3話 明暗を指す、大斎の烏鷺5

 山巓陵にある螺鈿の間は、その名とは裏腹に酷く質素な広間であった。

 奥の間に設えられた化粧柱かざりばしらが一つ、寒々しい空間を彩るだけ。


 大綱を纏め終えた一同は、下座で首を垂れた天山と颯馬そうまを見遣った。

 表面上は興味も薄げに。だが、八家第一位の陥落を無関心とはいかず、巡る視線がちらほら窺える。


 ――こんな時でも、野心家はいるものか。


 久我法理八家第二位の挙措に眇めて、晶は何処か他人事に居住まいを正した。

 ――晶にとって、今回の神嘗祭はこれこそが本祭。


「――待たせたな、雨月。

 其方たちの処分を云い渡す」


 奥座に座る高御座が、脇息でしな垂れた。

 微笑みを残す口元に、翳るものは浮かんでいない。


 三宮四院に匹敵する歴史を誇る雨月家の衰亡も、神柱としての興味はそれほどに無いのだろうと如実に理解できる所作であった。


 視線で続きを促され、藤森宮ふじのもりみや薫子が静寂の中を立ち上がる。

 高天原たかまがはらの裁定権を司る女傑。司法としての決定に、天山と颯馬そうまの頭が一層に低く垂れた。


「先ずは義王院ぎおういん家より、雨月の醜行が訴状として上げられた。

 一つ、雨月家嫡男であった雨月晶を、不当な理由で放逐した由。

 二つ、義王院ぎおういん家との婚約条件を恣意に曲解し、欺かんとした由。

 以上。相違は無いか、雨月?」

「……御座います、藤森宮ふじのもりみやさま」


 改めて問われた内容に、天山の爪が畳を掻き毟る。

 窺えぬ感情に震えて、肺腑を絞るほどの囁きが跳ねるように応じた。


 実の処、螺鈿の間に至った時点で、罪状自体は確証が取られている。

 薫子が相違を問うたのは、ただの形式に過ぎないのだ。


 雨月家としてその流れを知らぬわけでも無かろうしと、薫子は小首を傾げた。

 とまれ雨月の罪状こそ確定であろうとも、反論の権利は赦されている。


 無言の促しを受けて、天山の口が開いた。


「一つ、雨月がそれを廃嫡・・したのは、正当な由があっての事。

 二つ、曲解と仰いますが、婚約時の条文に曲解の跡は御座いますでしょうか?」

「婚約の条文を検めた処、雨月嫡男との婚約を結ぶとの一文のみがしたためられた由。

 ――成る程。雨月晶との言及は、成されていないな」


 表情も変えない薫子の言を受け、伏せた天山の相貌に僅かな安堵が浮かんだ。


 半神半人の特性。神子である薫子も又、偽りを吐けない。

 それが故に飽く迄も、彼女は公正に罪状を測るしかないのだ。


 反論が赦されたこの瞬間だけは、雨月罪人ですら四院と立場を斉しくしている。


 之綱ゆきつなから伝えられた、神無かんな御坐みくらという雨月には無い基礎知識。

 雨月の信頼を取り戻すためにも、天山は此処ここを取り零す訳にはいかなかった。



「……義王院ぎおういん家より発言を」

「赦す」

「婚姻の条文に姓名を明記しないのは、礼節として当然の事。

 寧ろ、義王院ぎおういん預かりでもあった晶さまを、不当に扱ったことを第一にただすべきでは」


 くつ。緊張からか、天山の咽喉のどが奇妙に鳴る。

 半信半疑であったが、これで漸く之綱ゆきつなの助言が真実であると確信が取れた。


 他洲の、それも余り関りの無い真崎さねざき家の前当主が、何故、窮乏の際に在る雨月家に隠功を手向けるのかは謎のままだが。


 現時点で三宮、

 ――少なくとも藤森宮ふじのもりみや薫子は、雨月が神無かんな御坐みくらという口伝に辿り着いていると知らない。


 神無かんな御坐みくらという致命的な題目が、この裁可で挙げられない理由。

 雨月には最早、これらの知識は必要ないという判断からだ。


