Layer50 心理
「っと、その前に立花後輩。少し私の実験を手伝ってはくれないか?」
おそらく顔を真っ赤にして言ったであろう私の言葉に、先輩が覆いかぶすようにして言いました。
私があんなに勇気を振り絞って想いを告げようとしたのに、それを遮るなんて先輩はちょっとひどいです。
乙女心というものが全然わかっていません。
先輩らしいと言えば先輩らしいんですけど……
「……わ、わかりました。私ができることでしたら手伝います」
私は仕方なく先輩の実験の手伝いをすることにしました。
あとちょっとで言えそうだったのに……
「すまないな。立花後輩は何か私に言いたいことがあったのだろう? 実験が終わったらしっかりと聞くから、それで勘弁してもらえないだろうか?」
そんな風に先輩に言われたら許すに決まっているじゃないですか。
先輩はちょっとずるいです!
「良いですよ。約束ですからね!」
「あぁ、わかっている。どうも今日の立花後輩は少し妙だな。やはり、何かあったのか?」
「そ、そ、そんなことないですよ! 何もありませんから! それより手伝って欲しい実験って、どんな実験なんですか? この間の姫石先輩と玉宮先輩の入れ替わりの実験と何か関係があるんですか?」
私は慌てて話題を切り替えました。
「いや、入れ替わり現象の実験とは何も関係はない。あれは、二人の体を元の体に戻した時点で完結している。今回の実験の内容を端的に言えば、学習プロセスにおける報酬や罰の効果についての実験だ」
「えっと、私は実験で何を手伝えばいいんでしょうか?」
先輩が端的に言った内容があまりわからなかった私は自分が何をすれば良いのかを聞きました。
「そうだな。では、実験の概要を説明しようか。そこに電源発生装置と複数のスイッチが設置してあるのが見えるだろう」
先輩が示したそこには壁に沿うように並べられた机の上に電源発生装置と複数のスイッチが置いてありました。
電源発生装置は姫石先輩と玉宮先輩が元の体に戻る時に使った物でした。
「この電源発生装置は壁の向こうにある準備室の方に繋がるようにしてある」
確かに、この壁の向こうにはちょうど科学準備室があります。
「そして、既に生徒役の人間には準備室で待機してもらっている」
「生徒役ですか?」
「そうだ。今回の実験には生徒と教師という二つの役割がある。そして、立花後輩には教師としての役割をお願いしたい」
「わかりました」
教師役とはどんなことをするのでしょうか。
「ありがとう。教師役の具体的な説明だが、立花後輩には生徒役に問題を出してもらう。問題と言っても簡単な問題だ。読み上げられた単語のペアを暗記し、次に一方のみの単語を読み上げられた際にペアである単語を四つの選択肢の中から解答するというものだ」
「単語の問題ですか?」
私は単語の問題がどういう問題なのかあまりイメージできませんでした。
「例題としてはだな、まず最初にいくつかの単語のペアを読み上げる。『赤い車』だとか『青い空』とかだ。そして、『赤い』に続く単語を四つの選択肢から選ぶようにという問題を生徒役に出す。選択肢は①家、②車、③鳥、④紙という感じだな。立花後輩、正解は?」
「えっと、②の車です」
いきなり聞かれて少し驚きましたが、私は答えました。
「正解だ。問題としてはこんな感じだな。これで問題の概要は掴めたか?」
「はい、ありがとうございます。どんな問題なのかイメージがつきました!」
どうやら先輩は私が問題をイメージできていなかったことに気付いて、例題を出してくれたみたいです。
「それは良かった。立花後輩の声は、このマイクを通して生徒役に聞こえるようにしてある。生徒役からの声はこちらには聞こえないため、①~④の表示があるランプのいずれかが赤く点灯したものが生徒役が解答した番号というわけだ」
生徒役の人の声が聞こえないのは少し不便かもしれませんが、解答した番号がわかるなら大丈夫そうですね。
「もしも生徒役の人が解答を間違えてしまった場合はどうなるんですか?」
「その場合は生徒役に電気ショックを流す」
「え!? 電気ショックですか!? それって大丈夫なんですか?」
電源発生装置が置いてあったので何に使うんだろうかと思っていましたが、まさか電気ショックに使うとは想像もしていなかったので私はとても驚いてしまいました。
「大丈夫だ。場合によってはかなり痛いかもしれないが、体に後遺症を残すようなことは決してない。それに万が一何かが起きても責任は全て私が取る。だから安心しろ」
「それなら良いんですけど……」
「そもそも電気ショックなら玉宮香六と姫石華の時にも似たようなことをやっただろう」
「あ、そう言えばそうでしたね。じゃあ、大丈夫そうですね」
