7話 向かい風、郷愁に追われ2

 晶たちの乗る蒸気機関車スチームロコモービルが領2つを越えた頃、雨は何時しか穏やかな風に僅かと混じるだけになっていた。


 ――キィキ、ギ、ギキィィ。

 鉄が軋み哭き、長旅を終えたその巨躯が緩やかに速度を落とす。

 駅構内へと進んだ車体は、やがてなだらかに停車した。


 熱量が息衝く機関部で、薄くしとついていた雨の跡が湯気と変わる。

 排気された水蒸気と煤が入り混じる中、多く乗客たちが客車から降りていった。


 カチ、カチリ。次々と切符へ鋏が落とされ、駅周囲まわりの宿に灯明が燈る。

 人の流れに一息を吐いた頃、晶と咲が改札を抜けた。


「水行で火行の精霊技奇鳳院流を行使するのは」

「火行の強みは浄滅よ、水行が模倣しても威力なんて生まれないわ」

「じゃあ、その逆なら」

「水行の特性が重質だし、火行とは求められる威力の方向性が違う。

 ねぇ。何度考えても、克つ精霊技せいれいぎで活かすなんて元々が矛盾しているわ」

「相生で行き詰っているなら。……って思ったんだけど」


 気配の去った構内を、うら寂しく風が吹き抜ける。

 駅の正面を堂々と歩み、晶は周囲を一瞥した。


 駅の正面に掲げられた杉板へ、墨痕鮮やかに描かれた廿楽つづら駅の表記。

 視界へ映る光景は、3年前に夕暮れを駆け抜けた記憶と変わるものは無かった。


「着想は悪くないわよ。だけど相克を当てにするのは、 、

 ――五月雨領さみだれりょうの領都なのに、廿楽つづら駅は随分と寂れているのね」

「初めての荒神堕ちに備えが無かったんじゃないか。

 収束したって聞いても、離散した住民が帰る勇気を持てるかは別の問題だし」


 両手の荷袋を下ろし、咲は静まり返った周囲を見渡す。

 八家の領都と相応しい、商店や材木の大店の並んだ大路。

 夕闇を過ぎれば人通りも薄くなるが、それでも通りには何処か寂れた印象が漂っていた。


「それなら荒れてもいそうだけれど」

「――夜半の往来制限が撤回されていないからですよ」


 咲の呟きに、背中へと応えが返る。

 咲が視線を巡らせる先。年齢20の後半あたりだろう男性が、瓦斯灯にぼやりと照らし出されていた。


「荒神堕ちは収束したといっても、瘴気溜まりが新たに湧かなくなっただけ。

 既に生まれた瘴気溜まりと百鬼夜行は、我々が浄化せねばなりませんから」

「……直利先生」


 どう応えたものか。言葉に詰まる晶に、教導であった男が柔らかな笑みを向けていた。

 暖気の湯気が昇る蒸気自動車へと、不破直利の案内で乗り込む。


 後部座席に納まる少年少女を待ち、運転席へ座った直利は車を緩やかに加速させた。

 満たされるのは蒸気自動車特有の騒音だけ、車内は静けさを保ったまま。


 ――やがて自動車の外が田圃の側路へと変わり、直利が沈黙を破った。


「そうそう。輪堂りんどう家の御息女、咲殿で宜しいでしょうか?」

「はい。であればそちらは、不破ふわ家の直利さまでお間違いなく」

「自分は不破ふわから半ば外れた身にて、敬称は不要です。――おっと」


 石を踏んだか、ガタリと大きく車体が揺れる。

 崩れた拍子に会話が途切れ、直利が晶へと声を向けた。


「晶くんも、 、華蓮かれんで無事にあったと聞いて安堵したよ。

 君の呪符が評判と伝聞で届いてね、正直、私も鼻が高い」

「直利先生から呪符を教わったお陰で、俺も日々を飢えることなく凌げました。……感謝しても、し足りません」


