Layer18.0 デジャブ

 下校時刻のアナウンスがとっくに過ぎた化学室を日の入りしそうな太陽が最後の力を振り絞って照らしていた。


「そろそろいい時間だ。全員もう帰宅しよう」


 そう淡々と言った八雲は自分の荷物を持ち、窓の施錠の確認を始めた。

 こういう戸締まりといったところはちゃんとしているんだな。

 授業も受けていないにも関わらず、一体どんな荷物が入っているのか気になるところではあるが。


「そうだな、じゃあ帰るか」


 帰ると言っても姫石の体で帰るわけだけどな。

 いくら家に人がいないからといって、近所の人に見られないようには注意が必要だな。

 それこそ変な噂をたてられてしまう恐れがある。


「歩乃架ちゃん、一緒に帰らない?」


「え!? あ、はい。もちろんいいですよ」


 さっきの一件のせいか、なんとなく立花は姫石との心の距離が離れていた。

 そして、心の距離が離れられた当の本人は気にしていない……というより気づいていないようだ。

 本当にお目でたいやつだ。


 あれ?

 そういえば俺は?

 立花と一緒に帰るということは、俺は一人で帰れということなのか?

 ……よし、俺は八雲と帰るか。


「八雲、良かったら一緒に帰らないか?」


「一緒に帰ることは別に構わないが、私は自転車なのだが大丈夫か?」


 どうして俺は電車で通学なんかしているんだ!


「俺は電車だから一緒に帰るのは厳しいか。ならせめて駅までは一緒に帰らないか?」


 これなら問題ないだろう。


「すまない。この学校の最寄り駅とは帰る方向が真逆なんだ」


 秒で振られた。


「そ、そっか。なら仕方ないな。今日はいろいろありがとうな。じゃあな」


「あぁ」


 軽く手を挙げて別れの挨拶をした八雲は部屋の電気消して、俺達を外に出してから化学室の施錠をした。


「八雲君、今日はあたし達のためにありがとね。そして、これからよろしくね」


「先輩、気をつけて帰ってくださいね」


 姫石と立花にも軽く手を挙げて別れの挨拶をし、そのまま八雲は帰っていった。


 仕方がない俺は一人で帰るか。

 そう思い、八雲のあとに続くように俺は歩き出した。


「ちょ、ちょっと、どこ行くのよ!」


 なぜか姫石に呼び止められた。

 何か呼び止められるようなことをしてしまったのだろうか。


「どこって、そりゃあ家だろ」


「そうじゃなくて! 何で勝手に一人で帰ろうとしてんのよ」


「一人って、他に誰がいるんだよ。姫石は立花と帰るんだろ?」


「別に歩乃架ちゃんと二人きりで帰りたいなんて言ってないじゃない。帰る方向も同じなんだし、玉宮も一緒に帰るに決まってるじゃない」


「それも、そうか……」


「ねぇ、どうしてあなたはいつもそうなの? ……もっと自分を大切にしてよ」


 姫石が呆れたような、むくれたような、悲しいような、そんな顔で言った。


「あぁ、善処する」


 なんか怒られた。

 今のは俺が悪いのか?

 なんか悪いことしたかな、俺?


「それじゃあ、玉宮先輩も一緒に帰りましょう! 外も暗くなってきてるみたいですし、早く行きましょうか」


 外に目をやると立花が言った通り、少し暗くなってきていた。


「そうだね。早く帰ろっか」


 姫石が相槌を打ち、俺達は各々の下駄箱で靴に履きかえ校門を出た。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 俺達は、点いたばかりの街灯に照らされている道を夕日の明かりの残像を感じながら駅に向かって歩いていた。


