閑話 雨月の慶事、綻びは鈴の音に似て

――國天洲こくてんしゅう、五月雨領。

 雨月本邸にて。


 その吉報・・が雨月に届いたのは、週末の朝議が終わり、家臣一同と恒例の朝餐ちょうさんを囲んでいた最中のことであった。


「――まことか!」

 もたらされた思わぬ慶事けいじに、常は礼節に厳しい雨月天山が、興奮のあまり膝立ちになりかけながら、報告を中継いだ女中に食い気味にそう問いただした。

「本当に、あの穢レ擬きもどきくたばった・・・・・と!?」


「は、はい! 先ほど、人別省よりお役人さまが来られて、報せを受けました」


「役人どのは? 帰られたか?」


「いえ、客間にてお待ちいただいております」


「よくやった! 食事を終えた後に儂が応対する、そのまま待ってもらえ」


「畏まりました」


 女中が小走りに部屋を辞した後に、天山は思い出したかのようにどかりと座り直して食事を再開した。

 興奮冷めやらぬ面持ちで、乱雑に焼き魚や菜っ葉の煮びたしが口の中に消えてゆく。


 気付けば、家臣たちの間にも和気藹々とした喧騒が交わされている。


「貴方……!」


「おめでとうございます、父上」


 そんな中、目尻に涙を浮かべた妻の早苗と、洲都七ツ緒ななつおでの衛士見習いとしての研修を終えた一人息子・・・・の颯馬が、天山に勝るとも劣らぬ喜びを湛えて話しかけてきた。


「うむ。其方も長らく待たせて済まなかったな。

 あれ・・が何処ぞで息をしていると云うだけで、ここまで我らに迷惑をかけるとは。

――数日でくたばるように手間暇かけてお膳立てしてやったと云うのに、やはり穢レはしぶとくていかんな」


 滅多に浮かべる事の無い笑顔を颯馬に向けて、もう一人の息子で有った筈の少年を吐くようにそう罵った。

 しかし、天山の言葉に、当然のようにそこに集った家臣たちは労いと会釈を返す。


 無理も無い。

 晶を追放した際に人別省に晶の死亡を伝えて、嫡男のすげ替えをすれば事は済むと天山以下の者たちは思い込んでいたが、そこから雨月の思惑は上手く進むことは無かったからだ。


 まず、人別省は晶の魂石が輝きを喪っていないことを根拠に、晶の死亡を認定することは無かった。


 袖の下賄賂を匂わせても、央洲管轄下の人別省に堂々と干渉する事は難しく、雨月うげつ颯馬そうまの嫡男認定は、周囲の認識はともかく、書類上の公的な認定には至らなかった。


 この事実が今の今まで続き、天山は思惑が外れた事に苛立ちを隠しきれなくなっていた。


 公的な場に晶を極力伴わなかったため、晶の存在が他家に漏れることは無かったことが天山の救いであったろう。

 皮肉な事とはいえ、晶が公に出てこない現実を認識していても義王院が沈黙を保っていたのが、天山が策動を助長させた一因でもあった。


 義王院としてみれば、晶の存在を他洲に知られる危険性を排除したかったのだ。

 実情は天山の思惑とは真反対であったが、偶然にもその意図が合致してしまったがための悲劇ともいえた。


 天山は気付くことは無かったが、人別省が晶の死亡を認定しなかったことから始まる、嫡男の登録から排斥できなかった事は、雨月が晶を放逐したという事実を義王院に知られることをここまで遅らせてきたのだ。


 状況を変えることができずに、鬱々としたまま過ぎる日々。

 更には今年に入ってから、神無月10月神嘗祭かんなのまつりで予定されている義王院静美と雨月晶の婚約を控えた晶との面会の催促も、断るのは限界に近づいていた。


 晶の精霊無しという事実が義王院に知られる前に、嫡男のすげ替えを完了するのは不可能と思い始めていた矢先の、待ちに待った吉報。

 天山は、高揚した気分のままに食事を終えた。


「だが、その苦労も今日で終わりだ。

 人別省には、晶の死亡と颯馬そうまの嫡男認定を申し出しておこう」

 水が入った盃を高く掲げて、天山は意気揚々とその場にいる家臣たちに告げる。

「忌々しい穢レ擬きがくたばったことで、颯馬の次期当主、及び義王院への婿入りを胸を張って進めることができる!

