第3話 金貨といのち

 よく知らせてくれましたと、細い声でアンは言い、謁見の間からフラリと出て行きました。

「アン様、どちらに?」

 侍女たちが慌てて尋ねた声から逃げるように、姫は部屋へ駆け込んでしまいます。


「アン様! いけません。おひとりにならないで下さいまし」

 アンが中から鍵をかけてしまったらしく、扉はびくともしません。

 部屋の中から胸がつぶれるような泣き声が聞こえてきたので、メイドたちは必死で扉を叩き続けました。


 そこに翠の騎士がやってきて、侍女たちを左右におしのけます。

 本来ならば若い男など、決して姫の寝室のそばへは寄せ付けないのですが、今はそんなことを言っていられませんでした。


「アン様、あけて下さい。さもなくば扉を破ります」

 低い声は、泣きじゃくるアンの耳に届かなかったのでしょう。男が容赦ない力で扉に体当たりした音で、ようやくアンの泣き声が止まりました。

「お願い……少しの間ほうっておいて」

「できません、あけて下さい」

「……イヤ」

 二度目の体当たりは更に強烈で、扉はひしゃげて内側に開きました。

 真っ赤な目をしているアンを、部屋に飛び込んだ侍女たちが抱きしめます。このまま彼女がこの世を儚んでしまうのではないかと心配していたのでした。


 ドアの内側に座り込んでしまった騎士に、メイドが言いました。

「助かりました。アン様には私たちがついております。客間でお休みください」

「無理です。最後の力を使い切って、腰が抜けました」

 メイドが数人がかりで手を引いても、力の抜けた男をひっぱりあげるのは簡単なことではありません。


 扉をやぶった騎士を、おそろしげに見つめていたアンは、ハッとして男の前に駆け寄りました。

「ごめんなさい、あなたは命がけで走って知らせてくれたのに。こんなところで、余計な力を使わせてしまって」

 侍女たちの方へふりむいて、言葉を続けます。

「家族の命が心配なのは、みんなも同じよね。私だけ取り乱して、ごめんなさい」

 アンがいつもの調子を取り戻すと、若いメイドがワッと泣きだしました。結婚したばかりの娘です。


「息子にも、もう会えないのかしら……」

 誰もが不安で、一人が泣くと涙は次々と伝染します。

 大丈夫きっと大丈夫だよと、励まし合ううちに、身を寄せあうヒナ鳥のように、ひと固まりになって眠ってしまいました。



 目を覚ましたアンは、クローゼットからドレスと宝石をねこそぎ取り出しました。

 姫君にしては、どちらの品もあまり多くありませんでしたが、彼女はキッパリと言います。

「ありったけの金品を差し出して、パナス軍の助命じょめいを乞いましょう」 


 戦乱を逃れるために、パナスに滞在していた古物商を呼んで見積もりをしてもらいました。

 パナス家は質実剛健を信条としていましたから、家財を全部売り払っても、あまりお金にはなりません。


「これで、お三方の命をというには、あまりにも……」

「三人だけじゃなく、パナスの民全員の命よ!」

「ひええ……」

 真剣な姫につめよられて、古物商は目を回しています。


 どこから聞き付けてきたのか、町の女たちも嫁入り道具の絹のハンカチや、宝石がついたスカーフ留めを持ち込んでくれました。

 しまいには結婚指輪から、へそくりの小銭一枚まで、出し惜しむ者はひとりもいませんでした。


 それでも「文句なく助かるでしょう」という金額には全然足りませんでしたが、アンが心を込めて書いた助命の嘆願たんがん書とともに荷物を満載した馬車は出発しました。

 姫の情熱にほだされた古物商が、オーニア王国との交渉役も請け負ってくれたのです。


 この様子を黙って見ていた騎士は「アン様は、お強い」とつぶやきました。まるで自分はそうではないと言うような口ぶりです。

「三日も走り通せるあなたほどじゃないわ」

 アンが微笑むと、緑色の瞳が横へそらされました。


「臆病者の卑怯な足です。褒めると後で悔やみますよ」

「あら、私誰かを褒めて後悔したことなんて一度も無いわ」

 騎士はひどく暗い声で、そうですかと言いました。

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