第20話

「おまっ、陸が言うまで思いつかなかったって、気が動転しすぎだろうっ」

「だって、ほら、私が逃げ出したのを箱に見られているわけだし? 自由に箱の中に入れるわけがないし……? 奴の実験が成功しているのであれば、検体を迎えに行くとは思うんだが、その、人間としてのこれまでの思考が残っていれば素直には行かないだろうし、逆に洗脳効果があればすんなり行っちゃったり?」

「なんだか、すごく曖昧ですね」

「想像上の薬品だから、結果の推測が非常に難しいのだよ。その際に入口が見つかればいうまく箱の中に入れるかも~、と思いつつ、でもほら、私はノボルや君の父と違って非戦闘要員なわけで」


 父が戦闘要員?


 いったいこの幼馴染たちの関係はどうなっているのだろう。


 会話からちらほらとこぼれてきた過去のエピソードだって、とっても奇妙というか、変だ。現実的じゃない。


 そう陸が首を傾げていたら、サンダルを引っかけてノボルがやってきた。


「んで? もし箱の中に入れるとしたら、そのリセットボタンはどこだ」

「今の成長度合いだと、そうだな、単純に〝最上階〟に隠しているのかもしれない。場所が複雑になる前に行動したほうがいいだろうなぁ」


 その時、陸は草がカサカサと音を立てるのを聞いた。


 ノボルもほぼ同時に動きを止めた。彼が目配せして来て、陸は静かに頷き、音の方向を探って慎重に歩きだす。


「ん? なんだね?」

「お前、ちょっと黙っとけ」


 首を伸ばしたダンに、ノボルが小さく警告する。


 陸は、門の前にある石畳で立ち止まり、しゃがみ込んだ。かさかさと動いた草がじょじょに近付いてくる。


「うーん――大きさ的にネズミかも?」


 陸は警戒を解き、後ろのノボルに報告した。ダンが警戒して損をした、と言わんばかりにカラカラと朗らかな笑い声を上げた。


「この辺は多いからねぇ」

「ネズミなら賢いから、この時点でとっくに逃げてないか?」

「あっ、なんだかいい予感がしてきた」


 何やら閃いた様子のダンが、そう楽しそうに言った時だった。


 陸は、茂みから顔を出した生き物に気付いた。


「わぁっ、可愛い!」


 思わず嬉しそうな声を上げてしまった。それは金に近い肌色をした丸い小さな二匹のハムスターだった。一匹は頭の部分が茶色かかった金色で、もう一匹は、腹に少し色素の薄い斑点が入っている。


 ひどく怯えた二匹が、丸い瞳で陸の様子を伺う。


「……あれ?」


 陸は嫌な予感がした。ハムスターからは、最近覚えた誰かの雰囲気を感じる気がする。


(まさか)


 眺めた姿勢のまま、思わず口元が引き攣る。


 そんな陸の後ろから、そっとダンとノボルが歩み寄る。その影か後ろから差した途端、気付いた二匹のハムスターが、わっと立ち上がって小さな短い両手を必死に振り上げた。


「追い払わないでくれ! 俺たちは、ハムなんかじゃねぇんだ!」

「誰も信じてくれないけど、港町中学の一郎と次郎なんだよぉおおおお!」


 ちーちー、とハムスターが叫ぶ。


 陸は絶句した。声は細くて甲高くて可愛いが、確かにその声の感じは一郎と次郎だ。


「な、なんでよりによって先輩たちが」


 慌てて両手で二人をすくい上げる。どこかで転んだり追い払われたりしたのか、よく見てみると、柔らかい毛には汚れがついていた。


「お前、俺らが人間だったって信じてくれるのか!」

「俺たちだって信じられねぇんだよぉ! なんでハムなんかに!」


 一匹が陸の指にもふっとすがり、もう一匹は座り込んでわーわー泣く。


「先輩、落ちついてください。僕ちゃんと分かってますからっ」


 これ、どうしたらいいのだろう。


 陸は途方に暮れて後ろの大人たちを振り返った。その時、開いた門から、黒い物体が飛び込んできた。


「先輩たちに手を出したら、承知しねぇぞ!」


 黒い物体が、海斗の声でそう威嚇してきた。


 陸は、綺麗な毛並みをした黒い犬を振り返って言葉を失う。


「……まさか、こっちは海斗?」


 数十秒で事態を飲み込み、信じられない気持ちで問いかけると、


「ああ、松本海斗だ」


 と、戸惑いがちにそうしっかりとした返事があった。


(まさかの、どっちも知り合いだった……)


