2話 何れを追う、戴天の狙いは1


 輪堂りんどう咲が山巓陵へと戻ったのは、天覧試合の本選に歓声が沸き立つ最中であった。


 各洲の精鋭たちが刃を交わす光景を脇に、山巓陵の奥へと回る。

 天覧の舞台から離れた山巓陵の螺鈿の間に満ちる、張り詰めた雰囲気。


 気後れする雰囲気の中、咲は深く一礼した。


「遅れました」

「呼びたてたのは、こちらの都合です。

 ――学院での仕儀は滞りありませんか」

「恙なく」


 広間へと膝行で進み、前方へと視線を巡らせる。


 奥座の三宮に混じる晶と、視線が交わる。

 頤が揺れるだけの首肯。それを皮切りにしたのか、月宮つきのみや周がおもむろに口を開いた。


「……先ず、天覧試合はどうなりましたか?」

「取り敢えず、誰もが試合の余興と思い込んでいるなら、止める方が下策かと。

 幼年の部が終わった切り替えに仕掛けられたのが、不幸中の幸いでした」


弓削ゆげ孤城は本選の為、この場を控えさせています。

 良人おっとが時間を稼いでくれていますので、四院八家の不在は誤魔化せるかと」

「ならば、舞台の混乱は彼に任せても?」

「過怠なく」


 軽く肩を竦めた藤森宮ふじのもりみや薫子が、眉間へと皺を寄せる。

 追従した陣楼院じんろういん滸の補足に周は安堵を浮かべ、序で厳しい視線を前列へと向けた。


 途端、広間に居合わせる誰もの視線が、この騒ぎを引き起こしたものへと集中する。


「さて。色々と仕出かしてくれましたが、善く高天原たかまがはらへお越しいただきました。

 ――真国ツォンマの使者であると、 、そう認識すればいいでしょうか?」

「はい。戴天家が継嗣、玲瑛と申します。

 天覧試合への乱入は、止む無き仕儀故にご容赦を」


 警戒も露わとする周へと、立ちあがった戴天玲瑛が深く抱拳礼を返した。

 場を騒がせたとしおらしい謝罪に、久我くが法理ほうりが腕を組む。


「仕儀と云うか、密議の隠れ蓑だろう。戴天家と云ったか? 天覧試合を盾に、真国ツォンマが何用か」

久我くが当主。互いに交渉の伝手が無いのは事実です。

 ――とは云えど、やってくれましたね」


 法理ほうりの浮かべる表面だけの不満を宥めながら、奇鳳院くほういん紫苑が玲瑛をんだ。

 薄く玲瑛が微笑むだけの不穏な雰囲気に、呼ばれた咲は父親へと声を潜める。


「お父さま、どういう事?」

真国ツォンマの使者を名乗る彼女たちが、余興を偽って堂々と天覧試合に乱入したんだ。

 ……中休みに退屈していた観客を煽ってくれたお陰で、晶くんが相手をしなければならなくなった」


 表舞台へ立つ事は控える輪堂りんどう孝三郎こうざぶろうでも、流石に面白くはないのだろう。

 薄く引き締めた唇から伝わる怒気に、咲は漸く状況を理解する事が出来た。


 密約とは、互いが対等な立場で交わすことが最低条件とされている。

 それは何であっても、約定を反故されないための保証と代替されるからだ。


 眼前の少女たちは天覧試合に乱入して武力を示す事で、己が対等な立場で臨む使者だと、暗に外堀から埋めたのだ。


 観客と一絡げにしても、そこには多く有力な華族たちも居合わせている。

 真国ツォンマは疎か、海外交易を制限している高天原たかまがはらまで前向きだと、好意的に受け止めさせられたのだ。


 出し抜かれた格好に、法理ほうりが頻りと顎を撫でる。


真国ツォンマとは没交渉となって長いが、真国ツォンマでの玲瑛殿の立場は如何ほどかな?」

「……戴天の継嗣。その家格を保証するだけで、充分に御国としては過分でしょう」

「その家名を知らんのだよ。貴殿を視て判るのは、随分と若輩の使者殿だと云うだけだ」


「――辺境の島は、随分と耳も疎くなったものだな」