 それは重畳。晶からの返事は硬く、それでも直利は報われた想いに口元を綻ばせた。


 祖母である雨月房江と教導の不破ふわ直利から叩き込まれた呪符の知識は、間違いなく晶の財産で最大のものである。

 この知識があればこそ、どのような逆境でも晶に生き残る可能性があったのだから。


 やがて暮明の奥に、黒く連翹山の影が圧し掛かった。

 緊張に震える晶の拳へと、咲が軽く手の甲を触れ合う。


「想定はしているだろうけど、雨月当主の姿勢は変わらなかったと忠告しておくよ。

 ――それと後1つ。数日前から、屋敷に過客の気配がある」

「落ち目の雨月家に旨味なんて、無いんじゃないですか」

「私もそう思うが、どうやら価値を見つけた輩がいるようだ」


 咲が双眸を瞬かせるも、直利は頭を横に振った。


 陪臣の幾人かとは接触しているらしく、それとなく噂を聴いただけ。

 最低限の口止めがされているのか、詳細は訊けず仕舞いだったが。


「誰かな。思い当たるような華族はいないけど」

「さあ。此方に圧を掛けよう胎なら、それこそ勘違いも甚だしいだけだ」


 咲は記憶を一巡り、思い当たる節を諦める。晶も肩を竦めるだけ、視線を外へ遣った。

 連翹山の麓に差し掛かり、丁度、視界で鳥居が黒く過ぎる。


「――直利先生、停めていただけますか」

「雨月家が歓待を準備しているが。…………まぁ、良いか」


 少年の要請に僅かだけ躊躇いを残し、不破ふわ直利は軽く肯いを返した。


 雨月は晶を待たせたが、晶を待ったことは無い。

 ――精々が今日の数刻を待ち惚けるだけに、不満を募らせる資格もないだろう。


 静かな駆動音だけ残し、車体が停まる。

 晶が下りた先は丁度、五月雨領さみだれりょうで最大となる連翹神社の正面であった。


 肌寒く撫でる風。感情に抑揚も覚えることなく、咲と2人だけで参道を歩く。


 ここでも多くの思い出を覚えた。

 尋常小学校の帰り道。氏子籤祇の白い籤紙

 ――祖母と偶の散策で、咲き誇る連翹を眺めたこと。


「冷たっ」


 頬へ覚えた違和感に、咲が悲鳴混じりで呟く。

 触れた指先に残る、僅かな湿り気。


 天を仰ぐと、白く何かが舞っているのが見えた。


「何だろ?」

「雪虫。風に乗って飛ぶから、北部じゃそう呼ぶ。――吹雪の前触れって聞いたけど、そっちは眉唾かな」

「虫って風情があるの? 花の方が、華やかに聞こえるけど」

「風花って表現もあるけど、……普段からは聞かないな」


「そっちが良いよ」晶と共に、天を舞う粉雪を見上げる。

「――そっちの方が良い」


 木立から抜ける風に指先を泳がせ、晶は連翹の枯れた枝葉に触れた。


 かさり。揺れる乾いた感触は冷たく、春は遠いまま。

 連翹の参道は未だ、黄金に撓む気配すらなかった。


 追放に奔った3年前から、還ってきたこの時も結局、


「……俺は遠いままか」


 誰に聞かせる心算つもりも無く、晶の独白が寒風に乗る。

 ややあって踵を返した晶の指に、連翹が連れて残った。


 枯れて粉と散りそうな、脆い一枝。


「……うん」


 振り落とそうかと悩むも暫し、晶は思い直して袂へと放り込んだ。




 詳細を訊かれる事もなく、再び自動車が発車する。

 他愛なく言葉を交わすうち、やがて屋敷の手前を過ぎた。


「……君の呪符が完成していると、何時、気付いたんだい?」

「さあ。何時だったか忘れました」


 直利からの話題を素っ気なく切り捨て、屋敷手前の砂利道を眺めた。

