カーテンコールは特等席から
夜山ひなり
序章「あらしのよるに」
「雑草とは、いまだその価値を見出されていない植物である」
――ラルフ・ワルド・エマーソン
眩しい。
何回も経験してきたはずのスポットライトで目がくらむ。観客の視線が痛い。体育館のステージの床が別世界みたい。今週は、体育館の掃除当番だったはずなのに。練習で最近は毎日のように体育館を使っていたはずなのに。
恵は、舞台袖に戻りたい衝動を必死で抑え込みながら、叫んだ。
「あるところに、ヤギのメイと狼のガブがいました――」
本当はナレーションは声を張らない方が良い、と部長の望に言われた。あ、でも無理に、ってわけじゃないよ。恵がいいならそれでいいし、といつもどおりの早口で。比較的小さな恵の声は、広い体育館では響かない。叫ばないと、最後列まで届かないことを恵は知っている。もちろん、望だって知っている。
童話「あらしのよるに」。
ヤギのメイというおてんばの少女と、狼のガブという心優しい少年は、嵐の夜に出会い、お互いの正体を知らないまま友だちになる。そして「あらしのよるに」を合言葉に、翌日ふたたび会う約束をする。次の日、お互いの正体を知った二匹は自然の掟をこえた友情を育む……という場面のナレーションが、恵の役割だった。
その後もエンディング前にナレーションが入るが、それまでは舞台裏の後輩のアシスト。そそくさと舞台裏に引っ込み、入れ替わりで望と泉が舞台に上がる。
明転。
草原を歩くメイとガブ。
「ガブって本当にすごいんですね!」
泉の演じるメイが、望の演じるガブを褒める。
全くそのとおりだな、と恵はこのセリフを聞くたびに思う。世の中には、神に選ばれた天才が存在するのだと。望はきっとそういう人で、恵には追いつけない、雲の上の人なのだと。
望と泉、そして恵は同じ中学校の同じクラス、同じ演劇部に所属している親友三人組。
そう、彼女らを知る人たちは口を揃えて言う。しかし、三人の中にも確固たる差があるということは知られていない。
部長である望の相方を張れるのは、この中学校の演劇部だと、副部長の泉だけだ。望の天才的な「間」についていけるのが泉だけだから。演劇の世界では、二秒の間には二秒の間、といったように相手に「ついていく」演技が求められる。恵がもしメイの役だったら、望の演技に翻弄されて終わるだろう。
泉は望ほど引き込む演技はできないが、声を作るのが上手だ。今だって、少し幼いような鈴の音が鳴るような、普段の声からは想像もつかないような声を出して、望についていっている。
しかし、恵は違う。
先程のインターバル、パイプ椅子が足りない、と言われて、真っ先に呼ばれたのは恵だった。主役級は本番前に息を切らさない方が良い、という配慮だろうか。ナレーションは一番初めに登場するのだから、一番コンディションを整えておく役なのではないかと、恵は少しだけ思う。思いながら、それでも何もできずに、椅子並べを手伝う。
その度に、あの二人の眩しさに目がくらむ。
「知多先輩、そろそろですよ」
後輩の一年生から肩を叩かれ、恵はその手の冷たさに驚いて振り返った。
「……ありがと」
制服のポケットから取り出したホッカイロを後輩に握らせると、音を立てないように細心の注意を払って立ち上がる。真紅のカーテンの端をつかみ、乱れる息を整える。
クライマックス。
「逃げろ!」
メイとガブが友達だったことが仲間にばれて、二匹は追われることになる。ヤギとオオカミが一緒に暮らすことができる「緑の森」を探す旅へ出た二匹だったが、追跡するオオカミの群れに、徐々に追い詰められていく。
雪山での旅。
「私を食べてください」
焦りと寒さに体力を削られたメイは、そうガブに頼む。苦渋の決断を下したガブだったが、そのとき既にオオカミの群れは間近に迫っていた。ガブは自らを囮にし、メイを助けようとしたが、雪崩が起きて群れもろとも巻き込まれてしまう。
「メイ!お前は助かってくれ」
メイは雪崩の中に見えるガブの姿に手をのばす。
「ガブ!」
しかし、手を離してしまう――。
恵は闇の中を歩き、舞台裏を出た。目線が少しだけだが集まる。好奇の目線だ。動悸が激しくなる。
再度のナレーション。
「春。メイは山を無事に越え、草原で暮らしていましたが、いなくなったガブを思うと寂しくてたまりません」
近づいてくるガブ。
「ガブ、生きていたんですね!」
しかしガブは雪崩のショックで記憶を失い、メイのこともわからない。餌であるメイに、ガブは迫る。
恵の正面に座る男の子が、目を見開いたのが恵にはわかった。望の演じるガブに、観客は恐怖さえ覚えるのだ。
背後に、今すぐ自分も襲われそうな、獰猛な動きが感じられる。
「いっそあのあらしのよるに出会わなければ!」
メイ――泉は叫んだ。空気が変わる。
「その言葉がきっかけでガブの記憶は戻り、2匹は再び友情で結ばれたのでした」
終わった。恵が息をつくのと同時に、一度幕が降り、出演者が一列に並ぶ。幕が再び上がる。観客席は、ひたすら暗闇。
カーテンコールだ。
しじまの中から歓声に似た拍手が湧き起こる。この瞬間が、恵は好きだった。
スタンディングオベーションーーまた、望が感動を作ったのだ。恵はなぜか誇らしげな気持ちになる。感動の輪を、広げられた喜び。
そして、その輪の真ん中にいるのは望、隣には泉、恵はずっと端っこで。
礼をする。幕が下がる。放送部のアナウンスで、観客が帰っていく。舞台が、ようやく、全部終わった。
舞台裏に戻ると、みんな晴れやかな笑顔で小道具を片付け始めた。そんな雰囲気も、恵は好きだ。でもやはり、一番幸せなのは、しじまから生まれる拍手で――。
それが自分に向けられていたらなあ、と叶わない夢を見るのだ。
「あ、知多先輩。ホッカイロ、ありがとうございました」
「うん、どういたしまして……ん?」
視界がゆらぐ。目眩だろうか。景色が薄れていく。
そして。
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