姫石先輩と玉宮先輩の体を元に戻す時に、静電気の代わりとして電気を頭に流していました。
「話の続きだが、電気ショックには15~450ボルトが用意されている。生徒役が一問間違えるごとに15ボルトずつ電圧の強さを上げていく」
机の上に置いてある複数のスイッチをよく見てみると、15ボルトから450ボルトまで15ボルト刻みで表示されていて、それと同じ数だけのスイッチがありました。
今は全てのスイッチがオフになっています。
「せっかくだ。立花後輩も電気ショックを体験してみるといい」
「えっ、私がですか?」
「他に誰がいる?」
そう言って先輩は私の左手首を出すようにと催促してきました。
私は恐る恐る左手首を先輩に差し出します。
念のため、やけどをしないようにと電極ペーストというものを塗ってから先輩は電源発生装置に線が繋がっている電気パッドを私の左手首に付けました。
電源発生装置からは他にも線が伸びていて科学準備室の方のも繋がっているようでした。
たぶん、生徒役の人も私と同じように電気パッドを付けられているのでしょう。
「よし、では立花後輩は目を閉じてくれ。これから流す電気ショックの電圧が何ボルトか当ててもらう」
「そんな私、何ボルトかだなんてわからないと思います」
「大体でいい。体感した電気ショックを何ボルトなのかを考えることが大事なんだ。さぁ、目を閉じてくれ」
「わかりました」
私は言われた通り目を閉じます。
「それでは、電流を流すぞ」
先輩の言葉を聞いて、私は身構えました。
直後、カチッというスイッチを入れる音と一緒にビリッと左手首から刺激を感じました。
「もう、目を開けて良いぞ」
言われて私は目を開けます。
いつの間にか左手首に付いていた電気パッドは先輩が既に取っていました。
「どうだ? 立花後輩、何ボルトだったと思う?」
「う~ん、そうですね……195ボルトくらいでしょうか?」
「正解は45ボルトだ」
「えっ、そんなに低いんですか?」
私が予想したものと正解に結構な差があったので驚きました。
「意外だったか? まぁ、電気ショックを受ける経験なんてものは中々しないからな。間違えてあたり前だろう」
「そうですけど、もう少し高いと思っていました」
「人間の感覚なんてものはいい加減だということだ。実験の説明はこんなもので良いだろう。立花後輩はそこに座ってくれ」
先輩が言ったそこというのは、電源発生装置や複数のスイッチが置いてある机のところにある椅子のことでした。
私が椅子に座ると先輩はホチキス止めされたA4用紙の紙を一部、渡してきました。
「その紙に問題文が書いてある。第一問目から順に読んでくれ」
「わかりました」
私は問題文に軽く目を通しながら言います。
「準備は良いか?」
先輩は私から少し後ろに離れたところにある椅子に座って言いました。
そのすぐ傍には使うはずだったような機械やスイッチが置いてありました。
「はい、大丈夫です」
「では、始めてくれ」
先輩に言われて私は一番上に書かれていた設問に目を落とします。
「今から私は単語のペアを読み上げ、次に初めの単語だけを言います。ペアになっていた単語を答えてください。大問1の問題です。『青い少女』、『真赤な太陽』、『太い首』、『緑のインク』、『金持ちの少年』、『大きい鳥』、『鋭い矢』、『綺麗な髪』、『涼しい洞穴』、『金色のペンキ』」
マイクに向かって私は設問を読み上げました。
「第1問、『青い』に続く単語を選んで下さい。①少年、②少女、③草、④バット」
一問目の問題を読み終わると、②という表示のランプが赤く点灯した。
「正解です」
私がそう言うと後ろの方で、ペンで紙に何かを書くような音が聞こえました。
先輩が実験の記録を取っているようです。
「第2問、『真赤な』に続く単語を選んで下さい。①ポスト、②リンゴ、③太陽、④ボール」
③という表示のランプが赤く点灯しました。
「正解です」
こんな具合に実験は進んでいきました。
始めのうちはぎこちない感じで問題を読み上げていましたが、少しずつ慣れてきて自分のリズムも掴めて自信がついてきました。
ですが、生徒役の人は問題が進むにつれて次第に解答を間違えるようになってきました。
「第19問、『冷たい』に続く単語を選んで下さい。①アイス、②部屋、③人、④空気」
④という表示のランプが赤く点灯しました。
「不正解です。90ボルトの電撃です」
そう言って私は90Vと表示されたスイッチを入れて電撃を流しました。
「ぅ」
一瞬、壁の向こうから音が聞こえたような気がしました。
ただ、なんとなくでしか聞こえなかったので私の勘違いかもしれません。
私は問題を続けました。
「第22問、『硬い』に続く単語を選んで下さい。①石、②頭、③パン、④肉」
