私の妹は見た目だけ……。
みとたけねぎ
第1話 砂糖とコーヒー
私には十歳年下の小学三年生の妹がいる。
水滴を弾く汚れを知らないもちもちの白肌。清流のように腰まで流れるさらさらな黒髪。凪いだ海を閉じ込めたようなきりりとしたつり目がちな瞳と、それを守るためにかけられたスクエア型の紫フレームの眼鏡。
そんな我が妹、
「お姉ちゃん」
リビングのソファに寝転んで、コーヒーの入ったマグカップを床に置いて、テレビのお笑い番組をBGMに雑誌を読んでいると、噂をすればなんとやら。妹が私の元にやってきた。眼鏡の丁番あたりを雪のような白さの親指と人差し指でくいっと持ち上げる仕草はいかにも、そんなところに置いてコーヒーが零れたらどうするのと注意をしたり、テレビを見ないなら消してと小言を言いたげである。
「聞いてください、大発見です! お水にお砂糖を入れて飲むと、とても甘いです! お水なのに! 普段のお水は甘くないのに、不思議です!」
しかしながら。うちの妹から出てくるのは、興奮気味なこんなお言葉。両手を胸の前に持ってきて、つり目がちな瞳をかわいくくりっと丸めて、私にその興奮度合いを教えてくれる。
……はい。そうです。うちの妹、優等生委員長なのは、見た目だけ。中身は、その……とても、アホいのです。
「風ちゃん」
「なんです?」
立ち上がった私を見上げて首をコテっと傾ける妹。その仕草はどこか小型犬を思わせる。
「えっと、お砂糖って、何か知ってる?」
「甘いやつです!」
知ってるぞ!という元気なお返事。まっすぐ手まで掲げてくれている。その無邪気さはやっぱり犬みたい。
「うん、そうだね。じゃあ、そのお水がなんで甘いか、わかるかな?」
「むむむむ……」
今度は左手を頬に添えて、真剣に考え込む風ちゃん。考えることに集中すると息を吐くのを忘れるようで、風ちゃんの頬は膨れていく。破裂しないかそろそろ心配になってきたタイミングで、マカロンみたいな小さなお口が開かれ“ぽっ”とコミカルな音が漏れた。どうやら答えに辿り着いたようだ。
「わかりました! お水にお砂糖を入れたから、甘くなったんですね!」
「うん、正解だよ」
わあ、あってましたぁ、と風ちゃんは嬉しそうに身体をほわほわ左右に揺らす。
……はいそうです。しかも、お察しの通り、かなり、アホいんです。
私が心で誰にともなく妹がアホいことを説明していると、その妹はお水に入れたお砂糖よりも甘い笑顔を私に向けた。
「お姉ちゃんは何でもわかって、やっぱりすごいです! 教えてくれて、ありがとうございます!」
それから、その笑顔でつくった、どんな腕利きのパティシエにもつくれないご褒美を、私にくれた。
かんわいいっ! 私の妹!
見た目クール系なのにこんなに甘々な表情を無防備に見せてくれるなんて、お姉ちゃん、立っているのがやっとだよ。しかもそんなに大したこと言ってないのに、本当にキラキラのお目目で私のこと見てくれているの、アホい。けど、いやだからこそ計算とかあざとさがなくて純なかわいさがストレートに私の元に届く! それにきちんとお礼を言えるそのまっすぐな性格とても大事だよそういうの! もちろん学力も伸ばしてほしいけど姉としてはそういう性格こそ風ちゃんの魅力だと思うからそこを磨いていってほしいああ本当に愛おしいな私の妹!!
風ちゃんの愛おしいところをあげれば四百字詰め原稿用紙百枚程なら余裕で埋められるが、今はこれくらいにして。
私は表に漏れたら場合によっては引かれてしまう感想文を折り畳み、少しだけ表情を引き締める。
「ところで風ちゃん?」
「なんです?」
一つ賢くなったことが嬉しいのか、聞き返す風ちゃんの瞳はさっきよりも輝いていた。どんな問題でもどんとこいと胸を張っている姿がとても愛らしい。
だけど愛でるだけでなく、怒るところはきちんと怒らなくてはいけない。それが姉の役目。
「どうして、お水にお砂糖を入れて飲もうとしたの?」
お行儀も、健康にもあまりよろしくない飲み方なので、姉としては心配なところ。理由次第では、心苦しいけどキツめに注意しないと。
「えーとですね……」
私が少し悶々と尋ねると、風ちゃんはちょっとだけ下を向いて、頬をテレテレさせて言った。
「お姉ちゃんの真似をしてみたかったんです!」
「……へ? 私?」
風ちゃんが私の真似を? やだ嬉しい!
