8話 斜陽は沈み、狼よ牙を剝け2
痛い。
晶の思考は、その言葉一色に染まっていた
内腑を直に掻き回される激痛が、気絶する事すら赦さずに晶の意識を現実に繋ぎ止める。
「晶――!!」
咲の絶叫だけが、この地獄が現実なのだと教えてくれた。
その事実だけが、
「……実に不思議に思うのだがな」
その口調通りに色濃く疑問を滲ませながら、伏した晶に向けてサルヴァトーレが口を開いた。
「貴様たちにも
その左手に握られた、黒く鈍い鉄の反射。
短銃。西巴大陸で開発された火薬式の武器が、その口から
「地を生きる
……だが銃の台頭と同時に、西巴大陸で貴族の時代は終焉を告げた」
「は、あ、くぐぅ」
サルヴァトーレが垂れる能弁を聞き流し、晶は激痛に
少しでも相手の長広舌が踊ることを期待しつつ、身体の下に散らばった呪符に意識を向けた。
「精霊が宿主に与える加護には、どうしても弱点が存在する。
どんな
あと少し、あと少し。祈るような時間の中、回生符に伸ばした晶の指先が届く。
「――つまり加護に守られていたとしても、肉体が回避に追いつかなければ攻撃を受けるという
不意に耳元へと届いたサルヴァトーレの声に、呪符に触れていた晶の指先が緊張に凍った。
直後、晶の身体に無視できない衝撃が加わり、与えられた慣性のままに石畳を舐めて、晶の身体は崩れかけた土塀の向こう側へと大量の粉塵を巻き上げて消える。
「短銃の弾速は常人が反応できる速度ではない。つまり、上位精霊の加護であっても追いつくことは叶わないということだ」
晶を蹴り上げた足を戻しながら、サルヴァトーレは悠然と
「がぁっっ!!」
茫漠と立ち昇る土煙。
降りしきる土塀の破片に埋もれ行く中、触れていた呪符の感触は晶の指先から空しく消える。
「……
呪符と精霊力をぶつける剣技。当然、貴様らの戦い方は研究されつくされているとも。」
「
――それは、」
「……聖下のご意思に背くというのだろう?
案ずるな
「そう」
ほぅ。安堵から息を吐いて、ベネデッタは肩を撫で下ろした。
そのベネデッタの耳を、咲の悲痛な怒声が貫く。
「晶。逃げて――!」「いけません、咲さま!!」
猛る精霊力の後押しに弾かれて、
迫る咲を流し見はするが、余裕を浮かべたままサルヴァトーレは動きもしない。
悠然と佇むその姿に、咲の怒りに火が点る。
「退、、けぇぇぇっ!!」「――
怒気に焦がされた咲の叫びに、涼やかなベネデッタの詠唱が重なった。
エズカ
「!!」
舌打ちを残す余裕もない。
焦尽雛を
――精霊力を練り上げる暇もなかった。
一つ、二つ。精霊光と破砕音が幾重にも重なるが、焦りから崩れた咲の体勢で抗える限界は目に見えていた。
「くぅうっ!」
間断なく襲い来る輝きに呻きを残し、体勢を取り戻すべく後退に地を蹴る。
生まれた一瞬の隙は見逃されず、
――散り消えようとする精霊光を貫いて、追撃の輝きが一筋、咲へと向かう。
「!」
躱せない。胴体の真芯を捉えられた一撃に咲は確信を持った。
迎撃するならともかく、純粋に防御に特化した
防御を貫かれることは覚悟の上、僅かでも減衰を期待して有りっ丈の精霊力を
迫る杭の切っ先が激突する、その刹那――。
「――私が」「
追いついた
輝く杭が
「
諒太の叫びが、轢音を裂いて交差する。
「……っっ、大丈夫です!」
応じる声は爆炎の向こう側から、膨れ上がる威風が直後に
仄かに朱の差した精霊光の瞬きが
僅かな明滅が如何にも儚げと余人の目に映るが、その事実、硬さが群を抜いている事は音にも聴こえている。
その中でも特に防御に特化した
――
この
「咲さま、正道に立ち戻りください。
どうやら
「――ええ、そのようね。
取り乱してごめんなさい、巻き返しましょう」
「はい」
大きく
身体を呈して庇われたのだ、八家としても指揮権を預かるものとしてもこれ以上の無様を
行動不能に追い込んだとしても状況のわからない晶に警戒を残しているのか、サルヴァトーレには積極的に攻勢に移る
咲の迎撃にベネデッタのみが対応したのが、その証左であろう。
なら、ベネデッタの法術を捌きつつアレッサンドロを抑えれば、当面の形勢は取り戻せるはずである。
咲の不手際で、アレッサンドロとの距離が再び空いてしまっているのが痛い。
――否。アレッサンドロが移動していないその事実、もしかしたら咲たちにとっての好機なのかもしれない。
相手は象に付随する権能は
畢竟、アレッサンドロは壊れない盾を持っているだけに等しいと、容易く確信が持てた。
「……
時機は合わせるから、
「畏まりました。
――ご武運を」
焦尽雛を脇構えに、一
「攻勢が限られる私の方が組し易いと見たかね?
