2話 焼塵に舞うは、竜胆一輪2

 妙覚山は、峻険というには可愛らしい高さ程度の山でしかない。

 しかし、なだらかに裾野すそのに広がるその山は、華蓮の南東から北東に向かって伸びる南葉根なばね山脈の入り口であり、山脈で発生した穢獣けものが華蓮に侵攻する際の出口であるため、決して軽んじれる山ではなかった。


 近隣の住民と協力して、穢獣けもの封じの松明たいまつを山の周囲に焚く。

 清めのしゅを籠めた特殊な薪は松明で燃え盛り、通常のものと比べれば明らかに量も密度も違う煙を吐き出していた。

 松脂まつやにがパチパチと爆ぜ、穢獣が嫌う匂いが煙と共にゆっくりと木々の間を縫っていく。

 これで、松明が消えるまでの間は穢獣が山から下りていくことはできないはずだ。


 守備隊の先行班となる勢子班が夜闇の広がる森の中に消えて半刻した頃、夏とは思えない冷気の漂う夜気を裂いて、呼び笛が吹き鳴らされた。


「……始まったな」


 裾野から少し入った中腹手前の平地に陣を構えた厳次は、その甲高い笛の音にぼそりと零した。

 山狩りの作戦は、従来の定石通りのものが採用された。


 作戦の概要がいようは非常に単純なものだった。

 厳次たちの眼前には崖が広がっている。勢子班は、山の上から穢獣けものを集めて、小高いその崖から陣地班めがけて追い落とす予定であった。

 当然、少数の勢子班だけで穢獣けものの行動を制御できる訳はない。晶の率いる楯班で、追い立てられて暴走する穢獣けものを強引に目標地点へと誘導をする。

 穢獣けものであれば崖上から落ちてもさしたる傷は負わないだろうが、陣地班全員で落ちてきた穢獣けものを抑え込み、咲と諒太の持つ火力で焼き払う。

 厳次と新倉は穢獣けものを抑え込む陣地班の補強役、最終的な止めを咲たちに譲ったのは、精霊器での攻撃の経験を積ませる意図があった。


「大きめの穢獣けものの群れが釣れればいいんですがね」


 新倉が祈るようにそう口にした。


 穢獣けものとは、陰陽の秩序から外れ、瘴気を宿した山野の獣の事を指す。

 見た目は猪や鹿などの獣そのものだが、存在するだけで周囲をむしばむ瘴気を撒き散らし、陽気を宿す存在を襲い暴走する性質を持つ。

 陽気の存在に対し見境なく襲い掛かる穢獣けものだが、実の所、莫迦ではない。瘴気に堕ちた生物だが、従来の知能はそのままか、やや上昇傾向をみせるほどだ。


 一度大きく山狩りをした場合、その知性から穢獣けものは山全体に散らばって身を隠すようになる。

 山狩りで思うように穢獣けものを狩れなかった場合、数日か最悪、数週間散発的に山で狩りを行う必要があるのだ。

 今回の狩りで妙覚山の穢獣けものを削れなかった場合、最悪、南葉根なばね山脈の山稜まで分け入ってから、大きく山狩りをし直す必要が出てくる。


「そこは心配するな、新倉」携帯している陰陽計を取り出して、瘴気濃度を測定していた厳次が断言した。

「瘴気が跳ね上がった。勘助の奴、結構な大物を釣り出したらしい」


「――安心しました。

……懸念といえば、もう一つ。崖上うえの神童君、様子はどうですか?」


 その言葉に、厳次は諒太が待機しているであろう場所に目を走らせた。

 切り立った崖と陣地の位置上、相手の存在を確認することは叶わない。


「止めの役どころに満足はしているようだったな。内心は分からんが、不満は口にしてなかった」


 今日、応援に入ったばかりの咲と諒太に守備隊との連携を図れと言っても、無理難題であるだろう。

 出立前に晶からの提案を請けて、二人は完全に個の火力として数えられていた。

 協調性のある咲は辛うじて楯隊の殿で最終的な流れの変更を受け持てたが、対人にどうしても棘を残す諒太は、揉めた挙句、釣り出された穢獣けものの群れを強引に二つに割る役を与えられたのだ。


