1話 残響は遠く、燎原に思いを馳せて4
――バラタタタ。
周囲の蒸気自動車とは一線を画するその威容に、周囲のものたちも大慌てで脇に寄って道を譲るさまが、車中の人となった晶たちにはよく見えた。
普段なら目にすることがせいぜいの最新機械に乗っているのだ、本当なら心浮き立つだろう状況だが、現在、晶は針の
何しろ、車内には
脳裏を疑問符で埋め尽くしながら、ちらりと正面を見る。
プルプルと挙動不審になる身体を必死に押さえつけて、隠しきれない半泣きの表情に耐える咲の姿に、場違いなほどの親近感を覚えた。
――あ、お仲間だ。
当の咲が聞けば間違いなく殺意を覚えるであろう呑気な思考に、不思議と落ち着きを取り戻す。
「――申し訳ありません、晶さま」
「は、はい!」
唐突にかけられた声に、知らず背筋が真っ直ぐに伸びる。
その姿に、困ったような微笑みを
「少々、状況が立て込んでいるので、余人の介入を許さず、
「で、では、姫さま、お願いがあります。
どうか、俺のことは晶、と。
よ、四院の方から
「……では、晶
ふふ、そうですね。
では、代わりにどうか、
……お前とか、そこの、と呼ばれた方がよっぽど気が休まるのだが。
せめて呼び捨てでお願いします。と提案したつもりなのに、余計に居心地が悪くなる方向に状況が悪化したのは何故だろう。
理不尽な状況に、背中が冷や汗でじっとりと濡れるのを覚えた。
周囲に助け舟を期待するが、本来ならば
――これは役に立ってくれんな。
早々に見切りをつけて、ちらりと咲に視線を遣る。
奈津とは反対に、あわあわと、両の指を宙に躍らせながら百面相で泡を食う咲に、別の意味で援護の期待を諦めた。
――……こっちも無理だよな。
平民の晶と珠門洲の頂点たる
この異常事態を理解はしているものの、制止するのも恐れ多くて手を出しあぐねているといったところなのだろう。
「…………お気遣いいただきありがとうございます、
せいぜいの妥協として、
ここまで直答をしてしまっている以上、こちらから口を開くという不敬を躊躇うのも今更か、と思い切り、慎重に言葉を選びながらとりあえずの疑問を
「その、先ほど、精霊器の件で庇い立ていただいてありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。
それに、庇った訳ではありません。真実をお話ししただけです」
「失礼ながら、
流石に、
官憲に捕縛される理由を無くすための一時的な方便かと指摘すると、
「間違ってはいません。晶さんは正当な権利の元、
「
「はい。
――伽藍にて、お会いになられたでしょう?」
思い出す。
――
「……彼女が」
正直、朱華が
「はい。
あの方より
ご安心ください。間違いなく、あの器物は晶さんに渡っております」
実際に会ってみた印象ではそこまで尖った性格では無いと感じられたが、こんな突然に莫大な権能を与えられたのだ。
その事実を理解した時、目の前の少年がどういった方向に変節するのか全く分からない。
晶には、自身の権能を振るっても問題ない
――そのためには、晶の手綱を引ける相手が必要だ。
晶の現状を理解するために、日常の話題や色恋沙汰を匂わせながら、少しずつ晶から情報を抜いていく。
抜き取った情報で、晶という個人を
運が良かった。
同年代の八家、それも
各々、様々な思惑を孕みながら、
それから、
僅かに灌木と幾つかの大きな岩が見える以外は、見渡す限り何もない。
「……あのう。ここは?」
「
「え!?」
「ここで受肉するからこそ、あの怪異は
――あぁ、安心してください。怪異の受肉には、相当量の瘴気が必要となります。
洲内有数の瘴気溜まりこそありますが、肝心の瘴気は根こそぎ受肉に消費されていますから、鬼火を産むほどにも残ってはいないはずです」
その言葉に、とりあえず晶の表情が緊張から安堵に向いた。
とは云え、あの化け物が生まれた場所と聞いて気分が上向くはずもない。
晶のそれは、どこか不安さが残ったものであった
「……その、
遠慮がちに、咲が口を開いた。
大丈夫と云われたとしても、こんな不穏な場所に連れてこられた意図が全く分からないからだ。
「どうして、こんな処に来たんですか?」
「先刻にも云いましたが、都合が良かったからです。
ここを選んだ理由は二つ。
今から起きることを
4人は、晶の背丈をやや超える程度の岩の前に立った。
「こんなものかしら。
……大きさは丁度いいのだし」
「かしこまりました」
それまで沈黙を守ってきた
そうしてから、
「此処に連れてきた理由ですが、非常に単純なものです。
晶さんに、今のご自身を理解していただく。
その一点だけを目的としています」
「は、はい」
「ご不満は承知の上ですが、あえて指摘させていただきます。
晶さんに限らず、人は皆、自分の事に理解は及ばないものです。
それを理解していただくために、
――この岩を、
「はい、…………はぁっっ!?」
自分自身の事を知らない、等と云われて不満を覚えた晶は、次いで放たれたその信じがたい言葉に、自分の耳よりも先に相手の正気を疑った。
「これ、……この岩をですか?」
「はい。この大きさが対象ならば、霊気の爆散もそれなりに吸収してくれるはずですので」
やばい、
微笑みはそのままなのに、欠片も笑っていない
岩斬りは、お伽話に聞く剣豪たちが見せる、剣の頂点たるを証明する
高天原の刀剣は、斬ることに特化された構造をしている。
そして、斬ると云う行為は、素人が考えるよりも遥かに繊細な作業なのだ。
当然、岩などという頑強な物体に対して行うことは想定されていない。
音に聞こえた歴代の剣豪たちで、
晶は
突然、こんな原っぱのど真ん中に連れてこられて、無茶ぶりに応えられるような技量は持ち合わせていない。
――というか、そもそも…………。
「……俺、剣を持ってないんですが」
恐る恐る、素手であることを証明するかのように、両の掌を見せながら晶は慈悲を嘆願した。
「問題ありません」
……素手で岩を斬れ、とでも云うつもりなのだろうか?
いよいよ、目の前の
晶の不敬な思考に気付いていないのか、
「晶さんは、既に剣を
ただ、剣を鞘から抜いていないだけ」
「……………………」
晶を茶化すような響きは聞こえない。自然、反論の声は封じられた。
「剣は
そう言い含めながら、
「先ずは、剣を持っているつもりになって、攻め足、
背中越しに掛けられた指示に、慌てて無手のまま、稽古で慣れた構えを取る。
だが、虚空を掴んだままの両手が宙に浮くままで、体幹の芯は完全にブレている情けない構えであった。
ただ時間が過ぎていく。その無為さよりは何か動いておこうと稽古を思い出しつつ、無手のまま両手を上段に構える。
――だからと云って、何が起こる訳でもなかったが。
上段に両手を振り上げた姿勢のまま、暫くの間が沈黙に消えた。
湿地特有の青く蒸れて
あまり好ましいとも思えない臭いだが、晶にとって一陣の風が運んできた涼は非常にありがたく、額に残る涼やかさに目を眇めた。
「晶さん。
――大鬼を前にした時、貴方は
その時、
――あの時、俺は何を考えていたんだっけ?
迫りくる大鬼の、逃れえぬ死を前にして。
そうだ。
「炎」
ぽつり、口から
今までどこかぼやけて見えていた世界が、全く違う鮮明さをもって晶を迎えた瞬間、
虚空を掴んでいるだけだった両手と体幹に芯が戻った。
――
晶の身体が、心が、
「
刹那のうちに実体を得た
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