悪魔と人生と選択と(短編)

藻ノかたり

悪魔と人生と選択と

「ゆっくりでいいから、良く考えて決めて下さいね」


現代風にアレンジされてはいるが、誰が見てもまごう事なき悪魔が、いま目の前にいる。


彼と出会ったのは、ほんの数分前、友人に誘われた飲み会からの帰り道、最寄駅からいつもの商店街を抜けて人気のない路地に入った時だった。


まぁ、普通はいきなり「私、悪魔です。あなたの願いを叶えに来ました」なんて言われても信じないだろうが、不思議なもので路地に入った瞬間、景色自体は変わらないものの、明らかに異空の狭間に迷い込んだような心持になった。それは言葉で表せない感覚である。


だがそうなると、かえってこちらも肝が据わる。これも何かの縁だろうと、腹をくくって悪魔の講釈を聞く事にした。


「あなたは大変に運が良い。小説の中では悪魔と契約する事例なんて腐るほどありますが、実際にそうなる状況など滅多にありません。


悪魔に会えるなんて、数千人に一人、しかも一生に一度あるかないかですよ。今夜、この場所、この時間にあなたがいらしたのが運命だったのです。いや、悪魔の私が言うのですから間違いのないところですよ」


少し鼻につく慇懃無礼な言い方で、悪魔は続ける。


「ただ、お話の中で悪魔は”願い事を何でも叶える”って言うでしょう? 昔は確かにその通りだったし、私もそうして差し上げたいのは山々なんですが、まぁ昨今の世知辛い世の中、悪魔の世界も同じでしてね。願いは少し限定的になってしまうのです」


あぁ、やっぱりうまい話なんてそうそうないんだな。一生遊んで暮らせる金を願おうなんて、ちょっとは思っていたんだけど。


「私が提供させて頂くのは、過去においてあなたが選択した道を、一度だけ変更できるって願い事なんですよ」


「道の変更?」


俺は、とても愛想良く笑う悪魔に向かってそう言った。


「はい、人生は選択の連続です。どの学校へ進学するか、どの会社に就職するか、はたまた誰と結婚するか。それによって後の人生が大きく変わってしまうのは言うまでもありません。


ただ大抵の場合、一度選択を誤ると取り返しのつかない場合が多い。私はその誤りを”一度だけ”やり直せる機会をあなたに提供する事が出来るのです。もちろん対価として、死後にあなたの魂を頂く事にはなりますけどね」


なるほど。これはある意味、魅力的な申し出だ。僕は輪廻転生とか信じていないし、死んだら全てが無に帰すと考えている。だから魂を提供する事に異存はない。ただ、何せ悪魔の言う事である。とんでもない裏があるのかも知れない。


「何か、条件はあるの?」


僕は悪魔に問い返す。


「えぇ、さっき申し上げたようにチャンスは一回きり。それに過去とは違う選択をして、新たな人生を送りだす時”悪魔と契約をして、特定の地点から違う人生を歩み始めた”という記憶は残りますが、以前の選択後にあなたが得た記憶は全て失くしてしまいます。


ですから過去に戻ったのをいい事に、競馬競輪の類、株式投資の類などで金儲けをするような事は出来ません。それをやられると世界全体のバランスが、大きく変わってしまいますのでね」


やれやれ。やっぱり一獲千金というわけには行かないか。悪魔の世界でも一定の秩序はあるんだな。僕は変な所で関心をする。


「さぁ、どうします。今あなたのいる空間は現実から切り離されていますので、いくら考えても外では時間が過ぎません。ゆっくりお考え下さい」


う~ん、どうしたものか。


今の記憶の多くを失ってしまうのだから、本当に決定的な選択場面を選ばなくてはいけないな。僕はあれやこれやと考え始めた。


だがよく考えてみると、僕は今までの人生において決定的な失敗をした事がないし、それなりのリカバリーもしてきた。それにもしその時の選択を変えたとしても、その場では良いかも知れないが、長い目で見れば、その後の人生も上手く行くとは限らない。


そんな事を考えながら、ふと悪魔の方を見ると、これから起こる事が楽しみで仕方がないと言ったふうな、嫌味たっぷり、皮肉たっぷりの何とも言えない醜い笑い顔をしているのが見えた。


あぁ、なるほどね。


多分、どんな選択をしても僕は不幸になるわけだ。悪魔にとっては人間の不幸が何よりの楽しみで、その上で魂まで頂けるとなると笑いが止まらないのであろう。


だけどそれがわかっていて、奴の手に乗るのも愚かしい限りだし、何よりシャクにさわる。そこで僕は悪魔にこう問いかけた。


「あのさ、折角の申し出なんだけど、それって断れない?」


僕の言葉に、悪魔の顔が厳しくなる。


「それは出来ません。こちらも商売なんでね。さっき”数千人に一人、一生に一度あるかないか”って申し上げましたでしょ。これは運命なんですよ。運命からは逃れられません。