 嘲る法理ほうりと玲瑛の応酬に、我慢ならなくなったのか鋒俊が口を差し込んだ。

「天帝の思し召しにはこれ、是のみ。真理を応えぬ愚かな貴様らに、先んじて我らが礼節を示すべきと、態々、師姐は足を運んだんだぞ」

「止めなさい、鋒俊。

 ――師弟シーディが失礼を。ですが、戴天家を知らぬとうそぶくは、宗主国に対してあるまじき態度と思いますが」


 鋒俊を窘める玲瑛もまた、ひるがえる視線は揺らぐことはなかった。

 立場の上下を固持する玲瑛へと、上座に座る玻璃院はりいん誉がわらい返す。


「……宗主国やらと、意向は別だろう?

 信顕天教しんけんてんきょうの姫君が、無断で海を越えてまで何の用件かって話さ」

「信顕天教?」

「太源真女が伝えたとされる、真国ツォンマ六教の一つだよ。

 南方奥地にある芳雨省に総本山を置く教義でね、戴天家はその宗家だ」

「天教と云う事は、神柱を奉じているんですか?

 ――伺う分に、高天原たかまがはらと同じ国政のように見受けられますが」


 滔々と説明する誉の言葉に、晶が首を傾げた。


 東巴大陸に覇を唱える真国ツォンマは、東西巴大陸に存在する国家でも最大の国力を誇る事で知られている。

 だが、交易の途絶えた高天原たかまがはらでは、生きた情報を知る者は途端に少なくなるのだ。

 真国ツォンマとは正に、晶たちにとって近くて遠い国家でもあった。


真国ツォンマの国体を模倣して、高天原たかまがはらの国体は成立したからね」


「太源真女は、民を纏めど統治はせず。――その代わりに真国ツォンマを治めるのが、大神柱の意志を体現したとされる真国ツォンマ六教です。彼女の言を信じるならば、六教の一つである信顕天教を統べる宗家の姫と云う事になりますね」

「宗家。また・・ですか?」


 誉の台詞の後を継いだ嗣穂つぐほの補足に、うんざりと晶が呟いた。


 半神半人は強大な戦力を有しているが、それ以上に、神柱とただ・・人を繋ぐ貴重な存在である。


 そのような存在を他国への侵攻程度に消耗するなど、判断としては狂気の沙汰に近い。


 ベネデッタ・カザリーニ。西巴大陸の再統合を目的として、希少な半神半人の派遣を繰り返してきた波国ヴァンスイールの方が異端の思考なのだ。


「そこが、真国ツォンマと他国が違う点ですね。太源真女とその眷属神の半神半人が、歴史の表舞台に立った例はありません。何しろ、太源真女の神域である崑崙コンロンは場所が秘されていますし、半神半人たちもそこから出た事がありませんから」

真国ツォンマ六教はそれぞれが龍穴一帯の自治権を有し、互いに牽制し合う関係性と聞いている。

 宗家と名乗っていても、戴天家の立場は神域の外殻を守る八家の立ち位置に近いんだ」


 眼前に座る玲瑛たちは、ただ・・人であると云う事。

 残るは、彼女たちが交渉に充分な資格を有しているかという点となるが、それ以上に見た目が若すぎた。


 軽く肩を竦めて月宮つきのみや周の言葉を補足し、誉は鋭く視線を玲瑛へと巡らせた。

 この歴史的事実を併せて考えれば、玲瑛の立場も確信に至れる。


「信顕天教が先んじて高天原たかまがはらと縒りを戻すなど、青道一帯東嶺省を支配する幽嶄魔教ゆうぜんまきょうが許可を下ろす事はない。

 向こうは論国と手を結んだらしいしね、高天原たかまがはらへとわたるのも相当に無理を重ねたはずだ」

「否定はしません。しかし東巴大陸の危急に手を拱きなど出来ませんでしたので。

 ……事の発端は、半年ほど前の事です」


 半年となると、去年の夏ごろ。

 確かに高天原たかまがはらでも、多く騒動の始まった時期だが、それらは滑瓢ぬらりひょんの百鬼夜行に関連したものであり、後の調査でも真国ツォンマの意図が絡んだ形跡はなかった筈だ。