②という表示のランプが赤く点灯しました。
「不正解です。120ボルトの電撃です」
私は120Vと表示されたスイッチを入れて電撃を流しました。
「うっ」
今度はとても小さくですが、間違いなく壁の向こうである科学準備室から聞こえました。
私は振り返って、先輩を見ました。
先輩は何かが聞こえたような素振りは全く見せずに、記録を取り続けていました。
「どうした、立花後輩? 何かトラブルでもあったのか?」
私が先輩を見ていると、視線に気付いた先輩が顔を上げて聞いてきました。
「あっ……いえ、何でもないです」
壁の向こうから聞こえたことについて先輩に伝えるほどの確信は、私にはまだ持てていませんでした。
そこからの数問も同じように問題を出し続けましたが、電気を流す度に壁の向こうからするとても小さな音は少しずつですが大きくなってきました。
「第31問、『赤い』に続く単語を選んで下さい。①硬貨、②ネックレス、③月、④ペンキ」
③という表示のランプが赤く点灯しました。
「不正解です。150ボルトの電撃です」
私は150Vと表示されたスイッチを入れて電撃を流しました。
「ゔッ」
今回は先輩にも聞こえるぐらいの大きさでした。
さすがに、私は振り返って先輩に報告します。
「先輩、今、壁の向こうから何か聞こえましたよね? このまま続けて大丈夫なんでしょうか?」
「聞こえた? 私には何も聞こえなかったが……勘違いとかではないのか?」
「勘違いではないと思います」
いくら科学準備室と壁を挟んでいるからといっても、これだけ聞こえれば勘違いするはずはありません。
「勘違いではないか……だが、いずれにしても問題はない。このまま続けてくれ」
「本当に大丈夫なんですか?」
「あぁ、大丈夫だ。そう心配するな」
そう言った先輩はまた記録を取り始めました。
私も流されるように問題を続けました。
「第33問、『悲しい』に続く単語を選んで下さい。①顔、②音楽、③ピエロ、④少女」
①という表示のランプが赤く点灯しました。
「不正解です。180ボルトの電撃です」
私は180Vと表示されたスイッチを入れて電撃を流しました。
「ゔッ!」
また、壁の向こうから音が聞こえました。
もう小さい音ではなく、しっかりと耳に届く大きさです。
「さすがに先輩にも聞こえてましたよね? 一度、生徒役の人の様子を確認した方が良いんじゃないですか? 私、確認してきましょうか?」
私は振り返って先輩に提案する。
「いや、その必要はない」
「でも、念のため――」
「その必要はないと言っているだろう。君にはこの実験を続けてもらわなければならない」
先輩の声は威圧的なものでは全然なかったけれど、私はなぜか先輩の言うことに従わなければならないように感じました。
「わ、わかりました」
そして、私は問題を読み続けます。
生徒役の人は解答を間違い続けるようになってきました。
その度に私は電圧を15ボルトずつあげていき、スイッチを入れて電気を流しました。
壁の向こうから聞こえてくる音はいつの間にか強いうめき声に変わっていました。
その音が聞こえる度に私は先輩を振り返って見ますが、先輩は黙って見ているだけでした。
「第39問、『柔らかい』に続く単語を選んで下さい。①ラグ、②枕、③髪、④草」
②という表示のランプが赤く点灯しました。
「不正解です。270ボルトの電撃です」
私は270Vと表示されたスイッチを入れて電撃を流しました。
「ゔゔゔゔゔぅぅぅ!」
助けてくれと訴えてくるような音が壁の向こうから聞こえてきました。
「先輩! もう実験はやめましょうよ!」
喉に痰が絡みついたような上ずった声で私は先輩に言いました。
「続けてくれ」
先輩は静かに言うだけでした。
「生徒役の人は嫌がっているんですよ!」
「それでも君にはこの実験を続けてもらう必要がある」
「死んじゃうかもしれないんですよ!」
「何が起きても責任は全て私が取る」
どんなに言っても先輩は同じ口調で静かに返してくるだけでした。
いつの間にか目に溜まってきた涙が頬を伝っていくのを感じながら、震える声で私はまた問題を読み始めました。
問題文の紙を持つ手の震えが止まりません。
電気を流すスイッチを入れる度に、唇を強く噛みしめます。
それでも私は問題を読み続けて、スイッチを入れ続けました。
「第43問、『湿った』に続く単語を選んで下さい。①夜、②草、③アヒル、④布」
②という表示のランプが赤く点灯しました。
「……不正解です。315ボルトの電撃です」
私は315Vと表示されたスイッチを震える手で躊躇いながらも電撃を流しました。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン!
