5話 戯れに歩幅を合わせ、他愛無く微笑みを

「待って、待って! 乗る、乗るから!」


「お待ちください、お嬢さま!」


 チンチン。路面電車トラムが出発の鐘を鳴らす。

 遅れまじとその後方から駆けてきたさきは、二歩、三歩と停留所の石框いしかまちを蹴り登り、その勢いのままに開け放された路面電車トラムはいり口に飛び込んだ。


「あ、とと。

――う、ひゃう!?」


「申し訳ありません、お嬢さま。

 少々、姿勢が厳しいので、もう少し中に入ってください」


「ご、ごめんなさい」


 現神降あらがみおろしを行使つかいもしていない現状では、咲の体力は鍛えている成人男性のやや上辺りといった処だ。


 路面電車トラムに追いついたは良いものの、走る勢いに耐えきる事が出来ずに姿勢がやや崩れかける。

 結果、一拍遅れて飛び込んできたあきらの胸元に背中と頭を預けてしまい、咲は吃驚に似た奇妙な声を上げる羽目となった。


 電車内の人影は少なく、見るからに身形みなりの良さそうな相手が数人、騒がしい若者たちの姿に迷惑めいわくそうな視線を向けている。

 しかし咲は、見るからに上位華族のお嬢さま。あからさまに不満を口にする訳でもなく、静かに視線は脇へと散っていった。


 これ以上、場を荒らす心算はない。

 晶と咲は肩を並べて、中ほどの空いている席に腰を下ろした。


――『導きの聖教』が占拠しているという廃村を訪れる予定を控えた前日、時刻は正午にやや早い巳の刻10時頃の事。


 久我くがの屋敷で所用を終えた咲と晶は、ベネデッタの招待に応じるために係留港に続いている路面電車トラムに大急ぎで飛び乗っていた。


「あの、咲お嬢さま。

 『アリアドネ聖教先方』と予定を摺り合わさなくて良かったのですか?」


「大丈夫よ。

 向こうも予定を合わす気なんて無いんだから、こっちも相手の予定を狂わせる気で行きましょう」


 招待に応じると云っても『アリアドネ聖教』の招きに承諾しただけで、正確な日時を返した訳では無い。


 予定の摺り合わせをしないのは、本来ならば、常識外れと謗られても文句の云えない行いだ。

しかし、晶へのベネデッタの接触も、本来ならば非常識の類ではあるのだ。


 内密な輪堂りんどうとの会談。ベネデッタの要請に咲が応じるのは、彼女にとっても信用に関わる危険がある。

 予定を狂わせるのは、その意趣返しの意図もあった。


「分かりました。

……しかし、輪堂りんどう家との会談なんて『アリアドネ聖教』に利益があるとも思えないんですが、先方は何を考えているんでしょう」


「それよね。多分、『内密な』って処が味噌ミソなんだと思う。

――付け焼き刃だけど、西巴大陸の連中がどういった手口で交易の手を広げてきたのか調べてきたわ」


 契約の名を借りた不平等条約。紙切れ一枚で他国に自身の旗を立て、風で旗が倒れたら大軍を以てその地を占有する。

 咲から告げられたその手口に、晶の表情がげんなりとしたものに移り変わっていった。


 詐欺というよりも、契約という表紙を整えただけの侵略行為。よく今まで高天原たかまがはらが無事だったなと変な形で感心もしてしまう。



――否、これは久我くが家が優秀だったのだろう。


 久我くが法理ほうりの優秀さは、先だっての会話で充分に晶の身に染みていた。

 諭国ロンダリアとの交易が過不足なく履行されているのは、偏に久我くが家歴代当主の契約調整能力が卓越しているからなのかもしれない。


「現在の西巴大陸は、潘国バラトゥシュ真国ツォンマに主な興味を持っていると聞いているわ。

 特に潘国バラトゥシュは悲惨の一言ね。西巴大陸の諸国が、鉱山欲しさに属領を切り分けているって」


高天原たかまがはらに手出しをしてくるのは、その延長とか……?」


「可能性は低くないわね。

 潘国バラトゥシュが一段落したから、大陸の食指が伸びてない高天原たかまがはらに一足早く手を伸ばした、って云うのは悪くない発想だと思う。

