1話 残響は遠く、燎原に思いを馳せて4

――バラタタタ。


 奇鳳院くほういんの家紋を掲げた黒塗りの蒸気自動車スチームモービルが、軽快な爆音を響かせながら大通りを疾駆する。


 周囲の蒸気自動車とは一線を画するその威容に、周囲のものたちも大慌てで脇に寄って道を譲るさまが、車中の人となった晶たちにはよく見えた。


 普段なら目にすることがせいぜいの最新機械に乗っているのだ、本当なら心浮き立つだろう状況だが、現在、晶は針のむしろもかくやの居心地の悪さを味わっていた。


 何しろ、車内には嗣穂つぐほと側付きである新川にいかわ奈津なつ、その対面にさきと晶が座っているという状況なのだから。


 脳裏を疑問符で埋め尽くしながら、ちらりと正面を見る。

 新川にいかわ奈津なつ。そう紹介を受けた少女が、感情の見えないすまし顔で晶の視線を真向に迎え撃ってきた。


 気圧けおされて自然と下向く視線を、今度は自身の隣へ動かす。

 プルプルと挙動不審になる身体を必死に押さえつけて、隠しきれない半泣きの表情に耐える咲の姿に、場違いなほどの親近感を覚えた。


――あ、お仲間だ。


 当の咲が聞けば間違いなく殺意を覚えるであろう呑気な思考に、不思議と落ち着きを取り戻す。


「――申し訳ありません、晶さま」


「は、はい!」


 唐突にかけられた声に、知らず背筋が真っ直ぐに伸びる。

 その姿に、困ったような微笑みを嗣穂つぐほは浮かべた。


「少々、状況が立て込んでいるので、余人の介入を許さず、被害の出ない・・・・・・場所に行く必要があるのです。

 女場女性ばかりで居心地が悪いかもしれませんが、1刻2時間ほど我慢してください」


「で、では、姫さま、お願いがあります。

 どうか、俺のことは晶、と。

 よ、四院の方からさま・・と呼ばれる身分のものではありませんので」


「……では、晶さん・・

 ふふ、そうですね。わたくしも、こちらの方が好ましい。

 では、代わりにどうか、わたくしのことは嗣穂つぐほ、と」


……お前とか、そこの、と呼ばれた方がよっぽど気が休まるのだが。

 せめて呼び捨てでお願いします。と提案したつもりなのに、余計に居心地が悪くなる方向に状況が悪化したのは何故だろう。


 理不尽な状況に、背中が冷や汗でじっとりと濡れるのを覚えた。


 周囲に助け舟を期待するが、本来ならば嗣穂つぐほを諫めるべき立場であるはずの新川にいかわ奈津なつは、身じろぎ一つ微動だにしてくれない。


――これは役に立ってくれんな。


 早々に見切りをつけて、ちらりと咲に視線を遣る。

 奈津とは反対に、あわあわと、両の指を宙に躍らせながら百面相で泡を食う咲に、別の意味で援護の期待を諦めた。


――……こっちも無理だよな。


 平民の晶と珠門洲の頂点たる嗣穂つぐほが、直接、言葉を交わしている。

 この異常事態を理解はしているものの、制止するのも恐れ多くて手を出しあぐねているといったところなのだろう。


「…………お気遣いいただきありがとうございます、嗣穂つぐほさま・・

 せいぜいの妥協として、さま・・を強調しながら、晶は軽く頭を下げた。

 ここまで直答をしてしまっている以上、こちらから口を開くという不敬を躊躇うのも今更か、と思い切り、慎重に言葉を選びながらとりあえずの疑問を嗣穂つぐほに投げかけた。

「その、先ほど、精霊器の件で庇い立ていただいてありがとうございます」


「いいえ、どういたしまして。

 それに、庇った訳ではありません。真実をお話ししただけです」


「失礼ながら、嗣穂つぐほさまより、精霊器を貸与いただいたと云われたのは……」


 流石に、奇鳳院くほういんの所属にある精霊器を預けさせて貰った・・・・・・記憶なんてものは無い。

 官憲に捕縛される理由を無くすための一時的な方便かと指摘すると、嗣穂つぐほは軽くかぶりを振った。


「間違ってはいません。晶さんは正当な権利の元、あか・・さまより奇鳳院くほういん所蔵の器物を下賜されました」


あか・・さま?」


「はい。御名みなは、口にするのを憚られますのでご容赦を。

――伽藍にて、お会いになられたでしょう?」


 思い出す。

 万窮大伽藍ばんきゅうだいがらんで晶に微笑みかけてくれた、まるで炎そのもののような絶世可憐な少女。


――朱華はねず


「……彼女が」


 正直、朱華が奇鳳院くほういんのどういう立ち位置なのかは判然としないが、この様子ではかなりの影響力を持っているであろうことは想像するに難しくない。


「はい。

 あの方より器物・・を下賜される、それは奇鳳院くほういんにとって正当な下賜の流れに他なりません。

 ご安心ください。間違いなく、あの器物は晶さんに渡っております」


 嗣穂つぐほは、晶に不信感を抱かせないように常に穏やかな微笑みを装いながら、晶を説得に掛かった。


 実際に会ってみた印象ではそこまで尖った性格では無いと感じられたが、こんな突然に莫大な権能を与えられたのだ。

 その事実を理解した時、目の前の少年がどういった方向に変節するのか全く分からない。


 晶には、自身の権能を振るっても問題ない精神的な土台・・・・・・を、可能な限り早急に作って貰わなければならないのだ。


――そのためには、晶の手綱を引ける相手が必要だ。


 晶の現状を理解するために、日常の話題や色恋沙汰を匂わせながら、少しずつ晶から情報を抜いていく。

 抜き取った情報で、晶という個人を彫り出理解しながら、晶の隣、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻し出した咲に視線を投げる。