 それは、三宮が冒した糸ほどの細い隙。

 無知に残された最後の命綱を、天山は気付かれないように手繰り寄せた。


「不当と申されますが、雨月にとってあれが愚鈍であったのは紛れもない事実です。

 剣術の練達に遅く、呪符を修めるに疎く。挙句、多少の発破で挫ける有様。

 仮令たとえ、雨月でなくとも、追放は当然の処置に御座いま――」

「いやあ、いやぁ。年齢10で回生符を認めて雅号を得たと、八家第二位久我家であれば稀代の才と謳われるものを。

 それを尚も疎いとは。流石は八家第一位雨月家、求めるものの格が違う」


「そ、 、 、!」

「何。天山殿御自慢の至宝は、撃符を修めておられるとか。

 求められている上辺も、相応に知れたものでしょう」


 呵々カカいの首を撫で付け、久我くが法理ほうりが煽る。

 明白あからさまな当てつけに天山の反論が上がるも、弓削ゆげ孤城が反対側から笑顔で封じた。


「止めよ」

 埒が明かないと見たか、溜息を一つ。薫子が天山を睥睨した。

「然れど、其方らの言にも一理ある。――天山、申し開きはあるか」


「雨月の至らぬ部分、この場に至り預かり知らぬとはいかぬでしょう。

 斯くなる上は名誉挽回の機会を頂きたく、この天山、伏して奉る所存にて」

「……雨月の恢復に何を為すか、試みに問おう」

「三宮四院の皆さま方がこの無能を重用する旨、私めも理解を致しました。

 なればこそ、これを義王院ぎおういん家へと改めて上げるべく、雨月がもう一度教育し直して御覧めしましょう」


 雨月に責任は無く、無能を相応しい地位に押し上げるべく働く。

 いっそ傲然と放たれた厚顔な台詞に、広間の感情が熱を帯びた。


 騒めく広間に静める言葉も無く、薫子は思考を巡らせた。

 本音を云えば、此処ここまでは想定の範疇である。


 山巓陵へと踏み入るまで、雨月天山が神無かんな御坐みくらを知らなかったのは、確実であったからだ。

 なればこそこの裁可で、天山は晶の無能を抗弁の理由にするしかない。


 全て予定通り。

 ――しかし何故か、伏したままの相手の頬へ、嗤いに似た歪みが浮いている様を薫子は幻視した。

 嫌な想像を振り払い、薫子は改めて口を開く。


「却下する。其方の申し出は、ただ責任を摩り替えているだけだ」

「華族嫡男の挿げ替えは醜聞であれど、多くの華族が経験している事でもあります。

 厳密にこれを罰するとなれば、華族社会が成り立たなくなるでしょう。

 我らだけが責められるのは、納得がいきません」


「――確かに。其方の主張もその通りであろうさ」


 不意に、食い下がる天山の抗弁へと、高御座の媛君が口を開いた。

 興味の薄かったその視線に浮かぶ、僅かな好奇。


「護国を担うものを減らしかねない判断を、我らが直々に下すは少々不味い。

 しかし、其方たちの処遇を無かった事にする訳にもいくまい」


 巡る視線が、上座に近い朱華はねずの傍らに控える晶を捉える。

 交差する眼差しに、央洲おうしゅうの大神柱は肯いを返した。


「故にこの判断を、当事者である晶に委ねよう。

 ――雨月家に対して、其方はどのような処分を望むか」

「……畏れながら。俺は雨月に対し、最早、感情を持っていません。

 とは云えど、思う処が無い訳ではなく」


 雨月を好きにしろと云い放たれ、晶は逡巡を残して言葉を継いだ。

 晶が雨月に対し、改めて何かを思うことは無い。


 それは本音だ。

 自分を責めて、他人を責めて。それでも結局の真実。雨月が晶を捨てたように、晶も又、雨月を疾うの昔に置き去りにしていたのだから。


 3年前に追放された時、閉ざされた正門を見上げたあの瞬間に、どうしようもなく関係は断たれたのだ。

