余話 日々を是々、シャッターで彩って
明日は遂に4巻発売、販促用の余話です。
余話は、書籍版の裏側を基本的に書くようにしています。
本編とは殆ど絡みのない話、気軽に楽しんで頂ければ嬉しいです。
……とは云えど、
新文芸、ライトノベルに属する作品は初週売り上げが何よりも重要でして、こういったものも続編決定の判定に大きく寄与するものでもあります。
書籍版も3章の結、4章に渡って続投の判定が出ますよう、応援がいただければ嬉しく思います。
♢
――
雲一つない繁華の大通りは、相も変わる事なく行き交う人で賑わっていた。
茹だる残暑を避けるように、
――途端。
「――おい。この記事、担当した奴ぁ誰だ」
「表紙はまだ上がっちゃ無ぇのか。
耳朶を叩く喧騒。雑多に記者たちが座る机の群れを抜け、女性は勢いよく奥まった机の前に立った。
女性の立つ気配に、強面の巨漢が燻る紙煙草を指で揉み潰す。
「編集長」
「表記事どうした。
――おう、ドン子。戻ってきたか」
「……実家に居ても連れ回されるだけですし、
「観光か? 連れ出してくれるなぁ、良い親御さんじゃねぇか。
どうしたぃ? 親の居るうちが、孝行の時機だぞ」
「………………エエ、ソウデスネ」
だけ、だったら良かったのだが。
内実を知らない編集長の問いにきまり悪く、
連れ出された行き先が観光なら兎も角、子供の生まれた友人たちの嫁いだ家となれば話も別だ。
暑い中を曳き回された上、結婚の倖せを説く流れ。
――判を押したような流れを喰わされれば、予想していた純子であっても食傷を覚える。
文明開化も真っ只中のこの時代。女性の結婚適齢期は、精々が以て年齢20迄。
嫁き遅れた自覚はある
とはいえ、
「私の実家はどうでも良いでしょう。
――洲議様の御怒りは、もう解けたんですか?」
「安心しろ。奥さまの御実家で何かあったようでな、今は傾いた財政を立て直すために奔走しているらしい」
「はあ。それは好つ、……災難な事で。じゃあ、向こうは」
「さてな。だが、御実家で抱えていた陰陽連中が食い扶持を喪ったなぁ、確かだ。
――木っ端の記者に、何時までも僻みを覚えていられる余裕はない」
蒸れた
文鎮の下で原稿の端が風に泳ぐ中、編集長の野太い指が覚書代わりの反古を摘まんだ。
「何ですかこれ、玄生ってありますけど?」
「知らねぇのか。
「はぁ。……ああ、思い出しました。3区の支部長が着服しようとしたヤツでしょ。
確か検閲の対象になって、聞くも語るも御法度になったと」
茶けた藁半紙を覗き込んだ純子の眼差しが、怪訝と翳る。
同時に思い出させられた、検閲という忌まわしい響き。
――百鬼夜行の特ダネを接収された恨みは、彼女の記憶に未だ鮮やかであった。
「どうやら検閲から外れたらしくてな、面白可笑しく書き立てる分には問題ないとさ。
精々、与太を飛ばしてやれと、上から直々のお達しだ」
「旬は過ぎたけど一線だった
「真偽を問わねぇってなら、
どうした、欲しくないのか?」
「う…………」
純子の内実を見透かした上司の挑発に、純子の口が子供じみて尖る。
とは云え選択肢もそれほどなく、反抗気味に純子は編集長から覚書を奪い取った。
――どんな意図があろうとも、編集長がくれた収入の当ては素直に嬉しかった。
♢
カラン。喫茶店の扉を開けると、来客を報せる鈴が揺れる。
いらっしゃいませ。案内しようとする女給の傍ら、見知った女性の片手を上げる姿。
女学校時代以来の友人である
「純子、こっち」
「お待たせ
「何とか。
――貧乏暇なしで忙しいけれど、良い事だわ」
ばさり、がたり。年季の入ったキャリコ社のカメラを椅子の背に、純子は女学校時代からの友人となる
嵌め殺しの硝子窓の向こう、大通りを闊歩する雑踏の流れを見る。
旧来の友人たちを挟んだ卓上で、
氏子籤祇に縛られる
しかし
「
月俸が
「本当に噂止まりよ、それ。国家資格持ちの交換手なら、それだけ貰えるでしょうけれども」
「……薄っぺらい記者の
