第23話 本性

 回路術式〈時間倍加速ダブル・アクセル〉。

 ルイズがそう唱えた瞬間、彼女の動きは文字通り二倍速となった。効果時間は一秒程度だが、ルイズには必要十分。

 だが狙ったのはイーライでも、アレンでもなかった。

 影に隠れ潜んで、機を狙っていたリエサだった。


「月宮っ!」


 気がついた時には既に、リエサの腹部にはナイフが突き刺さっていた。

 同じく隠れていたライナーはすぐさまルイズに殴りかかろうとするが、リエサを盾にされ、動けなかった。


「私が二人を殺そうとするのを狙っていたでしょ。不意打ちを狙うのは悪くない判断だわ。でも、もう少し殺意を隠した方が良いわよ」


 再度、ルイズの能力は封殺された。リエサにナイフを突き立てるために、一瞬でもイーライから目を逸らしたからだ。

 だがその代わりかのように、彼女は人質を得た。


「お前⋯⋯」


 イーライは怒りの感情を隠そうともせず、ルイズを睨んだ。


「ああ、安心して頂戴。殺しはしないから。だって殺ってしまったら、人質の価値がなくなるじゃない? まあ、ほっとけばすぐ死ぬだろうけどね」


「ッ!」


 ルイズはリエサに組み付いたまま外に出ようとする。下手に動けば彼女はリエサを殺しかねない。

 何か方法はないか。イーライは必死に考える。だが、どの方法もルイズほどの手練には通用しないだろう。


「良い判断だわ⋯⋯ま、私が殺戮者でなければだけど」


 ルイズは逃げ切れると確信した瞬間、リエサの首を切り裂こうとした。一人も殺さずに逃げることはできなかったし、少女は殺せるなら殺しておかないと、後々厄介になりそうだと感じたからだ。

 しかし──ルイズは冷気を感じた。無論、自らの氷結能力ではなかった。


「⋯⋯何」


 ルイズの体に、いくつもの白い結晶の薔薇が冷たく咲いていた。地面から伸びる薔薇が、彼女の身体にまとわり付いていた。


「死にたく⋯⋯なけ、れば⋯⋯離しなさい!」


 口の端から白い息を吐きつつ、超能力によってルイズを拘束したのは誰でもない。リエサだった。


「⋯⋯腹突き刺したはずだけど。どうして能力を使えるのかしら」


「傷なら結晶で塞いだ。今にも痛みと冷たさで意識を失いそうだけど、あんたを殺すことくらい容易いね」


 単に止血しただけだ。傷を治したわけではない。それでも、応急処置としては十分。

 確かにリエサは能力の制御が著しく雑になってしまっている。だが、全開の出力を引き出すことに制御も何もない。殺すだけなら問題ない。


「⋯⋯⋯⋯」


 超能力は封殺されている。体も結晶の薔薇の棘で全身が突き刺されている。下手に動けば体がズタズタに引き裂かれるだろう。

 仮に最小限のダメージで薔薇の拘束を脱したとしても、まともに戦えるわけがない状態となる。


「早くしなさい。さもなくば──」


「『さもなくば』? 何かしら? ⋯⋯お嬢さん。私のような殺し屋はね、最期まで醜く足掻くものなのよ」


 イーライの超能力は、勿論超能力の発動を完璧に無効化することができていた。だが、魔術に対してはどうなのか。

 何の支障もなく使えたのなら、ルイズはもっと早くから使っていた。が、全く使えないわけではなかった。

 魔術の行使において、最も重要となるのは魔力のコントロールだ。イーライの能力により、ルイズはそのコントロールが困難となっている。つまり、術式に魔力を流し込むことができないのである。


