Layer35 飲み物
「はい、これ」
そう言って姫石は上着から下着までの服装一式が入った大きな手提げ袋をずいっと前へ手渡してきた。
「お、結構重いなこれ。しかも想像以上にたくさん服あるし。これ持ってくるの大変だっただろう。本当ありがとな」
渡された手提げ袋からずっしりとした重みを感じながら俺は改めて姫石に礼を言った。
「たしかに重かったけど自転車のカゴにのっけてきただけだから、そこまで大変じゃなかったよ」
家の脇の方を見ると姫石のものと思われるターコイズブルーのカゴ付きの自転車がそこには置かれていた。
「それに今は玉宮の体だったから思ってたより重くは感じなかったし。玉宮って見た目の割には力あるんだね」
「見た目の割にはは余計だが、これでも一応男なんでな。ある程度は体を鍛えているつもりだ」
「へぇ~玉宮でも筋トレとかしたりするんだ。なんか意外」
「意外とはなんだ。俺が筋トレしてたらなんだって言うんだよ」
「別になんにも言わないけどさ~意外だな~って」
まったく、こいつは俺のことをどこまで非力だと思っているのだろうか。
「やっぱり姫石も制服なんだな」
俺は切り替えるように制服姿の姫石を見ながら言った。
「やっぱりって……だって制服ぐらいしか着れるものないでしょう。それとも、あたしが男物の洋服でも持ってると思ったわけ?」
うん、ちょっと思った。
「そ、そういうわけじゃなくてな。俺だって制服着てるからやっぱり選択肢は一つしかなかったんだなって思っただけだ」
「ふ~ん。ま、いいや。それじゃあ、あたしは玉宮に服も渡せたことだしもう帰るよ」
「もう帰るのか?」
とっさに俺は姫石を引き留めていた。
「え? うん、まぁ帰るけど。何かあたしに用事でもあった?」
「い、いや用事とかは別にないんだが……ほら、せっかく来てもらったのにこのまま帰すのもどうかなと思ってさ」
「そお?」
「あぁ。たいそうなものは出せないが俺の家で何か飲んでからでも帰たっていいんじゃないか?」
「玉宮がそう言うなら、お言葉に甘えてそうしようかな」
「そうか。じゃあ今鍵を開けるからちょっと待ってくれ」
ブレザーのポケットから家の鍵を取り出して俺はガチャガチャと鍵を開けた。
「お、お邪魔しま~す」
俺の後に続いて姫石が挨拶と共に入ってきた。
「そう遠慮せずにあがってくれ」
「う、うん。ありがとう」
姫石が靴を脱ぎながら、なんとなくぎこちなく言った。
「昨日も言ったけど今は家に親はいないんだ。だから思い切りくつろいでもらって全然大丈夫だ」
そう言って俺は鍵を閉めた。
カチャリという音が妙に俺の耳によく聞こえた。
あれ?
今、家には親がいないのか?
え?
じゃあ、誰が今家にいるんだ?
俺は靴を脱いで階段を登っていく姫石を見た。
家にいるのは俺と姫石の二人だけか。
……
二人だけだと!?
年頃の男女が家という外界から隔てられた密室空間に二人だけでいるのは不味いだろ!
ましてや付き合ってもない男女だぞ!
絶対にダメだ!
そもそも何でこんな状況になってるんだ!
たしか、帰ろうとした姫石を何か飲んでかないかって言って誘ったんだよな?
誰だよそんな余計なことしたやつ!
……
はい!
俺でした、すみません!
ドンッ!
俺は鍵を閉めたドアに思い切りおでこをぶつけた。
「何!? どうしたの?」
俺がおでこをぶつけた音を聞いて、階段を登り終えかけていた姫石が何事かと聞いてきた。
「大丈夫、何でもない。ちょっと自分の愚かさに嫌気がさして死にたくなっただけだから」
「ちょっと、それ本当に大丈夫なの!?」
「大丈夫、大丈夫。気にしないでくれ。あ、でも麗しき姫石のおでこをドアにぶつけてしまった」
「そんな軽口を叩いてるようなら大丈夫そうね」
あきれたような物言いの姫石にあしらわれながら、俺も靴を脱いで二階に上がった。
そういえば途中からなんとなく姫石の返事がぎこちなかったのはこれが原因だったのか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
二階に上がって軽く荷解きをした俺は冷蔵庫の中を見ていた。
この冷蔵庫には水か麦茶ぐらいしか飲み物としてまともに出せるものはなかった。
運の悪いことにインスタントコーヒーはちょうど切らしてしまっていた。
といっても、八雲のとこで実験器具に入れられたコーヒー飲んだことから普通のコップで出すと姫石に実験器具じゃないのかと文句を言われそうだったから出すつもりはなかったのだが。
冷蔵庫の中にはビール缶もあるにはあるが未成年にアルコールを飲ませるなど法的にアウトだ。
一昔前は知らないが……
いや、一昔前でも法的にはアウトはアウトなのだが……暗黙の了解って怖いな。
「お酒とたばこは二十歳まで」なんて言われてた時代だからな。
とにかく、もともと俺の家はジュースなどはあまり飲まないため冷蔵庫に入ってることは滅多にないのだ。
「1本ぐらいはジュースをストックしておくべきだったか……」
ジュースを嫌いなわけじゃないのだから買っておくべきだった。
若干、自分の日頃の習慣を後悔していた。
「姫石、悪い。飲み物水か麦茶しかないんだけど、どっちがいい?」
「……じゃあ麦茶で」
ダイニングテーブルの椅子に座った姫石が微妙そうな顔で答えた。
「ま、そうだよな」
「ってかさ、自分から何か飲んでかないかってあたしに誘っておいて水と麦茶しかないってどういうこと? 他に何かないの? ジュースとかコーヒーとか紅茶とか?」
「……ないです。コーヒーはちょうど今切らせててな……」
姫石があまりにもド正論すぎる。
「それで、水か麦茶しかないってわけね。これ二択じゃなくて実質一択だよね? お茶系が苦手じゃなきゃみんな麦茶選ぶと思うよ」
「おっしゃる通りです」
姫石があまりにもド正論すぎる。
ん?
なんかバッグってきたな。
「玉宮のそういうちょっと抜けたところも、あたしは嫌いじゃないけどね」
「そりゃあ、どうも」
「……少しは何か反応しなさいよ」
姫石が不服そうに呟いた。
俺の返答が素気なさすぎたのだろうか?
「反応って何がだ?」
「ッ! 聞こえてたの!? 別に何でもない!」
どうやら聞こえちゃ駄目なやつだったらしい。
「なら良いけど」
そう一言だけ言って俺は客人用のコップを洗い、二人分の麦茶をコップに注いだ。
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