6話 竟宴に暮れ、心を語る
――どうしてこうなった。
常に腰を下ろしてきた山巓陵の畳は、己の窮状を余所に心地の良い感触を返すだけ。
――どうして。
自失の内に反問する言葉が、老人の思考だけで空回りをした。
佐門たちは、難度の高い交渉を仕掛けていた訳ではない。
政治に関心を寄せない三宮に代わり、旧家がその一切を執り仕切ろうと提案しただけだ。
それは、本来あるべきだった旧家の権利。先刻に挙げた提案も、三宮に当然の帰結を促してやっているとしか佐門は考えていなかった。
――抑々、山巓陵の中枢たる旧家が非ずして、神域の運営はどうするのか。
漸く思考が追い付き、はっとばかりに佐門は顔を上げた。
「
それは、これからも違うことは無く。我らの誠心を目障りと仰るならば、
――この佐門。清々と身を退く所存に御座います」
「そうですか」
僅かに興味を惹いたのか、
ここが先途と、佐門は大きく覚悟を決めた。
「されど旧家が退いた後、三宮だけで
我ら内府の要衝、易く替えの利く席には御座いませんぞ」
近衛は勿論の事、
これを丸ごと失脚させた場合、
この際、口だけで渡すと約束した近衛に
内府と、その長たる石蕗家さえ
国家と組織を守護する為なら、三宮は旧家に立場を譲らねばならない。
――云わばこれは、
「近衛任命の責を佐門が呑み込み、兼任しておりました近衛総代を退きましょう。
これまでの功績と併せ、それで三宮の方々には此度の仕儀を目過ごし願いたく。
汚名の返上は、
朗々と声を張り上げる佐門の背後で、風が鋭く吹いた。
精霊光は無論、気配すら纏う事なく。広間の端から駆け抜けた
「――黙って聞いておれば。要は近衛を好き放題に荒らした挙句、後始末も忘れて逃げるから赦せと云う事か。貴様の仕出かしを三宮方に支払えとは、随分な思い上がりよな」
「こ、のっ、狼藉は如何な故かっ。
老人が藻掻くも、抑えつける至心の剛腕は揺らがない。
青筋を立てた鋭い眼光が、虫けらの如く佐門を射抜いた。
「聴いていたとも、一切合切を漏らさずな。
約定か? 貴様の弄した弁舌では、綺麗に忘れ去られていたようだが?」
「何を戯言か! 儂が職を退いた後、貴様が席に座れば善かろうっ」
「放り投げるが約定と斉しいとは、石蕗の舌は良く踊るだけに随分と軽く見える」
「――そこまでです。これ以上の場を乱す事は罷りなしと、両名心得なさい」
「は」
佐門の醜態に倦んでいたのか、何処か投げやりに
佐門や至心とて表立つ意思は無く、距離を取って平伏した。
「石蕗。其方が永い間、内府の席を冷やしていた事を私が知らぬとでも?」
「何の謂れがあって、そのような邪推に至りましたか!」
「他洲を含め、出向と称して遊行三昧。此度の百鬼夜行が無くとも、其方を罷免する要素には事欠きませんでしたので。
他の旧家たちも似たり寄ったり。あれならば、いない方が内府も能く回るでしょうね」
「………………」
どれだけ反論しても、周の眼差しは揺らがない。
最初から己が詰んでいたと指摘を受け、佐門は沈黙を選んだ。
俯くだけの老爺を見限り、周は至心へと視線を変える。
三宮の頂点に立つ
「確か其方は、近衛総代の前任でしたか?」
「是に御座います。登殿が叶いますのは、10年振りになりましょうや」
「その辺りですか。……近衛と共に当主も退いたはずですが」
「は。此度の神嘗祭は、一味趣が違うと風の噂に聞きましてな。
――とまれ、央都に還ってから、百鬼夜行の惨状に胸を痛めておりましたが」
そうですか。至心の応えに、素気無く返る周の声。
意図の読めない声音から、至心は素早く思考を巡らせた。
