1話 華蓮にて、生を食む1

――統紀3999年、文月7月朔日1日


 南部珠門洲しゅもんしゅう、洲都華蓮かれん

 初夏の暑さは、特に此処、南部では盛況を極める事で有名だ。

 未だ薄明が残る早朝の時分にあってさえ、滴る汗は止め処とめどないほど暑気は猛っていた。


 華蓮の南東の郊外近くにある、華蓮南東の守備を主な任務とする8番守備隊屯所に併設された道場は、朝練の威勢で早朝にも関わらず常の活気で満ちていた。

 

「攻め足ィ! 上段、構えェ!」


「「はいっ!!」」


 8番守備隊の隊長と道場の師範を兼任する、阿僧祇あそうぎ厳次げんじの号声が飛ぶ。

 最長齢でも14を数えたばかりの少年たちが、厳次を追うように斉唱で応えた。


 一糸乱れぬ動作で木刀が振りかぶられ、

「勢ィ!」若い威勢と共に、振り下ろされた。


「「勢ィ! 勢ィ! 勢ィ! 勢ィ! 勢ィ!」」


 全員の声と動作が和合して、頑丈な床の杉板を軋ませる。

 樫で出来た木刀を振るう少年たちの表情は、戦場にあるような一線の緊張を漂わせている。

 少しでも周りとの拍子が崩れたりしようものなら、叱責と同時に素振りが百は追加されるからだ。


 厳次の木刀が虚空を揺らぎなく切りつける。と同時に少年たちの威勢と共に、樫で出来た木刀が乱れなく振り下ろされた。

 むわりとした熱気が渦巻き、汗でしとどになった顔から滴が落ちて、磨かれた樫材の床板を濡らす。

 そんな少年たちに混じって、今年で齢13を数える晶も張り詰めた表情で木刀を振るっていた。


 それは、この道場ではありきたりの風景。

 繰り返される毎日の焼き直しだった。


 3年前の追放されたあの日、汽車に飛び乗って流された果ての地。

 南部珠門洲の洲都華蓮にて、晶は似た境遇の少年たちと共に洲都守備隊の練兵として穏やかな日々を過ごしていた。


 ♢


 カン、カン。朝練終了の鐘の音が聞こえる。

 朝練の後、振る舞われる麦飯の握りと沢庵に飛びつく少年たちを眺めてから、師範の阿僧祇厳次は屯所内にある事務室に戻ってきた。

 自机に座るより先に、毎日の日課となっている陰陽計の確認をする。


 年季の入ったそれの縁を指で弾いて、計測針を浮かして数値を安定させた。

 ゆら、ゆら。頼りなく左右に揺れてから、やがて一点を指して止まる。


「陽気の3、瘴気濃度は5以下。

……良過ぎるな・・・・・


 結果とは裏腹に、厳次の表情は渋かった。

 諦め切れずに、再度、陰陽のバランスと瘴気の濃度を測る計器の縁を弾いて結果を出し直す。


 結果に変化は無く、獣息に似た唸りを吐いて自分の席に勢いよく腰を下ろした。


「この時間の数値としては、良過ぎるとも云えないのでは? 瘴気濃度は低くて悪い訳じゃあありませんし」


 事務方を主に任されている副長の新倉信が、経理の書類から顔を上げて怪訝そうに言葉を紡いだ。


 新倉の疑問も尤もだった。

 陰陽計の最大値は、陰陽両方に50まである。

 これから陽気の満ちる日中になることを考えても、良過ぎるという表現は奇妙であった。


「今日一日の話じゃない。小康より僅かに良い状況が、しかも、瘴気濃度も薄いままでもう十日近く続いている」


「はぁ……」


 新倉の要領を得ない生返事に苛立ちを感じて、がりがりと盆の窪辺りを掻き毟る。

 かと云って、直感畑の厳次に上手い説明が出る訳でもない。