「なら──」


 ルイズが何かするよりも早く、リエサは彼女を殺そうとした。一切の躊躇はなかった。殺すことへの忌避感はなかった。

 ただシンプルに、間に合わなかった。

 不可視の衝撃が、ルイズを中心に放たれた。


「『能力封殺フォービット』の魔術に対する影響は、術式の使用困難化と、魔力操作の妨害。完全な魔力の抑制ではないのよ」


 彼女は魔力を勢い良く放出したのだ。魔術とは言い難い力技。魔力消費量と威力が見合っていない、一切の価値のない、悪足掻き以下の行動だろう。

 しかし、魔力の全てを消耗することで、必要な火力を無理矢理出したのである。


「待てっ!」


 真っ先に走り出したのはライナーだ。初撃でリエサと同じように、ルイズが彼を攻撃しなかったのは、できなかったから。ライナーの硬質化を破る術を、ルイズは持たなかったからだ。

 が、それはあまりに軽率な判断だった。


「ぐぅっ!?」


 ライナーには見きれないほどのスピードで、彼は斬られた。ルイズの持つナイフでは、彼の能力を突破できるわけがない。

 だが、鎧は全身を隈なく覆っていないように、ライナーの能力も全身を硬質化しているわけではない。

 ルイズが切り裂いたのは関節部分。ライナーは一瞬で足をやられ、倒れた。


「逃さないッ!」


 結晶がルイズを追跡するも、彼女には当たらない。華麗な身のこなしで隙間をするりと掻い潜っていた。そして、当たると思ったものは空中で拳銃によって撃ち落とされた。


「チッ⋯⋯」


 リエサは足元から結晶を生成し、その加速によってルイズに追いつき、そして追い越した。先回りした彼女は結晶の弾丸を乱射する。


(誘導されているわね。まあいいわ。乗ってあげる)


 リエサが放った結晶弾を抜ける道は、意図して用意されているような気がした。が、問題は何もない。その先にあるのは彼女との近接戦だ。

 リエサはルイズを引き付け、時間を稼ぐことが目的だ。確かに悪くない判断である。優れた能力者。頭が回るのだろう。


「でも甘いわ!」


 ナイフを構え、リエサの間合いに侵入。彼女に一切の反撃を許さず、正面から本気のスピードで得物を振るう。

 だが⋯⋯予想外にも、リエサはそれを防ぎきった。


「結晶のナイフ⋯⋯!」


 いやそれに驚きはない。ルイズの近接攻撃を、初撃とは言え防御しきったリエサの力に驚いたのだ。

 そしてこれは致命的なミスとも言える。ここから連撃を加えれば、ルイズは容易く彼女を殺せる。が、それよりも早く、彼女は能力を行使してくる。

 ──出力最大の全身結晶化は、接触時にのみ行える。

 先ほどとは違う。結晶の薔薇による拘束などという生半可な技ではない。

 ルイズの半身如き、刹那で結晶化した。


「私がここまで追い詰められたのは久しいわ」


 もう半分も、刹那で終える。

 しかしそこに妨害が加えられた。なぜなら、ルイズはこの時、超能力と魔術を再使用できるようになっていたからだ。

 絶体絶命の状況下、研ぎ澄まされた感覚ともう一つの要素は、普段のそれを遥かに上回った能力行使を可能とした。


「『能力封殺フォービット』の発動条件は二つ。視認することと、触れること」


 結晶化は表面上のもの。体の芯まで結晶と置き換えるわけではない。それは接触条件を満たしており、ルイズはこれを消滅させることができた。


「先生に何をしたの」


「さあ? 私が直接やったわけじゃないから。でもそうね。私がたった一人であそこを襲撃するとでも思った?」


「⋯⋯⋯⋯!」


 考えが浅かった。ルイズが一人でアレンたちを襲撃するなんて、可笑しいと思うべきだった。よしんば襲撃自体は一人で決行していても、バックアップにもう何人かいないはずがなかった。