 特に波国ヴァンスイールは、宣教会が教義を根付かせるためにかなりの投資をしてきたはずだから、属国である諭国ロンダリアに手出しされる前にって予想は有り得るわね」


 咲から告げられた情報を元に、晶は自分なりに思考を整理してみた。


 波国ヴァンスイール、『アリアドネ聖教』の狙いは、西巴大陸での行いで鑑みても高天原たかまがはらの龍穴に狙いがあるのは間違い無いだろう。

 だが、大陸を東西に横断するほどの遠地にいきなり手を伸ばすのは、流石に無茶を通り過ぎて無謀の域のはずだ。


 そもそも、そうであったとしても咲との会談を望む理由にはならない。


久我くが家がどうにも動く心算つもりが無いから、別領に繋ぎを求めた……?」


「ええ。それか、会談を口実にわたしを戦争の口火にするか」


 物騒な言葉に、晶は瞼を瞬かせた。

 会談では無く戦争。随分と飛躍しすぎている考えと思えたからだ。


「……宣教会が真国ツォンマでやらかした手口を調べたわ。

 数年前、波国ヴァンスイールの領事館代わりであった教会を真国ツォンマの郎党が焼き討ちにした、と騒ぎ立てた事件があったの。

 その賠償として青道チンタオ領の属領化を主張し諭国ロンダリアが尻馬に乗っかって派兵を決めたのが、過去に有った青道チンタオ戦役の最初の理由よ」


 その結果、青道チンタオ真国ツォンマから切り離されて、高天原たかまがはらとその先に広がる大洋の連絡口になったのは有名な話だ。


 確かに晶たちが今から向かうのも、『アリアドネ聖教』が拠点としている教会。

 咲の言葉が否定できない程度に状況が似過ぎている、気を張るに越したことは無いだろう。


「会談を無視すれば宜しかったのでは?」


「その場合の対処くらいは向こうも考えているでしょ。

 一番怖いのは、私たちが与り知らない処で、知らないのに巻き込まれている状況。

――そうなる位なら、最初から巻き込まれていた方が安心できるじゃない」


「……はい」


 晶の持つ落陽らくよう柘榴ざくろと己の焼尽雛しょうじんびなに、咲は視線を巡らせた。

 『アリアドネ聖教』の手口は調べてある。

 使者でも何でもない咲に目的を据えた理由までは思考も及ばないが、咲の価値を考えると戦争の火種にするには充分な重みがあるはずだ。


 晶にも云い含めたが予想通りであるならば、これからの会談が穏やかに終わる可能性はかなり低い。

 最悪、戦闘になる覚悟も決めておかなければならないだろう。


「――まぁ、準備できる事は総てやったし、辛気臭い事はもう考えないようにしましょう。

 高宿の人に頼んで行楽弁当を用意して貰ったし、気分転換に観光がてら港で食べましょう」


「はい!」


 柿渋に染められた布包を持ち上げた咲は、そう悪戯っぽく微笑わらう。

 その笑みに深く考える事を止めて、晶は食欲から大きく首肯を返してみせた。




 路面電車トラムを降りてしばらく歩いた先に有る鴨津おうつ最大の係留港を一望できる防波堤には、三々五々、釣り人が糸を垂らす以外に余人の姿は視界に映らなかった。


 夜釣り用なのか設置してある石灯籠の脇に在る腰掛けに、先刻と同じく2人肩を並べて弁当の包みを広げる。


「はー。改めて見ると大きいですね」


 遠くに浮かぶ外つ国の帆船に視線が向き、晶は感嘆の声を上げた。

 晶とて男子おのこである。

 正直に云えば、異国の風を運んでくる艦船の威容に興味を惹かれない理由は無かった。


「やっぱり、船に興味ある?

――はい、お茶」


「――ありがとうございます」


 頷くも、子供っぽいと思われたらどうしよう等と、妙な気恥しさが晶を襲う。

 それを察したのか、咲は取り立てて追及することなく視線を弁当の彩りへと移す。


「どういたしまして。

 ねぇ。もう少し敬語じゃなくても良いわよ。

 晶くんは男なんだし、年齢も1歳1つ上だし」


「……それは勘弁願います。

 咲お嬢さま相手にそんな応対をすれば、阿僧祇あそうぎ隊長からどやされますんで」


「う~ん。

 阿僧祇あそうぎの叔父さまは、そんな事を気にする方じゃないわよ?

