第22話
玄関先でダンとノボルが話し合っている。
その間に陸がしたことは、海斗たちの両親に「ノボルおじさんの道場の見学で、帰りが少し遅くなります」と伝えることだった。
難しい顔をした師匠と、学者の風貌をした怪しい男に、道場へ登校し始めた残りの門下生たちがちらちらと視線をやりながら通り過ぎていく。
「寅々炉先生おはようございます……」
「ああ、おはよう。今日は阿比久がお前たちを見るから」
「はぁ……」
それは先程から、何度となく繰り返されている光景だった。目も合わさずに言い、珍しく引き締まった雰囲気のノボルに、道着の子供たちは『どうしたんだろう?』と不思議がる顔で道場へと去っていく。
阿比久とは、道場で一番の年長者の大学生だ。
経験歴も一番長い先輩とのことで、安心して任せられるのだとノボルは言っていた。
涼しい夜風が吹き抜けていくのを感じた。
諸々の連絡を終えた陸は、出入りを始めた同情の学生たちを見てから、黙り込んでいる動物たちのそばに戻って腰を下ろした。
心地よい風に眠気を感じたが、今はまずいと自分に言い聞かせて腕を「んんーっ」と伸ばす。
次の黒服が来た場合、対応するのは陸の役目なのだ。ダンたちの話し合いは邪魔させない。
「お前、すごく強いんだな」
海斗の声が聞こえた。振り返ると、礼儀正しくお座りした、黒いわんちゃんがいる。
黙っていたら普通の黒い犬にしか見えないので、『そういえば海斗たちだった』と改めて思い出し、陸はぎこちなく笑みを返す。
「その……幼い頃から道場には通ってて、基本的な打ち方ができているからというか」
苦しい言い訳をした。でも習っていたのは事実だ、そこに怪力やら身体がどんどん覚えていく戦闘スキルがあるだけで。
「もし俺が今から通っても、強くなれるのか?」
「なれるよ」
もし彼がおじさんから色々と習うとしたら、と考え、陸はうんと頷いた。
海斗が鼻を鳴らしてそっぽを向いた。しかし「ふうん」と言いながら考えている横顔は悪くないようで、尻尾は楽しそうふりふりとしているものだから、人間だった時より感情は分かりやすい。
彼の上にいた二匹のハムスターが、揺れた黒い毛並みの上でバランスを取るため、小さな両手足を広げた。彼らは足元が落ちついたことを確認すると、陸を見上げる。
「強くなれるんなら、俺も通ってみたいなぁ」
「俺も興味あるぜ」
ちーちーと楽しそうに語る二人に、陸も少したけ心が軽くなる。
「ふふっ、おじさん、喜ぶと思うよ」
非現実的なことが起こってしまったのに、いつも通りで、それでいて前向きな彼らには少し救われる気持ちがした。
精神的な面で少し心配していたのだが、それはなさそうだ。
かえって陸のほうが、平凡、という二文字から離れてしまって彼らよりも心の余裕がない。
陸は、視線をノボルのほうへと向けた。
「……明日からは、いつも通りに過ごせるよね……」
両膝を寄せ、ぽつりと呟く。
(今だけ)
きっとそうだと心の中で言い聞かせる。
陸は、ここでの生活が気に入っている。また転校することは避けたかった。今のところ道場繋がりのおかげで『少し強い』と思われている程度だし、大丈夫なはず。
「あっ。ここであったこと、秘密にしてくれます?」
本心は『自分がたかったのを見たこと』だ。
黒い犬とハムスターたちが、ほぼ同時に不思議そうな顔をした。
「言っても、どうせ信じてもらえないだろうが? それに犬になったとか、言えるかよ!」
「わははは、確かに! 戻れるんだったらなんの不安もないし、俺はちょっと楽しくなってきたぜ」
「ああ、なんだかわくわくしてくるよな」
先程、自分のもとに飛び出してきた時とは違うハムスターたちの様子に、陸は理由がよくわからない、くすぐったいような安心感を覚えた。
動揺も、不安も乗り超えた前向きさ。
そうして自分も、偽らずにノボルの前と同じようにリラックスした状態で彼らの横にこうして座っていること。
(それがなんだか、居心地がいいような――)
「陸、どうした?」
上から声がして、ハタと我に返り視線を上げた。
