余話 冷えたシャッターに、語る日を待つ
2023年2月10日、拙作が書籍として日の目を見ることができた際の、発売記念の特別更新です。
本編には一切絡まない物語なので、気軽に読んでいただければ嬉しく思います。
時系列としては、一章の百鬼夜行の裏で起きていた一幕になります。
特別更新、一話目です。
♢
仄暗く瘴気が流れる住宅街の通りを、
殺意に満ちた急きる獣息が、赫く濁る
それは遠く高い場所から見下ろせば、天を流れる川
その多くは
疾走り去る
「ふびゅう……。
も、嫌ぁ。これが終わったら、
瓦屋根は意外に滑りやすく、
草履なら兎も角、革靴を履いて上るなど自殺行為でしかない。
屋根に上って
べちゃり。年頃の娘とも思えない痴態を晒しながら、蟹か蜘蛛のごとく手足を這わせて身体の位置を変える。
耳元で編んだ三つ編みが揺れ、風に飛ばされないように
「絶対さ。
今度こそ、絶、対、さ、辞めちゃるんじゃ!」
悪罵というには迫力に欠けるそれを吐き捨てながら、
年齢20になったばかりの
瘴気に中てられたか、ちりりと音を立てて視界の端で三つ編みが撚れる。
澱んだ微風が
♢
「へ?
記者として2年前に上京した
「……ああ、そうだ。
そろそろだろうと噂の端には上っていたがな、遂に神託が下りたとかで守備隊は上へ下への大騒ぎだ。
襲撃は22時。もう少ししたら、俺たちにも避難勧告が寄せられるはずだから準備しておけ」
「避難するんですね」
「……ドン子、
「記者です」
何を当たり前なと云わんばかりの
「百年に一度の特ダネを前にして記者が逃げるたぁ、どういう料簡してんだ!
だから何時まで経っても、鈍臭ぇドン子のまんまなんだ」
「え!? で、でも、私、
「んな事ぁ知っている!! 怪異は館波見川の下流から侵入するから、そこで
――決着は上流だと、守備隊の本部に詰めている友人からタレこみがあった。だから、下流の戦闘で号外を刷って、上流の決戦で本誌の見出しを飾る予定で行く!」
完全に、総動員体制で取材に当たれと云われた事に驚きつつ、
今まで男の記者に隠れて、助手しかやらせて貰えなかったのだ。初めての単独取材に浮き立ちながら、取材道具を肩に掛ける。
「上流の場所取りに行ってきます!」
「おい。待て、ドン子」
「へ?」
意気揚々と雑誌社の出入り口へ足を向けた
折角の意気を挫かれ、僅かに口の端を尖らせて振り返る。
だが喉奥に堪る不満も、編集長の厳つい髭面が視界の入った途端に萎れたが。
「……何でしょうか?」
「
「え、えぇっ!? そんな後生ですよ、編集長! あたしだって、百鬼夜行を追いたいのに」
「上流も下流も、お前より上手の記者に割り当ててんだ。
「ズルいっ!!」
だがそれも、百戦錬磨の相手にとってはどこ吹く風か、追い打ちの一睨みに
落胆に下がる肩へと鞄を掛けて、言葉も少なく
♢
というか元々、
雑誌の煽り文句として載っていた、
ほぼ身一つで
当初、彼女は
しかしながら、三つ編みに度の強い眼鏡姿の
……主に見た目で、という事実が悲しいところだが。
女性にとっては裏方の、だが取材の最前線たる記者陣に放り込まれたのは宜なるかな、
とは云えど、折角にありつけた職である。
余り深く考えないままに、彼女は雑誌社の新米記者として走り回る事になった。
……それでも、不満は募るものだ。
♢
本音ぶっちゃけると、自分だって特ダネで一発、当てたいのである。
だって都会は何かとお金が掛かるし、
ボッ。マグネシウムの燃焼音と共に、闇に沈む路地が青白く切り取られた。
―――
刹那の灯りに蠢く
焼き付いた
眼下で
「――ええやん、許可なんぞ無くてもさ。中流で怪異を撮れば、
言い訳めいた独白は、自らが悪いと認めているようなものだが。
その事実から思考を逃して、
怪異を刺激しないためなのか、中流域周辺に人の気配は感じられない。
何処かに避難しているのか、それとも家屋の奥に立て籠っているのか。
その静けさを幸いに、
「
泣き言を口から漏らしながら、未だ熱を帯びるマグネシウムの灰を払う。
過ぎていく
及び腰であったが、膝から立って屋上の一番高いところから周囲を見渡してみる。
予想通り、目端の利く記者たちは上流に詰めているのか、視界を巡らせる範囲に別の記者が見えることは無かった。
――どの雑誌記者も、考えることは同じかぁ。
だからこそ下っ端も良い所の
完全に他人事の思考を呑気に浮かべ、慣れた手つきで
―――
「あ、来た!」
期待から慌ててカメラを構える。