 陸はふらりとした。その後ろでダンが興味深そうに黒犬を眺め、顎を撫でて言う。


「ふむ、喋る動物とはなかなかいい線だ。洗脳もないようだし、まずは安心だな」

「そういう問題か!」


 ノボルがダンの胸元に掴みかかり、陸は「もう止めてよ二人とも」と仲裁した。それから犬に目線を合わせる。


「き、君は海斗で間違いない? 本当に?」

「信じられねぇのは分かるが、本人だ。住所も電話番号もしっかり言えるぜ」

「なんだかすごく冷静だね……」

「冷静だって? 状況を飲み込むのに一苦労したぜ! 誰も俺らがそうだったなんて信じちゃくれねぇし、話しもろくに聞いてくれねぇんし!」


 吠える海斗に、ダンが「まぁまぁ落ちつきたまえ」と言って膝を落とした。


「どうしてこうなったのか、聞かせて欲しいね」

「お前がやった癖に、何をいけしゃあしゃあと!」


 海斗が今にも噛みつく勢いで飛びかかり、ノボルが間に入って彼を持ち上げた。


「放せこのおっさん……!」

「今、怪我させられて欠員になったら困る。噛むのはあとでしろ」

「ひでぇなぁノボル」


 ダンが距離を置くようにして立った。


「今から話すけど、いいかい? それは私ではないんだ。飲まされたのは君たちだけ? その時の状況も教えて欲しいね。元に戻るために必要だ」


 黒犬が顔を顰めて、それから疑い深く唸り声を上げた。


 すると陸の手の上にいたハムスターたちが言う。


「大丈夫だ、こいつら信じてくれてる」


 必死にちーちーと鳴く姿が、可愛らしい。


 陸は一瞬ほど現実逃避に走りたくなったが、そんなことをしても現状は改善されない。小さくなった先輩たち手のひらに乗せたまま、海斗の前でしゃがみ込む。


「それで? いったい何があってそうなったの?」

「……裏道歩いてたら、突然黒服の男とそいつが現れたんだ、そして無理やり変な液体を飲まされた。次に目が覚めた時にはこうなってて、全然歩けねぇし、先輩たちはネズミになってるし、その上人間に追いかけ回されて」

「ネズミじゃねぇ、ハムだ!」


 二匹の声が揃った。彼らは必死に叫んでいるつもりだが、こちらからは聞き取るのも少し難しい小ささだ。


「黒服だって?」


 ダンがその言葉に反応し、呑気そうな表情を一変させる。


 顔を強張らせたのに気付いて、ノボルが「どういうことだ」と問いかけた。しかしダンは腕を組んで海斗に尋ねる。


「それ、詳しく教えて欲しい」


 黒犬が顔を上げ、陸の肩越しに二人の大人を警戒しつつ見上げる。


「不思議だけど、はじめはあんた一人しかしなかった。そうしたら突然そいつらが現れて、攻撃されたんだ」

「人間でいう白血球のような役割を持った連中ってことか……攻撃と防御以外は働かないから姿が消える、と。あ、もしかして私が見てた刑事映画の黒服かな」

「おいおい、大丈夫なのかよ?」


 ノボルが疑わしげな視線をダンに寄こした。


「うむ。お前ぐらいの達人だったら、突破できる」


 ダンが適当な感じでスパッと答えて、白衣の内側に手を突っ込んだ。そこから取り出されたのは、くしゃくしゃになった数枚の紙切れだ。


「ここに成功した検体があるってことは、一緒になら入れそうだな。あとは、白紙にする方法を……」


 ダンに続いて、ノボルも難しい顔をして紙を覗き込んでいる。


(しばらくかかりそうだ)


 ふっと視線を戻した陸は、海斗が小さくなってしまった一郎と次郎を守っていたのだと悟り、彼がずいぶんと疲れていることに気付いた。


「少しかかりそうだし、こっちに」

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