第23話 籠城
アキレスは人々の喜ぶ姿を確認すると、愛馬クサントスに跨がりメンフィスへ走った。メンフィスで籠城するプサムテク三世とともにペルシア軍と最後の決戦をするためだ。
クサントスのいななきに気づいたレイラは走って礼拝堂の外に出たが、アキレスは既にいない。
「きっとメンフィスだわ」
レイラはアキレスから貰った愛馬バリオスにまたがった。
「レイラ、行っちゃ駄目だ!」
ムクターはバリオスの手綱を取り上げ離そうとしない。
「アキレスに戦いをやめさせるの!」
「彼をとめることはできない!」
「あたしなら出来るわ! だってアキレスはさっき約束を守ってくれた」
レイラの目は激しく強く輝く。
「アキレスの為に祈ることが彼を守ることになる!」
ムクターは娘がアキレスを愛していると悟り、必死に説得した。
「メンフィスの宮殿に2000人以上の市民が集まって、王と一緒に戦う準備をしているって聞いたわ。きっとアキレスは皆の盾になるつもりよ」
レイラは拳を握りしめ、激しく涙を流した。
「ならば尚のこと、アキレスやメンフィスの皆の為に無事を祈るべきだ! 父さんも母さんもレイラと一緒に祈る」
レイラはバリオスのたて髪にしがみ付き大声で泣き続ける。
「レイラちゃん、アキレスは無敵にゃ」
泣き声を聞いたネジムとタミットも心配してかけつけた。
「そうよね。彼は無敵よね。あたしが行ったら、彼の足手まといになるだけだよね」
ネジムはレイラの苦しみが痛いほどよくわかる。
「わかったわ。神様はあたし達をこうして守って下さったんだからね」
レイラはそう言って鞍を掴みバリオスから降りようとした。
「レイラ、わかってくれたんだね」
安心したムクターは娘が馬から下りるのを手伝おうとした。
ところがレイラはムクターの隙を見つけ「父さんごめん!」と声をあげ、ムクターから手綱を取り返した。
「レイラ!」
ムクターの制止を振り切ってレイラはバリオスを走らせた。
ヒイイン!
「タミットおいらたちも行くにゃ」
「みゃー」
ネジムが猛ダッシュでジャンプしバリオスの尻尾を掴んだ。
タミットがネジムを飛び越え、レイラの背中にしがみついた。
「タミットちゃん!」
レイラが振り返るとバリオスの尻尾を握って振り回されているネジムが目に入った。
「ネジム!」
びっくりしたレイラがバリオスを止めようとすると、バリオスが走りながら勢いよく尻尾を一振りし、ネジムを大きく前方に飛ばした。
「ふにゃー」
勢いよく前に飛ばされたネジムは、走るバリオスのたて髪にストンと着地した。
「バリオスありがとう!」
レイラはバリオスの首を擦ると、バリオスは嬉しそうに目を輝かせさらに加速した。
その頃メンフィスのプサムテク三世のところには、カンビュセスから降伏を勧告する使節団が送り込まれていたが、誇り高きプサムテク三世はペルシアの使節団をその場で全員処刑してしまった。プサムテク三世の返事に激怒したカンビュセスはメンフィスに大軍を送り込むことにした。こうしてプサムテク三世は大勢のメンフィスの市民と共に籠城を続け、ついにエジプト軍はペルシア軍と最後の決戦をすることになった。
レイラ、ネジム、タミットを乗せた駿足バリオスは、すぐにアキレスのクサントスに追いついた。
「アキレス!」
「レイラ、来ちゃいけない!」
「いや。あたしも行く」
「これから先はペルシア軍の陣地があるんだ」
「こわくないわ」
「ネジム! レイラを止めろ!」
「レイラちゃんはアキレスを愛しているにゃ」
アキレスは何をいっても無駄と悟ると、手綱をグイッとしぼりクサントスを加速させた。
「バリオス!」
レイラも手綱をしぼりバリオスのスピードをあげアキレスを追う。
しばらく駆けるとアキレスとレイラたちは前方を進軍するペルシア軍の姿を捉えた。
「ペルシア軍だ!」
「戦うなんて無謀です」
「だから言ったろ。 来るなって」
「いえ、一緒に行きます」
「なら黙って着いてこい。強行突破するぞ」
「はい!」
アキレスがクサントスのスピードを上げた。レイラも負けじとバリオスを走らせる。