レンズ越しの視界に映った、純白に濁る巨大な蛇体。仕入れていた前情報通りの姿に、
ボッ。
赤黒い輝きに照らし出された巨躯を臨み、
いそいそとカメラに装填して、レンズを怪異に向けた。
――その時、
―――
瘴気に塗れた怒気を押し退けるようにして、大蛇の腹から喉元へと炎が奔る。
普通であれば致命の一撃に、それでも構う事無く大蛇が瘴気の炎を吐いた。
炎と炎。互いを喰い合いながら、
時にくねる巨躯が地に向けて牙を剥き、時に誰かが大蛇の頭上高くで刀を振りかざす光景。
「……
市中に
何しろ、自分たちを守ってくれる、武家華族としての理想を語る体現者たちだ。
……その中でも人気の上位三人を挙げるならば、誰しもが一票を投じる一人。
第8守備隊隊長、
前回の天覧試合で準位を刻んだ根っからの武闘派でありながら、市井とは穏やかに接する人情派でも名が高い。
「凄い」
二の句を継げないまま、大蛇と
1枚。
刹那に瞬く閃光が、怪異と単騎で渡り合う男の雄姿を切り取った。
鞄を探って、新しい
手に届く
「嘘ぉ。結構、用意したんだけど」
認めたくないその事実に、
……因みに、
「ううぅ……。今週は、麦飯冷や汁を覚悟したのに」
――どう言い訳しようとも、飽く迄も自分の責任である。
それでも、貴重な瞬間を取り逃すよりはと、
舞い散る焔と大蛇は、未だに意気軒昂と戦いを続けている。
その最高の一瞬をレンズに収めるべくカメラを構え、
―――
「ひぃっ」
凶猛な雄叫びが夜気を貫き、
涙目で視線を後方へと向けて、その先に立つ2体の
赤銅の肌を盛り上げる筋肉の塊が隆起して、その先で逃げる
「あ」
人間。守備隊の練兵だろうか、未だ
あれで、生きているとは思えない。
余りにも現実感の無い少年の死に、思考する事も忘れて
だが
思わず身体を乗り出してレンズの先で
「…………あ」
――シャッターを切るよりも早く、
「うひぃっ!? 落ち、落ちるぅっ!」「――危ないっ!」
凡そ、淑女とは云い難い悲鳴と共に、屋根から擦り落ちかける。
手をばたつかせながら屋根に取っ掛かりを探るが、恐慌を来した身体は上手く動いてくれない。
「た、た、助か、 、 、」
「貴女、記者!? 何でここに居るの、危険でしょう!」
涙目でへたり込み、助けてくれた誰かの足首にしがみ付く。
叱咤する声が、安堵する
「だ、だって、特ダネ……」
「記者根性って奴? 結構な事だろうけど、安全くらい確保してくれる!?」
「ご、御免なさい」
10近くは年下であろう少女の正論に、
童顔とはいえ年上であろう女性の情けない姿に、少女はそれ以上何も云う事なく、周囲へ視線を巡らせる。
構える薙刀の穂先から、菫色の精霊光が炎と換わって舞い散った。
「何処、晶くん……」
「はい?」
「練兵が
「そ、それなら――」
先程、蹴り飛ばされた少年の事だろうか。
その瞬間、
「へ!?」
「嘘。何、この精霊力」
その輝きは止まる事無く溢れ続け、それまで満ちていた瘴気を塗り替えていく。
あらゆる意味で圧巻の光景に、少女も
精霊力は、中位精霊から行使が可能となる貴種の異能だ。
だが超常の能力と云えど、限界は当然に存在する。
天と地を繋げるほどの莫大な精霊力など、
視線の先で精霊力が渦巻き、輝く波濤となって見える範囲の
押し寄せ溢れる灼熱は土手を越え、更に周囲へと広がっていった。
燃え立つ軌跡が大蛇へと迫り、
―――! !! …………。
鋭く生まれた焔の尖塔が、中天に懸かる月を衝いた。
大蛇が吐いただろう末期の悲鳴すら炎に呑まれ、それを最後に一層の輝きだけを残して朱金の精霊力が散り消える。
末期の
――我に返る。
手元にあるカメラを持ち上げて、
朧に輪郭を崩し始めている炎の尖塔へと向け、
心、
マグネシウムが燃えず、シャッターの手応えも返らない。
カメラを覗き込む。
♢
「…………へ、編集長。今、何て」
翌日、眉間に皺を刻んだ編集長を前にして、
だが、現実が変わることは無情にも無い。
「……ボツだ」
「嘘だぁっ!?」
告げられた
だが、流石にこれは、
遣り手の記者が上流に集中する中、
無意識で撮ったその写真は、焦点が呆けて余り見れたものでは無かった。
それでも大蛇と、その巨躯が呑まれゆく焔の尖塔は克明に写っている。
折角の特ダネ。しかも、ここまでの決定的な瞬間を入手できたのは
今朝までは編集長も怒鳴る声も忘れ、上機嫌で今日の雑誌の巻頭を約束したぐらいである。
「編集長ぉっ。これ、これが没になっちゃったら、私は明日から何を食べていきゃ良いんですか!?
