ホストの花形

秋ノ季凛

第1話

1986年・3月


東洋一の歓楽街、新宿・の歌舞伎町。

眠らない街との異名を持つこの地に、ある老舗ホストクラブがあった。

店の名前は〝クラブ・カペラ〟

1970年に富裕層の女性客を男性ダンサーが社交ダンスでもてなす女性専用クラブから始まったこの店では、時代が変わった現在でもホスト達が客とダンスを踊る営業が残されていた。

19時から24時までの社交ダンスでの接客を主とした1部の営業。

そして24時から5時までの酒とトークでの接客を主とした2部の営業。

カペラはこの2部制で成り立っていた。

では、どちらの営業がホストとしての花形か?

そう聞かれれば答えは明白である。

口の上手さと高い酒で女性を楽しませ、たった一夜で目も眩むような大金を稼ぐ。

2部こそホストの花形であり、夜の世界で成り上がった成功者だった。

では1部のホストはどうか?

社交ダンスを専門にしていたごく一部のホストを除き、彼等は基本的に2部で使い物にならなかった落ちこぼれホストの集まりで、2部がホストの花形ならば1部はホストの墓場とされ、嘲笑の的であった。

その名の通り、ホストとしての寿命を終えた者だけが辿り着く場所。

夢も希望も未来も無い。

だがある日、そんな1部に一人の新人ホストが仲間に加わった。

彼は圧倒的なダンススキルで多くの女性客を虜にし、墓場である1部に在籍しながら瞬く間にホストの花形へと登り詰めていったのだった・・・。


まだ日が高い時間に目を覚まし、外を出歩くのは龍二にとって数年ぶりの事だった。

2部のホストとして長年昼夜逆転生活を送ったせいで1部に都落ちした今も彼の体内時計は狂ったままなのである。

「ふぁ~、何すか支配人。こんな真昼間に店に呼び出して」

大あくびをしながら苦情を訴える龍二に、支配人の小田は眉をひそめながら言った。

「お前酒臭いぞ」

「すみません。昨夜のがまだ抜けてなくて」

「ふん。2部のホストでもあるまいに」

酒でも飲まなきゃ1部の仕事なんてやってられないんだよ、と言い返したくなるのをグッと堪えて龍二は訊ねた。

「何か俺に頼みたい仕事があるって電話で言ってましたよね?」

「ああ。実は今朝、親父の自宅に呼ばれてな。ちょっと厄介な生き物を預かってきたんだ」

親父、というのはカペラの創業者でオーナーの夏目健一氏の事である。

「厄介な生き物?」

「どうしてもそいつの世話を龍二に頼みたいと親父は仰っているんだ」

「はあ?まさか親父ヘビやトカゲでも飼い始めたんじゃないでしょうね。俺ああいうの苦手だから世話なんか出来ないっすよ」

「安心しろ、そんなんじゃねえ。まあ気味が悪いのは確かだがな」

そう言うと小田は、龍二の向かって正面にある1台のソファの背面に回り込んでしゃがみ、『ほら、出てこい』と言いながら何かに手を伸ばした。

何かの動物が入ったケージがそこに隠されているのだと察した龍二は、何が出てくるのかと身構えた。

だが、小田に引き摺り出される形で姿を表したのは以外にも人間だった。

いや、人の形をした〝何か〟と言った方が良いかも知れない・・・。

「な、何ですか?そいつは?」

極度の緊張のせいだろうか。

その〝何か〟の足元は生まれたての子馬のようにガクガクと震え、小田にシャツの襟を捕まれ引き上げられている事で何とか立てている状態だった。

「ほら、挨拶しろ!」

小田にそう促された〝何か〟は顔面を覆う長い前髪の隙間から覗く目を白黒させながら、口元が痙攣しているのでは、と心配になるような声を発した。

「リリリリリ、リ○☆×◇と言いま、ふ。よよよよよ、よろ、よろ、しっく、おおおお、お願い、しまっ」

何か挨拶らしき言葉を言おうとしていた事だけを龍二は理解した。

それ以外の事は何も分からない。

「あ、あの・・・支配人。そいつは一体・・・」

「親父が拾ってきたんだ。俺にもよく分からん」

「拾った!?どこにそんなのが落ちているんですか!?」

「だから俺にもよく分からねえって」

そういい放つと、小田は親の仇のようにきつく引っ張り上げていたシャツの襟を離してやった。

半ば小田に首を絞められている状態だったその〝何か〟は苦しそうにゴホゴホと咳をすると、逃げるように再びソファの背面へと隠れてしまった。

まるで人間に馴れていない野性動物の挙動のせいか、龍二には小田が高圧的な上司ではなく動物を虐待している極悪人のように見えてきた。