――だが、その意気や良し。受けて立とうではないか!」
「疾ィィィィッッ!!」
咲の矛先が戻ったことに、アレッサンドロの口元が挑発に煽る。
だが、面積の広い盾の形状に加えて、神器である以上不壊の特性を併せ持っているのだ。
完全に防御特化の神器。神域特性が行使できなくとも、護衛として立つアレッサンドロが持てば難攻不落の要塞と化す。
流れるように重心が前傾に移り、刀身に籠められた精霊力が叩き落す一撃に撃滅の威力を宿す。
繰り出されるのは、万人が想像する
激突。アレッサンドロの盾を両断する勢いで、焦尽雛の切っ先がその表面をなぞり落ちた。
異国の神柱が見せる不壊の奇跡に、突破する意思が火花と散らして軌跡を刻む。
――無傷。
「意気や良し。
だが、その程度で超えられると思われては心外だがね!」
「――まだまだぁっ!!」
当然のこと、その程度で超えられるなど露とも思っていない。
歯噛みに痺れる奥歯をさらに食い縛り、
広がる扇に似た軌跡が盾の表面に残火の衝撃を続けて打ち込むが、不動の権能も行使しているアレッサンドロの足元に、後退りの気配は
咲にとっての幸運は、アレッサンドロの装備が堅守のみを見据えているという事実であろう。
ほぼ全身を護る鎧に盾、取り回しを重視した戦槌は攻撃ではなく反撃を想定したそれ。
小回りの利かないアレッサンドロに対して、咲は機動性に一日の長がある。
それは、常に先手を取れる事実を意味しているのだ。
その優位性を絶対に奪われるわけにはいかない。決意を胸に、咲は精霊力を一層に猛らせる。
さらに斬撃を重ねて、アレッサンドロの護りを中心に誘導。
相手の姿勢を堅守に集中させてから、咲は焔の渦巻く切っ先を
「――
爆炎が幾重にも沸き立つ奔流となって、盾ごとアレッサンドロをその向こうへと覆い隠す。
――なるほど。ただ硬いだけの盾なら、私ごと焙り上げればいいと考えた訳か。
視界を覆いつくす熱波の只中で咲の思惑を推し量り、アレッサンドロが口元を笑みに歪めた。
狙いは悪くない。取り敢えずはそう賞賛してやろう。
――我々の思惑通りであるという事実、それを除けばの話だが。
神器の能力は大きく分けて、高出力の精霊器と神域特性に分けられる。
咲の推察通り、該当の神柱を信奉していないアレッサンドロに神域特性の行使こそ望めない。
――だが、莫大な精霊力を注ぎ込むことで神器に至る逸話の再現程度であるならば可能となるのだ。
その逸話通り、この盾は所有者の精霊力を対価として、敵の攻撃を
いかなる衝撃であろうと業火の熱波であろうと、アレッサンドロが後退を知る理由にはなりえない。
「
惜しむらくは、盾では
「……く、っうぅ」
吹き荒れる火焔を踏み躙ったアレッサンドロと迎え撃つ咲の双眸が、盾一枚を超えて鋭く交差した。
「経験の浅さが如実に出たな。
――盾にはこういった使い方もあるのだと、知っておくべきだったなっ!!」
――
アレッサンドロの巨躯が僅かに沈むと同時に、盾から放射された衝撃波が咲の身体を容易く撥ね飛ばす。
「ぅあっ!!」
「これで詰みだ――!?」
駄目押しの追撃に踏み出そうと前傾に構えたアレッサンドロは、宙を躍る咲の視線が未だ敗色に彩られていない事に気づいた。
児戯とばかりに容易く
己の直感を信じて、攻勢に移りかけていた体躯を守勢へと完全に引き戻し、
――その判断を待っていた。
「
「承知!」
撥ねられた勢いそのままに虚空を舞う咲の陰から弾かれるようにして、
その対抗策として、相手の防御が強固であればあるほどに威力を跳ね上げる
これは咲たちが識る中でも、最も特異なその一つ。
「――
その
薄緑の精霊力が半ば物質化を見せるほどに
「ぬうっ!!」
完全に守勢に押し込まれた巨躯が仇となり、小柄な
相手の選択肢を奪った
その切っ先が狙う先は、
――咲と同じアレッサンドロが持つ盾の中心。
「――
膨大な量の精霊力が植物と云わんばかりに石畳に根を張り巡らせ、成長に伸びる先が盾に激突した。
――