 数値を見る分には、特徴の無い日々の変動しか記録されていない。

 穢レの行動で上昇する瘴気濃度も総じて低く、危険性も感じられない。

 厳次の感じている不穏さは、極言するとただの勘でしかないのだ。


「昨日までの不寝番ねずのばんの連中の交戦記録は?」


「えぇっと、……ここ1週間を見る限り、少ないですね。中型の猫又や犬の穢獣がせいぜい。

 大物が最後に確認されたのは、2週間前の大百足ぐらいですか」


 大百足…。確かに厄介さで大物扱いされているが、実質的な能力で云うならば中型の域を出ない。


「1区本部での定期会議は今日だったな? 俺の懸念を伝えておいてくれ。

 警戒区分は黄色でいい。暫くの間、衛士えじを最低二人、応援で寄越すようごねてくれ」


 衛士とは、防人と呼ばれる国土守護を任じられる者の中でも、特に上位精霊を宿し強力な精霊技を扱える者たちのことだ。


 8番隊には、阿僧祇厳次と新倉信の2名が衛士として、6名が防人の職に就いているがそれ以外は身体を鍛えているだけの通常の兵士しかいない。

 どこの守備隊も似たり寄ったりだが、絶対数の少ない衛士はどの部隊でも人手不足に喘いでいた。


「今日の会議の主催は、総隊長の万朶ばんだ様です。

 隊長は睨まれていますし、問題視されるのでは?」


「俺の評価が下がるくらいで安全が買えるなら、安値で幾らでも叩き売ってやんよ。

 食いモンじゃねぇんだ、常の緊張程度で即応できるんならその日無駄になっても損にはならねぇのと同じだ」


「……ははっ。了解いたしました。

 阿僧祇隊長の威を借りて、精々、立派な演説を一席ぶってきましょう」


「応。俺は舌が回らねぇ、お前の舌で遣り込めてくれ。

 ――ああ、ついでに呪符ふだの在庫はどれだけ残っている?」


「常の在庫分ならありますが、撃符攻撃系統が少々足りないかと」


「会議が終わったら、買える上限まで買い足しとけ。回符回復系統は?」


「通常より大きめの戦闘なら、2回ほど耐える程度は在庫を持っています」


 厳次の勘が、それでは足りないと囁いている。

 とは云え、家計的には火の車の守備隊に、潤沢な資金がある訳でもない。予備の支度金自腹を追加する必要があるか。

 呪符の流通を管理する呪符組合くみあいを責っ付いて、有るだけの回符を割引で供出させるか。

 そこまで考えて、思い出す。


「そう云えば、新倉。昨今、噂になっていた回符、聞いたことがあるか?」


「……あぁ。矢鱈、効果の高い回生符の事ですか?」


「そいつだ。何でも、千切れかけた腕を一瞬で治したとか」


「流石にそれは眉唾物ですがね、こっちでも調べておきました。まだ確証は持ってないので、報告は後回しにする心算でしたが。噂の回符は………」


 そこまで口にしてから、表に人の気配を感じて口を閉ざした。

 事務室に続く引き戸が、ノックの後、建付け悪い音を立てながら開けられる。


「失礼いたします。

 ――朝練の日報を持ってきました」


 入室の礼と共に、晶が事務室に足を踏み入れた。

 3年と云う歳月に相応の成長をした晶は、事務室に漂う微妙な雰囲気に首を傾げたものの、追及することなく処理待ち書類の棚に日報を置いた。

 雰囲気に空気を読んで、言葉を出さずに一礼のみ残して部屋を出ようとする。


「応、晶ァ。ちっと待て」


「はい。御用でしょうか、阿僧祇隊長?」


「お前、今夜は班長になって初めての不寝番だったよな?