と一瞬舞い上がった心をいやいや待ってと競技カルタのスピードで抑える。
「風ちゃん、お姉ちゃんはお水にお砂糖を入れて飲んでないよ?」
自分で言うのもなんだけど、私だって十代の乙女である。そんな体重が増加の一途を爆速で駆け上がるような食生活をした覚えはないのだけど。風ちゃんには一体何が見えているのだろうか……?
「? でもお姉ちゃん、黒いお飲み物によくお砂糖入れてますよね?」
風ちゃんは不思議そうに添えていた人差し指を顎から離して、視線と一緒に床に置いてある私のマグカップに向けた。その中にはまだ四分の一くらい残ったコーヒーが香しく黒い水面をつくっていた。
「…………なるほどね」
確かにコーヒーを飲むとき、私はスティックシュガーを入れて飲む。それにいつだったか風ちゃんから「何を入れてるんです?」と聞かれたこともあった。
「ですよね! お姉ちゃんがいつもお飲み物にお砂糖を入れるってことは、とても美味しいのだと思って、風花もやってみたかったのです! なのでやってみました!」
ふへへー、と楽しそうに風ちゃんは理由を話してくれる。かわいいからこのまま何も言わず抱きしめてしまおうかと降って湧いた衝動をモグラ叩きの反射神経で巣に返す。
「風ちゃん、これはね」
私はマグカップを拾い上げる。
「コーヒーっていう苦い飲み物なんだよ。だから飲みやすくするために、お砂糖を入れてるの。だから普通のお水には入れないんだよ?」
「そうなんです?」
また瞳を丸めて驚きを教えてくれる風ちゃん。ころころ変わる表情、堪らんかわいい。
「うん、だってお姉ちゃん、ご飯のときに飲む麦茶にはお砂糖入れてないでしょ?」
「…………はっ。たしかにそうです! 入れてません!」
口をキレイな三角形にしてしきりに頷く風ちゃん。そして電池が切れるみたいに頷きが止まったところで、風ちゃんは再び私に問いかける。
「じゃあお水にピーマンとお砂糖を入れたらお姉ちゃんと同じになれます?」
……んー? どうしてそういう発想にいっちゃうかな……?
「違います……?」
私の微妙な顔を察したか、風ちゃんは悲しげに呟く。
「い、いやー、まあ……違う……かなあ……」
悲しませないために嘘をつくことも考えたけど、それで本当に風ちゃんがピーマンジュースを試したらそっちの方が悲惨なことになりそうなので、目の前の風ちゃんより未来の風ちゃんの笑顔を守ることにする。ごめんね今の風ちゃん。いやピーマンジュースが苦いのかどうかはわからないんだけど。
いや、ていうよりもね。
「どうしてコーヒーをそのまま飲んでみないの?」
小学生が好き好んで飲みたがるものではないと思うけれど、少なくともピーマンジュースよりは美味しいと思うので、そこまで気になるならコーヒーを飲めばいいのに。飲みかけでもよければここにあるし、新しいのがよければ、喜んで淹れる。
私が不思議に思って尋ねると、風ちゃんの答えはこうだった。
「だってコーヒーはお姉ちゃんの好きな飲み物ですよね? それを減らしちゃうのはなんだか悪い気がします」
––––もう……っ! この妹は! 本当に可愛すぎるんだから! なんて、なんていい子なのよ! もう磨かれすぎてもはや直視できないよ魅力!
アホいけどその分、いや、それ以上に、とても真面目で優しい子に育った妹の頭を私は柔らかく撫でる。
「あのね、風ちゃん。そんなの、まったく気にしなくていいんだよ」
「え、でも……」
「だって、好きなものを一人で楽しむより、私は大好きな風ちゃんと一緒に楽しめた方が、幸せだよ? だから、遠慮しないで?」
ちょっとクサかったかな……。頬が熱い。でも、
「––––そうですね! 風花もそっちの方が幸せです!」
風ちゃんの言葉で、照れ以上に喜びで身体があったかくなったので、無問題。
「じゃあ、飲んでみる? 飲みかけだけど大丈夫?」
「はい! いただきます!」
私には、十歳年下の小学三年生の妹がいる。
その妹は優等生委員長みたいな見た目だけど、中身はとてもアホい。
だけど、家族思いの、とても優しい、かわいい妹です。
夕食のときお母さんに「お姉ちゃんの真似をしてお水にお砂糖入れて飲んだら苦いお飲み物を飲むことになりました!」と元気に要約の仕方ド下手な報告をしてて私が両親からすごい目で見られるハメになったけど、とても……良い子です!
〈了〉
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