「ご愁傷様。それで、
――
お互い、腰を据えられるほどに余裕はない。
交わし合う嫌味も気安く柔らかに、
「えへへ。判る?」
「御自慢のカメラを見れば、ね。――知っているだろうけど、当たり障りのない事しか答えられないわよ」
「大丈夫、大丈夫。官憲に睨まれるような事は、訊かないから」
安請け合いにも見える軽い返事。手帳を取り出す純子に、大丈夫かなぁと苦笑だけ。
……実の処、
「玄生って老人について、些細な事で良いから全部教えて」
「やっぱりそれかぁ」
「検閲に引っ掛からないよう、真実を避けるために聞くだけよ。
内容が明後日だったら、三流雑誌なんて苦笑しか残さないわ」
予想の的中に、思わず漏れる呆れの吐息。
どう応えたものか思案しつつ、高級品の珈琲を一口だけ含む。
支部長と守備隊の蜜月を手始めに、央都陰陽省との妙な繋がり。
特に、玄生の銘押しを発端とした一連の不祥事は、遂に公安の報道規制が掛かるまでになっていた。
その雁字搦めの一部が解かれたのは、つい数日前。
「念のために聞くけど、この取材は上層部からの指示よね」
「うん。与太を飛ばせって、仮にも記者に云う台詞じゃないでしょうに」
「
その言葉に、純子は安物の豆鉛筆を唇へと当てた。
むぅ、と愛嬌の残る吐息に、沈黙が暫し2人の間を渡る。
「そうね。例えば、」
やおらに顔を上げた純子は、得意気に鉛筆を振り回した。
「謎の老人が齎した呪符! 万病を消し去った奇跡は、稀代の陰陽師か、はたまた神柱の使いによるものか」
「何それ。面白そうな見出しありきで、本当にでっち上げているじゃない」
「どうでも良いでしょ。――どうせ真実なんて、官憲も気にしていないんだし」
明後日に飛んだ内容を
――それこそ、公安が玄生の情報規制を解いた本音の1つであった。
玄生の回生符に対する強引な接収に、購入したものの洗い出し。
目的は果たせたものの、その
人の口に戸は立てられない。こうなってしまうと、
噂が消せないならば、採れる対処は1つ。
――つまり真偽も定かではない噂を以て、真実を塗り潰す。
「そこまで吹いちゃったら、却って老人は不味いんじゃない?
――例えば、老人に変装した青年だったとか」
「青年の背丈で老人に変装って、無理があるでしょ。だったらもっと幼くして、10歳くらいの少年が現実味も無くて良いかも」
「良いわね。だったら、玄生と云う少年が、幼くして故郷を逐われたがため……」
与太の方が咎められないと割り切れば、後は簡単であった。
ああでもないこうでもないと、
「できたぁ!」
――やがて、
最終的に出来上がった記事を、純子は満足気に読み上げた。
「年齢10となった玄生少年が、お家騒動の果てに老人に身を
故郷を逐われ明日をも知れぬ身で、糊口を凌ぐは如何なる想い故か――」
「焚き付けた私が云うのも何だけど、もう原型も無いじゃない。
作家にでもなったら? 三文芝居が専門だろうけど」
「与太記事だから赦されているの。
――ええと。玄生は類稀な陰陽師の適性をもった元華族の少年で、
「ここ最近の事件を解決しているとするなら、どうでも良い
、 、
「判っていますぅ。丁度、
眼前で仕立て上げられる突拍子もない記事に抵抗はあるが、
からり、からから。扇風機が風を起てる中、珈琲をもう一杯分は付き合ってやろうと硝子杯を口につけた。
♢
――数日後。
「…………それで?」
「いえ、あの。それで、と申されましても」
所属する雑誌社の奥まった一室。己の記事を前に、呼び出された純子は額へ汗を浮かべていた。
金一封かとにこにこしながら、釣られた純子を待っていたのは圧迫面接である。
何を責められているのか一切も判らないまま、涙目で己の記事を睨むだけ。
記事の内容は、取材を殆どしない出鱈目ばかりだ。
――せめて、もう少し記者らしく、取材しておいた方が良かったか。
机を挟んだ向こう側に座る洋装の男が、腕組みをしながら首を傾げた。
「随分と他人事だが、この記事は君が書いたんだろう?
