1話 縁を断つ、斉しく夜の降る下で1
短くも永い
日向で笑う
相手は意識も向けなかっただろう。そもそも、廊下の脇に寄った相手のことなど、視界にも入れなかったに違いない。
――
――直前の成績で、
きっと、相手を理解する事も無かったはずだ。
だからこそ誰も見られぬ山中で、互いへの憎しみを吐き合う羽目に陥っているのだろう。
その行方は神柱も知らぬまま、決着の発端が夜闇の奥で落とされようとしていた。
「雨月、 、颯、馬ァァァッ!!」
「
突如として斬りかかった
晶に満ちる水気がうねり、鬩ぎ合う精霊力から大気が悲鳴を上げた。
「ちっ」
「――吼えてくれるなぁっ」
その重圧に競り負けたか、爆ぜる足元が拮抗の跡を残した。
障壁の崩壊が身体を浚い、堪らず晶は踏鞴を踏む。
次撃に構えた撃符が、剣指から
「くそっ」
「死ね!!」
悪罵を吐いた晶の脳天へと、
晶の手に精霊器は無い。
頼みとする
――畢竟、その果てに迎えた弟との戦闘で、晶に抗う術は殆ど残されていなかった。
悔恨を振り切り、新たな呪符を引き抜く。
「疾!」
刹那、精霊光が夜闇を彩った。
轟音を厭ったか、爆圧に紛れて
生まれた間合いは、僅かに2間。
稼げた貴重な二
「天を透れ――!!?」
神器を希う声。
瞬後。天に翳した晶の掌が、嘗て憶えのない重圧に弾かれ――。
破音が響き、夜天に儚く晶の集中が途切れた。
――
常よりそこに在り、仰げば誰もが目にする空そのもの。
その本質は、星辰と現世を隔てる距離だ。
如何な
当然にしてその重圧さは、他の神器のそれと隔絶している。
――知ろ示す天意そのもの、恣意の侭に振るうは赦されていなかった。
「獲ったり!」
「――させない!!」
がら空きの懐へ踏み込んだ
火撃符。轟音と共に爆ぜる紅蓮が木立を舐め、熱波が地表を浚う。
衝撃で2人の間合いが開き、その中央へと咲が立った。
熱波に煽られ、背中の家紋が大きく
――五角紋に竜胆一輪。特徴的なそれを目に、
「この狼藉は如何な料簡で? 雨月
「その家紋を見るに、
「――あ、こらっ」
興奮から普段の冷静さを失ったか、応える事なく
一瞬の隙に傍らを抜かれ、焦りも隠せず咲が叫んだ。
「待ちなさい!」
「
「浄滅? あのね、何か勘違いしているわよ!」
咲の引き留める声が背中を追うも、返る応えは無く。
次第に深みを増す夜闇の斜面を、滑り落ちるように晶は駆ける。
一歩遅れた
「逃げるだけか、
裏で這いずるなど、主家を誑かした貴様には似合いの所業だろうがな」
「何の話だ。云っておくがこの3年、貴様らの願い通り
「は、何を白々しい。
――大方、静美さまの御好意を嵩に着て、仕官の情けにありついたのだろうがっ」
吐き捨てる声をその場に残し、
地を踏み砕く足元で、迸る水気が波紋を刻んだ。
「!」
流離と軌跡を残し、刹那の内に晶の懐へと到達。
――鋭い視線が、晶の至近から再び射抜く。
脇構え。息を呑む晶を見据え、
「
その光景に晶は抗う叫びを残し、無手のまま精霊力を練り上げた。
錬磨された攻め足から飛斬の
その瞬間、晶の腕が抵抗と違和感に襲われた。
「ぐぅっ!?」
無手で
それでも
反動から呻き、晶の構えが完全に崩れる。
その隙を逃すことなく、迸る水気の凶刃が晶の喉元へ牙を剥いた。
「
――!!?」
必殺の確信が晶の薄皮一枚まで迫り、
――瞬後、
最も馴染み、最も錬磨された基礎の基礎。撃ち損じるなど、
有り得ない事態に、
甘く空薙ぐ
「「く、そぉぉぉっ」」
――同時に崩れる姿勢。
重なる苦鳴と諸共に、2人の身体が山間の底へと転げ落ちた。
――そうだ。今の俺は、水気か……!
