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緑川えりこ

第1話 再会

昼間の暑さを吸収したアスファルトが、22時をすぎた街を未だにうだるような暑さで包んでいる。

7月の半ばに差し掛かった夏の夜は、太陽が沈みきっても暑いままだ。


いつもならば、駅までは職場の仲の良い友人と一緒に帰るのだが、今日は大阪で調理の研修があっているので、一人で帰るしかない。

一人で帰る夜道は、昔の出来事が脳裏にちらついてしまい怖くなった。


私は調理現場の調理員として働いている。

滅多にこの時間まで仕事にはならないのだけれど、ノロウイルス疑いのある従業員が出てしまい、スタッフ全員でその対処にあたっていたため、この時間での帰宅になっった。


私はどうしてもビールが飲みたくなり、前から気になっていた居酒屋に立ち寄った。

脳裏にちらついている記憶をけしたかったのもある。


私が入った居酒屋は、女一人でも入れそうなカウンター席のある店だ。

中にはすでに一人酒をしているスーツ姿やコンサバ系の格好をした女性がいた。


私も彼女たちに倣って一人用のカウンター席に入ろうとした――瞬間、ある人物が目に飛び込んできた。


え、なんで。

なんで。こんなところにいるの。


遠目からでもすぐに分かった。

さらりとしたブラウンの髪も、切れ長な眼も、スッと伸びた鼻筋も、全部あの頃と同じだったから。

野球のユニフォームはスーツになっているし、肌も真っ黒じゃなくなってるけど、変わってない。


間違いない。絶対に涼先輩だ。


幻かもしれないと思ったその人は、カウンター席でひとり生ビールを飲んでいた。


彼を見た瞬間、私の心臓は早鐘を打ちはじめる。


多くの酔っ払いが騒ぎ立てる居酒屋。だけどまるでドラマのワンシーンに入り込んだかのようだ。

周りの音が消え、色をなくし、彼だけが鮮明に私の目に入ってくる。


私が居酒屋で10年ぶりにある再会したその人――伊瀬見涼先輩は、私の2つ上の先輩だ。

そして私が、高校時代、ずっと、ずっと好きだった人。


強豪校の野球部のレギュラー(しかも主将)でイケメン。

誰に対しても強気で勝ち気な性格で、はっきりと物事を言う人だった。


入学式の日、そんな彼に、私は一目惚れしてしまった。


そして私は、野球部のマネージャーになれば、涼先輩と多くの時間が過ごせる!という安直な理由で野球部のマネージャーになったのだ。


それから、10年もの時が流れている。


卒業して以来会っていないし、連絡先すら知らないので、連絡なんてとっていない。

涼先輩への想いはすでに過去にきっちりと置いてきたはずだった。


――――だけど、彼を――涼先輩を見つけた瞬間に、置いてきたと思っていたはずの想いが溢れ出てまった。


だから、居酒屋で彼を見つけた瞬間、考えるよりも先に体が動いてしまっていた。




「あの、涼先輩。こんばんは」


私は、カウンター席で1人で飲んでいる涼先輩に近づき、恐る恐る声をかける。


「お、お、お久しぶりです。白崎しろさきです」 


「……白崎?」


涼先輩は、生ビールが入った飲みかけのジョッキを片手で持ったまま、鋭い目で私を見た。


「どちらさま?」


涼先輩の薄い唇から発せられた言葉に、私は後ろから思いっきり頭を殴られたような感覚に陥った。


そうか、そうだよね。

私にとっては涼先輩は一目惚れした相手だけど、涼先輩からしたら、数いるマネージャーのうちの1人だもん。


部活動のときだけしか時間を共有していないのに、覚えてくれているわけないじゃん。


ぶわわっと顔に熱が集中していくのが分かる。


あぁ、穴があったら入りたい。


恥ずかしさが目からこぼれ落ちそうなのを隠したくて、私はそっと涼先輩から地面へと視線を移した。


涼先輩も少しは私のことを覚えてくれているかも、と期待してしまった自分が恥ずかしくなる。


この気まずい空気をどうしよう、と必死に考えていると、涼先輩の「ククッ……」と喉を鳴らして笑う声が聞こえた。


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