 前祝いだ、宴席を設けるとしよう!」


「「おめでとうございます!」」


 その言葉に、家臣たちが揃って笑顔で盃を上げる。

 長年の胸のつかえが取れたことで、天山は上機嫌で盃を干して役人に会うために席を立った。




 周囲の喧騒を余所に、不破直利は一人重苦しい気分で食事を進めた。


 食欲も失せて、茄子なすあつものが入った椀のそばはしを置く。

 はあ。吐き出される吐息も、明らかに重い。


 周囲は祝賀一色であったが、直利はただ一人、晶の死を悼んでいた。


 晶は、直利が教導を受け持った最初の生徒であった。

 それ故に、思うところは色々とあった。


 天山や実情を知るその家臣たちは気楽に晶をこき下ろしていたが、素の優秀さで云うならば颯馬以上と評価できたであろう。


 なにしろ、呪符の中でも最難関と云われる回生符の書き方を、年齢よわい10で修めて見せたのだ。

 これは、快挙というより他にない。


 回生符を書くには、太極図を理解して龍脈を読み、真言マントラを整然と書き込む必要があるからだ。

 加えて、これを成すためには、自身の工房となる領域に龍脈を引き込むことも必要になるほどである。

 それ以外にも龍脈の変化に気を遣わなければならないし、それに合わせて記入する真言マントラを変えなければならない。


 回生符を作成できるものは無条件で符術師を名乗れるほどに、その技術は希少なのだ。


 晶の実力が評価されないままに無為に失われてしまった事実が、直利は残念でならなかった。


 気鬱なままに食事を終えて、直利は重い腰を上げた。


「不破先生」


「――颯馬君、何ですか?」


 廊下を歩く直利の背中に、雨月うげつ颯馬そうまが声をかけてきた。

 歩みを止めて、気鬱な表情を努めて押し隠しながら颯馬の方を振り返る。


「いえそこまで大した用ではありません。あれ・・の教導も不破先生が務めておられたでしょう。

 あれ・・が居なくなったことで不破先生の肩の荷も下りた訳ですから、一つ労いを、と思いまして」


「……お気遣いなく。

 晶くんは、符術師としての才覚はそれなり以上にありました。

 教導する身としては、教えがいのある生徒であっただけに残念でなりません」


 現在、颯馬の教導を受け持っている直利は、颯馬の言葉に直言を避けて軽く首を振った。

 言外で颯馬と晶の出来・・を比べて、雨月の行いを遠回しに批判したのだ。


 それを悟った颯馬は、やや鼻白んだ様子で言葉を重ねてきた。


「……それは聞き捨てなりませんね。

 あれ・・の無能ぶりは不破先生もよくご存じのはず。そもそも、精霊無しのあれが符術師になどなれないことは自明の理でしょう」


「呪符の作成と霊力の有無は別に考えるべきですよ。

 晶くんは回生符を書ける技術はあったのです。年齢10でその領域に辿り着いているのは、評価してしかるべきです。

 颯馬くんは、呪符の作成に関しては晶くんに大きく水をあけられていると自覚すべきでしょう」


 颯馬の年齢は今年で12。つい先だってようやく、水撃符を作れるようになったばかりである。


 本人の名誉のために云っておくが、これでも充分すぎるほど優秀ではある。

 だが、年齢よわい10で回生符を書けた晶と比較すると、符術の分野ではやはり格下感が否めない。


 颯馬自身その自覚はあるのか、二の句を封じられて沈黙した。


 ただ、言葉は封じられたものの、その現状に納得をした様子は無い。


 颯馬は、間違いなく雨月の歴史を紐解いても上位数人に挙げられるほどの天才である。

 神霊みたまつかいであることを除いても武に優れて、脳筋といわれがちな武家の中にあって、文官としてやっていけるほどに文にも長けていた。

 加えて、人当たりが良く驕らない性格と人間関係をうまく立ち回る器用さ、政治家としても大成するほどに周囲の声望を集めていることも、直利は認めていた。


 颯馬に対する天山の親バカぶりは止まるところを知らず、今年に入っては颯馬に雨月の神器、布都之淡ふつのあわいを持たせるようになったほどであった。


 だが、いかに優秀であろうとも、颯馬は晶を目の敵のように憎んでいたのも、また、事実である。

 兄という立場、そして、分不相応・・・・にも主家である義王院に受け入れられた凡百。

 颯馬にとって、晶は望めぬ立場を簡単に得ていた存在だったからだ。


 その無能に一歩劣る分野がある、その現実をたやすく受け入れられるほど颯馬は経験豊富という訳ではなかった。


「……明日より、私は三ヶ岬さんがみさき領に怪異の征伐に赴きます。

 帰参の予定は早くて2週間ほどです。符術の指導は、その後と思っていてください」


「――はい」


 颯馬が沈黙したことで不毛な平行線をたどりそうになる状況を早々に切り上げて、直利は颯馬から視線を外した。

 颯馬もそれを理解してか、特に反駁はんばくを見せることなく首肯を返した。




 颯馬と別れ雨月の玄関を出た直利は、頬に当たる冷たい感触に目を眇めた。

 空を仰ぐと、先ほどまではからりと晴れていたはずの空の青が、やや薄墨色に染まっていた。


「雨か……」


 随分と空気が乾いている。通るだけの小雨だろうと判断して、傘を差さずに表に出る。