 穢獣けものの群れが大きいものであった場合、群れで持つ瘴気の濃度によっては精霊力でさえ防ぎ切る。そうなると、衛士になったばかりの二人には群れの殲滅は難度が高くなる可能性がある。

 そうなる前に、最大火力で勝る諒太に群れを割ってもらい、瘴気の防壁を削った後、二人の火力でそれぞれを撃破する。


 晶が提案したのは、単純明快ゆえに文句のつけにくい作戦だった。

 それ故か、厳次は所々の作戦の粗に修正を加えただけで、作戦そのものはほぼ、晶の原案が採用された。


 しかし、と新倉は思考に耽った。

 作戦の是非は兎も角、衛士に対する負担がかなり大きい。

 衛士の任務は、つまり、持ち味である火力で止めを刺す事を、絶対の基準として求められる。

 つまり、如何に最良の状態で守備隊が集めた穢レに、己が持つ最大火力を叩き込めるかが問われていると云っても過言ではない。

 晶は、今回初めて班を預かった練兵だ。自身の班を如何に守るかは晶の仕事だが、衛士の負担を増やすのは守備隊の人間として失格だろう。

 今日が終わった後、如何、晶に注意を促すか。


「晶の事か?」


 不意に厳次がそう問うた。悩みの中核を言い当てられて、誤魔化し切れずに首肯した。


「衛士を軽んじる傾向がありました。

 我々は華族です。特に、輪堂様と久我様は八家の方々です。如何に気安く接する事が許されていても、本来の立場を忘れて負担を増やすなど赦される事では無いでしょう」


「確かに守りには入っていたが、軽んじているほどではないだろう。

――それに、晶にとっても今回はいい機会だ。俺たち以外の衛士に接するなどそうない機会だし、身分の差貴種の上位精霊がどれだけの火力を弾きだすのか知るのは重要だ」


「ですが、精霊技せいれいぎを2連続です。衛士の方とはいえ、未だ若輩。獲り零しがあるのでは?」


「そのために、俺たちがいる。

――それに、たった2連続だ。お嬢は自分を卑下する傾向があるが、輪堂本家でも学院でも、精霊技の応酬なぞ訓練でも茶飯事だぞ。お嬢に大丈夫なら、久我の神童なら保証も出来るだろう」