「何かお間違えでは? 規模の大小は有れど、高天原たかまがはらは良くある騒動しか起きていませんが」

「そちらは被害が少なかったようですね? 当時ですが、前触れもなく東巴大陸の龍脈経路が切り替わったのです」

「「!」」


 次いで放たれた玲瑛の言葉に、晶たちは動揺を隠すだけで精一杯であった。

 龍脈を切り替える。――それに関してなら、晶には思い至る節が一つ。


 パーリジャータ。そう銘の与えられた28本14対からなる神器の権能は、如何なる流れも制御可能とし得る。


 龍脈の経路を潘国バラトゥシュへと繋げていた潘国バラトゥシュの神器は現在引き抜かれて、龍脈は真国ツォンマ青道チンタオに繋がっているはずであった


 アリアドネ聖教によって引き抜かれた時期も葉月8月なら、彼女の言葉と符合する。


「龍脈の経路が変わったならば、騒動も想像は付く。

 ――とはいえ、それらは風水を再計算すれば済む話の筈だろう?」


 要は、龍脈の上流と下流が切り替わっただけで、総量が変わった訳ではないのだ。

 寧ろ、潘国バラトゥシュからの侵攻の恐れが完全に無くなったのならば、長期的に見て利点さえあるとも云える。


 だからこの瞬間に至るまで、真国ツォンマの密使が訪れるまでになっていると想像すらしなかったのだ。


「……ええ。私たちも当初、それだけの軽い感覚しかありませんでした」

「その様子からすると、青道チンタオ租界に無視できない動きがあったかな。

 だけど、論国の行動原理は、資本主義と密接に絡んでいる。交易で充分な利益を得ている現状、論国に戦線拡大へ動く理由はなかったはずだけど」

「はい。論国でも、年々の戦費が嵩むにつれ厭戦の気運が高まっていると聞いています。

 ですが龍脈の切り替わった以降で、状況が一変しました」


 玲瑛も誉の言葉に同意を返し、胸元から折り畳まれた紙片を取り出した。

 複雑に連なる記号の連なり。それは、この場に居合わせた誰もが目にするのも初めてとなる、西巴大陸の術式であった。


「これは?」

「調査の名目で芳雨省へと忍び込んだ、潘国バラトゥシュ貿易会社が所持していた道具の術式を写したものです。詳細は省きますが、太極図に近い西巴大陸の道具だそうですね」


 太極図とは、風水の結果を出すために必要となる計算機である。

 結界の構築や龍脈の算出など、その用途が多い道具でも知られていた。


 論国としても、真国ツォンマ間との余計な摩擦は避けたいのが本音のはずだが。

 この道具を持ち込んだ理由が、一切不明なのが問題であった。


 龍脈を流れる霊力の総量が変わらない以上、論国にとっては結局、お門違いの問題でしかないからだ。


青道チンタオから離れた奥地の風穴を奪う旨味は少ない。だったら残る論国の目的は、調査の方だ」

 自然と、縺れた思考を整理すべく、晶が独白する。

「……要は、論国が龍脈の正確な位置を知ろうとしていると、戴天家は気付いたんだな」


「是。余程に焦っていたんでしょうね。

 ……理由は、」

「――龍脈が切り替わった時期に近いほど、正確な龍脈の交点が期待できるからか」


 玲瑛の言葉を待たず呟いた晶の言葉に、玲瑛を含めた全員の視線が集中した。

 晶の想像が正解であると、何よりも雄弁に告げる玲瑛の瞠目。


 月宮つきのみや周の問いが、代表して晶へと投げられる。


「夜劔当主。何か判ったのですか?」

「判ったと云うか、消去法です。以前勃発した青道チンタオ戦役の折り、論国は戦況を優位に進めていましたが、最終的には侵攻を断念したと」

「そうですね。太源真女の神域である崑崙コンロンの位置を、論国が把握できなかった事が原因です。

 青道チンタオに止めるならば、幽嶄魔教と相対するだけですが、崑崙コンロンの位置も判らず侵攻すれば、六教全てを相手に消耗戦を……そう云う事ですか」


 晶の消去法に気が付き、月宮つきのみや周も理解に肯いを返した。

 遅れて玻璃院はりいん誉や嗣穂つぐほも気が付いたのだろう、鋭く眼差しを玲瑛へと向ける。


「龍脈の経路が切り替わろうが、霊力の湧泉である龍穴の位置が変わる訳じゃない。

 切り替わる前後の龍脈経路が把握できれば、その交点の一つが崑崙コンロンになると論国は踏んだんだろうな」

「恐らくは。青道チンタオから芳雨省へと伸びる東巴大陸鉄道が、これまで以上に物資と人員を運び込んでいるのを確認しました。あれだけの物資を何処に隠しているのか、信顕天教でも意見が割れています。

