終 青は玄に憂い、白は朱を訝しむ2
――西部
神域、
聖廟と呼ばれる大広間の中央で、その女性は不意に視線を上げた。
向けられた先は、ただの虚空。
その傍に控える年齢10辺りの少女も女性の仕草を追って視線を向けてみるが、その瞳に映るのは天井に設えられた格子模様のみ。
「
「――
「? ――あっ」
返事を期待してのものではないのだろう。少女が首を傾げても応えずに、
そこには30手前だろうか、疲れた表情をした女性。
その姿を見止め、少女の表情が笑顔に綻んだ。
「
「
「はい!」
娘の笑顔に癒されはしたが、苦悩が消えるわけではない。溜息を漏らさんばかりの表情で、母親は
着物の襟に縫われた家紋が僅かに揺れる。
鷹の羽紋の俵を囲み、尾を噛む虎の三つ巴。
西部
「……ええ。水気の龍脈に不穏の影は差していましたが、遂に先日、瘴気が滲んだと」
「まあ、危うさはあったからのう。
「一時、堕ちかけましたが、
「成らば好い。
――此方は此方で動けば、自ずと吉が出よう」
伏せられた双眸はそのままに、
その姿は伏せられて覗くことの叶わない双眸を除き、髪の色から爪先までがその
年齢の頃は17・8辺りか。
優し気な相貌であるが、その実、一筋縄ではいかない性格をしていることを、この場に立つ2人は良く理解していた。
彼女こそは、西部
――
「……動く
「然り。
「では、
「そこまでは良い、時候の挨拶程度に止めておけ。
使者には一ヵ月の逗留と、洲都の確認だけを命じよ」
「何も気付かれていないと勘違いされかねませんが?」
使者を参じさせる目的は、大きく分けて2つある。
意思の疎通と、此方が何かを知っていると教える
釘差しの場合、もう少し派手に金子をばら撒かないと効果が薄れる可能性がある。
「それは無い。
我が動くほどならば、より深刻になるのは
向こうは陰陽師の絶対数が足りておらんからのう。元凶である
――先触れが読めぬなら、どれ、我が観てやろうか」
符易で良いかの。
赤、青、白、黒、最後に黄色。
色とりどりのそれを暫く掌に遊ばせてから
無造作に
「さて、配置は、
――む?」
「あら?」
ぱきっ。脆く微かな轢音と共に、黒と赤の木符が真っ二つにその断面を曝す。
覗き込む
「
「……さての。割れ方は瓜二つじゃから、無関係では無かろうが。
左の角を剥きあわせかけているところを観るに、女童が
「内乱ですか!?」
思わず
純白の姿に混じる
金色の虹彩。
「……そこまでは行っておらんよ。じゃが、放置をすれば
――割れたのは僅かに黒符が早い、原因は
「直ちに
静けさを取り戻した廟の中央で、思考に耽る
己が奉じる
だが易占とは、
つまり
「我が易占を揮うことが、そんなに不思議かの?」
疑問が視線に溢れていたのだろう。再びに伏せられた双眸を
「も、申し訳ありません」
「好い。
……
「はい」
「其方の思う通り、易占とは大神柱に神意を問う儀式である。
確かに我
――じゃが、他の神柱も関わるとなれば、前提が変わってくる」
白地に金の縁をした盃を手に、
白銀に輝く粒子が一条、その口元を棚引いて虚空に散る。
「神柱は偽りを口にできぬ。そして易占には必ず、応えを返さねばならぬ。
易占はの、難易を問わねば決して裏切れぬのじゃ」
「はい」
よく解らないまでも、曖昧なままに
その仕草までも
「く、ふふ。まぁ、其方も何れ解る。
――それよりも、気になるのは
一頻りに喉を鳴らし、
黄札がぽつりと、その先に一枚。
「落ちる位置に揺らぎが無い、他の符とも等間隔に離れておる」
「無関係なのでは?」
「
――よし」
思考に決着を得たのか、
「
――為らば、我は
――
年季の入った檜の板が、彼女の歩みに鶯を想起させる軋みを
キツキツ。小鳥と戯れる気分に、少女の口元は自然と綻んだ。
――と、
進む向こう側に壮齢の
歩む速度が小走りに、男性の下へと駆け寄る。
年齢の頃は30を超えたばかりか、未だ若さを残す男性の表情が
「
「――これは、
「ええ、後で伺います。
父上さまは暫くのご逗留ですか?」
「いえ。
「そうですか……」
滅多に逢えない父親との会話が直ぐに途切れ、残念そうに
その様子に苦笑を一つ、少女の頭を掻い繰りに撫で回した。
「……もう、私も10を数えたんですよ。流石に幼子扱いは止めてください」
「私にとっては、何時になっても子供です。
ですが10になられたとは、早いものですな。
「はい。――あ、そうだ。父上さまにお願いが有るのですが」