残念だが、旧家の矜持は
挽回不可能では無いにしても、ここまで愚物が騒ぎ立てれば回復までにどれだけの時間が掛かるか、至心には想像もつかなかった。
最大の問題は、
――お陰で、
石蕗の失墜は小気味良いものだが、これでは
悩みどころに頭を伏せたまま、至心は視線を周の方へと向けた。
揺れる前髪の間隙から、物憂げな女性の視線が垣間見える。
何も期待を寄せない無機質なそれに、至心は旧家への関心が失墜したことを自覚した。
「此度の騒動。北面を与った旧家として、責任を以て引き取りたく存じます。
――宜しいか?」
「………………過怠なく」
五行結界に護られた央都に在っては、央都治安を一手に担っていた家系でもあった。
戦乱も遠く意義は薄れて久しいが、それでもその誇りと歴史を喪った訳ではない。
己自身も含め旧家の処分をつけると断じた至心へと、只管に興味も薄いまま、
完全に己を失した
抵抗する気力も無いのか、短い間に一層老いた後背が広間から去った
それでも油断なく、老人の姿が消える刹那までを見届け、至心は大きく息を吐いた。
広間の端で至心を待つ
「お疲れ様です、父上。
ですが宜しかったのですか? あれを追い詰めるのは、爾来の悲願であったはず」
「退き際を見誤るな、
疑問を返す己が息子に、至心は短く断じた。
脳裏に過ぎるのは、見下ろす
「三宮は最早、旧家を切り捨てるお
……恐らくは、儂らも同じ穴の狢と堕していただろうさ」
旧家としての権威を失っていた
「……
「は」
「控えさせていた陰陽師に通達を。……総ての小細工を破棄するぞ」
意図を察した
時勢が完全に決定した今、
一挙手一投足を見張られたまま、神嘗祭を大人しく過ごす事。そして、
――今回打ち込もうとしていた総ての謀略を、廃棄する事であった。
♢
3日間に渡る神嘗祭の最終日は恙なく、表彰や通達を正式に受けるだけ。
激動であった神嘗祭も
緊張するだけの2日間に漸く緩む機会が与えられ、巷間を渡る騒めく声は抑えきれるものでは無い。
「――さても、八家第一位が
「然り。
「旧家の排除も良き報せか。少しなりとも、風の通りは良くなろう」
「願うばかりですなぁ」
飛び交う噂は、雨月の失墜と旧家が大きく排除された事。
ここ最近の失態に不満を募らせていたのか、飛び交う噂は陰湿に慶ぶものが多い。
興奮も冷めやらず飛び交う声を耳に、晶は手にした盃へと視線を落とした。
揺れる透明な
「お疲れ様、晶くん」
「咲の方も。……決着は未だのようだけど」
穏やかな少女の声に気付けば、
父親に捕まって質問責めの最中を抜け出してきたのか、隠せない疲労感に大きく息を吐く。
「うん。……ラーヴァナを送り届けるのは、来年の春からだって」
「余裕が無いと云っていた割に、随分と悠長だよな」
晶の愚痴にはそれでも、誰かを責める響きは宿っていなかった。
咲も事情は理解しているのか、苦笑を浮かべるだけ。
文明開化の波は、西巴大陸に大きく依存している事は事実だ。
取り分け、その象徴とも云うべき蒸気機関は、自国での生産も難儀しているのが現状である。
要は海外へと赴こうにも、
その問題を解決したとしても、
――地理は勿論の事、政情すら定かではない土地に足を踏み入れるのは、危険以前の無謀な行為でしかなかった。
「――その解決のために、
にこやかな声が、晶たちの会話へと割り込んだ。
視線を巡らせるよりも早く、白い眼帯で両眼を覆った少女が正面に座る。
無礼講の場ではあるが、相手は気安く壇上から降りるべき相手ではない。
慌てて晶は、視線を周囲に巡らせた。