 運が良かった。

 同年代の八家、それも輪堂の娘・・・・が、憎からずの情で晶の傍に立っていてくれたのは、嗣穂つぐほにとって何よりの幸運であろう。


 各々、様々な思惑を孕みながら、奇鳳院くほういん蒸気自動車スチームモービルは大通りをひたすら南に向けて疾駆していった。




 それから、嗣穂つぐほが告げた通りの1刻2時間後、晶たちは見るからに何もない原野の端に足を付けていた。


 僅かに灌木と幾つかの大きな岩が見える以外は、見渡す限り何もない。


「……あのう。ここは?」


沓名ヶ原くつながはら。この原野が、昨日の怪異が発生した場所です」


「え!?」


「ここで受肉するからこそ、あの怪異は沓名ヶ原くつながはらの怪異と呼ばれています。

――あぁ、安心してください。怪異の受肉には、相当量の瘴気が必要となります。

 洲内有数の瘴気溜まりこそありますが、肝心の瘴気は根こそぎ受肉に消費されていますから、鬼火を産むほどにも残ってはいないはずです」


 その言葉に、とりあえず晶の表情が緊張から安堵に向いた。

 とは云え、あの化け物が生まれた場所と聞いて気分が上向くはずもない。

 晶のそれは、どこか不安さが残ったものであった


「……その、嗣穂つぐほさま」

 遠慮がちに、咲が口を開いた。

 大丈夫と云われたとしても、こんな不穏な場所に連れてこられた意図が全く分からないからだ。

「どうして、こんな処に来たんですか?」


「先刻にも云いましたが、都合が良かったからです。

 ここを選んだ理由は二つ。

 今から起きることを余人に見られたくない・・・・・・・・・・からと、そして、何が起きても被害が出ない・・・・・・からと」


 沓名ヶ原くつながはらに、碌に装備も整えず足を踏み入れる。

 嗣穂つぐほが先導する形で、困惑する晶と咲を引き連れて歩くこと数分。

 4人は、晶の背丈をやや超える程度の岩の前に立った。


「こんなものかしら。

……大きさは丁度いいのだし」


「かしこまりました」


 それまで沈黙を守ってきた新川にいかわ奈津なつが小さく首肯を返し、咲の手を取って、晶の更に後方へと回る。

 そうしてから、嗣穂つぐほは改めて、晶へと向き直った。


「此処に連れてきた理由ですが、非常に単純なものです。

 晶さんに、今のご自身を理解していただく。

 その一点だけを目的としています」


「は、はい」


「ご不満は承知の上ですが、あえて指摘させていただきます。

 晶さんに限らず、人は皆、自分の事に理解は及ばないものです。

 それを理解していただくために、

――この岩を、斬ってください・・・・・・・


「はい、…………はぁっっ!?」

 自分自身の事を知らない、等と云われて不満を覚えた晶は、次いで放たれたその信じがたい言葉に、自分の耳よりも先に相手の正気を疑った。

「これ、……この岩をですか?」


「はい。この大きさが対象ならば、霊気の爆散もそれなりに吸収してくれるはずですので」


 やばい、本気マジだ。

 微笑みはそのままなのに、欠片も笑っていない嗣穂つぐほの視線に、晶の頬が引き攣った。


 岩斬りは、お伽話に聞く剣豪たちが見せる、剣の頂点たるを証明する判りやすい・・・・・偉業である。


 高天原の刀剣は、斬ることに特化された構造をしている。

 そして、斬ると云う行為は、素人が考えるよりも遥かに繊細な作業なのだ。

