第2話 ヤリサーに連れていかれる、いつかのクラスのアイドル


お先真っ暗、という表現がしっくりくる状態であった。


明日香にこっぴどく振られたのち、俺は白い目に晒されながら、なんとか経済学部棟を後にする。


途中からでも文学部オリエンテーションに参加した方がいいのは確かだったが、しかし、身体が重く動かない。到底、教室に行けるようなコンディションではない。


結局、中庭のベンチに腰を落ち着けた。


「明日香……」


もうなにも考えられなかった。

亡霊のように彼女、いや元カノになってしまった女の名前を呟き、頭を抱えて過ごす。


ーーーーそうして、しばらく。

はっと気づいた時には、辺りが騒がしくなっていた。


「うちの部入りなよ、セイリングは大学からでも始められるんだぜ!」

「いやいや、そっちに行くくらいなら、俺たちと応援団をやらないか? 熱い青春が君を待ってるぜ!!」

「そんなむさ苦しい奴ら放っておいて、こっちでしょ。楽しく、簡単に始められるお気軽イベントサークルの勧誘やってるよ〜。怪しくないから、私食べたりしないから、可愛い男の子求む!!」


いつのまにか、周囲ではサークル勧誘が始まっている。

……それも個性豊かすぎる部活・サークルの面々ばかりときた。見ているだけで、どっと疲労に襲われる。



空を見てみると橙色に染まっていたから、知らぬうちに寝落ちしてしまっていたようだ。

昨日まともに眠れなかったのだから、考えてみれば当たり前かもしれない。



本当なら明日香と二人で、楽しく色んなサークルを見て回るはずだった。

料理サークルや、フットサルサークル、はたまた街歩きサークルまで。


見学・体験に行きたいサークルや、反対に危ないと噂されているサークルも、念入りに下調べをしていた。

たしか花の名前がついているサークルは軒並み怪しく、性的な不祥事や暴力沙汰などが起きているのだとか、そんな情報も仕入れてある。


だが、そんな下調べはすべて無駄になっていた。


今はもうどこにも行く気分にもなれない。

それに、もし明日香と鉢合わせてしまったらと考えるとぞっとする。


将来への希望たっぷりの楽しそうな声がそこら中から聞こえてくる環境が、今まさに人生のどん底にいる俺には耐え難かった。


家へと逃げ帰るため、俺はベンチから立ち上がる。


勧誘されることを避けるため、ほぼ地面と靴先だけを見つめながら、のそのそと歩いていたのだけれど、その姿はそこで目に入った。


いや、目を引かれて、顔を上げさせられた。



(……あれって、たしか)



その女子は、知った顔であった。

たしか名前は、青葉ひかり。中学時代の同級生だ。



彼女は、いわば最強女子だった。

ビー玉のように丸い茶色の目、日に晒されても微塵も焼けない白肌、美しいラインを描く輪郭、健康的な曲線美を維持するスタイルなどなど、彼女はあらゆる武器を持っていた。


それでいて、誰に対しても笑顔を見せる気さくな性格であったから、完璧としか喩えようがえようがない。


誇張でもなんでもなく、クラスの男子の半分以上が彼女のことを好きだったと記憶している。テニス部に属していた彼女を一目見るため、コートの周りには人が群がっているのも見たことがある。


俺の好きな人は別にいたけれど、可愛いとは当然思っていた。


そして彼女の人気は、女子内でも例外ではない。

常に女子カーストのトップに君臨していた。


たぶん、彼女自身は自覚していないだろうが。



それくらい青葉ひかりは、人の目を、そして心までをも引きつける。


「いやぁ、嬉しいよ。ひかりちゃんみたいな可愛い子が、うちのサークル・コスモスに来てくれて。うちは女子も多いから安心してきてくれればいいよ」

「あはは、そうなんですね」


今だって彼女はたくさんの人に囲まれて、その輪の中心で笑顔を見せていた。

その美しさは、大学生レベルに、そして都会レベルにアップデートされている。


春らしい水色のニットに、白地のスカート、明るい色味の服をばっちり着こなすことで、その輝きは際立っている。

中学生の頃より、さらに綺麗になっており、他の女子大生たちと比べても別格だ。


(……やっぱり、あぁいう人間はどこまで言っても勝ち組だよな、うん)


きっと彼女くらいの美貌とコミュニケーション能力があれば、どこでも余裕でやっていける。この先もずっと、輝かしい光の道を歩んでいくに違いない。


俺とは違う次元に生きる人間だ。


なんて卑屈な感想を抱きつつ、俺はその横手を通り過ぎる。




そうして、しばらく駅についてから御茶ノ水のホームで電車を待っている間に、俺はふと気づいてしまった。


「そういえば、コスモスって花の名前じゃ……」


嘘か真かはともかく、花の名前がつくサークルは、黒い噂が絶えない。


いわゆるヤリサーと呼ばれる悪質サークルである可能性が極めて高いのだ、たしか。



さぁっと血の気が引いて、心臓の音が大きく跳ね始める。

もし青葉が、あのまま彼らについていっていたとすれば、彼女はひどい目にあわされる可能性が高い。


彼女は人当たりがいい分、とかく疑うことをあまり知らないタイプの人間だったはずだから、なおさらだ。


このままいけば、青葉ひかりの約束された輝かしい人生はきっと、一気に暗転するかもしれない。



だが、しかし。

俺には関係のない話といえば、たしかにそうだ。


中学時代は陰キャを自認するくらい、クラスの端っこでひっそり生きてきたのが俺だし、青葉みたいなスポットライトを一身に浴びて生きている人間とはほとんど関わり合いがない。


たぶん俺のことなどきっと覚えてもいないだろう。



それに俺は今、自分のことだけでもかなり精一杯なのだ。

彼女に突然振られたという衝撃に打ちのめされて、人様のことまで気にかけている余裕はない。

俺が危険に巻き込まれる可能性だってある。


――そう、いろいろと考えはするのだけれど。



身体はもう、勝手に動き出していた。


見てしまった以上、なにもしないで見過ごすことは、できなかった。



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