、そのせいであろう。


 平民の生まれのフェリエッタは、孤児院での生まれのことでうとまれてしまうことは、学生時代からあったので、正直なところ慣れていた。ただ、同じような身分のはずの屋敷の使用人からも、距離を置かれてしまっているのは少し悲しい。


 使用人たちのほとんどは貧しい村の出身であるため、まともな教育を受けられていない。魔法学院で高等教育こうとうきょういくを受けることができた自分は、使用人たちからも距離を置かれてしまっているのである。


 いつかは町にあるとうわさに聞く、パフェなるデザートを誰かと食べてみたいが、遊びに行けるような時間も、友達も、今はない。




 ハチミツを何とか本の山から発見したフェリエッタは、お気に入りマグカップの中に、それをすくっていれる。フェリエッタは孤児院にいたときから、ハチミツをお湯に溶かして作ったハチミツ湯が好きであった。


 フェリエッタは、お湯をかすためのケトルを持っていなかったが、魔法の使える彼女にとってそれはさほど問題ではない。


 フェリエッタは、マグカップの上に手をかざし、念じる。自分の周りに魔力の根源である魔素まそが集まり、体がほてっていくのを感じる。


「“我が生成したるは水、赫々せきせきたる炎にさらした身をもって顕現せよ 水の球ウォーターボール”」


 フェリエッタが呪文の詠唱を始めると、淡い青い魔法陣の光がマグカップの上に現れる。複雑な幾何学模様きかがくもようを描く魔法陣から、コップ一杯分の水の球が一つ生まれる。


 その水の球は、熱気を帯びており、湯気が出ていた。フェリエッタはそのお湯の球をコントロールして、マグカップの中に入れる。最後に少し混ぜたら、ハチミツ湯の完成だ。




 魔法学院にいた頃も、こうやってよくハチミツ湯を作って、飲んでいたものだ。


 あの時も、よく孤児院のことで距離を置かれていた。そういえば、学生時代に親友だったフランソワーズにすら、卒業してから一度も連絡を送っていない。優秀だった彼女は、魔法学院を卒業後、エルサム王国の国王直属の王宮魔導士になったそうだ。


 上流階級育ちだった彼女とは違い、身寄りのない私は、学校の紹介があったこの地で働くしかなかったが、果たして今の生活が私のしたかったことだろうか。




 そんなことをぼんやり考えながら、フェリエッタは、ハチミツ湯の入ったマグカップに口をつける。


「あちっ!」


 自分が想像していたより、お湯の温度は熱かった。驚いたあまり、一人で大きな声を出してしまったフェリエッタは赤面した。


(自分の魔法で生み出したお湯だったので、つい油断しちゃった。)


 もう少しぬるく作るべきだったと思いながら、フェリエッタは机に向かう。ごちゃごちゃ考えてもどうにもならないのだから、まずは仕事を終わらせるしかない。アリスティア魔法学院に通うために借りたお金も返すためにも、仕事はしないといけないのだ。


 フェリエッタは、ハチミツ湯が冷めるのを待ちながら、作業を進めるのであった。




 次の日の昼頃、フェリエッタは、会議室から追い出されるように外に出る。その手には、朝まで寝ずに作った書類が、にぎられていた。


 後ろの上の方でまとめた、青みがかった美しい白髪をかきむしる。


 そのまま、仕事着である白に青色の装飾そうしょくが施されたローブ姿で、小走り気味に歩いて自室に続く道を急ぐ。




 フェリエッタは、完成した書類を領主のヘンリー・キャベンディッシュに先程見せたところであった。しかし、その書類の中の重箱の隅をつつくようなミスを指摘され、書類の作り直しを命じられてしまったのである。


「こんなこともまともにできないのか。だから孤児院育ちは。」


 領主の声が、耳から離れない。悔しさのあまり思わず目に熱いものがたまったフェリエッタは、下を俯きながら廊下を歩く。


ドン!


 近くを歩いていた屋敷の使用人にぶつかってしまい、フェリエッタはよろけた拍子に、手に持っていた書類を床にばらまいた。


「ちょっと! アンタ、ちゃんと前向いて歩きなさいよ」


 そう吐き捨てるように言って去っていった使用人を見送り、落ちた書類を拾おうと手を伸ばしたフェリエッタは、ふと動きを止め、泣き崩れる。




 どうして私が、こんな目に遭わないといけないのだろうか。我慢して、やりたいことが出来なくて、それでもこの世界にいる意味はあるのであろうか。


 フェリエッタにとって、この世界はすごく色あせた世界のように感じる。


「…っ。なんで私、こんな世界にいるんだろ。」


 フェリエッタは、そう小さく呟くのであった。



『フェリエッタ・ウィリアムズ』



 突然、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。フェリエッタの周りが、白い光に包まれる。

驚いたフェリエッタは、状況が呑み込めず、あたりを見回した。白い光は、自分の足元に広がっている魔法陣から出ていた。


「これって、勇者召喚の魔法!?」


 フェリエッタは、そう叫ぶと、魔法陣の中へと落ちるように吸い込まれていった。


 彼女のいた場所には、床に散らばった書類だけが残されていた。

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