 もし云われたとしても、私が許可したと云えば大丈夫だけど」


 と云うか、咲としては是非ともそうして欲しいところである。

 何を考えているのか、輪堂孝三郎父親は晶への気遣いを頻りに念押ししてきた。

 そればかりか常にない勢いで、晶との間にわだかまりが無いように気を回したくらいだ。

 奇鳳院くほういんからの勅令も後押ししてか、咲としてももう少し・・・・砕けた関係で晶との距離を保っていたかった。


「八家のお嬢さまと肩を並べているだけで、俺としては望外の立場ですが」


「八家って云っても、私くらいになるとそこまで凄いものじゃないよ。

――はい、お握り」


「あ、ありがとうございます。

――その、お嬢さま」


「だって、兄1人に姉1人いるのよ。3人目なんて味噌っかすもいいところ。

――〆鯖しめサバに、焼いた鶏肉。ねぇ、どっちが欲しい?」


 老舗の仕出しか、随分と豪華な弁当だ。

 行儀が悪いと知りつつも弁当の彩りに目移りがして、うろうろと箸先が踊る。


「で、では〆鯖しめサバを。

――では無くて、その、お嬢さま」


「後は、……とりあえず箸休め。

――卯の花とお浸しはどっちが良い?」


「卯の花を。

……それで、よろしいでしょうか?」


「うん、食べよっか。……で、何?

――あ」


 そこでようやく咲は周りを見渡し、晶が気にしている現状を理解した。


 身を乗り出して、甲斐甲斐しく晶の食事の世話をする。その光景を第三者が見れば、どう印象を持つか。

 周囲で釣り糸を垂らしていた暇人たちが、揃い踏みで咲の方に視線を向けている。


 何とも云えない微笑ましいものを見るかのような、生暖かい視線。

 注目の的と化した咲は、余りの状況に理解を拒否して凍り付いた。


「……華族のお嬢さまってなぁ、随分と女房風がお好きなようですなあ」


「うなぁっ!?」


 最も近くに座っていた老爺の釣り人が、揶揄からかいに声を掛けてくる。

 客観的にはどう見られているのか、ある意味で的確な指摘に咲の頬にさっと朱が差した。


 気恥ずかしさから、晶も咲も揃って熱を帯びる頬を隠すように俯く。

 ははは。その様子からも気の合う恋人同士だと取られたのか、周囲に嫌味の無い笑いが沸き上がった。


「さ、咲お嬢さま」


「い、良いから食べましょう。

 せ、折角の行楽弁当なんだから、楽しまなきゃ損よ

――あ、美味しい」


 体の良い見世物と化した現実を振り払うために、咲は手にした握り飯に勢いよく齧り付いた。


 丁度いい塩加減に丁寧な梅干しの酸味。

 ぱらりと口腔に広がる米粒の味に、先ほどの気恥ずかしさも忘れて感嘆の声が咽喉のどから漏れる。


「ああ、美味いですね」


「うう。これ、私でも作れるかなぁ」


「流石にこれは玄人仕事でしょう。

咲お嬢さまは料理を?」


「当たり前でしょう。……天領てんりょう学院だって女学部の本業は花嫁修業よ。

――ちょ、一寸ちょっとだけ苦手だけど」


 視線を逸らして、後半は口籠くごもった。

 本音を云えば、咲にとって料理は最も苦手な分野である。


 武家の娘として生まれた咲は、何よりも先に薙刀の振るい方を教わったのだ。

だから当然だろうと自己弁護してみるが、何とも情けない後味の悪さしか残らなかった。


「晶くんは料理できるの?」


「はい。味噌汁に焼き魚、煮もの程度は一通り」


「そ、そう、……」


 そりゃあそうだ。男であろうと子供であろうと、包丁扱いは長屋の一人暮らしに求められる必須技能に違いない。

 話題を逸らすための問い返しだったのに、その結果、咲は更なる敗北感を味わった。


 誤魔化したところで、料理に負け戦を味わうのは女性として恥でしかない。


――華蓮かれんに戻ったら、セツ子さんに料理を教わろう。


 最近、つとに料理に誘うセツ子の顔を思い出す。

 内心で密かにそう決意を固め、咲はこれ以上を考える事を止めた。




「――そう云えば、晶くん」


「何でしょうか?」


 弁当も食べ終わり、2人で肩を並べて穏やかに流れる時間を楽しむ。

 そんな中、咲がふと晶に声を掛けた。


 晶が視線を向けると、やや真剣みを帯びた咲の眼差しが晶を射抜く。


「今日の朝の鍛錬、随分と身体が固かったって峯松みねまつ隊長が心配してたわ。

――何かあったの?」


「…………俺、そんなに判りやすいですかね?」


 咲の問いに、晶は咄嗟に返す言葉を持てなかった。

 はぐらかそうと口調を明るくしてみるが、咲の視線は揺らぐことは無い。


 ややあって、晶は降参とばかりに肩を落とした。


「……俺自身の今後の事です。

 俺は、このままで良いんでしょうか?」


「良いって、……良いんじゃない?