「そう、ですね」厳次の態度に抗弁も無駄と見て、ちらりと後方に目を遣る。そこには、厳次が班とは別に連れてきた10名が黙って控えていた。

「彼らの様子は如何ですか?」


 それは、厳次の強硬な主張で配備された、厳次肝いりの部隊だった。

 見た感じ剣も楯も無く、身を守る手段は一切ない。だが、上手くいけば、今後の練兵の在りようが一変するだろう存在だった。


「……訓練時間がかなり短かったからな。だが、舶来商人の売り込み文句が正しければ、部隊運用としては充分なはずだ」


「上手くいって欲しいもんですがね。

――正直、訓練だけでも金食い虫です」


 そして、上手くいかなければ、厳次に対する万朶の風当たりが更に強くなるはずだ。

 新倉の懸念は、其処に有った。

 万朶と厳次の不仲振りは、仲間内でも有名だ。

 厳次は余り気にしていないが、政治力でのし上がった万朶は、八家にも認められるほどの実力で知られる厳次を目の敵にしていたのだ。


……無いもの強請りを気にしてもしょうがなかろうに。

 そうは思うが、こればかりは人の心だ。

 妬み嫉みは人の業、なのだろう。


 だが、厳次も出世には向かないから、これで良かったのかもしれない。

 守備隊の練兵を使い潰して衛士を効果的に運用する、昨今の守備隊の風潮を厳次は嫌っていた。

 そのためか、厳次の意識は自身が預かった守備隊の隊員たちが、どれだけ犠牲が出ずに巣立つかに向けられていた。

 出世すれば、それだけ、厳次の見るべき隊員も増える。

 新倉は、厳次が出世した事で潰れるのを見たくは無かった。


「そう云えば、この後、晶君に何を頼む心算つもりだったんですか?」


 出がけに、厳次が晶に声かけた事を思い出した。

 主だった所用は一段落している。晶への用事なぞ無かったはずだが。


「頼む? あぁ、頼み事じゃあない。少し前に話したろ、あれ・・を本格的に提案してみようと思ってな」


「……あぁ、その件ですね。彼は呪符も書けるし、そういう意味では良い頃合いです」


「だろ? まぁ、今日、生きて帰れたら、の話だ。

――時間だな」


 不意に、厳次が顔を上げた。

 遅ればせながら、瘴気が随分と濃くなっている事に新倉も気付く。


「総員、構えろ。

――来るぞ!!」


 全員が慌ただしく、二班に分かれて楯と槍を構える。


――その時、山が振動を伴って啼いた。


 ♢


――時は少し遡る。


……誰だよ、この配置決めた奴。


 晶は、誰にぶつけることもできない不満を、内心でぶつぶつと漏らしていた。

 因みに、決めたのは自分自身である。


 松脂と油泥タールを練りこんだ獣除けの楯で油断無く身を守りながら、ひたすら前方の木々を塗り潰す夜闇を睨み付けた。

 晶にとって、これは初めての山狩りではない。負担の集中する楯班の殿を務めるのも慣れたものだ。

 だから、苛立ちの原因は別のところにあった。


「ねぇねぇ、もっと肩の力を抜きなよ。そんなんじゃ、余計な怪我をするだけだよ?」


 晶より更に負担が増大する曲道の部分に陣取っている咲が、振り分けられている場所の過酷さを感じさせない気楽な口ぶりで話しかけてくるのだ。

 善意の忠告なのは分かっているが、関わりたくないと思っている相手からの、場にそぐわない口調でのそれは、晶の神経をこれでもかと云わんばかりに逆撫でた。

 とはいえ相手は華族、それも八家の一角、輪堂家の息女だ。元八家とはいえ、晶は精霊無しの忌み子として追放された身、その立場の差は晶の生命すら容易く消し飛ばすことを可能にする。

 沈黙すら自身の身にとっては危険と思い、しぶしぶ口を開く。


「……衛士の方には分からないと思いますが、自分たち練兵は単に鍛えているだけの兵士に過ぎません。

 霊力の使える中位精霊の遣い手でさえない、中型の穢獣けものを討滅するのにも、命がけなんです。

 今回は山狩りなんです。一瞬の気の緩みが生命の浮き沈みに直結するなら、常時、気を張っていた方が生き残る確率は高いと思っています」


「でも、君は中位精霊の遣い手でしょう? 呪符が書けるほどの霊力の保有者は、中位精霊以上の霊格を持っている事が条件のはずよ?」


――余計な事を…。

 思わず歯噛みをする。

 晶に楯班全員の視線が集中した。晶が呪符を書けるのは周知の事実だが、それでも中位精霊の遣い手は、守備隊の中にあっても希少なのだ。羨みの視線は入隊当初から強くあった。

 精霊を調べるなり、詮索されるなりの致命的な行動はされなかったものの、下位精霊の遣い手しかいない守備隊に在って、生き残る確率の高い晶は常にやっかみの対象だった。

 咲には関係の無い話だろうが、晶が守備隊の隊員に溶け込むまでかなりの努力を必要としたのだ。



 そもそも、そのやっかみは筋違いだと声を大にして言いたかった。

 何故か呪符が書けるものの、晶は精霊無しなのだ。どちらかといえば、下位精霊を宿している奴らの方が晶にとっては羨ましかった。


――入隊当初のこじれた関係が再燃したらどうしてくれる!?