 だからこそ晶にとって、雨月へ求める処分はたった一つしかなかった。


「俺が願う処分は、3年前に雨月が俺に下した処分を己たちで引き受ける事。

 ――雨月家の郎党とこれ以降、顔を会わせないという確約です」


 その判断がどんな結末を引き起こすのか、充分に理解した上で晶は首を垂れた。


 一見して甘い判断に、静まり返る広間。

 天山もその一人。晶の愚断に救われたと、密かに胸を撫で下ろした。


 一旦は領地に戻り、周囲への助力を含め、暫くは大人しくする必要があるだろうが。

 先ずは、義王院ぎおういん家からこれ以上の譲歩を引き出すため、言葉を重ねなければなるまい。


 天山が思考を巡らせる中、薫子が裁可の締めを口にした。


「善かろう。晶の求めに応じ、雨月へ沙汰を下す」

「――は」

「年内までに雨月は郎党を率い、五月雨領さみだれりょうを退くよう。

 以降その方らは、華族として振舞う事を赦さぬ」

「お待ちください! 如何な料簡で、顔を会わさぬだけの処分がねじじ曲がりますか!?」


 予想だもしなかった処分に殊勝な態度も崩れ、天山が勢いよく首を上げた。

 必死を取り繕っただけの天山の眼差しを、冷徹な三宮四院八家が迎え撃つ。


 一際に輝く黒曜の嚇怒が無形の圧力に変わり、再び天山の頭を畳へと沈めた。


「が、ぁ」

「黙りゃ、雨月。

 ――其方たちは3年前、晶に何と云い渡したか忘れたか?」

「雨月から追放しただけに御座いましょう!」

「考えなしも極まったの。其方たちが揚々と嗤ったのであろう。

 五月雨領さみだれりょうからの追放と、國天洲こくてんしゅうで晶を見つけた際には追討すると」


 その総てを、晶はそっくりそのまま雨月家に返した形となる。


あれとても賛成じゃ。

 國天洲こくてんしゅうは晶も足を踏み入れる故な、その度に、思い上がった残り滓が過去を抉ってきても敵わん」

「それが五月雨領さみだれりょうに踏み入らねば、問題も無いはずでしょう」

「何故、罰したものが、罰せられたものに譲らねばならん。

 ――譲るのは其方の側よ」


 國天洲こくてんしゅうの大神柱が下した判断に、天山の視線が助けを求めて周囲を彷徨った。

 返る冷ややかな感情が、天山にその回答を告げる。


「妹の不満を寄せる訳にはいかぬ故な、壁樹洲は受け容れぬぞ」

伯道洲も、己が分を忘れた無能を寄せる関心は無い」


 つまらなそうな青く煌めく黒瞳と閉じられたままの金睛が、同じく冷徹に天山を穿った。

 援けの手が見る間に減った最後、朱華はねずの蒼い瞳と天山の視線が交差する。


「先に告げておくが、妾は寧ろ感謝しているぞ?

 其方のお陰で、妾は晶を見つけることが叶った故な」

「では!」


 一縷の望みを賭けた応えに、天山が勢い込んだ。

 追い込まれたその醜態を嘲笑い、朱華はねずはこれ見よがしに晶の腕を引き寄せる。


「――じゃが残念なことに、晶の住まう地が珠門洲ゆえの。

 其方たちに受け入れる場所は無い」


 その言葉に総ての希望が断たれ、天山は呆然と天井を見上げた。

 総ての洲で拒否され、雨月郎党に残された場所は一つ。


 山稜にある、洲境の僅かな土地。


 雨月の郎党は、厳選しても100人近く頭数を揃えている。

 その家族まで含めれば、頭数は数倍に跳ね上るだろう。


 そこまでの人数を抱えた状態では、北部の厳冬を乗り越える事は不可能だ。

 共倒れの続出も想像に難くない。


 ――漸く、思い出した。

 3年前に、心置きなく洲境で野垂れ死ねるよう、仕向けてやった天山の心尽くし。


 ――心安らかに死ねるよう、労を掛けてやったというに。恩を仇で返すなど、意趣返しの心算つもりか!