本来、
回る視界の中、晶は漸く実感を得た。
一概に精霊力と評しても、その質は千差万別。
否。先刻に一度だけ、出来たはず。
天啓のように、晶はラーヴァナとの戦闘を思い出した。
ほぼ無意識とは云えあの
――考えろ。あの刹那とこの瞬間は、いったい何が違うのか。
転げ跳ねる身体を強引に立て直し、獣の如く四肢で慣性を耐える。
振り仰ぐ晶の視界へ、太刀を八相に構える
波濤打って雪崩れる、何処までも真っ直ぐな弟の斬断。
その切っ先に合わせ、晶は残る2枚の呪符を引き抜いた。
両手に象る剣指から、励起する精霊力が溢れる。
左に木撃符。――そして、右に火撃符。それぞれ違う五行が励起し、晶の左右で二振りの
一際に輝く水気の両断を、
水生木。
激突。軋む雷鳴の勢いは鋭くも、
「呪符で
「――話のっ、通じないっっ!」
飛び交う罵声もしかし、
行使する精霊力の差が、相生の優位までも覆しているのだ。
じりつく速度で、晶の喉元に敗北が迫る
「――速やかに野垂れ死ねと、父上が傾けて下さった心尽くし。その恩情を仇に、随分と陰で動いてくれたようだな!」
「……それで? 貴様の暴挙にどう落とし前を付ける算段だ。
百鬼夜行中に刃傷沙汰など、正気とも思えんぞ」
「どうせ
上から下へ。斬撃の勢いに踏み敗け、晶の足元に後退の気配が生まれた。
後少し。勝利の確信からか、
――僅かに覗いた、感情の隙間。
間髪逃さず、晶は右掌に用意した
木生火。膨れ上がる火気が、2人の至近で猛り上がる。
爆発、轟音。
晶の加護が、
黒の精霊光が視界で舞う中、晶は跳ねるように構えを取り戻した。
粗く
――ここは何処だ?
急斜が続いていた足元は、かなり緩くなだらかに変わっていた。
山中から麓へ下りた事だけは判るが、土地勘の無い晶に現在地の想像はつかない。
「随分と生き汚く執着するじゃないか。
――父上が貴様に手向けた下知、もう忘れたのか?」
「!」
――もし
忘れていない。晶を殺すと明言した、3年前の宣言。
「それが?