 当然、岩などという頑強な物体に対して行うことは想定されていない。

 仮令たとえ、成功したとしても、精霊力で強化もしていない刀剣ならば、一撃で寿命が尽きてしまうことは断言できる。


 音に聞こえた歴代の剣豪たちで、それ・・だ。

 晶は奇鳳院流くほういんりゅうの剣術を習ってはいるが、上位精霊を宿していないため、初伝に届かない開帳五段のさらに一つ下の四段でしかない。

 突然、こんな原っぱのど真ん中に連れてこられて、無茶ぶりに応えられるような技量は持ち合わせていない。


――というか、そもそも…………。


「……俺、剣を持ってないんですが」


 恐る恐る、素手であることを証明するかのように、両の掌を見せながら晶は慈悲を嘆願した。


「問題ありません」


……素手で岩を斬れ、とでも云うつもりなのだろうか?

 いよいよ、目の前の貴人の正気が疑わしくなる。


 晶の不敬な思考に気付いていないのか、嗣穂つぐほは続けて言葉を紡いだ。


「晶さんは、既に剣を持っています・・・・・・

 ただ、剣を鞘から抜いていないだけ」


「……………………」


 晶を茶化すような響きは聞こえない。自然、反論の声は封じられた。


「剣は領域・・、鞘は言霊なれば。

 領域を抜くには、言霊を掴むが必定でしょう」

 そう言い含めながら、嗣穂つぐほも晶の後方へと回る。

「先ずは、剣を持っているつもりになって、攻め足、平正眼水の構え


 背中越しに掛けられた指示に、慌てて無手のまま、稽古で慣れた構えを取る。

 だが、虚空を掴んだままの両手が宙に浮くままで、体幹の芯は完全にブレている情けない構えであった。


 ただ時間が過ぎていく。その無為さよりは何か動いておこうと稽古を思い出しつつ、無手のまま両手を上段に構える。

――だからと云って、何が起こる訳でもなかったが。


 上段に両手を振り上げた姿勢のまま、暫くの間が沈黙に消えた。


 湿地特有の青く蒸れてんだような風が、沓名ヶ原くつながはらを吹き抜ける。

 あまり好ましいとも思えない臭いだが、晶にとって一陣の風が運んできた涼は非常にありがたく、額に残る涼やかさに目を眇めた。


「晶さん。

――大鬼を前にした時、貴方は何が見えましたか・・・・・・・・?」


 その時、嗣穂つぐほの囁きがするりと耳に滑り込んできた。


――あの時、俺は何を考えていたんだっけ?


 迫りくる大鬼の、逃れえぬ死を前にして。

 そうだ。朱華はねずの微笑みと一握いちあくの……、


「炎」


 ぽつり、口からまろび出た呟きは、それでも見えない部品がかちりと嵌ったような、あるいは世界と晶を繋いでいる焦点ピントがあったような感覚をもたらした。


 今までどこかぼやけて見えていた世界が、全く違う鮮明さをもって晶を迎えた瞬間、

 虚空を掴んでいるだけだった両手と体幹に芯が戻った。


――ける。


 晶の身体が、心が、魂魄たましいが、高揚のまま確信を叫んだ。


絢爛けんらんたれ――寂炎じゃくえん、、雅燿がようっっ!!」


 ゴゥ。晶自身を灼き尽くさんばかりの熱が丹田から噴き上がり、渦を巻いて両手に収斂しゅうれんする。

 刹那のうちに実体を得たそれ・・を、晶は気合を込めて振り下ろした。

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