選択をしない限り、あなたがこの空間から出る事は叶いませんよ。何日でも何ヶ月でも何年でもね」


ふぅん、そういう事か。


無理やり人を異空間に押し込めて、どうやっても不幸になる選択をさせる。そして挙句に魂まで奪う。ある意味、悪魔らしいやり方というわけだ。


まぁ、奴が言ったように、時間はたっぷりある事だし、何とか切り抜ける方法を考えてみるか……。


「さぁ、深刻に考える必要はありませんよ。これは貴方の人生において、”二度とはない”チャンスなんですから」


勝ち誇ったように喋りつづける悪魔の言葉を聞いて、僕はふと閃いた。


僕は自分の考えを整理し、間違いがない事を確認しながら悪魔と対峙する。


「決めたよ。どの選択をやり直すか」


悪魔の顔がにわかに紅潮する。


「それで、どの選択を変更なさいますか?」


僕は落ち着いて、悪魔に願いを伝える。


「今日、”飲み会に参加した”という選択を変更するよ。つまり飲み会に参加しなかったという別の”道”を歩む事になるね」


僕の突拍子もない申し出に、悪魔は呆気にとられた表情を隠せない。


「は? どういう意味ですか。飲み会に参加しなかったという選択? 何をバカな事を言ってるんです。就職とか結婚とか、そういう願いではなくて?」


困惑した悪魔が、矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる。


「あぁ、そうさ。キミは最初にこう言ったよね。”今夜、この時間、この場所にあなたがいらしたのが運命だった”と。


そして、こうも言った。悪魔と契約するなんて”数千人に一人、しかも一生に一度あるかないかですよ”ってね」


僕は落ち着き払って話を続ける。


「そ、それが何だっていうんです!?」


未だに僕の意図が理解できず、悪魔の顔には不安が色濃く見え始めた。


「つまりさ、僕がキミに出会ったのは飲み会に参加したからなんだよ。もし参加をしていなかったら、もっと早い時間にこの場所を通ったはずだ。つまりキミには出会わなかった。


そして悪魔に会えるのは、一生に一度あるかないかなんだろ? つまり、今、既に一度会っているわけだから、この先、キミと出会う機会は一生ないって事だよね」


そうなのだ。実質的には何の変更もないので、悪魔が用意した不幸に陥る事はないし、二度と同じ目に合う心配もない。。


段々と事態を理解し始めた悪魔の顔から、慇懃無礼な微笑がスゥーっと消えて行った。そして打って変わったように、怒りと悔しさに満ちた如何にも悪魔らしい顔へと変貌して行く。


「き、貴様~、そんな事が許されると思っているのか!」


今や憤怒の表情となった悪魔が、ところかまわず怒鳴り散らした。


「もちろんさ。キミの言った通り、僕はちゃんと選択をしたんだからね」


紳士を装っていた悪魔は、僕の目を気にする事なく盛大に地団駄を踏む。


そして僕の方をキッと睨むと、あらん限りの罵詈雑言を吐いて僕の前から煙のように消え去った。


気がつくと、僕はいつもの電車に乗っていた。時刻も普段と変わらない。友人に飲み会へと誘われたもののそれを断わり、いつも通りに帰宅しようとしている。


電車は定刻通り駅につき、僕は商店街を抜けていつもの路地へと入っていく。悪魔との契約を果たしたので、あの時の記憶ははっきりと残っている。僕が失った記憶は、飲み会に参加していた場合の、そこから彼に出会うまでのごく短いものだった。


路地で立ち止まり、悪魔がいない事を確認する。僕は勝ったのだ。もっとも、形だけは悪魔と契約した事になるので、死後に魂は取られるのだろう。でも来世に興味のない僕には関係のない事だ。


僕は、勝利の口笛を吹きながら家路についた。



ただ話はこれで終わらない。ちょっとした後日談がある。


これは僕があの世へ行った後に神様から聞かされた話なんだけど、僕を不幸に出来なかったあの悪魔はリストラに会い、悪魔の資格を失ったらしい。それゆえ僕の魂を喰らう権利も同時に無くしたそうだ。


かくして僕は輪廻転生する事になった。おまけに悪魔をやり込めた件が評価され、来世では、一生遊んで暮らせるだけの資金を得る事が出来るという特典付きで。


結果的にではあるけれど、こうなったのも、元はといえばあの悪魔のおかげである。僕は心の中で皮肉たっぷりにつぶやいた。


”悪魔さん、ありがとう。僕に素晴らしい選択をさせてくれて”。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪魔と人生と選択と(短編) 藻ノかたり @monokatari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