「そういや、立花の家の最寄り駅はどこなんだ?」


「津田の台駅の一個先の恋歪浜こいひずみはま駅です」


「けっこう、近くだな。もしかしたら同じ中学校だったりするかもな。あ、でも最寄りが恋歪浜駅だとするとあの辺は市をまたぐからそれはないか」


「そうですね。でも、第五中学校というのは先輩達と同じですよ」


「そうなのか。あの辺は寺分てらわけ市の五中の範囲なのか。知らなかったな」


「そうそう、あたしもそれ聞いてびっくりしたんだよね。ほら、中学の時もあたしバドミントン部だったの覚えてるでしょ?」


「あぁ、覚えてる」


「うちの部活一回だけ歩乃架ちゃんの中学校と試合で当たったみたいなんだよね。もしかしたら、あたしその時に歩乃架ちゃんに会ってたかもしれないんだよ!」


「立花も中学校の時もバドミントン部だったのか?」


「はい。といっても姫石先輩の中学校と試合に当たった時は、恥ずかしながら私はまだレギュラーになっていなかったので試合には行けてないんです」


「姫石よりも一個下なんだ。レギュラーになれていなくても恥ずかしいことじゃない。けど結局、姫石と立花は会ってはいなかったってことか」


「たしかに結果としてはそうかもしれないけど、それにしったて、これってすごくない!?」


「あーすごい、すごい」


 学校の部活動の試合なんてものは近場の学校から集められるのだから、一回ぐらい当たっても確率的にはそこまですごくないだろ。

 逆に一回しか当たってない事の方が確率は低いと言われたら、何の躊躇もなく信じるくらいだぞ。


「何よ、その反応。絶対すごいと思ってないでしょ」


「そ、そんなことはない」


「本当に?」


 姫石がジト目で俺に聞いてきた。

 自分の顔でジト目をされてもな。


「もちろんだ」


 俺は堂々と答えた。


「え……ごめん、普通に嘘付いてるかと思った」


「あぁ、普通に嘘付いた。1ピコメートルも思ってない」


 そう言った瞬間、俺は姫石に思い切り耳を引っ張られた。


「どうしてそんなことで、あたしを騙すのかな? それに1ピコメートルなんて単位初めて聞いたんだけど」


 絶対零度のような冷たい声で言ってきた。

 どこかのマゾ気質の性癖持ちの変態にとってはご褒美なのかもしれないが、俺にとっては恐怖でしかない。


「どうしてかって? そんなの、この程度のことで騙される方が悪いからだ。そもそも騙すという行為自体理解できないと、どこかの魔法の使者を名乗る地球外生命体が言って、ててててて! ちょっ、姫石痛い痛い。それ以上引っ張るのはやめてくれ。俺の耳がッ痛い! 痛い! 痛い! マジで耳ちぎれるからやめて! 謝るから! ごめんて!」


 ブチッ


 俺の必死の抵抗と謝罪により、なんとか姫石は耳を引っ張ることをやめてくれた。


 ……必死という言葉は使わないでおこう。

 いくら頑張って抵抗しても、必死という言葉を使用すると瞬時に負けイベになる、というか死ぬ気がする。

 いくら死ぬ覚悟で全力を尽くすという意味だからって、わざわざ必ず死ぬって書かなくたっていいだろう。


「いっつも玉宮はこんなくだらないことであたしを騙すんだから。しかも毎回こうやって謝るくせにやめないのは何でだろうね?」


 姫石は笑顔で聞いてきた。

 だが、決して目は笑ってはいなかった。

 目は口ほどにものを言うとはこのことかと、俺はつくづく実感した。

 こんな形で実感はしたくなかった。


「さぁ、何でなんだろうな。もしかしたら、これが俺の生きがいなのかもしれない……わけないよな! わかってる! 今後、一切このようなことがないように致しますので、その手をどうか俺の耳に近づけるのはやめてください!」


 姫石の手がゆっくりと殺気を帯びて俺の耳に近づいてきていた。


 今だってまだ痛みが治まっていないというのに、これ以上引っ張られたら本当に耳がちぎれる。

 いくら中身が俺だからって引っ張られている耳は姫石のなんだぞ。

 これは完全に殺気で我を忘れているな。


 というか、さっき引っ張られている時に「ブチッ」という音が聞こえてきたのは聞き間違いだろうか。

 うん、聞き間違いだな。

 聞き間違いということにしておこう。


「まったく! これだから玉宮は……」


 そう呆れたように言って、姫石の手が俺の耳から離れて行った。

 俺は安堵するとともに、「これだから何だよ?」とも思った。

 聞かせてもらおうじゃないか。


「ぷっふふふふふふ」


 すると急に立花が笑い出した。


 あれ?

 これすごくデジャブなんだが。


「なんだか、姫石先輩と玉宮先輩って仲良しというよりも、」


「そういえば、立花!」


 俺は慌てて立花の言葉を遮った。

 このあと立花が何を言うのかはだいたい予想がつく。

 二度あることは三度あるなんて言うがそんなことは防ごうと思えばいくらでも防げるということを証明してやる。


「な、なんですか?」


 俺が慌てて食い気味に質問してしまったせいで少し引きぎみの立花だったが、この際仕方がないだろう。


「俺と姫石が入れ替わった直後に、姫石が立花に抱き着きながら大切な秘密を共有した仲って言っていたの覚えているか?」


「えぇ覚えていますけど、それがどうかしたんですか?」


 立花も姫石もきょとんとしている。


「俺、その秘密が何のことなのかわかったかもしれない」


「え! 本当にわかったんですか?」


 立花が不安気に聞いてきた。


「わかったと言っても、たぶんな。もしかしたら普通に間違っているかもしれないから期待はしないでくれよ」


 こんな風に言っといて実は間違っていましたなんてことになったら、恥ずかしくて死にたくなるので念のために保険を掛けておいた。


「ねぇ、玉宮。もしそれが本当ならさ、」


 姫石が途中で言葉を区切った。


「本当なら何だよ?」


 俺は嫌な予感を感じながらも、姫石に聞き返した。


「キモい」


 やっぱり、デジャブだ。

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