 こんこんと楯の縁を叩き、隊員たちの視線を木々に広がる闇に戻す。

 慌てて視線を戻す隊員たちをよそ目に、いまだ納得していない咲を誤魔化すために辻褄合わせの台詞を紡いだ。


「自分が中位精霊の遣い手だったとしても、他の隊員は下位精霊の遣い手しかいないんです。

 一つの乱れが全体を決壊しうる山狩りは、何よりも足並みを揃えることが重要になります。お嬢様の安全を確保するためにも、我々は最大の集中を求める必要があります」


「ふーん。そんなものなの?」


「はい。ご理解のほど、よろしくお願いします」


 いっそ、慇懃無礼ととられかねないほどの丁寧さで話を締めくくる。

 しかし、礼節に関してあまり気にしない性格タチなのか、晶の態度に言及の姿勢を見せずに頷くに留まった。


 話題が無くなり、夜の帳に気まずい沈黙が落ちる。

……といっても、晶はそのことに何も思いはなく、緊張を維持することに努めたままだったが。


「ねぇ」沈黙に耐え切れなくなったのか、咲が再び口を開いた。「この山の穢獣けもの、主に何が出てくるの?」


 それでも与太話ではなかったため、応えるのに抵抗は少なかった。


「…主だったものはししですね。鹿もいますが、どちらかといえば南葉根の上の方が住処らしくて、まとまって釣りだされたことはありません」


ししかぁ…。厄介だね」


「え?」


「単体でも強力な穢獣けものだけど、群れで行動するから。その上、ヌシが生まれやすいじゃない。ウチの領地名瀬領でもよく出るよ」


 ヌシとは、個が保有できる以上の瘴気を宿した穢レを指す。

 通常のそれよりも強靭な肉体と知性を併せ持ち、身体から溢れる瘴気は、精霊力すら相殺しうる密度を誇る。

 そんな存在が群れの中核になって暴れ回るのだ。その暴力の波を殲滅するのは、衛士であっても並大抵の力量では務まらない。


ヌシを見た事が?」


「あるよ。瘴気が山野を腐らせて、穢獣けものが隊を喰い荒らすの。衛士になったばかりの私たちじゃ止めることも難しかったわ。

……君は見た事がある?」


「幸いながら、見た事がありません。

――話には聞いていましたが、そこまで強大な存在なんですか。自分たちじゃ、食い止めるのも難しそうだ」


「うん。忠告よ、あれに会ったら逃げなさい。生き延びるのは防人以外は恥じゃないわ」


「防人以外は、ですか?」


「当然でしょ。神柱みはしらに迫る万難を祓って、護国のために死ぬは防人の本懐よ。

 そのために私たちは上位精霊を与えられて、『氏子籤祇うじこせんぎ』で衛士の位を神柱より戴いているの。

 君も籤祇で云われたでしょ? 

 ”千早振る荒ぶる神世の流れに神の世に従いて身を委ねよ汝れが本懐貴方のありようは遂げんと願うその先に在る”って」


 同年代の衛士が口にした覚悟は、晶にとって新鮮なものだった。防人の覚悟なぞ、晶は誰からも教わった事が無かったからだ。


「そう、でしたね」しかし、そう応えるので、精一杯だった。『氏子籤祇うじこせんぎ』には、嫌な思い出しかなかったからだ。心が圧し潰されながら引き直した白い籤紙くじがみが、脳裏に鮮やかに蘇る。