――しかし周囲は、我関せずと歓談に興じるだけ。
「隠形ですよ」感情の見えない苦笑を浮かべ、晶の仕草に察した亜矢が種を明かした。
「晶さまの行使する隠形には及ばないですが、それなりに派手な会話をしても大丈夫と自負しております」
それよりも、と亜矢は晶たちへ視線を戻す。
感情の窺えないまま、真剣味だけが増した。
「ラーヴァナを戻すためには
問題は
「……
「論国を始めとした西巴大陸に頼るのは、悪手に近いと見ています。
――恐らく、大陸との敵対的な交渉は避けられないでしょうし」
何時の間にか手にした盃を干し、甘く精霊光を口元から散らす。
酔いからか、艶めいた赤みが少女の頬に差した。
「晶さんや咲さんを秘密裏に
これを実用段階まで持って行くためには、西巴大陸の専門知識がどうしても必要となる。
ベネデッタ・カザリーニが提案してきた
それが三宮の用意した、晶たちの可能性であった。
「海軍設立の主導をしている
――でも、晶さんには丁度良いでしょう?」
晶たちの肯いを認め、口元だけにこやかに貴種の少女は立ち上がった。
巡らせる視線の先では、誰とも視線を合わさぬまま広間を後にする
「……気付いていたのですか」
「申し訳ありません。旧家を排除する事が最大目的でしたから、距離を置いていた
亜矢の口調に真摯な響きを認め、晶は首を振った。
余計な言質を与えぬままに2人が処分を免れたのは、誰にとっても予想外であった。
だが
「大丈夫です。旧家の威光が張りぼてにすらならないならば、
「それを理解しているならば、大丈夫ですね。
雨月への情報流出は、此方でしておきましょうか?」
目的も御見通しかと、晶は苦笑だけを浮かべて首を横に振った。
――実の処、晶は雨月を赦す気は一切無い。
昏い感情も圧し隠し、甘く見える提案を出した事もその一環。
晶の仕込んだ策を何処まで理解しているのか。双眸を隠した少女は、両の掌を合わせて微笑んだ。
機嫌も良さそうなまま、亜矢の背中が遠ざかる。
歩む少女を見送りながら、咲がぽつりと問いかけた。
「――それで」
「はい」
咲のそれは最終確認と云うよりも、晶の迷いを問うもの。
それでも晶の声は、真っ直ぐと返った。
「雨月の提案だけど、晶くんは何であんな甘い提案をしたの?」
「甘いですかね」
「当然じゃない。屋敷を掃除したら、春まで処分を待つって事でしょ。
――組し易いって、相手が勘違いするかも」
咲の想定は間違っていない。晶の知る限り、雨月は間違いなく晶の見せた隙に付け込むだろう。
だからこそ、この提案をしたのだ。
雨月天山はあれで、取り交わした条約を果たす事には定評がある。
それは晶が相手でも変わりなく。否、晶が相手であるからこそ、躍起になって果たそうとするはずだ。
「俺のお祖母さま。雨月房江は、最期まで刀自の座を空けようとしませんでした。
――俺を護るため、己の地位を代わりに貶め続けた」
雨月房江は雨月の外から嫁いだにも関わらず、雨月天山でも一歩を譲らざるを得ない権威を所有していた。
そして陰で叩かれようとも飄然と、晶に変わらぬ愛情を注いでくれた最初の一人。
祖母の死が近くなるにつれ、その権威からだれも見向きしなくなっていた。
きっとその墓は、荒れ放題に放置されているだろう。
屋敷の一帯には、雨月係累の墓も含まれる。
――だから、
「……この機会に俺も、落ち着いて墓参りくらいはしたかっただけですよ」
多くの心残りを清算した最後に、晶の帰郷が静かに近づいていた。
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