余話 日々を是々、シャッターで彩って

 明日は遂に4巻発売、販促用の余話です。


 余話は、書籍版の裏側を基本的に書くようにしています。

 本編とは殆ど絡みのない話、気軽に楽しんで頂ければ嬉しいです。


 ……とは云えど、

 新文芸、ライトノベルに属する作品は初週売り上げが何よりも重要でして、こういったものも続編決定の判定に大きく寄与するものでもあります。


 書籍版も3章の結、4章に渡って続投の判定が出ますよう、応援がいただければ嬉しく思います。


 ♢


 ――葉月8月下旬、珠門洲しゅもんしゅう、洲都華蓮かれん


 雲一つない繁華の大通りは、相も変わる事なく行き交う人で賑わっていた。


 茹だる残暑を避けるように、高層建築ビルヂングの陰へと人が混みあう午後。そんな大通りの一角に建つ、三流雑誌社の扉が勢いよく開かれた。

 ――途端。煙草ヤニの饐えた臭いが、入室した女性の鼻腔を容赦なく刺す。


「――おい。この記事、担当した奴ぁ誰だ」

「表紙はまだ上がっちゃ無ぇのか。刷版所サッパンから催促が来てんだぞ!」


 耳朶を叩く喧騒。雑多に記者たちが座る机の群れを抜け、女性は勢いよく奥まった机の前に立った。

 女性の立つ気配に、強面の巨漢が燻る紙煙草を指で揉み潰す。


「編集長」

「表記事どうした。証拠集めウラドリは簡単に済むって云っていただろうがっ。

 ――おう、ドン子。戻ってきたか」

「……実家に居ても連れ回されるだけですし、華蓮かれんの方が落ち着くかなって」

「観光か? 連れ出してくれるなぁ、良い親御さんじゃねぇか。

 どうしたぃ? 親の居るうちが、孝行の時機だぞ」

「………………エエ、ソウデスネ」


 だけ、だったら良かったのだが。

 内実を知らない編集長の問いにきまり悪く、華蓮かれんへ戻ってきた稲富純子ドン子は真横へ視線を避けた。


 連れ出された行き先が観光なら兎も角、子供の生まれた友人たちの嫁いだ家となれば話も別だ。

 暑い中を曳き回された上、結婚の倖せを説く流れ。

 ――判を押したような流れを喰わされれば、予想していた純子であっても食傷を覚える。


 文明開化も真っ只中のこの時代。女性の結婚適齢期は、精々が以て年齢20迄。

 嫁き遅れた自覚はある純子年齢20華蓮かれんの帰還を決めるに、そう時間を要しなかった。


 とはいえ、鴨津おうつに出張した理由も、まだ解決していない。

 鴨津おうつに逃げた後の状況を、恐る恐る純子は編集長へ窺った。


「私の実家はどうでも良いでしょう。

 ――洲議様の御怒りは、もう解けたんですか?」

「安心しろ。奥さまの御実家で何かあったようでな、今は傾いた財政を立て直すために奔走しているらしい」

「はあ。それは好つ、……災難な事で。じゃあ、向こうは」

「さてな。だが、御実家で抱えていた陰陽連中が食い扶持を喪ったなぁ、確かだ。

 ――木っ端の記者に、何時までも僻みを覚えていられる余裕はない」


 蒸れた猪首いくびを掻く編集長の傍ら、最新式の扇風機がからりと起てる生温い風。

 文鎮の下で原稿の端が風に泳ぐ中、編集長の野太い指が覚書代わりの反古を摘まんだ。


「何ですかこれ、玄生ってありますけど?」

「知らねぇのか。

 文月7月か、その辺りで、呪符組合じゅふくみあいの支部が囲い込もうとしていた符術師だ」

「はぁ。……ああ、思い出しました。3区の支部長が着服しようとしたヤツでしょ。

 確か検閲の対象になって、聞くも語るも御法度になったと」


 茶けた藁半紙を覗き込んだ純子の眼差しが、怪訝と翳る。

 同時に思い出させられた、検閲という忌まわしい響き。


 ――百鬼夜行の特ダネを接収された恨みは、彼女の記憶に未だ鮮やかであった。