 ――忘れていない。良く覚えている。今過ぎた砂利道で転倒した事も、悔しく虚しさに泣いた、その味さえも鮮明に。


 ただの話題だったか、直利もそうかと呟くだけ。

 最後の話題を惜しむように、蒸気自動車は短く制動の音を立てた。




 不破ふわ直利の合図一つ、雨月家の正門が重く音を響かせた。

 3年前は僅かだけであった正門が、大きく全て引き開けられる。


 ――その向こう。

 3年前の最期に夢想したそのままに、雨月一家が陪臣までも総揃いで立っていた。


「ふん。予定より数刻も待たせるとは、愚鈍は依然と変わらんらしいな」

「――あら、貴方。今かと待ち侘びていましたのに。ほほ。この目出度い日に、憎まれ口もないでしょう」

「そうだな。母も儂も、其方を案じていたぞ」


「………………」


 空疎に響く眼前の遣り取りに、晶からの応えは無い。


 両親を前にしての態度に、天山は拳を握り締めた。

 ――が、無能に言葉を尽くすだけ無駄と、大きく失望を吐くに留める。


「まぁ、善い。三宮よりの救済を無下にするほど、貴様も先が見えておらん訳では無かろう。

 大広間にて宴を用意させた。――付いて参れ」


 返る言葉は当然なく、期待もせぬまま天山は踵を返した。




 陪臣まで揃っている場で、神無かんな御坐みくらを持ち出さなかった。――晶に最低限の知性があった事実だけ、天山は感謝した。

 神無かんな御坐みくらに関する知識が赦されているのは、八家の当主と直系のみ。


 陪臣を場に揃わせれば、御坐みくらとして振舞う晶を制止することが出来るからだ。

 神無かんな御坐みくらと云う手札を殺せば、交渉の水は雨月に向けられる。


 この時点まで、天山の目論見は想定の通りに推移していた。


 天山たちが先導に立つ後。後背を歩む晶と咲へと、陪臣たちが笑顔で声を掛ける。


「否早、何と目出度い事か。

 我らの期待を一身に負うた雨月・・晶さまが、これほど御立派になられるとは」

「何を申すか。――儂は確信に及んでおりましたぞ。

 ――道場に足を運ばれました折り、儂が剣術のお相手を務めた由。覚えておられますか」

「あの頃は、龍魚の影に気も逸りましたが。何の何の、ここまでの大器であれば、其方などは見えておらずも当然よ」


 ――ははは。

 虚ろに周囲が笑いさんざめく中、無表情の晶と表情もかたい咲が奥へと歩く。

 中広間を過ぎた後、その場の全員は中庭を一望できる大広間へと辿り着いた。




 祝催や宴会を行う大広間は知っていても、晶に足を踏み入れた記憶がない。

 中広間と続き廊下であることさえ初めて知った事実。ただそれだけ、晶は微かな興味を直ぐに忘れた。


 蝋燭と電球が灯りを満たす中、天山が奥座に座り、陪臣たちも脇へ流れる。

 見る限り、陪臣たちの席順は中広間と変わりはない。


 そう視線を辿った晶は、眦の引き攣りを抑えることが出来なかった。


 ――天山の正面に2つ並ぶ、錦の座布団と朱塗りの食膳。

 奥座に最も近いそこは、重要な客人に与れる席次であった。


 繕われた体裁にも取り合わず、晶は渡り廊下の手前へと腰を下ろす。

 周囲から漏れる、戸惑う吐息。


 ……意図は明白あからさまだ。流石にここまで来たら、誰もが理解出来るだろう。

 そこは罪人が裁可を待つだけの、意思すら赦されない終端の座位置。

 晶が幼い頃、日常にあった中広間での席次であった。


 ♢


 ――最低限、華族としては扱ってやろうと、譲歩してやった儂の面目を潰す気か!


