第4話 俺を信じない世界なら

「田中先生が退職されるということでね」


 また三者面談を思い出す。担任の目はキツく信志を見据えた。信志は目を見開いて、事態を把握できずに口を開けて、何も言わずに閉じた。


「中川くんは、授業中に田中先生をからかっていたと」

「申し訳ございません!!」


 信志が釈明するより早く母親は頭を下げ、狼狽うろたえる信志の頭を強く掴んで無理やり頭を下げさせた。母の手は恐ろしいほど震えていた。


「違います! 先生をいじめていたのは別のグループで、僕は質問していただけです!!」


 犯人扱いされた信志は怒りに震えた。母の手を掴んで無理やり押しのけた。


「ほかの生徒は、きみもいじめグループの一人だと思っているようだよ」

「違います!!」

「信志!!」


 母の怒号は、今までで一番恐ろしかった。




 最初は質問しただけだった。


 田中先生は日本史の担当で、大学を卒業したばかりの新任教員だった。

 気の弱そうな雰囲気で、授業の初回からクラスの目立つ男子グループに目をつけられた。最初は授業中の忍び笑い程度だったのが、堂々と私語をするまでになった。ほとんど学級崩壊だった。


 だが信志は日本史が好きだった。私語をやめてほしいと思っていたし、田中先生の授業をしっかり聞きたかった。


「先生、『奉公ほうこう』の漢字が違います」


 手を上げて板書の間違いを指摘した。授業をよくしたい気持ちだった。だが教室には笑い声が響いた。


「中川〜いいじゃん。もっとツッコミ入れてあげてよ」


 授業後、男子の一人がニタニタと話しかけてきた。そのとき思ってしまったのだ。


 あ。スクールカースト上位になれるかも。


 そのとき信志はクラスという世界がすべてで、その中で上に立つことは重要事項だった。

 それから信志は「質問」を続けた。板書の誤字をいちいち訂正した。重箱の隅をつつくような質問をして、田中先生は焦って資料集をめくった。教室に蔑むような笑いが響いた。


 田中先生が休職したときはさすがに焦ったが、自分のせいだとは思わなかった。


 僕は質問しただけ。それを冷やかしたあいつらが先生を追い詰めたんだ。




「中川くんの推薦は、難しいと思います」


 担任は感情のない声で言い、三者面談は終わった。

 帰りの車で、母は無言だった。


「マジで、僕は授業をよくしようと思って、いじめグループが勝手に盛り上げただけで、僕は利用された被害者だから! 先生にそう……」

「いい加減にしなさい!!」


 怒号の恐ろしさよりも、信じてもらえなかった悲しみが心を浸した。




 ……そうだ。俺を信じなかった世界が悪い。俺は被害者だ。だから責任持って俺を養えよ!!




 農学部の実習が長引いたそうで、唐沢は30分遅れて集合場所に現れた。


「中川、派手になったな」


 顎の下まで伸びた根本プリンの金髪を見て、唐沢が素直な感想を述べる。


「染め直す金がないだけ」


 ニヤッと笑って言うと、唐沢も笑った。二人の会話は和やかに進んだ。


「なあ……俺、田中先生をいじめてたと思う?」


 信志が思い切って訊ねると、唐沢はふっと目を伏せた。その反応に信志はグッサリと傷ついた。


「質問に悪意を感じることは……あったかな」


 遠回しな肯定だった。


「……そっか。ごめん」


 先生をいじめた。許されないことだ。

 でも曖昧にしたままの過去に結論が出た。「自分も加害者だ」と認めて心が少し軽くなった。

 クズを自称して逃げてたのかな、俺。

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