すぐそこまでノボルが来ていた。彼は、心配そうに陸を覗き込んでいる。
「なんでもない」
陸は答えて、立ち上がった。
その様子を見ていたダンが、ノボルの隣に並んで口を開く。
「推理と計画は完璧だ、褒めて欲しいぐらいだね。追加の黒服が来る前に手短にすませたいが、その前に」
ダンは、同じく立ち上がった海斗と、その背中にいる一郎と次郎を見降ろした。
「この件に関して、一切の口外をしないと約束してくれるね?」
「てめぇが巻き込んだ癖に、何をいけしゃあしゃあと」
唸った海斗に、ダンが「うっ」なんて言っていた。彼は話の流れを変えるように咳払いをする。
「つまりはだね、学生諸君。私は住民たちに混乱を与えたくないわけだ。我々は今回の件を速やかに処理したのち、明日から元の平穏な暮らしに戻るためにもね」
「現況があんただから、こっそり解決したいだけなんじゃないのか?」
「…………」
「この黒い犬、いいな。お前のクラスメイトか? 俺は好きだな」
言い負かされたダンの隣から、ノボルがわははと笑って黒い犬を撫でる。海斗が「やめろっ」なんて言っていた。
「んんっ、陸君、これは遊びでも武術の練習でもないことは分かっているね?」
「もちろんです」
陸は答えながら、彼の注意事項から察した内容があって、ちらりとノボルを見た。
ノボルがわずかに首を横に振った。それを見て、ダンはこちらの事情は何も知らされていないことを確認した。
一族は陸のために『秘密を守る』という動きに出た。
そうして父も母も、同級生とはいえダンには当初から打ち明けていないことは理解した。帽を壊した時の反応を見ても、なんとなく確信していたことだった。
「〝箱の中〟で私が刑事ものの映画を見たことで、人の形をとった黒服を手足として動かすことをアレは覚えたのだろうと思う。これからの作戦で行くと、箱の中に入ったら、まず彼らの攻撃を受けるだろう。君が中に入ってするべきことは〝箱庭〟の核になっている紙切れを見つけて、その小さい世界からそれを取り上げることだ。場所は変わっていると思うが、一番守られているところにあると思う」
ダンは言い聞かせるみたいな真剣な顔で覗き込む。
陸はあっさり一つ頷いた。
「それは分かりやすいね」
攻めている時にどちらへ向かえばいいのか、判断がつきやすいのは有難い。
「いいかね、箱の中にある世界、そこに経っている一番大きなビルの内部も常に形状が変わる。しかし、外の物がそこに入った場合は、特殊なルールが働く。外から何かが足を踏み入れて十分間は、形状を変えることができない」
「なるほど、それも付けていたルール?」
「むっふふふ、そうだ、私は賢い子供は好きだよ。世界の範囲はほぼそのビル一つ分だ。世界が複雑な迷路状になることはない。しかし、もしビルの内部で形状の変動が始まった場合は、閉じ込められる危険性も出てくることを頭に入れておいて欲しい」
つまり、十分で片づけたほうがいいらしい。
「そうなる前に私は逃げたのだ」
「お前の逃げ足の速さは、天下一品だったもんな」
横からノボルが皮肉を挟んできたが、ダンはまるで聞こえないと言わんばかりに聞き流していた。
「時間との勝負ってことですね」
「そう。もし十分内で紙のある場所まで辿り着けないようであれば、いったん建物の外に出たほうがいい。この計画では、君たちは箱にとって完全に敵と判別されるからだ」
ダンの言葉に、陸は考えるような表情を浮かべた。
「……難しいことを言われてもよくわからないけど……つまり反抗する輩を全部撃退して、強行突破で紙を奪えばいいってことだよね?」
「ま、まぁ簡単に言えばそういうことになるが、そんな野蛮なことを可愛い顔で言うものじゃないよ、いいね? 君、シノちゃんにそっくりなんだから」
ダンが何やら慌てたように言い聞かせてきた。
「残念ながら、どこか日に日に智道に似てくるんだよなぁ……」
とノボルが弟のことをごにょごにょと言っていた。
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