 晶に座られた本当の席次を目の当たりに、天山の拳は白く握り締められた。


 互いに面白くない交渉となるのは、雨月天山も理解はしている。

 正門で晶の反駁も薄く、不満であっても状況は理解しているのだと、安堵してやれば、

 ――直ぐにこれだ。


 しかも同じく肩を並べたのは、輪堂家八家第五位の息女。

 輪堂りんどう孝三郎こうざぶろうなら殊更の話題にしないだろうが、それでも苦情は覚悟しなければならない。


「一勝で付上がるとは、随分と野卑た輩に成り下がったようで」

「所詮は愚物よ。新たな八家と持て囃されて、礼節が追い付いていないのだろう」

「……そこも含めて、この酒匂が充分に教育してやりましょう」


 陪臣筆頭の酒匂甚兵衛が、膝行で耳打ちを寄越した。

 顰めた声に首肯を一つ、女中に手を振る。


 女中たちも戸惑いを余所に、取り敢えずは天山の指示を得て盆を運び始めた。


 ♢


 奥座から順に、食膳の上へ盆が置かれてゆく。

 栗と里芋の甘いあつものと鶫の味噌焼き。旬の彩りも豊かな馳走が、見るものの前で芳醇と湯気を立てた。


「はは。これは旨そうだ」

「雨月の佳き日よ。御当主様も、倉を空にするとは本気が窺えよう」


 囁きが細波と寄せ、天山の箸を皮切りにそれぞれが食事に箸を落とし始める。

 羹の甘い餡。焼かれた味噌と鳥肉の脂も香ばしく、陪臣たちの談笑を誘った。




 ――やがて談笑の合間、陪臣たちは視線だけ最下の席次を窺い始めた。

 ちらり、ちら。抑えきれずとも、好奇の視線が晶と咲を撫でる。


 晶たちへと置かれた朱塗りの食膳。その上で薫る湯気は、ただ冷めるだけに任せていた。


 華族の食事。特に饗宴のそれは、ただ腹を満たすだけのものでは無い。

 交渉の締結から、彼我の立場を示すため。


 示す意味は様々あれど、含むのはたった1点の事柄だ。


 ――華族として互いに不満はあっても、表面上は・・・・和解してやる。

 その意思表示を明瞭にする事こそ、この饗宴の目的であった。


「こ、」「――御当主」


 散々と雨月の面目を潰した上、泥を塗りたくる所作。

 激昂を浮かべるも、不破ふわ直利の制止に天山はようようと姿勢を正した。


 饗宴を御破算にすると、場を調ととのえた不破ふわ範頼の面目を天山自身が潰す事になる。

 雨月再起が、この瞬間にも掛かっているのだ


 震える咽喉のどで怒気を吐き、乱雑に手を振って視線を散らす。

 天山に出来るのは、最早それだけしかなかった。


 一画を除き、表面上は和やかに食事が進行する。次第に盃へと酒が注がれ、晶たちの前にも徳利を持った女中が立った。


「……雨月様。お注ぎいたします」


 盆には寂しく、乾くだけに任せた空の酒盃。

 脇の徳利に清水は満たされていたが、ここまで晶たちに手を付ける気配は無かった。


 視線を向けるでもなく、沈黙を貫く。

 咲も同様に、ただ時間が過ぎるだけに任せていた。


 あの。言葉を継がせようと、咽喉のどで詰まらせる。誰かと助力を求め、女中は天山へと視線を巡らせた。


 振られた手に明白あからさまな安堵を浮かべ、女中は急ぎ足で廊下へと消える。

 誰彼の距離が開く、――その時。晶が袂に手を差し込んだ。


 引き抜かれたその掌には、納まる程度の青い竹筒。

 ちゃぷ。揺れた拍子に水音を立てる。同じく切り詰めた竹の杯を取り出し、晶は中身を注いだ。


 大広間を満たす、甘く豊潤な芳香。

 その行為の意味に、理解は及んでいるのか。それでも晶は、躊躇う事なく杯の中身を呑み干した。


 少年の吐息へと混じる、朱金に薫る精霊光。


 華族の食事が表面上の和解だとすれば、無視を徹して己の食事を用意するのはその逆。

 ――それは最大限の侮辱だ。


 事、ここに至って理解も出来ないものは、此処ここに居らず。


 ――はは、は、 、は、 、 、………………。

 辛うじて残っていた談笑の波も、やがて息詰まる静寂へと変わった。


 贅を凝らした食事は最早、味を覚えることも無く。砂を噛むだけに過ぎて去る。

 ここまでくれば饗宴も、箸が往復するだけの作業と変わりはなかった。


 身も摘まされるような時間。――やがて雨月天山の盆が空になる頃、晶は漸くの一声を放った。


「それで? 茶番は終わりか、雨月天山」


 晶にとって、これは前座ですらない。

 ただ華族と勘違いしたものが、戯画の如く振舞うさま。

 ――つまらない演目を、時間の縁に潰すだけのものであった。




 連翹山に吹き抜ける風が、遠く重い雲を夜天へ広げていく。

 唸る風の響きに混じり天を散る雪虫は、やがて静かに勢いを増していった。

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