Layer20.0 通報
鈍い音がした。
それと同時に自分の拳が相手の皮膚や肉に食い込む感覚が神経を通して脳に情報として伝わってきた。
人間を殴るとはこんな感覚なのか。
想像していたよりも生々しくもあり、推定していたよりも嘘っぽい。
「玉宮! 何やってんの!」
姫石の大きな声が電車の中に響いた。
立花も三人組の女子高生もその場を動けずに呆然としていた。
女子高生がいきなりサラリーマンをぶん殴ったわけだから、そうなっても仕方ないか。
立花は中身が俺だとわかってはいるが、どっちにしても心境はさほど三人組の女子高生と変わらないだろう。
俺がぶん殴ったサラリーマンは吹っ飛んで倒れていたりはしなかった。
もしも今の体が俺の体だったとしたら吹っ飛びはしなくとも倒れてはいたんじゃないだろうか。
俺よりも小さな姫石の手が少しづつ痛み帯びてきた。
人間を素手で殴ることは殴る側にも代償としてそれなりの痛みがあるらしい。
そんな姫石の小さな手でもサラリーマンの体制は崩すことができたらしく、どうやらよろけた時に近くにあったつり革に捕まったようだ。
その際に持っていたスマホが落ちたらしく、少し離れた床に転がっていた。
「な……な、な、何をするんだ! 急に……」
いきなり殴られたことに面食らっていたサラリーマンは困惑しながらも俺に強く抗議してきた。
「だ、大丈夫ですか!? 本当にごめんなさい! これはたぶん何かの間違いなんです! たしかに玉宮は人としてどうかしてる部分はありますが、急に誰かを殴ったりするような奴じゃないんです!」
姫石が必死にサラリーマンに対して謝罪をはじめた。
お前は俺の保護者か。
あと、人としてどうかしてるってどういう意味だ。
「ほら、突っ立ってないで、玉宮も謝って!」
そう言って姫石が俺に詰め寄って来た。
だから、お前は俺の保護者か。
「謝るも何も、私は意味もなく殴られたんだぞ。女の子が手を挙げるなんて。君たちどこの学校だ。今から学校にこのことを連絡させてもらう。君たちの態度次第では警察に通報することになるが、これは私も本意ではない。君たちはまだ社会に出ていない子供だ。大人として多少の酌量の余地は与えよう」
サラリーマンは落ち着きを取り戻しながら言った。
「だって、玉宮! この人が警察沙汰にしなくてもいいって言ってくれているんだから、早く謝って」
「……」
「何で黙ってるのよ! 事情がどうあれ殴ったことは玉宮が悪いんだから謝って!」
「……」
俺は沈黙を貫いた。
サラリーマンが一歩も動けないように見つめたまま。
「ッ! 大人として情をかけたつもりなんだが、やった当の本人がこの態度ではな。このままその態度を続けるようなら本当に警察に通報することになるな」
「お願いします! それだけはやめてください! あたしがちゃんと玉宮の態度を改めさせますので!」
「友達に無理強いされての謝罪をもらったところで何の意味もないよ。ちゃんと本人から自発的な謝罪がない限り私も出るところに出ざるを得ない」
「わかりました。ちゃんと自分から謝罪させますから、警察に通報するのは待ってください! 」
「いや、今すぐ警察に通報するべきだな」
「そんな! 今すぐにだなんて……それはさ……す……が……に?」
姫石は驚いて俺の方を振り返った。
「玉宮、一応聞いてあげるけど今警察に通報するって言った?」
「あぁ、言った」
「は! 何言ってるの! 馬鹿じゃないの! 本当に何言ってるかわかんない! 警察に通報するってことは捕まるてっことだよ!」
姫石が少し沈黙した後に、ものすごいスピードで言ってきた。
「捕まるだろうな」
「そうか君は捕まってもいいと。君がそのつもりなら、こちらもそれなりの対応をすることにしよう」
サラリーマンの言葉を聞いて、姫石はどうにか止めようとして口をパクパクとさせていた。
池に餌を投げた時の鯉に似てるな。
ま、さすがにあそこまではパクパクしていないが。
「いや、捕まるのは俺じゃない」
俺の言葉の意味をいまいち理解できなかったサラリーマンが眉をひそめた。
「なら誰が捕まるというんだ? 君以外に誰がいる?」
その返答として俺はサラリーマンに向かって真っ直ぐと人差し指を向けた。
「ハッハッハ。おかしいなことを言うな。なぜ、私が捕まらなくてはいけない? 私を殴ってきたのは君だろう。いくら女の子だろうと、これは立派な暴行だ。だから捕まるのは君以外には誰もいない」
「立派な暴行? お前にとってはご褒美なんじゃないのか? 大好きな女子高生に殴ってもらえたんだから」
「さっきから玉宮、何言ってるの?」
そう言った姫石だったが、直後サラリーマンの様子を見て何か違和感を覚えたようだ。
「なッ!」
これだけわかりやすく反応したんだ。
姫石も俺の行動には何かしらの裏があるとは思ったらしい。
俺に詰め寄って来ていた距離から一歩離れて、俺達を見守った。
「何を言い出すんだ、君は! 私は人に殴られて喜ぶような人間ではない!」
そう言ったサラリーマンの額から一筋の汗が流れていた。
「俺は人に殴られて喜んでいるなんて一言も言ってないぞ。大好きな女子高生から殴られることはご褒美なんじゃないか、と言ったんだ」
このサラリーマンは無意識に女子高生という単語を避けてしまったのだろう。
人間はこうも嘘が下手なのか。
「だとしても! 私はそのような人間ではない!」
額の汗をぬぐいながらサラリーマンは言った。
そして、目の端で落としたスマホを捉えたのを俺は見逃さなかった。
サラリーマンがスマホを取るよりも一歩早く、俺はスマホを手に取った。
「なぜ私のスマホを君が取るんだ! 今すぐ返せ!」
「どうしたんです? そんなに焦って。何かやましいことでもあるんですか?」
「そ、そ、そんなことはない! ……よし、いいだろう。今すぐ私にスマホを返してくれるのなら、今回の件は水に流してやろう。どうだ? 君も警察にご厄介になるのは嫌だろ?」
サラリーマンの問いかけを無視して、俺はサラリーマンに質問した。
「さっき、何で自分が捕まらなくてはいけないと言っていましたよね?」
俺は先程までサラリーマンが操作していた画面が付けっぱなしになったままのスマホを操作しながら言った。
「そんなことより、私のスマホを勝手に使うな!」
「俺の質問に答えてください」
「あぁ、言ったよ! だから何だ! とにかく私のスマホを返せ!」
これ以上渋ったら力ずくで来そうだなと思い始めた時、ようやく俺のお目当てのものが見つかった。
「なら、これは何です?」
俺はサラリーマンに見えるようにスマホの画面を向けた。
そこには同じ車両に乗っていた三人組の女子高生の一人を盗撮しようとしている映像が映っていた。
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