――昼餉に向かう途上にて、最初に逢うものへ命じよ。
滅多に逢えない娘からの、滅多にされないおねだりに父親である男性は目を瞬かせた。
しかし久方ぶりの我儘と、快諾に頷く。
「なんなりと――」
願いを受け入れてから、去ってゆく
それは、随分と奇妙な願い出であった。
「
少なくとも、未だ幼い娘が願うおねだりではないだろう。
しかし幸いにも、
「久方振りに顔を会わせたいものもいるしな、丁度いい機会だ」
その背に揺れるは、重ね花形車に撫子。
八家第三位、
――
♢
其処は、陽の光も差せぬ山間の奥底。
僅かに流れる瘴気を辿り、うねる闇が古木の合間を縫って泳いでいた。
―――ひた、ひた……ヒタ、
闇が総てを呑み込み静寂が生まれ、過ぎた後には何も変わらぬ薄暗い木立だけが残る。
―――
ただ闇に潜める
「収穫、収穫。
危ない橋を渡った甲斐があったというもの」
アンブロージオ。否、
神器の回収が叶わなかったことが心残りであるが、それはもう些細なことだ。
闇をしてあらゆる策を無為にされかねない鬼札だが、準備段階でその存在がどの神柱に囲われているのかを知れたのが僥倖であった。
それだけでも、
―――
闇が
――やがて闇の姿は、余人が姿を覗かせたことすらない山稜の奥へと辿り着いていた。
周囲に満ちるのは、正者に居場所と望ませぬほどに濃密な瘴気。
闇が目的としていたここは、周囲一帯でも最大の瘴気溜まりの深部であった。
その正体は
「ヒ。人界の薄汚れた瘴気の方が、心地も好いが。
――泥土に沈むかの如き濃密な瘴気、生き返るのう」
満足気に頷き、
明らかに
―――
「……久シイナ。御大将トハ」
巌が身動ぎをする度に、苔むした欠片がパラパラと地に崩れ落ちる。
そこに佇む巌の正体は、年降りた強大な
「おぉ、おぉ。此れは此れは、童子殿。
――息災であったかね?」
「見テノ通リダ。数百年モ経テバ、瘴気ノ淵コソ心地ガ良イト漸クニ理解シタ。
御大将コソ、如何ナ酔狂ダ?
「
そちらは既に花の時も過ぎて、収穫を
――お主、呆けが回っておらんか? 引き籠りも過ぎて、人語繰りが錆びついておるが」
「
御大将モ珍シイ、瘴気ノ澱ハ御身ニ合ワント云ッテタデアロウ」
確かに、妖魔が呆けとは。
自身が口にした的外れに、
「
――西巴大陸は、滅多に妖魔も出んほどに瘴気の淀みが薄い。
如何な儂でも瘴気に喘ぐほど、あちらは恩寵も瘴気もありつけぬ無味な光景が広がっておった」
「ホウ」
「神域が閉じる。
種蒔序でと
財貨が銃火にその身を代えて、欲望が船となって
序でに
しかし、遊びは思いがけない結果をくれた。
アンブロージオという名であったか? あれは随分と思いがけない結果を遺してくれた。
興味も薄れ始めた小者の名前に、それでも僅かな感謝と
「ソウ云エバ先日ニ生成リガ二匹消エタガ、御大将ノ仕業カ?」
「おお、確かに。南限で遊ぶ前に
間に合わせの頭数も揃えたかったのでな、
童子殿の気に掛けた個体かね?」
「成ッタバカリノ狂ッタ鬼ダ。
所構ワズ、噛ミツイテクレタダロウ?」
そうして暫くしてから尽きぬ話題に浸るも良いがと、
「――さて、本題に入ろうか。
「今世デノ勝チ目ハ無クナッタナ、御大将ハ雌伏ト眠ルカネ」
童子の驚きはそこまででも無かった。神柱が望む通り乱世の狭間に産まれるのは、
だが、如何に難敵であっても、彼らには年月と云う絶対の弱点が存在する。
劣勢を覆す
しかし、
「
時機とすれば、現在、此の時こそが最良なのだ。
蛇が突いて、
加えて
ここまでお膳立てが揃えば、今動かぬ理由が無くなる」
「フム」
それに、動かざるを得ない理由も生まれている。
「どうやら、命綱を看破したものがおるらしい。
――儂の信徒が総て奪われた」
「……嘘ノ神ノ吐イタ虚構ガ暴カレタカネ。
一筋縄デハイカヌナ」
『アリアドネ聖教』から『導きの聖教』を分派させ、教義ごと信仰を乗っ取る。
その信仰こそが、嘘を象とする
『導きの聖教』が潰された程度では、信仰は無くならない。
だがその絡繰りが看破され、一度でも教義に疑いが生じれば『導きの聖教』は崩れ去る。
何故ならば、疑いこそが信仰の毒であるからだ。
晶が看破した真実の剣は、正しく
「儂も余裕が無いのだよ、
夜行じゃ、夜行じゃ。百鬼夜行じゃ。
一
「――いやさ、
嘘を象とする悪神が、声高らかに次なる目的を謳った。
―――
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