 班の統率はどうだ?」


「……まだ、班員との関係に慣れはしてませんが、概ねは良好です。

 不寝番で浮足立っている奴が何人かいるくらいです」


「そうか、気は引き締めとけ。そう云う時に限って、状況は荒れるもんだ」


「はい」


「今日は妙覚山だったか、呪符ふだは充分に用意しておけ。

 ――後、もしかしたら応援が二人、暫くこっちに回ってくるかもしれん。そちらの分の準備も加えておいてくれ」


「はい」


 言葉少なく応じる晶だが、仕事は充分に熟すと知っている為、厳次もそれ以上は言葉を加えなかった。

 次いで、新倉の言葉が続いた。


「晶君、回気符の補充をお願いしたいんですが、どれだけ出来ていますか?」


「今週の分は一昨日おとついに納入したはずですが? 昨日の不寝番の奴らも消費してないみたいですし、充分に足りてるのでは?」


「隊長の指示で大量に消費する局面があるかもしれません。前倒しですみませんが、作っていたならあるだけください」


 新倉の要請に少し考え込む。僅かな間の逡巡の後に、頷いて見せる。

 守備隊に入隊する際、晶は回気符を作れることを阿僧祇と新倉に伝えていた。回生符も作れることを話すと、良いように使われる可能性があるため黙っていたが、本当に初期の符である回気符でさえ、作れるものが守備隊に居る事を二人は非常に喜び、週に10枚の回気符の納入を晶と契約した。


 これは、晶も意外に思ったことだが、南部珠門洲において呪符を作成する技能を持った者は非常に少なかった。

 これは、洲の持つ特性によるものだった。

 北部國天洲の神柱に加護を受けた者は、呪符に、正確には陰陽術と良好な相性をみせる。

 反対に南部珠門洲では、武術と精霊器への相性が最上となる。

 これは、どちらが良い悪いと云う話ではない。

 単純に相性の問題なのだが、符を作成し得るものが育ちやすい北部に比べ、南部は符術師の数が多く無く、呪符の数が少ないと云う問題を抱えていた。


 お陰で、晶の作成する初期の回気符でさえ、定価で取引が叶うと云う恩恵を受けていたが、こういった突発的な状況では数を揃えるために走り回らなければならない。


「来週納入する予定だった呪符を前倒しで持ってきます。

 その分、来週は納入出来ない事を承知して頂けると嬉しいです」


「問題ありません、お願いします。

 在庫を持っていたのは何故ですか?」


「俺が符を書けない状況に備えてですが、今回の場合でも有効だと証明できましたね」


「ふむ、いい心掛けです。

 今回は是非とも頼みます。来週は無しで構いません」


「はい、ありがとうございます」


 一礼して出て行く晶を見送ってから、新倉と晶の遣り取りに一応の沈黙を保っていた厳次は漸く口を開いた。


「……何故、有るだけ出させない? ありゃあ、まだ持ってるぞ」


「晶君との関係まで拗らせるつもりですか? 彼のお陰で組合の仲介料金を間引かれずに回気符を嵩増しできてるんです、この供給関係があるから8番隊は回気符だけは潤っているんですよ」


「そりゃそうだがな。クソ、國天州北辺の奴らが羨ましいぜ。あっちは呪符で困る事は無いんだろうな」


「私も少し前までそう思っていましたがね。どうもそうじゃないみたいです」


「どういう事だ?」


「回気符でさえ向こうでも書くためには、一定以上の素質が必要と云う事は変わらないって事です。

 どうやら、晶君だけが特殊なようでして」


 それを聞いて、厳次は首を傾げた。

 明らかに、おかしい点がある。


「確か、晶が入隊したのは10歳の時分だったな。あの歳で初期とはいえ呪符が一つ作れるなんて、平民出ならかなりの快挙のはずだ。

 何の理由で南部こっちに流れてきたんだ?」


「知りませんが、事情は聞いてませんよ。嫌われたくないでしょう?

