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  • 第一章 いじめは親切への応援コメント

    うーん。ブロック覚悟で、コメントしますね。
    いじめに、適応ですか。人間の本性と言われれば、同じく感じるところはあります。また、価値観のひとつの現れ方であるとは思います。
    ただ、それを、人の優劣を測る理由とするのは、例えば、優生思想なんてのを思い出します。
    いじめによって、異常を排除することは、社会をまとめるためには、合理的な方法だと思います。まとまりのある社会の意識のためには、実に合理的でしょう。
    例えば、ひとつの疑問と致しまして、人の本性だからといって、そこに道徳によって考える余地がない、と言ってしまえば、道徳のある意味自体を否定するのではないでしょうか?その道徳をもって、人間の本性に適応することを教えるのが教育とおっしゃっているのだとは思いますが、何に重きを置くかで、道徳の意味も変わると存じます。
    いじめを社会教育とすることで、統一の代わりに、思想の自由が減るイメージがあります。ひとつの理念に敵うことが正しいとされることで、消える発展もあるのではないか、という疑問がぬぐえません。
    というわけで、人間の本性に対しての社会秩序の位置付けですとか、ありきたりの発展の可能性とやらについて、簡単に捕捉など頂ければと思いまして、簡素ながら申し上げます。
    興味深いお話でした。よろしければ、一言お返事下さい。失礼しました。