「私は一人のほうがやりやすいから、チームメイトはいつも控えているか、別のことやってるの。あと、こう言うふうに油断もしてくれるからね」


 ルイズの戦力は一騎当千クラスだ。先程まで、彼女とまともにやり合えていたのは彼女の能力と魔術が使用不可になっていたから。

 逆に言えば、単なる身体能力のみでリエサ、イーライ、ライナーの全員を相手にし、逃げられる直前まで来ていたのだ。

 そんなルイズは単身で運用しても十分な戦果を上げる。そも、正面からやり合っている現状は、彼女の本領ではない。

 ルイズという女は、暗殺。もしくは不意打ちが本分だ。一人であることがメリットとなり、違和感もない。

 それが間違いだった。


(こいつは白石先輩とやり合える化物⋯⋯スミス先輩とかと同格以上ってこと)


 以前見たアルゼスの戦闘力は、到底リエサでは及ばない。万全の状態であれば多少、抗えるだろうが、今のリエサは消耗している。

 単純な戦闘力ならユウカはレベル6でも上から二番目だろう。アルゼスよりも強い彼女と、ルイズは同等以上。


(不味い。援護もない今、この化物相手にして⋯⋯逃げることも、抗うことも⋯⋯)


 リエサは、死ぬと思った。


(⋯⋯⋯⋯。⋯⋯違う)


 いや、そんなことは受け入れられない。

 考えて、考えて、考えて。リエサはこの無理難題をどうにかする方法を思いつかなければいけない。

 ──月宮理恵沙には、憧れが居る。彼女は何よりも明るくて、輝かしかった。

 かつて無機質で冷たかった。何の夢もなかった自分に光を与えてくれた彼女。

 リエサはそんな彼女──ミナに憧れた。そして追い付きたいとも思っている。幻想を憧れのままではなく、目標とし、並ぶために。


「⋯⋯決して、諦めない。アンタなら、絶対に」


 この状況、ミナならどうするか。


(⋯⋯私の能力でできること)


 ミナは、自分の能力で身体能力を引き上げることができたらしい。何でもエネルギーを全身に流したとかなんとか。

 爆発するようなエネルギーを体に流すなどという自殺行為一歩手前のものだ。

 が、リエサに同じことはできない。彼女の能力はエネルギーを生み出すタイプではない。どちらかと言えば、エネルギーを減少させる。もしくは停止させる方向のもの。


「──じゃ、お終いよ。あなたは標的ではないけれど、ここで殺しとかなくちゃ、面倒なことになりそうだから」


 リエサの首を確実に切り落とすため、〈時間倍加速〉を使用し、一気に距離を詰める。リエサでは反応し、防御する事は困難だ。できないと言っても良かった。

 そう、反応はできない。これは正しい。


「っ!」


(避けた! 山勘で、首を狙ってくることを予測したのね!)


 その上、リエサはルイズの視界内から逃れた。直後、もう一度能力を封殺されることになるが、それまでの一瞬、能力を使う隙があった。

 ルイズの直感が囁き、彼女はリエサから距離を取った。そしてその時、違和感を覚えた。否、違和感などという言葉の範疇にはないほどの倦怠感。体の重さを、覚えた。


「⋯⋯何をしたのかしら。それにどうして⋯⋯」


「私は今、能力が使えなくなっている。アンタへの能力干渉も途切れてしまった。けれど⋯⋯問題ない。だってこれは、最初からそれも織り込み済みで考えたんだから!」


 リエサの超能力『冥白結晶ホワイト・クリスタル』は、永続的に周囲の熱を奪う真っ白な結晶を生み出し、操る能力。

 吸熱反応。その冷たさは、0℃〜-196℃の間で自由に設定できる。

 また、結晶の硬度も、現時点において鋼鉄を超えるほどだ。

 リエサはこの超能力を応用し、ルイズの体内に極低温の冷気を流した。熱を奪い続けるという性質を持つ冷気──超微細とでも言うべきクリスタルを生成したのである。

 これにより、ルイズの体温は一瞬のうちに極限まで低下。エネルギーを奪われたのである。いくらその元を消滅させようとも、低下した体温と奪われたエネルギーまでは戻せない。