「雨月の恥が
僕が手ずから
「誰が!」
吐き合う悪罵を残し、晶は態勢を整えた。
何が足りないのか、神器は行使できない。呪符は尽き、
だが雨月を前にして、もう俯くだけの自分は考えたく無かった
攻め足から、徒手のまま拳を正中に構える。
間合いに渡る静寂。――瞬後、両者は一息に間合いを詰めた。
晶の裡で、水気は潤沢に渦を捲いている。
――それは事実だ。何よりも、尽きず溢れる
しかし、晶が水気の利用に叶うのは、そこまでが限界であった。
理由は単純。
これまで晶が正式に修めた門閥流派は、主として
目にしてきた
――皮肉な事に、晶にとって
数度視れば
現時点で晶は、莫大な水気を持て余すだけであった。
山肌も露わだった戦場は、何時しか雑木の合間を縫うように。
太刀と拳が、互いの間合いで夜気を
「勢ェイッ」「疾ッ」
互いに呼気を吐き、再び至近で睨み合う。
斬り上げる
晶の拳を太刀の鎬で流し、精霊光が爆ぜて散る。
雑木の陰に晶の身体が隠れ、
「
「吼えてろよ!」
立ち回りを雑木に制限され、
夜の向こうから返る晶の声に、眦を眇めて精霊力を練り上げた。
「貴様相手が味わう身分でなかろうが。
――光栄に思え、尊きの輝きをくれてやる」
闇に沈む木立へと、瑠璃の輝きが澄み渡る。
志尊の輝き。昇華した神気を、
幾条もの精霊光が解けて踊り、束ねて太刀に還る。
「くそ!」
「――
闇夜も静か、白銀が閃いた。
微風すら、
直後。吹き荒れる凍てつく暴風に、斬り飛ばされた雑木が宙を舞った。
既で回避した晶が、雑木に紛れて虚空を踊る。
「無茶苦茶だ、あいつ。莫迦みたいに強靭いぞ!」
弱いと思ったことは無い。『北辺の至宝』、そう謳われるだけの実力を持ち合わせている事は知っていた。
対峙する己の不甲斐なさに、天を仰ぐ。
広がる周天、
――ああ。
それを目の当たりに、晶の胃腑に少しだけ納得が落ちた。
♢
もう随分と麓が近かったのだろう。
雑木が弧を描いて一塊に、山を抜けて平地へと落ちた。
雪崩れる地響きと共に、茫漠と土煙が周囲を舐める。
立ち込めるそれから抜け出し、晶は咳き込みながら構えを直した。
騒めく声に、周囲を見渡す。
羽織を着た防人らしき少年たちが、遠巻きに晶へと視線を向ける光景。
激戦を語るかのように、鼻腔を突く血臭。
何処かの戦場。旗幟を求めて周囲を見渡す晶の背へ、唐突に影が落ちた。
―――
頭上から降る嚇怒。赤銅の肌から隆々と盛り上がる、暴力の権化。
――落ちる拳を寸前に躱し、その懐へと晶は踏み込んだ。
土地の精霊に助力を願う。
歓喜を返す木行の精霊を即座に統御。
激甚に跳ね上げられた身体能力任せに、晶は正中から拳を叩き込んだ。
―――
少年の見た目しかない晶の一撃に、しかし
ただの一撃で崩れ落ちる
暫くの静寂――。
「逃げ回る時間は終わりか、
「別に逃げた訳じゃ無ぇよ」
だが、背中に追いつく憎悪が、僅かな時間に終わりを告げた。
当然、晶もあれで撒けたと楽観していない。うんざりとした面持ちで、嘆息だけを相手に返した。
「警告しておく、
木行の精霊が大半を占める戦場。眼前が
――別に
うんざりとした晶の口調が挑発と見えたのか、
「今更になって命乞いか。
真逆、生成り一匹を下した程度で、僕と対等に渡り合えるとでも?」
「――真逆。雨月の嫡男が
「……云ったな、下郎。」
幾度となく下に見られ続けた晶にとって、稚拙なだけの応酬。
しかしそれは、
下に見られる経験が殆ど無かったのだろう。
激昂するまま、
その姿を見止め、晶は精霊力を静かに練り上げた。
手元に神器は無く、呪符も既に尽きている。
――だが、それで充分。
互いに呼気を吐き、2人は同時に間合いを詰めた。
「誅ェイッ」「疾ィッ」
先んじたのは
――その攻勢を充分に見極め、晶は相手に合わせて右手を振り抜いた
それまでと違い滑らかに、黒の精霊光が尾を曳いて飛斬を象る。
狙いは、
――
激突。生身には有り得ない硬質の手応えに、
驚愕に見開く
――いいや。
混乱する理性と裏腹に、
「お前、僕の
「感謝するよ、雨月
崩れる体勢を寸前で堪えた
「
「
晶にとって
だが、知らないなら学べば良い。
認め難くも、
その技量を観尽くして、この下らない諍いの内に修得する。
激昂する
――漸く
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