「どうやら検閲から外れたらしくてな、面白可笑しく書き立てる分には問題ないとさ。

 精々、与太を飛ばしてやれと、上から直々のお達しだ」

「旬は過ぎたけど一線だったヤツ情報を、私が追って良いんですか?」

「真偽を問わねぇってなら、手前ェドン子の勘を戻すのに丁度良い。

 どうした、欲しくないのか?」

「う…………」


 純子の内実を見透かした上司の挑発に、純子の口が子供じみて尖る。

 とは云え選択肢もそれほどなく、反抗気味に純子は編集長から覚書を奪い取った。


 鴨津おうつから出戻ったばかりの身、純子の懐具合は閑古鳥が犇くばかりである。

 ――どんな意図があろうとも、編集長がくれた収入の当ては素直に嬉しかった。


 ♢


 カラン。喫茶店の扉を開けると、来客を報せる鈴が揺れる。

 いらっしゃいませ。案内しようとする女給の傍ら、見知った女性の片手を上げる姿。


 女学校時代以来の友人である松笠まつがさ裕子ゆうこへと、純子も気安く応じて見せた。


「純子、こっち」

「お待たせ裕子ゆうこ。そっちの仕事は大丈夫なの?」

「何とか。

 ――貧乏暇なしで忙しいけれど、良い事だわ」


 ばさり、がたり。年季の入ったキャリコ社のカメラを椅子の背に、純子は女学校時代からの友人となる松笠まつがさ裕子ゆうこへ気遣いを向ける。

 呪符組合じゅふくみあいの受付嬢として忙しい親友は、接客とも違う和やかな笑みを返して見せた。


 嵌め殺しの硝子窓の向こう、大通りを闊歩する雑踏の流れを見る。

 旧来の友人たちを挟んだ卓上で、硝子杯コップの珈琲が僅かに揺れた。


 氏子籤祇に縛られる高天原たかまがはらいて、多くのものは故郷での生を選ぶ。

 しかし鴨津おうつから華蓮かれんへ職を求めるものは、口減らしのものを別にしても意外に多いのも、また世知辛い現実であった。


呪符組合じゅふくみあいの受付嬢なんて、電話の交換手と並ぶ花形職じゃない。

 月俸が20円20万円って、噂で聞いたけど」

「本当に噂止まりよ、それ。国家資格持ちの交換手なら、それだけ貰えるでしょうけれども」

「……薄っぺらい記者の茶封筒月俸を見てから云えたら、大したもんだわ」

「ご愁傷様。それで、

 ――鴨津おうつから帰ってきて、いきなり何が訊きたいの? 敏腕記者さん」


 お互い、腰を据えられるほどに余裕はない。

 交わし合う嫌味も気安く柔らかに、裕子ゆうこは本題を切り出した。


「えへへ。判る?」

「御自慢のカメラを見れば、ね。――知っているだろうけど、当たり障りのない事しか答えられないわよ」

「大丈夫、大丈夫。官憲に睨まれるような事は、訊かないから」


 安請け合いにも見える軽い返事。手帳を取り出す純子に、大丈夫かなぁと苦笑だけ。

 ……実の処、裕子ゆうこは純子の訊きたいことに想像がついていた。


「玄生って老人について、些細な事で良いから全部教えて」

「やっぱりそれかぁ」

「検閲に引っ掛からないよう、真実を避けるために聞くだけよ。

 内容が明後日だったら、三流雑誌なんて苦笑しか残さないわ」


 予想の的中に、思わず漏れる呆れの吐息。

 どう応えたものか思案しつつ、高級品の珈琲を一口だけ含む。


 支部長と守備隊の蜜月を手始めに、央都陰陽省との妙な繋がり。

 華蓮かれん呪符組合じゅふくみあいの第3支部は、他の支部よりも応えられない事項が多い。

 特に、玄生の銘押しを発端とした一連の不祥事は、遂に公安の報道規制が掛かるまでになっていた。


 その雁字搦めの一部が解かれたのは、つい数日前。三流雑誌カストリ本が一番手に乗り上げた理由は、公安の差配によるものだろう。


「念のために聞くけど、この取材は上層部からの指示よね」

「うん。与太を飛ばせって、仮にも記者に云う台詞じゃないでしょうに」

