1 事故

初美には五才年上の姉がいる。

姉のアリスは、やはり東京の大学を卒業後、下着メーカーで働いていた。 昔から初美よりも活発で美人でスタイルがいい。学生の頃は良くモテて告白されることが多かった。もちろん女子からも憧れの的として、一目置かれている存在だった。

アリスの仕事は下着のショーを見てトレンドを一年早く先取りし、自ら発注しに行く仕事だった。そして各店舗の店長と共に、レースの繊細な物や素材の美しさなど、あーでもない、こーでもないと意見交換し、下着一枚ずつチェックして発注していた。

初美はそんな姉が自慢でもあり、また自分にはない華やかさをうらやましく思っていた。

いつだったか幼い頃、母親に名前の由来を訊いたことがある。

「どうしてお姉ちゃんはアリスって可愛い名前なのに、私は初美なの?」

「それはね、お母さんが不思議の国のアリスのお話が大好きだからよ。初美の名前だってお父さんが決めた素敵な名前なのよ。悦男おじさんが学校の先生なのは知ってるわよね?悦男おじさんが担任になった時のクラスに、初美っていう、勉強も優秀で明るくてスポーツも出来る子がいて、その子の名前にしようってことになったの。そうねえ、初美は本来ならもっと活発なはずなのにねえ…。どうして人見知りで運動オンチなのかしら?」

それはこっちが訊きたい。つまり名前はお父さんが名付けたんじゃなくて、悦男おじさんが付けたのではないか?

初美は幼いながらも小さな疑問を持った。


初美は小学生の時から占いが大好きだった。

友達との遊びはだいたい合わせて一緒に遊べるけど、人見知りがたたり、大勢の人達と遊んだあとは、どっと疲れた。

親友は一人だけ。小学生の時から仲良しの野中真琴ちゃん。彼女とは話のテンポや行動の速さ、趣味の読書や何より占い好きが一緒だった。

「今朝の新聞の占い見た?二月生まれの初美ちゃんはラッキーカラーは赤だったよ。私の十月生まれは足元に要注意だった」

「赤かぁ。ちょっと苦手だな」

「苦手な色でも挑戦したみたら?そうだ!紅白帽の赤を表にして机の横にかけて置いたらどう?」

「うん、うん、それなら出来る!真琴ちゃんは足元注意なら、階段気を付けた方がいいかもね」

真琴は、新聞の四コママンガと占いコーナーを見ることが、毎日の日課になっていて、それを初美に言うことが楽しみで初美の反応を見ることが楽しみだった。初美もまたその占いを訊くことが待ち遠しかった。


春。南の方から桜だよりがチラホラと訊こえてくる頃、初美と真琴は中学生になった。

まだ着慣れない制服姿は、お互い恥ずかしかった。

中学生になっても、二人の仲良しと占い好きは変わらなかった。

部活動は二人とも家庭科クラブ。クラブには初美よりも大人しそうな人達が集まり、ワイワイというよりは、モクモクと制作作りをしていた。

そして夏が過ぎ秋が来て、文化祭の時期になった。

家庭科クラブでは手袋で人形を作ったり、エプロンを縫っていた。

作品が出来上がれば、文化祭で各々の作品を飾られる。初美は幼児向けのエプロンシアターを作った。エプロンに青や紫のフェルトで紫陽花を大きく作り、カエルや蝶々、虫達のマスコットを作り、紫陽花から出たり入ったり出来るように工夫されていた。