 ……話を変えましょう。さっきの効果の高い回生符の件ですが」


「それか。俺が噂で聞くくらいだ。相当なモンってことか」


「効果は確かに。出回り始めたのは3年ほど前から、作っているのは玄生げんせいと云う雅号の短身矮躯のご老人だそうで、週に10枚、組合に呪符を売っているそうです」


「そんなに前か!? 何でこっちに情報が降りてこなかった!」


 厳次の苛立ちを、肩を竦めてやり過ごす。

 実際、新倉にもどうしようもなかった。組合は玄生の情報をひた隠しにしていたし、呪符も守備隊や防人界隈に流れないようにしていたからだ。

 ばれたのは、組合の上層が玄生の名声に箔を付けようと画策したからに過ぎない。


「組合が玄生殿に無断で銘押しを造らなかったら、今でもばれてなかったでしょうね」


 銘押しとは、云わば効果の高さを本人と組合が保証するという、プレミア商品に他ならない。

 銘押しこれの有無で、値段の高低ががらりと変わるのだ。

 つまり組合は、玄生の了解を得ずに銘押しを作る事で、玄生の料金をそのままに仲介料マージンをごっそり手にしようとしたのだ。


「組合が先走ったわけか、金の亡者共が碌なことしやがらねぇ」


「ですが、それで事が明るみに出たから良かったじゃないですか。

 取り敢えず、此処3区にいつも売りに来ているそうです。

 玄生殿が呪符を売りに来たら、優先的にこっちに回生符を回すように脅しときましたよ」


「――よくやった。

 入手したら、噂の効果を検証してみるとしようか」


「判りました。では、入手次第、使ってみるとしましょう」


 犬歯を剥き出して嗤う厳次に、追従して新倉も笑った。

 組合を脅したのは悪いとは思っていない。彼方も此方も、云ってしまえば組織だ。その運営に綺麗事では通用しないことくらいこの二人だって理解していた。


 ♢


 晶が守備隊の敷地を出た頃には、陽は高く昇っていた。

 一旦、自分の部屋に戻ってから中等学校ちゅうがくに登校する事を考えたが、それでは余りにも遠回りが過ぎる。学校の教材を含め必要なものは手荷物の中にあるため、汗臭いことを我慢して直接登校するか。


 三々五々、散っていった守備隊の仲間たちの姿は疾うにない。みんなの薄情さに笑みが零れるが、責める気は無かった。

 尋常中等学校で勉学が受けられるほど金銭に余裕を持っているのは、晶だけだと知っているからだ。

 他の仲間たちは金銭に余裕が無いため、大工なり商家なりの丁稚見習いで、日々の糧を食い繋いでいた。


 珠門洲で祖母の遺言に従って守備隊に入隊した時、越洲する奴は珍しくとも故郷を出されて洲都に流れ着く少年というものは意外と多いのだと初めて知った。

 農民や平民でも下の方に位置する者は、自身の子供の中でも長男か出来のいい者に家を継がせ、それ以外の者は別の土地に放逐するのが通常らしい。

 これは、何らおかしい事では無い。子供が複数いた場合、全員に家を継がせるなら、当然、一人分の割り当てはその分減る。

 女性おんななら嫁に行くという道があるが、入り婿を望む家は滅多にない。

 ならば、あぶれた少年は何処に流れるかと云うと、洲都などの大きな都市で食い扶持を探す選択肢が一般的だと云う。


 食い扶持にあぶれた少年は、守備隊に所属しながら丁稚を通して仕事を学ぶのだ。

 守備隊のみでは食い繋げないため、本職候補を別に持つのが普通だった。

 守備隊は、外敵、主に穢レに対する防衛を目的としているが、衛士でもない鍛えているだけの少年に容易に耐えられるものでもない。

 晶を始めとした練兵に求められているのは、防人以上の者たちが現場に到着するまでの時間稼ぎ。

 それだけに当然、死亡率も其れなり以上に高かった。

――これは、守備隊を隠れ蓑に使った口減らしの一種だ。


 それでも、流れてくる少年は守備隊に所属するのが当たり前になるという。

 これだけ命を安値で売られる環境に置かれても皆が守備隊を目指すのは、当然そこに欲してやまない飴が存在するからだ。

 入隊から6年間、守備隊を大過なく務め上げたら最短で市民権の取得が許される。人別省に登録し直して、決して揺るがぬ己の居場所を・・・・・・己の力で手に入れる・・・・・・・・・。洲都の一員として認められる現実的な方法の一つ。

 それは、どんな事情であれ故郷を追放された少年たちが心に見る、恐らくは至上の野望ユメ

 晶もその野望を抱く少年の一人だった。


 そのためにも、生き残らなければならない。

 今夜は、班を預かって初めての不寝番だ。実績を残していったらそれだけ市民権の取得が早まるのだと信じて、今は泥に塗れて生きるしかない。


――今夜は妙覚山だっけか。応援が来るって言ってたよな、隊長が云うなら衛士の誰かかな。

 あまり、横柄な人じゃなければいいんだけど。

 そう願いつつ、肩に荷物を掛け直した。

 中等学校の始業に遅れる訳にはいかない。猛る暑気の中、晶は小走りに足を踏み出した。

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