 状況は高天原たかまがはらにとっても座視できないはず。真国ツォンマが陥落すれば、次は皆さんの番ですから」


 思った以上に差し迫った状況に、晶たちは視線を交わした。

 情報が少な過ぎるのだ。誰もが沈黙を選ぶ中、同行どうぎょう晴胤が嘆息で応じる。


「そうは云うが、嬢ちゃんたちは俺たちに何を願う心算つもりでぃ?

 云っちゃあ悪いが、高天原たかまがはら真国ツォンマの国力差は嬢ちゃんたちも良く知っているだろう」

「参戦は確かに。が、最悪でも信顕天教との同盟を結んでいただきたく望んでいます」

「ふん。幽嶄魔教と論国が手を結んでいるなら、信顕天教は高天原たかまがはらと昵懇だと見せかけたい訳かぃ。……随分と、此方に安売りを願う提案だろう」


「――安売り? どう云う意味ですか」


 古くより高天原たかまがはらの領海を護らんと立つ同行どうぎょう家。その当主へと、洲太守である義王院ぎおういん静美が視線を向けた。

 高天原たかまがはらで最も国外の事情に通じたつわものが、鬱蒼と熊に似た眼差しを上げる。


「論国が高天原たかまがはらと事を構える可能性は無いんでさぁ。向こうさんからすれば高天原たかまがはらは、侑国ウクサンストに対する金糸雀カナリア代わり。こんなちっぽけな島国程度は無視した方が得だ。

 ひるがえって嬢ちゃんの提案を呑めば、間違いなく侑国ウクサンストを刺激する」

「ああ。彼女の目的は要するに、高天原たかまがはらを挟んで侑国ウクサンストと論国が泥沼になってくれる事か」


「別にそのような事は期待していません。ですがそうなったとしても、宗主国の存亡を回避するため、従属国たる高天原たかまがはらにとって相応の出血は当然ではないかと」

「宗主国、ねぇ。真国ツォンマと縁が切れて、以来数百年か。

 ――当時の縁も、そちらの手出しが原因で切れたはずだがね」

「それは解釈違いでしょう。青道チンタオ戦役の際も高天原たかまがはらからの救援を期待したのに、一切が無い侭、土地が蚕食されたと記録に残っていますが」


「――それこそ解釈違いだろう」

 静かにみ合う玲瑛と同行どうぎょう晴胤へと、晶が静かに口を開いた。


同行どうぎょう当主殿。過去はさて置き、今後の話に戻った方が良いでしょう。

 先ず、状況整理だ。恐らくだけど、論国の目的は真国ツォンマじゃないぞ」

「どうしてそうお考えに?」

「論国は現在、潘国バラトゥシュへの侵攻が大詰めで、二方面作戦に食指を伸ばす余力はないからだよ。

 ……先刻、東巴大陸鉄道とか云っていたが、何処に伸びている?」

「鉄道の先は知りません。それこそ、資本元である潘国バラトゥシュ貿易株式会社が……あ」


 玲瑛が遅れて気付き、晶は嘆息でそれに応じた。

 論国が潘国バラトゥシュの侵攻に手間取っていたのも、真国と同じく大神柱の神域が不明だった理由からだ。


「パーリジャータが引き抜かれた事で、潘国バラトゥシュの神域が丸裸になったんだな。

 それで、論国が攻略に動いたんだ。

 ――戴天家と云ったな。夜劔家だけで良いなら、同盟を了承するがどうだ?」


 急速に大人び始めた少年の眼差しが、異国の少女の眼差しを真っ直ぐに見つめ返した。

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