言葉にも出来ないような金切り声と必死に助けを求めるかのように壁を叩く音が聞こえました。
「何か起きたかもしれません! 様子を見に行きましょう!」
「中断はしない。続けてくれ」
「こんなことして本当に大丈夫なんですか!?」
「大丈夫だ。心配するな。続けてくれ」
「……」
「続けてくれ」
「……だ……第44問、『勇敢な』に続く単語を選んで下さい。①女性、②兵士、③犬、④馬」
……
答えが返ってくる気配はありませんでした。
「解答がない場合は不正解の扱いになる。スイッチを入れてくれ」
……
「……ふ……ふ……不正解です。……330ボルトの電撃です」
……
……
……
カチッ
私はこの音を聞いてもう限界だと思いました。
スイッチを入れても物音一つ壁の向こうからはしませんでした。
手に持っていた問題文の紙を机の上に置き、ボタボタと落ちる自分の涙を眺めることしかできませんでした。
「どうした? 次の問題を読んでくれ」
「こんなのもう死んじゃいますよ! いえ、もう死んでいるかもしれないんですよ!」
「実験のためには続けてもらわないと困る」
「いくら先輩でもこれはやり過ぎです! 今すぐやめるべきだと思います! せめて、生徒役の人が無事かどうか確認するだけでも! 物音ひとつしないんですよ!」
私は泣きじゃくりながら必死に先輩に実験を中止するように訴えました。
「いや、続けてくれ。君には実験を続ける以外の他の選択肢はない。君は実験を続けるべきだ」
先輩の静かな無機質な声が聞こえます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「第52問、『白い』に続く単語を選んで下さい。①雲、②馬、③岩、④家」
答えが返ってくる気配はありません。
「不正解です。450ボルトの電撃です」
ついに私は最後のスイッチである、450Vと表示されたスイッチを入れようとします。
カチッ
私がスイッチを入れる音は聞こえますが、壁の向こうからは何も聞こえません。
「ありがとう。実験は終了だ。最後にいくつかの質問に答えて欲しい」
先輩の実験の終わりを告げる言葉を言いました。
「そんなことよりも、大丈夫なんですか!? 早く様子を見に行かないと!」
「それよりも先に質問に答えてもらう」
「でも!」
「質問に答えたら、すぐにでも様子を確認しに行くといい」
「……はい……わかりました……」
「ではまず初めに、生徒役の人間に電気を流したのはなぜだ?」
「えっ? それは……先輩が実験を行うにあたって、そうして欲しいって言ったからです」
「では、電気を流し続けた理由は?」
「ッ!? 私は途中でやめたかったんです! もうやめたいって言ったじゃないですか!」
「生徒役の人間は痛そうだったか?」
「もちろんです!」
「やめて欲しいと?」
「そうです! 生徒役の人はそう訴えていたはずです!」
「でも、君は続けた」
「先輩が言ったからじゃないですか!」
「苦しむ人間の頼みは聞かずに?」
「……これは実験で必要なことだし、先輩だって止めなかったじゃないですか!」
「彼はやめて欲しいと頼んでいた」
「そうです……」
私はこの先の言葉を紡ぐことができませんでした。
「それでは最後の質問だ。彼が電撃を受けた責任は誰にあると思う?」
「……私にはわかりません」
そう言って私は泣き崩れてしまいました。
「そうか。以上で質問は終わりだ。生徒役の人間の様子を確認しに行くといい」
先輩にそう言われて私は我に返りました。
泣き崩れていた体を起こして、急いで科学準備室の扉を開けました。
扉を開けた瞬間、目に飛び込んできた光景は――
玉宮先輩が横たわっている姿でした。
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