神器の盾と精霊力で構成された樹の穂先が、ガリガリと音を立てて互いに相食み合う。
「……ふ、ふ。驚いたよ、確かに強力な
とは云え、神器を陥落すほどではないみたいだが」
「ええ」
返事を期待していなかったアレッサンドロの独白に、それでも
「未だ、これからで
「な、」
その言葉を契機に、
間違いなくこの後のことを考えていないその勢いに、アレッサンドロの双眸が瞠目に見開かれた。
「にぃぃぃっっ!?」
盾の防御に拮抗する薄緑の精霊力がその表面を回り込み、
根に支えられた強靭な幹がじわりと素早くアレッサンドロの巨躯を持ち上げて、盾ごと虚空へと縫い留めた。
「トロヴァート卿!」
「問題ない! この規模の精霊力、どうせ直ぐにも力尽き――!?」
半ば物質化するほどの、植物を模した
アレッサンドロを中空に拘束する。確かに強力な技ではあるが、殺傷能力が皆無である上に効率が悪すぎる。
精霊力の枯渇からか、既に喘鳴の兆候すら見せ始めている
「――
その咲の姿に、アレッサンドロは己の敗北を直感的に悟った。
「――
猛る業火が
否。物質化するほどに高められた木行の精霊力を喰らい尽くしながら、
表面を渦巻く火焔の渦は、目に見えるだけのただの余波なのだ。
精霊力総てを灼熱の意思に換えた
盾の
「見事、、!!」
アレッサンドロが一
――
爆炎の花弁が、大輪の華として幾重にも同時に咲き誇る。
夜天の虚空に渦巻く灼熱が、アレッサンドロを残さずに呑み尽くした。
「ぐ、うぅぅ。ふ、ふふっ」
大量の漆喰と土の破片に埋もれて、晶は身動きも取れずに苦鳴を漏らした。
腹に穿たれた小さな弾痕からじわりと熱が抜けていく感触が、酷く空虚な心地よさとなって全身に広がっていく。
……その感覚すら、
敗けた。敗北の対価は死である。練兵であった頃からそれは当然の真理であり、其処に否やを唱える
だが、死に臨んだ今際の際、それでも晶は生き汚くも足掻くことに固執した。
僅かに動く右腕を必死に動かして腰の辺りを弄るが、目当ての呪符は蹴られた際に何処ぞに散らばったらしく指先は空虚に空振るばかり。
常備しておいた自作の回生符に望みを繋げようとするが、数日前にすべて売り払った事実を思い出して、そもそもの警戒を怠った自身の間抜けぶりにも嘆息が漏れた。
――これは、詰んだか?
追い込まれた自身の窮状に、万策尽きたと自嘲に口元を歪める。
その時、激痛に霞みかけた視界の端に、回生符の輪郭が仄かに
回生符! 必死に手を伸ばして、一欠片の降って湧いた希望を掴む。
その確かな感触に思わず笑みを零し、表を返して頬が強張った。
回生符に浮かび上がる玄生の文字。
これだけは
――晶や、
何時かに夢見た優しい少女に咲き誇る大輪の笑顔が、かつての
記憶に残る少女の残滓を振り払い、決意を胸に晶は回生符をその手に掴んだ。
ぷつ。音もなく手ごたえも僅かに、晶がしがみ付いていた郷愁の欠片は赤い霊糸と共に千切れ飛ぶ。
回生符に
死ねない。死ねるものか。
直後に怪我を慰撫し始める癒しの炎に、決意も新たに晶は拳を握った。
心地よい熱に、意識が刹那の休息を覚える。
――――……晶?
その響きが誰のものであったか。意識を巡らせるよりも早く、活力を取り戻した晶の身体が大きく身動ぎに震えた。
♢
TIPS:
相生関係にある玻璃院流と奇鳳院流。その相性の良さを利用して創られた精霊技。
強い。
だが、それ以上に恐ろしいのが、基本的に仲の悪い門閥流派同士が力を合わせなければいけないと云う、精神的な相性の悪さを完全に無視しているという事実であろうか。
これを修得した時点で、防人たちは一生、行使することはねーだろ確信しているとか。
因みに、開発した当事者たちは、これで少なくとも余所の3流派は敵じゃなくなるとほくそ笑んだ。
その後、実際に行使してみて、余りの不評に泣いたとか。何とか。
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