Tier53 理由

 脚付きの大きなホワイトボードを背に手塚課長は僕達を見渡す。

 そして、コホンと一つ咳払いをしてから話を切り出した。


「皆は、一年ぐらい前に起きた渋谷の通り魔殺人のことは覚えてる?」


 手塚課長はホワイトボードのボードをぐるりとひっくり返した。

 すると、そこには何枚かの顔写真と事件の概要が簡潔に書かれていた。

 僕はそれを見て背中がゾクりとした。

 まさかと思っていたことが、いとも簡単に現実になった。

 話の先も聞かないで僕はそう直感してしまった。

 それに、ここ最近また増えだした通り魔事件と何か関係があるに違いない

 僕はてっきり、突発性脳死現象による遺体が見つかったといったような話だと思って油断していた。

 それが過去の事件、それも通り魔事件というのはあまりにもだった。


「あー、確か少し前から裁判が始まったやつですよね」


 通り魔事件と聞いて眉をピクリと僅かに動かしたマノ君だったけれど、すぐに頭を切り替えていた。


「アタシもそれ、このあいだニュースで見たかも」


 美結さんが顔を上向き気味に言う。


「あの事件、渋谷のスクランブル交差点で起きたもんだから、かなりのインパクトがあったよな。一時はあの辺一体、厳戒態勢取られてたし」


 丈人先輩の言う通り、「渋谷スクランブル交差点通り魔事件」はここ最近では一番大きな事件だったかもしれない。

 犯人が手にしていたサバイバルナイフによって無差別に近くにいた人達から切り付けられていったらしい。

 亡くなってしまった方は六人にも上った。

「秋葉原通り魔事件」と肩を並べるぐらい僕達にショックを与えた事件だったと思う。


「そういや、事件の規模の割には裁判が始まるのもそうだが、諸々の手続きも早くねぇですか? まるで、何か急がなくてはならないでもあるかのような印象を感じますけどね」


 手塚課長にそう聞いたマノ君の眼光が一瞬鋭くなったように僕は感じた。


「……マノ君、君の観察眼には本当に頭が下がるね。今日、皆に招集をかけたのはそのについてなんだよね」


 後頭部に片手を回しながら、手塚課長は話の本題へと入っていく。


「渋谷の通り魔事件の被告人である広崎ひろさきひかるなんだけどね、一貫して容疑を否認しているそうなんだよ。容疑を否認しているという行為自体は特段珍しいことじゃないんだけどね、今回の場合は現逮しているし、現場の目撃者もたくさんいて、ドライブレコーダーによる証拠映像も多数存在するんだよね。そんな圧倒的に言い逃れのしようがない状況で一貫して容疑を否認しているというのはどうも気になってね」


 事件が起きたのは夜の遅い時間だとはいえ、場所が渋谷のスクランブル交差点なだけあって事件当時も多くの人がいたらしい。

 それに加えて、赤信号で止まっていた多くの車のドライブレコーダーに事件の一部始終が犯人の顔を含めてバッチリと記録されていたみたいだ。

 そんな状況で容疑を否認したところで、口頭証拠や物的証拠、状況証拠から起訴は免れず今に至っているようだ。


「それで、いろいろと探りを入れてみたら広崎が気になる証言をしていてね」


「気になる証言ですか? けれど、それって広崎の証言ですよね。自身の容疑を覆しようのない状況で否認を続けているような広崎の証言が当てになるんでしょか?」


 市川さんの指摘はもっともだった。

 僕も広崎の証言の信憑性はかなり低いように感じる。

 もし、手塚課長が言う気になる証言が本当だったとしても誰も信じようとはしないはずだ。

 オオカミ少年と同じようにね。


「うん、そうだね。でも、その逆は考えられないかな? 広崎は全て本当のことしか話していないとしたら? ほとんどの人間なら、あの状況で否認をしても意味は無いということは分かるよね。ましてや、通り魔を起こして現行犯で捕まった人間がハナから容疑を否認するというのは非常に珍しい」


「だが、広崎は容疑を否認し続けていると」


「そうなんだよ。どうも、そこに違和感を感じてね。そしたら、気になる証言が出て来たわけなんだよ」


「で、その気になる証言って何なんです?」


 マノ君がじれったそうに聞く。


「あぁ、ごめんごめん。勿体ぶった言い方しちゃったね。広崎が言うには、気が付いたら警察に捕まっていて犯行の一連の状況は全く身に覚えが無いって言っているらしいんだよ。スクランブル交差点を渡ってから見知らぬ男に落とし物を手渡されたとろまでは覚えているらしいんだけれど、そこから先は警察に捕まっていると気づくまで完全に記憶が無いということみたいなんだ」


「あの~それって、広崎の精神状態か脳に何らかの原因があるからではないのでしょうか?」


 僕には手塚課長が言った気になる証言というのが、どこに気になる要素があったのかどうかよく分からなかった。


「もちろん、広崎を担当した検事も伊瀬君と同じように考えたみたいで精神鑑定を依頼していたようなんだ。そして、結果は異常なしだったんだ。つまり――」


「つまり、広崎はマイグレーターの誰かに体を乗っ取られた上で犯行に及び、意識は消されずに警官に捕まった段階で乗っ取られた体が元に戻った可能性が高いってことですね」


 よく分かっていなかったのは僕だけだったようで、他の皆はマノ君と同じ結論に達していたみたいだ。


「そういうことだけど、私のセリフ取らないでよ~マノ君~」


「あ、すみません」


「美味しいところだけ取って行っちゃって……せっかく伊瀬君が良い感じに質問してくれたから、課長らしくビシッと決めたかったんだよ」


 手塚課長は残念そうに肩をすくめる。


「大丈夫ですよ。手塚課長はちゃんと課長ですよ」


「そんな半笑いで言われても説得力は無いんだけどね」


 少しふてくされたようにマノ君に言う手塚課長は珍しかった。


「そんなことより、広崎の体を乗っ取ったマイグレーターは十中八九、記憶が無くなる寸前に広崎に接触して来た男でしょうね。この仮説が正しければ、広崎は新たなマイグレーターに繋がる情報もとい記憶を持っている可能性があるってわけだ。やっと、俺達が招集された理由が分かりましたよ」


 不敵に笑ったマノ君の横顔は、僕には酷く恐ろしく見えた。

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