 雨の勢いはそこまでではないが、想像に反して頬を打つ雨粒が初夏とは思えないほどに冷たい。

 その冷たさが、何とも云いしれない不吉さを感じさせた


「凶兆で無ければ良いが……」


 思わず口にしてしまったその言葉が、舌禍を招かないよう急いで口を噤む。

 しかし、一度、覚えてしまった不吉さは脳裏から拭うことができず、直利は表通りを小走りに走り抜けた。


 後には、雨だれが水琴窟を鳴らす音が寂しく響くのみ。

 直利が去った後、暫くの間、人の姿が周囲に見えることは無い。


 直利の予想に反して、その雨は季節外れの冷たさのまま、一日中、降り続けた。


 ♢


 雨月の屋敷が慶事に沸いたその日の夕刻、しとつく小雨にけぶ廿楽つづら駅の駅舎から、少女が二人、足を踏み出した。


 ちりん。


 片方の少女が持つ薙刀袋に結わえられた鈴が、自身を急かすように一つ鳴る。

 その音に、感慨深そうに薙刀袋を持った少女が呟いた。


「――一両日での廿楽つづら入り、やればできるものですね」


「何とか、でしたが。

 一晩で領を一つ跨ぐなんて無茶、吉守さんには悪いことをしました。

 楓、支社には今から行けるかしら?」


 太刀袋を肩から下げた同行どうぎょうそのみ・・・が、薙刀袋を持つ少女、千々石ちぢわかえでにそう問いかける。

 楓は頬に手を当てて、嘆息しながらいらえを返した。


「……電報は打っておきました。千々石商会の支社長と腹心が残っているはずです。

 秘匿は厳命しておきましたから、余程の間抜けでもない限り、雨月に悟られるようなヘマはしていないはずです。

――ですけど、気になるのは雨月の動向です。

 叛意を持っているなら、義王院の動きは予想していたでしょう。

 なのに、余りにも動きが鈍すぎます・・・・・・・・


 そう。千々石楓と同行そのみ・・・。義王院の側役二人が碌な偽装もしないまま行動を起こして、蒸気自動車を走らせての派手な領境越えをしたのだ。

 雨月が叛意を持っているならば、五月雨領内に入る前に確実に反応しているはずである。


 しかし、宇城うき領を越えて、五月雨領はおろか、領都廿楽に入り込んでも雨月が接触してくる様子は無かった。


「領都に引き込んで、人目を無くしたところで封殺するとか?」


「もっと切羽詰まった状況ならともかく、事を起こした後での斥候段階様子見相手でそれは悪手に過ぎるでしょう」


 無いな。と思いつつも、そのみ・・・が何とか口にした雨月の行動予測を、かえでがばっさりと切って捨てる。

 そう返ってくることは分かっていたので、特段に気分を損ねることは無く、そのみ・・・はもう2、3予想を口にするが、決定打となるような良案は出てこない。


 やがて、肩を竦めてそのみ・・・は思考を放棄した。

 無為に時間を浪費するよりも、現状の把握を進めようと思考を切り替えたのだ。


「……ま、いっか。

 とりあえず、私たちの目的は晶さまの居場所の把握でしょ。

 晶さまが義王院に反目する訳もないし、仮令たとえ、雨月が造反を企図していたとしても、晶さまにおいそれと手出しはできないはずよ」


「……そうね」


 僅かな沈黙の後、楓もその言葉に同意する。


 神無かんな御坐みくらは、ただ・・人が三宮四院はおろか神柱に意を通しうる鬼札足りうる存在だ。

 だが、己が欲望に沿って神無かんな御坐みくらを傷つけた場合、それを行ったものは死ぬに死ねないほどの絶望を味わう羽目になる。


 本来、精霊と神柱は現世に干渉しない。

 これは、神代契約の不文律ではあるが、何事にも例外は存在する。

 その一つが、神柱に属する存在に手を出したものに対する干渉だ。


――しょう御統みすまるたる神柱は、象徴となる領域に干渉されることを極端に嫌う。


 何故ならば、象徴とは、神柱の領域とは、極論するならば神柱を構成する基礎、自分自身と同義であるからだ。


 神無かんな御坐みくらは、神代契約において神柱と結ばれるための存在。

 神代契約の上位に位置する条項、神々の伴侶と呼ばれる所以だ。


 つまり、神柱の領域と同義と看做みなされる晶に物理的に手を出せば、國天洲の大神柱たる玄麗げんれいの激怒を買い、雨月の滅亡は確定となるはずである。

 何かを企んでいようとも、神柱を激怒させるほど雨月天山は阿呆・・ではない。


 故に、事ここに至って尚、この時点ではまだ、そのみ・・・たちはおろか、義王院ぎおういん静美しずみでさえも事の次第を軽く見ていた。


――最低限、晶の身の安全は保障できる、程度には。

 そして、それこそが義王院の思い違いでもあった。


 雨月天山は、叛意など欠片も抱いていない。

 むしろ、義王院への忠義こそ己が誇りと信じて疑っていない。


 ただ、神無かんな御坐みくらという、八家当主にのみ口伝として伝えられる項目を遺失しただけだ。


……それ・・がどれだけ致命的なことかも知らずに、だ。


 神無かんな御坐みくらを知らずにここまで至った雨月と、神無かんな御坐みくらの知識を持っている義王院。

 その思い違いが、最悪の形で露見しようとしていた。

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