 昏く感情に任せた天山の眼光が、高御座の媛君を下から射抜いた。

 真崎さねざき之綱ゆきつなが齎した、策の前提は整っている。


 神無かんな御坐みくらという致命の条件を提示されないまま、晶という個人が八家第一位に対して処分を天秤の片方に乗せたこの状況。

 それも、三宮が見下ろし一時的にも立場が斉しくなるこの場で行われる意味。


 ――天山は既に、天秤の片方へと己の希望を乗せている。


「……高御座さま。神器、布津之淡が雨月の与りにある現在、雨月は未だ八家の座より降りていない。相違ありませんか?」

「然り」


 至極あっさりと、高御座からの肯いが返る。


「五行運行を守護する十干じっかんの大法。みずのえの要たる布津之淡が委ねられている間は、雨月が八家で相違ない」


 最後の確信を得て、天山は颯馬そうまへと視線を巡らせた。

 親子でのみ通じる無言の会話。緊張を残すも、颯馬そうまから力強い同意が返る。


 颯馬そうまの自信を追い風に、今一度、天山は矜持を奮い立たせた


「そこなが雨月当主に対し、八家の地位を要求していると見做します。

 ――神代契約に基づき、高御座の媛君に天覧試合の開催を申し奉りたく」

「忘れた戯けが神代契約を持ち出すとは。――誰が入れ知恵をした?」


 螺鈿の間が騒めく中、天山の言上に薫子が高御座の前へと立つ。

 良いように裁可を進めさせた真の狙いは、最後の瞬間にこの言葉を差し込むためと、薫子は漸く気が付いた。


「誰が、でも宜しかろう。

 高御座さま。八家の交代を目的とした本来の天覧試合、許可を頂けないでしょうか」


 ♢


 ―――明確に断言しよう。雨月颯馬そうまがどれだけ喰いつこうとも、決して神無かんな御坐みくらに敵いはしない。


 にたり。皺の捩れる老爺の口元が、そう言葉を紡いだ。

 颯馬そうまの力量がどれだけ桁を上回っていても、晶がどれだけ愚鈍であっても。最終的な勝敗の決定は晶のほうにある。


 実力云々ではない。例えるならば、世界に愛されている度合いが違うのだ。

 それこそ敵対して、晶に勝利する事は絶対に在り得ない


 ―――だからこそ、神代契約の陥穽を突く。


 神柱や半神半人は嘘を吐くことが出来ない。そのため、雁字搦めに陥らないよう、神代契約は隙間が多く作られているのだ。


 ラーヴァナは連戦によって神気を削り、晶に宿る朱華はねずの加護を神器で断ち切る手段に訴えた。

 だがその手段に訴える事は、頭数の少ない雨月には不可能だ。

 そもそも論、二番煎じを赦す相手だ等と、之綱ゆきつなは晶を安く評価していない。


 この土壇場に至って、雨月に残された手段はたった一つ。

 十干じっかんの大法。延いては五行運行を守護する、八家としての真の価値を最大限に利用する事。


 ―――三宮は間違いなく、余計な知恵を与えないように、神無かんな御坐みくらを秘匿して裁定に持ち込むはずだ。


 重要なのは、有利不利を覆す神無かんな御坐みくらの情報を裁定に乗せない事。

 ――そして、互いの要求を口にする事。


 薄氷を履むが如き条件は、総て整った。

 ちりばめた言霊を藤森宮ふじのもりみや薫子が結んだ現時点、彼女は偽りとしないために天覧試合を執り行うしかない。


 ―――神器を所有する八家は本来、その優勢が絶大なものになる。故に極限まで公平を期すため、天覧試合では基本的な有利を削る仕様になっている。


 これは、神無かんな御坐みくらであっても変わりはしない。

 高御座の膝元で行われる天覧試合は、神無かんな御坐みくらであっても勝敗は揺蕩うのだ。


 ―――後は貴様次第よ、雨月家。興を冷めさせてくれるなよ。


 ♢


「いいだろう」

 暫くの沈黙を破り、高御座の媛君が鷹揚に肯った。

「確かに、それは其方たちの権利で相違ない。

 ――久方振りの天覧試合を執り行う由。晶と雨月、双方とも異論は無いか」


 一堂に会したものたちの衣が、一斉に紗々と鳴る。

 同意の代わりに首を垂れた一同を睥睨し、高御座の媛君が薄く笑みを浮かべた。

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