「ええい。離せ、ドン子。
亀みたいにしがみ付きやがって!! 後、眼鏡は関係無いだろうが」
「いやだぁっっ、明日のご飯!」
それが昼前の今では掌返し、
思わず編集長の足元に縋りついて、泣き落としを仕掛ける。
こうなる事は薄々に予想していたのか、溜息を吐いて壁際へと
「……俺だってあの特ダネを外すのは反対だった。
だが仕方無ぇだろう、検閲に引っ掛かったんだから」
「検閲? 何にも悪いことはしていませんよ。大蛇と討伐の瞬間しか撮っていないし」
「俺だって写真は検めた。
――それでも、会社の上層が否と返しちゃ文句も云えん。写真は全部、
「せっしゅうぅ。越権じゃあないですかぁ……」
最早、口の端から魂ごと抜けていそうな泣き言を繰り返し、
金子の少ない貧乏記者の懐なぞ、雀が突けるほども余裕は無い。
「……これは想像だがな。お前、何か不味いものでも写しちゃいなかったか?
――例えば洲議の密会だとか、違法取引だとか」
「百鬼夜行の最中に?」
「だよな。だが、そうでもないと理屈もつかん。
――
「そりゃあ、まぁ。知っていますけど」
身も蓋もない自社の酷評に、反論する事なく
基本的には適当でしかない検閲が行われ、折角の特ダネを接収する。
それは、編集長も初めての経験であった。
「それが今回は、この強権だ。絶対に裏はあるんだろうが、理由が判らん。
――接収された後に探っても、証拠が返ってくる訳じゃないんだがな」
「そうですよねぇっ!?」
恨めし気に明日のご飯と呟く
渡されたその中身を確かめると、収められた円札の束が
「おおぉっ、お金ぇっ!? 何ですか、これ」
「接収はされたが、特ダネは事実だろ。
――結構あるぞ、赤字を埋めて充分に足も出るはずだ」
「へんしゅうちょおっ! 一生、付いていきますぅぅっ」
「汚ねぇっ! 鼻水を付けんな、ドン子。
今日はこれで上がりにしてやるが、明日からまた外仕事だ。良いな!」
はい! 返る元気が良いだけの返事に、編集長は口元を歪めた。
喜びに勇んで去っていく
平民たちの日常は、結局のところ変わらず流れるだけ。
――これはこれで、良い関係なのかもしれなかった。
♢
TIPS:翌日の特集記事より抜粋
ダイ8守備隊快挙セリ! 光レル柱ニ消ユル大蛇!
昨夜未明、神託ニテ百鬼夜行ノ災禍ガ下サヘル。
上流デ待チ構ヘル守備隊精鋭ヲ前ニ、中流デ第8守備隊ガコレヲ撃退シタトノ報ガ入ッタ。
第8守備隊ト云ヘバ、カノ有名ナル阿僧祇厳次隊長ガ率ヒテイルト専ラノウハサ。
翌年ノ天覧試合ニ高マル期待、ソノ高名モ一層ト高マルデアロウ。
遠ク目ニスル防人ノ剣舞ニ、本誌記者モ当然ノコト目ヲ奪ハレル結果トナッタ。
(簡抜)
雄々シク聳ヘル光ノ塔ニカノ有名ナル大蛇ノ怪異ハ呑マレ、容易クモ浄滅ノ快挙ヲ上ゲタ事ハ確カデアル。
識者イハク、奇鳳院流ノ奧伝『彼岸鵺』ト推測サル。
万朶総隊長ノ主張サル作戦ノ正当性ニ、記者タチノ関心ハ如何ホドモ得ラレズ……
(簡抜)
幸運ニモ本誌記者ガソノ取材ニ成功。第8守備隊ノ副長、新倉信ハ詳細ヲ控エルトシツツモ早々……
TIPSが読み難いのはお許しください。趣味に走ったことは認めます。
だが後悔はしていない!
販促か反則か。言われるかもしれませんが、これくらいは作者の特権。
ご容赦頂ければ幸いです。
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