第52話 夜の長電話。





実家での日々は、はっきり言って暇であった。


これも大学生の特権なのかもしれない。

高校生までとは違い、課題が出されることもなければ、休日の合間にある平日はすべて休み。

やらなければならないことは、使用しなくなってから一か月が経過したことで、少し埃のたまった部屋掃除くらいだ。


予定もほとんどなかった。今決まっているのは、クラス会と青葉との山登りくらいだ。


高校の友達と会う話は持ちあがったのだが、どうせクラス会で顔合わせるだろうからと、結局流れていた。


かといって、一人暮らしをしているときみたく、洗濯や掃除、料理と忙しく動き回る必要もない。

そのあたりは、黙っていても母親が用意してくれる。


もっとも普段なら、こうはいかなかっただろう。

部屋に引きこもっていたら、家事の手伝いくらいはやるよう命じられることが多かったし、中高の頃はもしゲームでもしようものなら一時間で切り上げさせられた。


そうそう甘やかしてくれるような人ではない。


だが今回ばかりは、自堕落生活を許されていた。ここ三日間は、ほとんどなにもしていない。食べて寝ているだけだ。


たぶん、母親なりに俺に気を遣っているのだろう。

その原因は、帰ってきた日の食卓で交わしたこの会話で間違いない。


「明日香ちゃんとは仲良くやってる?」

「……いいや、別れたよ」


付き合っていることは、うちの母親も知っていた。

東京の家を借りた際などは、直接顔を合わせたこともあって、明日香のことを気に入ってもいた。


が、そこへきて息子が持ち帰ってきたのは、別れたという報告である。

しかも、東京に行くという大きな決断をした、たった一月後のことだ。


母は、俺が相当落ち込んでいると思っているようで励まそうとしてくれているらしい。

おかげでそこからは、至れり尽くせりの生活となっていた。


とくに食事はその最たるもので、一昨日の晩御飯はしゃぶしゃぶ、昨日は唐揚げ、そして今日はローストビーフ。

普段の食卓に上るものとは思えない高級品ばかりだ。


だが別に、もう落ち込んではいない。

青葉のおかげもあり、すっかり立ち直ったと言っていい。


「ここまでしてもらわなくてもいいんだけど」


だからこう言ってはみるのだけれど、


「いいから、いいから。ゆっくりしてなさい。今は休めばいいから」


と母は聞かない。


そんなうちに、もう三日が過ぎていた。


明日は、昼過ぎから高校時代のクラス会だ。



その晩、俺は早くからベッドに転がっていた。

ただし眠れるわけではなかった。あまりにも動いていなさすぎて、身体が疲れていないのだ。

そのため、高校時代に買いあさっていた漫画類を読みふけって過ごす。


そんな折のことであった。

日付が回った少し後で、唐突にスマホの着信が鳴った。


誰かと思えば、青葉からだ。


出てみれば、「あ」と声がする。


「出てくれた! 啓人くん、聞こえる?」

「聞えてるよ。どうしたんだ、こんな夜中に。なんかあったか?」


とくに、思い当たることはなかった。

山に行く話は、メッセージですでに予定は決まっていたし、他の用事は思い当たらない。


なにかと思えば、


「なんにもなかったら、だめ? ただ話したかっただけなんだ」


こう、少しトーンを落として言うのだから、その威力は尋常じゃない。

しかも不意打ちかつ耳元ときているから、恐ろしかった。


可愛い。どきどきする。

色々な思いが押し寄せて、寝ころんだベッドごと心臓の鼓動で揺れている気がしたが、俺はそれらすべてを押し殺す。


「……そりゃ、別にいいけど」


その上で声を発したから、くぐもったものになってしまった。


「なら、いいじゃん。これも、中学生感あるじゃん? 夜中に長電話!」

「残念ながら、俺には夜中まで女子と話すみたいな、きらきらした過去はないって」

「私も男子とは、ないよーだ。ただ単に、それっぽいってこと」


まぁ、それなら言いたいことは分からなくもないか。


「……あ、寝ようとしてたのなら切るよ?」

「それなら心配ない。寝れなくて、ずっとマンガ読んでたから」

「へぇ、なに読んでたの?」

「ファンタジー恋愛ものだよ。昔はまってたんだ」


本当に、用事はないらしかった。

漫画の内容とか、似たようなドラマがあるとか、なんてことのない雑談が展開される。


これが、なかなか途切れない。

大した話じゃないが故に、話の区切りがなく続く。


みるみるうちに時間が過ぎていき、気づけば四時ごろになっていた。

そこで青葉が、思い出したように言う。


「あ、ごめん。そうだ、明日だよね、高校のクラス会」


その声はあくびまじりで、眠そうなのがありありと分かった。

俺の方も半分頭が回っていない状態だ。そのせい、少し遅れてから答える。


「あぁ、そうだよ。なんで知ってるんだ?」

「私、中学の同級生と昨日集まったんだよ。そのなかに、啓人くんと一緒の高校の子がいるでしょ。その子も参加するんだってさー」


俺が通っていたのは、市内の外れにある公立高校だ。

言われてみればクラスの中にも、同じ中学校の女子が数名はいたと記憶している。


「今日ね、啓人くんのこと、たくさん話しちゃった」

「……まじか」


まぁ無理もないか。「大学どうよ?」という確実に出るだろう話題において、俺たちはお互いを出さないわけにはいかない。


「微妙な反応されたんじゃないの」

「そうでもないよ。他にも覚えてる子もいたもん」


そのまま声が消えいって、そこから先はしばらく無言が続いた。


もう真夜中を通り越して、夜明けが近づく時刻だ。

そこへきて、強い眠気に襲われる。新聞配達だろうか、外を走るバイクの音さえ、心地よいBGMに聞こえだしたところで、


「……いっそ私だけならよかったのになあ」


こう聞こえた。


が、もはや一割も活動していない頭ではなんのことやら分からない。


「そうだなぁ、俺だけならよかったのに」

「啓人くん、寝ぼけてるでしょ」

「ひかりだって」


もはや、そこまでが俺にとっての限界であった。

辛うじて開いていたまぶたが、とろんと上から落ちてくる。意識がぐらぐらと揺らいでくる。


「君だけだよ、私が今見てるのは」


だから、こう耳に囁かれたような気がするのは、たぶん夢だ。

そう、都合のいい夢だ、たぶん。


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