だから・・・、でしょ? ……因みに、見出しはどうする心算つもり?」


 その言葉に、純子は安物の豆鉛筆を唇へと当てた。

 むぅ、と愛嬌の残る吐息に、沈黙が暫し2人の間を渡る。


「そうね。例えば、」

 やおらに顔を上げた純子は、得意気に鉛筆を振り回した。

「謎の老人が齎した呪符! 万病を消し去った奇跡は、稀代の陰陽師か、はたまた神柱の使いによるものか」

「何それ。面白そうな見出しありきで、本当にでっち上げているじゃない」

「どうでも良いでしょ。――どうせ真実なんて、官憲も気にしていないんだし」


 明後日に飛んだ内容をのたまう純子に、裕子ゆうこも思わず笑う。

 ――それこそ、公安が玄生の情報規制を解いた本音の1つであった。


 玄生の回生符に対する強引な接収に、購入したものの洗い出し。

 呪符組合じゅふくみあいが陰陽省の直轄であるにも関わらず、玄生について奇鳳院くほういんは異例とも云える横槍を繰り返してきていた。


 目的は果たせたものの、その所為せいで、玄生の名前は隠しようもなく広まりつつあった。

 人の口に戸は立てられない。こうなってしまうと、奇鳳院くほういんですら制御は不可能であろう。


 噂が消せないならば、採れる対処は1つ。

 ――つまり真偽も定かではない噂を以て、真実を塗り潰す。


「そこまで吹いちゃったら、却って老人は不味いんじゃない?

 ――例えば、老人に変装した青年だったとか」

「青年の背丈で老人に変装って、無理があるでしょ。だったらもっと幼くして、10歳くらいの少年が現実味も無くて良いかも」

「良いわね。だったら、玄生と云う少年が、幼くして故郷を逐われたがため……」


 与太の方が咎められないと割り切れば、後は簡単であった。

 ああでもないこうでもないと、四半刻30分ばかり2人で与太を捏ね繰り返す。


「できたぁ!」


 ――やがて、

 最終的に出来上がった記事を、純子は満足気に読み上げた。


「年齢10となった玄生少年が、お家騒動の果てに老人に身をやつす。

 故郷を逐われ明日をも知れぬ身で、糊口を凌ぐは如何なる想い故か――」

「焚き付けた私が云うのも何だけど、もう原型も無いじゃない。

 作家にでもなったら? 三文芝居が専門だろうけど」

「与太記事だから赦されているの。

 ――ええと。玄生は類稀な陰陽師の適性をもった元華族の少年で、呪符組合じゅふくみあいに回生符を売って雌伏の時を過ごしているのね」

「ここ最近の事件を解決しているとするなら、どうでも良い事件ものを選びなさいよ。例えば、

 、 、華蓮かれん中央駅で爆発があったでしょ。事件性も無いって云うし、あれなら」

「判っていますぅ。丁度、護櫻ごおうさんにケガレが侵入してきた事があったの。

 華蓮かれん鴨津おうつじゃ関連も無いし、あの一件は誰も知らないから――」


 眼前で仕立て上げられる突拍子もない記事に抵抗はあるが、裕子ゆうこは呆れつつも協力する。

 からり、からから。扇風機が風を起てる中、珈琲をもう一杯分は付き合ってやろうと硝子杯を口につけた。


 ♢


 ――数日後。


「…………それで?」

「いえ、あの。それで、と申されましても」


 所属する雑誌社の奥まった一室。己の記事を前に、呼び出された純子は額へ汗を浮かべていた。

 金一封かとにこにこしながら、釣られた純子を待っていたのは圧迫面接である。

 何を責められているのか一切も判らないまま、涙目で己の記事を睨むだけ。


 記事の内容は、取材を殆どしない出鱈目ばかりだ。

 ――せめて、もう少し記者らしく、取材しておいた方が良かったか。


 机を挟んだ向こう側に座る洋装の男が、腕組みをしながら首を傾げた。


「随分と他人事だが、この記事は君が書いたんだろう?