稀代の少年陰陽師が、
――ふむ。
「えへへ。与太を書けとの御指示だったので」
与太を書けと云うから、出鱈目を気分よく書き連ねただけなのに、
ぽたり。表情の読めない相手の笑顔に、否応なく純子の額から汗が滴る。
「無論だよ、君。それで良かったんだ。
――で、どうしてこの事件を扱おうと? 駅の事件は解決しているし、
「あの、
……私が書いたのは
「ほほう。事件どころか噂にもなっていない出来事を、よく突き止めたものだ。
三流雑誌の記者だからと軽く見過ぎたかな。否早、自分も猛省せねばね」
くつくつと
その指先から弾きだされた名刺が、勢いよく純子の前へと滑る。
怪訝と受け取ったそれは所属から何から真っ白な、名前だけの空名刺。
「あの、 、これは?」
「普段は誰であっても渡さないが、名刺だよ。私は
覚えておいてくれ給え」
「す、すいません、気が利かなくて。
私は――」
話の終わりを嗅ぎ付けたのか、遅い自己紹介を口にしつつ純子は腰を浮かした。
純子の逃げ腰を掌で圧し止め、内実を知る公安の陰陽師は懐中時計で時間を確かめる。
「自己紹介は構わないが、もう少し付き合って貰う」
武藤元高の宣言に、非難とも抗議とも近い慨嘆が上がった。
うんざりとした表情の純子に構う事なく、机上の記事を指で突いてみせる。
「さて、当たり障りのない記事を考えるとしようか。
――お互いに、納得が充分にできるように、ね」
午後を少し回った辺り。
武藤にも純子にも、時間はまだ充分に余裕があった。
♢
TIPS:後年。雑誌社の書庫で発見された、没原稿より抜粋。
昨今ノ界隈ヲ何カト騒ガシタル、効力ノ高キ回生符。
ソノ一枚ヲ手掛ケタトサレテイル玄生ト云フ名ノ陰陽師ニ、本誌記者ハ突撃取材ヲ敢行シタ!
快ク応ジテクレタ氏ノ
――中略。
――中略。
己ノ過去ニツヒテ氏ハ頑ト口ヲ閉ザシ、尚モ語ル事ハ少ナカッタ。
然レド、昨今ノ活躍タルハ凄マジク、本誌記者ハ今後トモ追ッテイキタク――。
「編集長。へんしゅうちょお。お金子が、俸給が欲しいです。
頑張った結果がお叱りに無俸給なんて、あんまりじゃないですかぁ!」
「馬鹿野郎。周りが見ているじゃねぇか
――仕方が無ぇな。ちと遠出だが、央都まで取材に行くか? 出張経費を前倒しでくれてやる」
「へんしゅうちょお! 一生ついていきますぅっ」
……何故だろう。書けば書くほどドン子に共感しかない。
読んでいただきありがとうございます。
よろしければ、ブックマークと評価もお願いいたします。
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