真琴は手袋で人形を作り、着せ替え出来るように洋服を三種類作った。

他の部員達も初美達と同じような作品を作り、家庭科クラブの展示作品は色々な人達が褒めてくれていた。

そして冬。あっという間に一年が過ぎようとした頃、真琴が

「今日はコックリさんしてみない?」

と、提案してきた。

「え?あのコックリさん?バチが当たらないかな。少し怖いよ」

「大丈夫だよ。十円玉から指を離さなければいいのだし、最後はちゃんと帰ってもらえばいいよ。他の人達の間でも流行ってるらしいよ」

「本当?じゃあ、ちょっとだけやってみようかな」

「ジャーン!紙は用意していたよ」

真琴はすぐに出来るように、数字やひらがなが書いている紙を、カバンから取り出した。

真ん中には、はいと、いいえが書かれており、その間に十円玉を置き、二人の人差し指を置いた。

二人はドキドキしながら息を大きく吸って、目で合図して始めた。

「コックリさん、コックリさん、おいでになりましたら、はいの方へお進み下さい」

二人同時に声をかける。

特別占って欲しいことはなかった。二人ともただの興味本位でしかなかった。次のテストで何点取れますか?とか、お互いに好きな人はいますか?などと楽しんでいた。

すると十円玉がスススーッと勝手に動き、初美の頭のケガに注意と占った。真琴と初美は顔を見合わせる。そして怖くなって、最後は「お戻り下さい」と言って帰ってもらった。

「初美、頭のケガだってよ」

「う、うん、なんかすごく怖い」

「でもさ、所詮占いなんだから、当たらないかもしれないじゃん」

「そ、そうだよね。占いだもんね。うん、うん」

「きっとハズレるよ。気にしない方がいいって」

「うん、わかってるよ。あはは」

初美は苦笑いをして、真琴の背中を軽くパシッと叩いた。

それ以来二人は占いの話をしなくなった。それは自然なことだった。


高校は真琴も初美も別々の学校に通ったが、電車で毎朝会っていたし、お互いスマホを持っていて、ラインや夜中の長電話を楽しんでいたから、寂しくはなかった。

真琴はもうコックリさんのことは忘れていたが、初美はなんとなく忘れられずに、頭の端の方で覚えていた。


高校卒業後は二人とも東京へ行き、真琴はウエディングプランナーになる為の大学を選んだ。

そして初美は音楽教師になる為の大学を、謳歌していた。

そんな時である。

ある日初美はいつも通りに起き、グリーンが描かれているカーテンをあけ、キラキラ光る眩しい太陽の日差しを浴び、思い切り背伸びした。

朝のシャワーをしたあと、バーッと勢い良くドライヤーで髪を乾かし、ヘアアイロンでストレートに伸ばす。

スクランブルエッグを作り白いお皿に入れる。空に雲が描かかれているお気に入りの大きめのマグカップに、インスタントのほうれん草のスープを中に入れ、熱々のお湯を注いだ。ちょうどオーブントースターがチン!となり、さっき入れて置いた食パンが焼きあがった。

「いただきます」

手を合わせて食べ始める。

初美の朝食はだいたいいつも決まっている。食パンかロールパンか、スクランブルエッグか目玉焼きか。まあそんなところだ。早い話、料理があまり得意な方ではない。なるべく自炊しようとは思うのだが、大学一年生になったばかりの初美には、毎日が忙しく、料理する余裕はなかった。

食べ終えたばかりの食器を洗い、歯みがきもし、薄づきメイクも完璧にし、ベージュのプリーツスカートと春模様の薄手のピンクのニットに着替え、アパートの中を指さし確認し、ドアのカギを外からかけた。

そして、駅に向かう途中の横断歩道。青信号が点滅し、走って渡ろうとしたその瞬間、右折しようとしていた車に跳ねられた。

初美は何が起こったのか、わからなかった。宙を舞い一回転しただろうか。次の瞬間体は道路のアスファルトに叩きつけられていた。

遠ざかる意識の中で誰かの叫ぶ声と、男の人の

「しっかり!今救急車呼んだから!しっかりするんだ!」

と言う声が訊こえた。


その後のことは、初美にはしばらくわからなかった。

気が付いた時は、頭に包帯が巻いてあり、ズキズキ痛かった。首も、背中も、腰も、足も、体全体痛かった。

姉のアリスが初美の手を握っていた。田舎から両親が来て母親が傍で泣いていた。父親も「良かった、良かった」と安堵していた。

そして一週間後、真琴と第一発見者のマスターが居合わせ、お見舞いに来てくれた。

「初美!心配したよ!交通事故なんて…。体包帯だらけ。頭も打ったて訊いてすごく心配だったよ。生きててくれて良かった」

真琴は泣きながらそう言うと、初美の手を握りしめた。

「ボクは福島と言います。初美さん、大変な手術だったと訊きました。本当に命が助かって良かったです」

「福島さんのお陰です。福島さんが救急車をすぐに呼んでくださったから…。そうでなければ今頃どうなっていたか…」

初美の母親は涙ぐみながら、福島の手を握り何度も頭を下げた。

「お母さん、顔を上げて下さい。ボクは当たり前のことをしただけです。ボクはカフェを営んでいます。初美さんが元気になったら、コーヒーでも飲みに来て下さい。ごちそうしますよ」

福島はにっこり笑った。





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