 稀代の少年陰陽師が、華蓮かれん中央駅の瓦斯ガス爆発から始まった鴨津おうつでの護櫻ごおう襲撃を解決に導いたと。その名が玄生。

 ――ふむ。なかなか・・・・に能く書けている」

「えへへ。与太を書けとの御指示だったので」


 与太を書けと云うから、出鱈目を気分よく書き連ねただけなのに、

 ぽたり。表情の読めない相手の笑顔に、否応なく純子の額から汗が滴る。


「無論だよ、君。それで良かったんだ。

 ――で、どうしてこの事件を扱おうと? 駅の事件は解決しているし、護櫻ごおう襲撃は領主である久我くがさまの預かりだ。今更に掘り返したら、面倒な事になるだろう」

「あの、護櫻ごおうで襲撃があったなんて知らなかったんです。

 ……私が書いたのは護櫻ごおうケガレが襲ったってだけで、それだって噂に上がらなかったし」

「ほほう。事件どころか噂にもなっていない出来事を、よく突き止めたものだ。

 三流雑誌の記者だからと軽く見過ぎたかな。否早、自分も猛省せねばね」


 くつくつと咽喉のどの奥を鳴らし、洋装の男が狩猟帽ハンチングハットを机上に置いた。

 その指先から弾きだされた名刺が、勢いよく純子の前へと滑る。

 怪訝と受け取ったそれは所属から何から真っ白な、名前だけの空名刺。


「あの、 、これは?」

「普段は誰であっても渡さないが、名刺だよ。私は華蓮かれん警邏隊で警部補を拝命している、武藤元高と云う。

 覚えておいてくれ給え」

「す、すいません、気が利かなくて。

 私は――」


 話の終わりを嗅ぎ付けたのか、遅い自己紹介を口にしつつ純子は腰を浮かした。

 純子の逃げ腰を掌で圧し止め、内実を知る公安の陰陽師は懐中時計で時間を確かめる。


「自己紹介は構わないが、もう少し付き合って貰う」

 武藤元高の宣言に、非難とも抗議とも近い慨嘆が上がった。

 うんざりとした表情の純子に構う事なく、机上の記事を指で突いてみせる。


「さて、当たり障りのない記事を考えるとしようか。

 ――お互いに、納得が充分にできるように、ね」


 午後を少し回った辺り。

 武藤にも純子にも、時間はまだ充分に余裕があった。


 ♢


 TIPS:後年。雑誌社の書庫で発見された、没原稿より抜粋。


 華蓮かれんノ悪ヲ斬リ断ツハ、稀代ノ天才陰陽師カ!


 昨今ノ界隈ヲ何カト騒ガシタル、効力ノ高キ回生符。

 ソノ一枚ヲ手掛ケタトサレテイル玄生ト云フ名ノ陰陽師ニ、本誌記者ハ突撃取材ヲ敢行シタ!


 快ク応ジテクレタ氏ノかんばせ非常ひじゃうニ整イタルモノデ、何タル事カ年齢10ニモ届カヌ紅顔ノ少年デアッタ!


 ――中略。



 華蓮かれん中央駅ノ瓦斯がす爆発カラ始メ、鴨津おうつ護櫻ごおうケガレ襲撃ヲ独自ニ解決ヘト導イタルハ、偏ニ護国ト立タンガタメ。

 珠門洲しゅもんしゅうノ難ニ事アラバ、身一ツデアレ前ニ在リタヒト、氏ハ胸ヲ張ッタ。


 ――中略。


 己ノ過去ニツヒテ氏ハ頑ト口ヲ閉ザシ、尚モ語ル事ハ少ナカッタ。

 然レド、昨今ノ活躍タルハ凄マジク、本誌記者ハ今後トモ追ッテイキタク――。


「編集長。へんしゅうちょお。お金子が、俸給が欲しいです。

 頑張った結果がお叱りに無俸給なんて、あんまりじゃないですかぁ!」

「馬鹿野郎。周りが見ているじゃねぇか

 ――仕方が無ぇな。ちと遠出だが、央都まで取材に行くか? 出張経費を前倒しでくれてやる」

「へんしゅうちょお! 一生ついていきますぅっ」


……何故だろう。書けば書くほどドン子に共感しかない。


読んでいただきありがとうございます。

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