「⋯⋯それで、私の動きが鈍っても、あなたが強くなったわけじゃない」


「そうね。依然として私はあんたを上回る力はない。いやむしろ、今のであんたは一切、偽り無く本気で私を殺しに来る」


 ルイズは今まで、自らを偽っていた。最高の殺し屋として。プライドを持っていた。財団の殺戮者として。

 ただ、それはもう捨てられた。

 これが彼女の本性だ。飾り気のない、本物。


「⋯⋯私はあまり、好きじゃない。だから私はこれを隠してきた。だってスマートでないもの。けど⋯⋯嫌なことに、これが一番私に合っているの」


 ルイズ・レーニー・ヴァンネル。彼女は財団が作った史上最凶の虐殺者。

 その本性は、殺しに飢えた化物だ。

 殺す過程を楽しむのが先程の彼女だとすれば、今の彼女は殺人をしたという結果をひたすらに求める狂人だ。

 ある意味でそれは、単なる殺人鬼から最も遠い。

 食事を楽しむ際、食べるものより、味や食感などどうでも良いと考え、食べたということを重視する人が居るだろうか。

 ルイズはそういう人物だ。


「⋯⋯はは。同じ人間?」


 リエサは思わず、そう言ってしまった。それほどまでにルイズの豹変ぶりは信じ難かった。


「どっちの意味かしら?」


「どっちも」


「あら、そう。ならそうね。返答は⋯⋯私は私よ」


 ルイズはナイフを逆手に持った。そしてゆっくりと歩き出したかと思えば、


「〈時間超越オーバー・アクセル〉」


 魔術を行使。瞬間、ルイズは弾丸がリエサに到達する前に背後に立っており、同時にナイフを振るっていた。

 ──そうだ。既にナイフは振るわれていた。もう、リエサの腹に突き刺さっていたのだ。


(見え⋯⋯なかった⋯⋯ッ!?)


 速いなんてものではない。目で追えなかったなんてものでもない。残像もなく、風圧もなく、全くの無音で、全くの衝撃なく、気がついた時には背後に立って、リエサを突き刺していた。

 有り得ない。体から一時的とはいえエネルギーを奪ったはずだ。どれほど元の身体能力が優れていようと、こんなスピードは引き出せない。


「愉しむには時間が必要なの。こんなもの、結果しか得られない魔術。そんなの人間らしくない。私は人間らしくありたい。だから、せめて殺す過程を欲した。せめて普通の殺人鬼として、私は人間だと自覚したかった」


 リエサには言っている意味が分からなかった。普通の殺人鬼とは何なのか。そも、殺人鬼である時点で異常だろう、と。

 そんなこと、考えている余裕なんてないのに。


「でも、哀しいわね。どれだけ殺す方法を、手段を、過程を、準備を、その結末がどうあるか想像しようと、本当の私からすれば全く面白くなかった。所詮は虚無だった。ただ⋯⋯殺したという結果のみが、私を満たしてくれる。それしか要らないし、それで充分。⋯⋯ね? 非人間的でしょう?」 


「ならなぜ私は今生きている。殺せていないぞ、ただの薄汚れた殺人鬼めが! 殺しを愉しんでおいて、人間らしい悩みを抱くな! それともあんたはそんな自分に酔いしれたいのか!?」


「アドバイスでもくれるかと思ってね。あなたは賢いようだし。わかってくれるかなって思ったの。珍しく本音で喋ったのだから。ただ、無意味だったようね」


 彼女は人間らしくありたかった。彼女は共感を求めた。理解を求めた。おそらく誰も、納得できるはずがないその異常な精神を。

 

「じゃあ、次はきちんと殺してあげる」


 魔術も何も使わず、ルイズはリエサの首にナイフの先を突き立て、そう言った。あとは前に突き出すだけで彼女は呆気なく死ぬだろう。


「殺して、あなたのこと殺して、心から勿体無いなと思いたいから」

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