第48話 一緒に帰ろう?





「本当あっという間だったなぁ、今日一日!」


と。

上野駅の構内を出て、すぐ前の横断歩道で信号待ちをしていたタイミングで、青葉は買い物袋を掲げるくらい大きな伸びをして言う。


たしかに終わってみれば、あっという間の一日だった。

朝、明日香に遭遇したのがついさっきのことに思えるが、空はもうすっかり日が暮れている。


上野の街も、夜の装いだ。目前に見える商店街の明かりの下には、酒飲みの姿が目立ちはじめていた。

それを横目に見ながら、俺は返事をする。


「いろいろ大変じゃなかったか?」

「え? なんのこと?」

「恋人のふりしてた話だよ。無理してただろ、明らかに」


青葉の暴走気味な振る舞いは、プラネタリウムのあとも収まらなかった。

「明日香に遭遇するかも」という理由をつけては、まるで恋人かのような振る舞いをする。


池袋にいる間はずっと手を繋いでいた。

そのせい、手のひらの内側はいまだに熱いし、心臓はまだ落ち着いてはいない。


いくら友達だとか演技だとか言い聞かせてみても、魅力的すぎるのだ、青葉ひかりという人は。


「まぁ、元はと言えば、私が「本物の恋人だ~」って言いだしたせいだしね。それを含めても楽しかったよ。……ちょっと、緊張したけどさ」


青葉は俺から顔を逸らして、言葉尻にかけて声を小さくする。


そこで、ちょうど信号が青に変わった。青葉は俺より一歩早く、少し先を歩きだす。


その後ろ姿を見ながら、俺は改めて、不思議に思う。

普通に考えれば、ここまでするようなことじゃない。

いくら同じ駅とはいえ、地元のショッピングモールとは違って、池袋の街は広い。


遭遇する可能性は限りなく低いし、出会ったとしても別に隣を歩いているだけで十分のはずだ。


「あそこまで無理に恋人のふりしなくてもよかったんじゃないか?」


横断歩道を渡り切ったところで、青葉に追いつき、率直に聞いてしまう。

すると彼女はにっと歯を見せて笑った。


「まぁいいじゃん、そのへんは。楽しかったんだからさ」

「……そういうもの?」

「そういうもの! 啓人くんは? 楽しかった?」


そんなものは、聞かれるまでもなく、イエスだ。

そりゃ気疲れもなくはなかったけれど、楽しいのほうがそれを上回っている。


とはいえ、恥ずかしさはあるので、お店の看板に目を逃がしながら、「まぁな」と返事をすると、青葉は「じゃあいいじゃん」と言う。


なんだか、はぐらかされた気もするが、なんとなく「まぁそうか」という納得感もあってそのまま受け入れる。


そのあとに、ふと気がついた。


「あれ、啓人って呼び方はそのままなんだな」

「え、そのつもりだよ。だって、呼び方は変えるって話だったからね。私はだいぶ慣れてきたよ。啓人くん。ね、言ってみて?」

「……ひかり」

「うん、イイ感じじゃん。だいぶ新幹線じゃなくなってきたね」


俺はいまだに違いが分からないのだが。

そう思っていたら、「それといえば」と青葉はそこで話を変える。


「いつ関西帰るのか決めてるの? もう来週末にはゴールデンウィークだよね」

「もうそんな時期か、早いな。たしか、間の平日も全部休みなんだよな」

「そう! 大学生って、いろいろゆとりあるよねぇ。夏休みも二か月あるっていうし。それで?」

「決めてるよ、もう新幹線のチケットもとってるからな。二十八の土曜日、のぞみで」


そこまで思い出して、俺はさぁっと血の気が引く感覚に見舞われる。

そのチケットは、関西から来る段階で購入していた。


明日香と一緒に買ったから、指定席に座ろうと思ったら、また顔を合わせることになってしまう。


「私まだだ~、一緒に帰ろうと思ったけど、チケットとってるんだもんね」


青葉は、あー……といかにも残念そうにため息をつく。

それを見て、その言葉は簡単に口から出てきた。


「……自由席でもいいなら、一緒に帰るか?」

「え、いいの?」

「あぁ、むしろその方がありがたいくらいだ」


明日香と青葉なら、てんびんにかけるまでもない。

それに、仲のいい人間がいたほうが帰り道も退屈しないというものだ。


「じゃあ、決めた! 私もその日にする! 急に、帰省が楽しみになってきたよ」


青葉の顔が、ぱあっと晴れやかなものに変わる。嬉しそうなのが簡単に伝わってくる。

彼女は、いそいそと財布を取り出し、うんと首を縦に振った。


「ねぇ、チケット。今から買いに行ってもいいかな」

「戻るってことか?」

「ううん、このまま下ったら別の駅あるじゃん? 御徒町だっけ」


そういえば、そうだった。

東京、駅間狭いよなぁほんと。それだけ人が多いのだろうが、田舎では考えられない。


とはいえ、そこまで急ぐ必要があることとも思えないが。


「なにも今日じゃなくてもいいだろ」

「今日がいいんだよ。だって思い立ったら、なんやらって言うじゃん。それに――」

「なんだよ」

「お財布にたくさんお金があるの、今だけかも。今日、見てたでしょ、服買う時。一万円でも買いかけてた。私、お金入ってたら使いたくなるんだ」


そういえば、そうだったわ。

うん、そういうことなら、買いに行ったほうがいいかもしれない。


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