「私は私の本懐を遂げる。君は君の本懐を遂げなさい。

 君の精霊を裏切らな―――」


 それまで紡いでいた言葉を切って、視線を宙に浮かせた。

 咲の纏っていた弛緩した空気が、みるみるうちに張り詰めていく。

 どうかしたのか、問う必要も無かった。


――それまで僅かに吹いていた微風が止んでいた。


――よどむ空気に何とも言えない悪臭が混じっている。


――否、臭いではない。空気そのものが腐・・・・・・・・り始めているのだ・・・・・・・・


――その腐敗が、直接、鼻腔はなを衝いているのだ。


 瘴気が空間を腐らせながら、漂ってくる。その先に、瘴気を放つ存在がいることは明確であった

 迷う暇は無かった。楯を構え直して全員に警戒を叫ぶ。


「総員、警戒態勢! 来るぞ!!」

 晶の叫びと同時に、勢子班が吹き鳴らす呼び笛が夜闇の奥で鋭く響き渡る。

 次いで、独特の抑揚のついた音が短く二つ、晶の耳に届いた。


「獲物はししだ! 撥ね飛ばされないように気張れぇっ!!」


 まだ、此処に到達するまで数分はかかるだろう。それでも、地面を揺らし大気を震わせる気配が、相手が相当に大きな群れになっている事を伝えてきた。


「……ヌシでしょうか?」


「多分、居ないと思う。あれ・・が居るなら、この程度じ・・・・・ゃあ済まない・・・・・・わ」


「安心しました。総員、楯構え! 接触と同時に2歩押し込むぞ!」


 楯を持った班員全員が、一糸乱れぬ動きで同じ方向に楯を構える。


「――いいえ。一歩よ」「は?」

「一歩でいいわ。ただし、確実に押し込んで」


 何の意図があるのか、咲が晶の指示に変更を出した。

 一歩では群れの進路変更が浅すぎる、間違いなく獲り零しが出るはずだが、咲は揺るぎなく此方に視線を向けてきた。

 問い返そうにも、もう時間は無い。追及は諦めて楯を構え直す。


「一歩ですね!?」悲鳴混じりの確認をする。もう分に足りない時間で接敵するからだ。


「えぇ。2歩目は絶対に出さないで」


 そう言い残して、歩数を確認するように歩きながら晶たちから距離を取る。

 もう何も云えない。加えて衛士からの要望だ、晶には従うしか道は無かった。


「総員、聞いたな? 一歩だ、確実に押し込め!」


「「「はい!!!」」」


 班員たちの応えから一拍後、瘴気と共におびただしい数の猪の穢レが、森の奥から飛び出てきた。

 猪の毛は腐った粘質の液に塗れ、眼は赫く充血している。云われない限り、猪とは直ぐに分からないほどの凶相をしている。


――接敵。


 がぃん! 腐った獣臭と共に、生物とぶつかったとは思えない音が楯越しに響く。

 穢獣けもの、それも猪の突進力を真面に真正面から受けられるわけはない。晶たちが出来るのは、せいぜい側面から穢獣けものを楯で押し込んで進路を変えるくらいだ。

 それでも、群れが持つ莫大な突進の圧力が同時に伝わり、身体が抵抗しようと軋みを上げた。


「楯班、押し込めぇぇぇっっ!!」


「「「雄ォォッッ」」」


 群れを成す生き物は、先頭の一体に追従して走る習性がある。つまり、その一頭の進路を変えることができれば、後に続く群れも進路を変えて走る。

 百に届くであろう大きな群れの進路を変えるためには、息を合わせて接敵した者から順に先頭の鼻面を押し込む必要があるのだ。


 ガリガリと硬質な存在が楯の表面を削りながら進む。

 濃密な瘴気が猪とともに駆け抜けた。

 生有るものを生きたまま腐敗させる瘴気のなか、辛うじて晶たちが無事である理由は、楯越しに猪を押し込んでいるからに過ぎない。

 樫の合板が削られながら、それでも楯に穢獣けものがぶち当たる感触と同時に、隊員たちは全力で楯を押し込んだ。


 身体が上げる悲鳴を無視して、全力で押し込む。

 本来なら2歩押し込む必要があるものが1歩に減ったのだ。その分、全力で楯を押し込む。


「いっっぽぉぉぉぉっっっ!」


「「「征ィィィッッッ!!!」」」


「――燕牙えんが


 さして大きくも無い咲の声が、晶の耳元に届く。

―――ォ!

 頼まれた1歩を全力で押し切ったその刹那、爆音と共に緋色の奔流が晶たちの視界を埋め尽くした。


 ♢


TIPS:穢獣けものについて。

 穢獣けものは、瘴気に堕ちたけがレの中でも、瘴気で変質した野獣のことを指してそう呼ぶ。

 本質的には、元となった獣とそう変わりはないが、瘴気を纏い凶暴性を増して周囲を攻撃するのが特徴。

 穢獣けものが他の生き物に触れて瘴気が感染すると、その生き物も穢獣けものに堕ちる。

 山間や見えないところで感染を広げる群れを形成するため、討伐はしやすいものの、駆除は至難の業である。


 ちなみに、晶はこの穢獣けものに堕ちるのだと噂されていた。


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