「なんだって親父はあんな奴を拾ったんですか?」

「決まってるだろ。ホストにするつもりなんだよ」

「冗談でしょう?あんな奴にホストが務まりますか!?」

龍二はすぐに自分の発言を訂正したくなった。

ホストだけではない。

この世の殆どの仕事があの生き物には務まらない、と。

「親父が言うには、あいつは社交ダンスを踊らせたらかなりの名人らしい。2部では使い物にならんが1部では使い方次第だとお考えなのだろう」

「あんな奴がダンスの名人?信じられませんよ。それにホストになるんだったらまずは電話番から始めさせないと」

「お前なぁ、あんな対人恐怖症の吃りに電話番が出来ると思っているのか?」

「そりゃ、ちょっと難しそうだとは思いますけど」

「どうせコール音にパニックになって電話線を引きちぎるのがオチだぞ」

そう言われると龍二は何も言い返せなかった。


因みに電話番とは携帯電話がない時代、店にかかってきた客からの電話を先輩ホストに繋ぐ、入店したばかりの新人ホストが最初に任される仕事である。

新人が電話番を任されていたのは、先輩ホストに顔を売り、自分を気に入ってくれた先輩の派閥に入れてもらう為である。

カペラのホストの殆どはそれぞれ派閥に入っており、その理由の一つとして金がない下っ端ホストに飯を食わせてやるなどの諸々の世話を店ではなく同じ派閥の先輩ホストがしなければならない事と、新人のホストデビューはヘルプとして同じ派閥の先輩の卓に着く事から始まる、という二つの掟がカペラに存在していたからだ。

「とにかく、親父は本気であいつを1部のホストに推しているんだ。そして世話係には是非とも龍二を、と仰っているんだ」

「何で俺何すか?自分の派閥も持っていなければどこかに所属もしていない。その上金も無いのに新人の面倒を見てやるなんて」

「何でお前なのかは親父に直接聞け。今夜、様子を見に来るらしい」

「えっ?本店にいらっしゃるんですか?先週3号店がオープンしたばかりでしばらくは向こうに掛かりきりって言ってたじゃないですか」

「それだけあいつに期待しているんだろう。まあ、何かやらかすんじゃないかと心配して見に来るだけかも知れないがな」

そんな心配をするくらいならあんな奴雇わなければいいじゃないか、と龍二は思ったが、親父の性格からしてそれはあり得ない選択だ、とも思えた。

ホストという仕事が現在よりもずっとアンダーグラウンドだったこの時代、ホストクラブの採用面接に来るのは大抵特殊な事情を抱えた訳あり人間ばかりだった。

少年院上がりに元極道、当時は精神病扱いされ家族からも迫害された同姓愛者、世間を騒がせた犯罪者が警察の捜査から逃れるため身分を隠してホストになる、という話もざらにあった。

夏目氏はそんなはみ出し者達にも一切の偏見を持たず、ホストになりたいという若い男が居れば快く自分の店へ迎え入れた。

犯罪者すら受け入れる彼が、接客業に向いていないからとコミュニケーションに難がある若者を切り捨てられるはずがないのだ。

「そういう訳だから後の事はお前に任せたぞ」

「ちょっと待ってくださいよ、支配人」

強引に話を終わらせようとする小田に龍二は食い下がった。

「俺はあんな奴の世話を引き受けませんよ」

「ほほう。親父の頼みを断るってのか?」

「だ、だって・・・」

「養護施設を追い出されて行き倒れていたお前を助けてくれたのは親父じゃないのか?」

「それは、そうですけと・・・」

「親父に恩返しをしたいといういじらしい気持ちがお前には無いのか?ホストになって8年、ろくに店の売り上げに貢献出来なかったじゃないか。いいか?お前に断る権利なんて無いんだ。2部でも1部でも駄目ホストのお前が親父の恩に報いるにはあいつの面倒を見るしか無いんだよ!」

足元を見られている、というか絶妙に龍二の劣等感と罪悪感をくすぐる小田のやり口に、龍二はぐうの音も出なかった。

「・・・わ、分かりましたよ。俺があいつの面倒を見てやりますよ」

全く納得がいってない口調で龍二はかくも厄介な仕事を引き受けた。

だが、今もソファの背面に身を隠しているあの珍妙で不可思議な生き物との出会いが後の自分の運命を大きく変えてしまう事を、この時の龍二はまだ知る由もないのだった。




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