 嗣穂つぐほさまも私も、晶くんに不満なんかないわよ」


「そうでは無くて……」

 華族である咲には、きっとこの悩みを理解も出来ないだろう。

 口にしながらも、晶はれた確信を抱いた。

「俺自身の、戦う理由がないんです。

 俺は、衛士になりたかった訳でも戦いたかった訳でもない。

 お祖母さまに願われた通り、華蓮かれんの片隅で生きる赦しが欲しかっただけです」


――生きるんだよ、晶。そうすれば、お前が精霊無しである理由は、きっといつか判る筈だよ……。


 死の間際に祖母が願った最後の一息。

 その言葉があればこそ、晶はただ息を吐いて吸う惨めな日々を甘受できた。


 俯いて地面を眺める日々。路傍みちばたかつえるいぬ畜生の如き、練兵として生き永らえてきた理由そのもの。


 生命の安寧を望んでも、晶はその先を想像したことすらなかったのだ。

 皮肉にも、晶は望んだ全てを得たが故に、自分がこれからを生きる理由そのものを喪ってしまっていた。


 さざ波が寄せて砕ける優しい音だけが、暫し2人の間を支配した。

 晶の感情を理解することは、正直、咲には難しかった。


 立場が違う。価値観が違う。

――何よりも、彼女は生に執着をしたことは無い。


「うん、確かに晶くんの悩みは分からないかな」

 だからこそ、晶の本音に正直に応えるしかなかった。

「――けど、晶くんのお祖母さまが望んだのって、晶くんが生きる・・・・・・・ってこと・・・・?」


「え?」


「私は晶くんのお祖母さまを知らないけど、伺う分には随分と華族っぽい考え方の人ね。

そんな方が、単純に生きろなんて云わない気がするの」


それはただの勘だ。

だが、晶から漏れ聞こえる雨月房江の人柄は、短絡的な結論だけを求めていないような、そんな確信を咲に抱かせた。


 困惑に黙り込む晶の視線を、覗き込むようにして無理やりに自分の視線と合わせる。

 真摯な咲の視線が、晶の感情を揺さぶる。


「晶くんは戦う理由が無いって云ってたけど、多分、忘れているだけじゃない?

――思い出して。お祖母さまは、なんて云ってたの?」


「それは……」


――…………んと……し……………………。


 記憶のとばりの向こうで、祖母の声が幻聴こえた気がした。




 ぼぉぉぉお。港を発つであろう帆船の霧笛が、2人の時間を我に返らせる。

 吐息が睫毛を揺らさんばかりに、お互いの距離が近い。


「あ……」


「も、申し訳ありませんっっ!!」


 幾ら片方が平民と云っても、未婚の男女が近づいていい距離ではない。

 弾かれるようにして、2人の距離が腰掛けの端と端へ離れた。


 埋め火に照りだされたかのように、顔が熱い。

 互いの頬が耳まで朱に染まるお互いの様相に、自然、顔を見合わせて苦笑いが浮かぶ。


「お、お嬢さま、そろそろ行きましょうか」


「う、うん。そうね、あまり遅くなるのも駄目だしね」


 己たちの感情を誤魔化すように、ぎくしゃくと2人は言葉を紡いだ。


 肩を並べて立ち上がり、そのまま歩幅を揃えて防波堤を後にする。

 夏の陽炎に2人の姿が滲んで消え、


――その後背には、晴れやかな微風がわたっているかのように見えた。


 ♢


TIPS:青道戦役について。

 青道戦役は、この都市を西巴大陸の監督下に置くために引き起こされた戦争。


 真国東端に位置する青道チンタオは、その先に広がる大洋への玄関口として整備されてきた歴史がある。

 開戦の発端については諸説あるものの、結果として青道が属領となった事実だけは明確である。

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