二人はペルシア軍の隊列を強行突破するつもりだ。
「おい! 誰か後ろから追いかけて来るぞ!」
大勢のペルシア兵士が弓や槍をかまえてまちうけた。
「止まれ! 止まらんと切り捨てるぞ!」
アキレスたちはペルシア軍の警告を無視して、ペルシア軍の中央目指して突っ込んだ。
騒ぎに気づいたカンビュセスは馬に跨がっているのがアキレスだと気づくや「城に入る気だ。行かせてやれ!」と立ちふさがる兵士たちに道をあけるよう指示した。
アキレスとレイラはそのままペルシア軍の中央を突破。
市民と一緒に籠城するプサムテク三世のもとへ急いだ。
「カンビュセス様、行かせてよかったんですか?」
「よい。エジプトのために戦うのなら、エジプトの兵士として葬ってやるまでだ」
カンビュセスは城に向かって駆けていくアキレスたちの後ろ姿を見つめた。
アキレスたちがメンフィス城に近づくと城の高台のディオがアキレスを確認した。
「おーい」
アキレスが大きく手を振ると、ディオが同じく手を振ってこたえた。城を守っているギリシア傭兵たちやエジプト兵たち、そして籠城している市民らが英雄の登場に手を振り歓声をあげた。
「門を開けるんだ! 仲間だ」
ディオの一声で巨大な城門が開けられた。
「待たせたな」
アキレスがにゃと目で笑う。
「アキレス!」
二人のギリシア傭兵が駆け寄ってきた。
「ディオ! アイアス! 無事でよかった!」
「アキレス、おまえもな!」
三人はたがいに腕を組み交わして、お互いの再会と無事を喜んだ。
「他のみんなは?」
アキレスは周囲を見渡す。
「みんな無事だよ」
ディオが肩を軽く叩く。
「そうか! よかった」
アキレスはよかったと、胸を撫で下ろした。
「あの娘は?」
アイアスがレイラを指さす。
「あ、いや、勝手に着いて来たんだ」
アキレスは照れ臭そうに言う。
「レイラです!」
レイラはアキレスの腕を掴んで微笑んだ。
「アキレス、おまえこんなカワイイ娘といつのまにぃ」
ディオやアイアスが茶化しながら肘でアキレスの脇を突っつく。
「ち、ちがう」
アキレスは慌てて、両手を大げさに振る。
「レイラちゃん、アキレスといい感じだにゃ」
ネジムが振り向くとタミットが浮かない顔をしていた。
「ほんとネ……」
タミットは微かに微笑むだけ。
「タミットどうしたにゃ」
ネジムは心配になってタミットの顔を覗き込んだ。
「明日の朝、ペルシアの軍隊が総攻撃をかけてくるみゃ」
タミットには未来がわかっていた。燃え上がる城、人々に襲いかかる悲劇。
「おいらも戦うにゃ」
「ダメよネジム」
肉球を握り締めるネジムをタミットは強い口調でとめた。
「タミット、おいらたちはその為にここに来たにゃ」
「あたしたちの使命は一人でも多くの人が助かるように祈ることだけみゃ」
「祈るにゃ?」
「このお城は明日の夕方までには無くなっているみゃ」
「戦争に負けるのかにゃ」
「そうなの。これは王と集まった人々が選んだ運命みゃ」
「運命……」
ネジムは幸せそうにアキレスと話しているレイラの姿を胸が詰まる思いで見つめた。
日が沈み星々が夜空に瞬きはじめた。
ネジムとタミットは宮殿で一番高い塔の屋根に登り二匹並んで箱座りした。
「夜空が晴れ渡っているにゃ」
「吸い込まれるような夜空みゃ」
二匹がしばらく夜空を眺めていると夜空に幾筋もの流れ星が煌めいては消え、消えてはまた煌めいた。
「人間てどうして殺し合うのかにゃ」
「愛に目覚めていないからみゃ」
「人間がみんな愛に目覚めれば戦争は無くなるのかにゃ」
「そうみゃ」
「早くみんな愛に目覚めないかにゃー」
「まだまだずっと先のことみゃ」
「ずっと先っていつにゃ?」
「わからないわ、人間の選択次第みゃ」
「人間の選択次第かにゃ」
「もちろん今だってレイラちゃんたち家族やアキレスさんのように愛に目覚めた人もいるみゃ。でも、もっと沢山の人間が愛に目覚めないと戦争は無くならないみゃ」
「人間はどうして欲にめがくらみ憎しみ合うのかにゃ」
「愛に満たされてないからみゃ」
「食べ物や土地をもっと欲しいからじゃないのかにゃ」
「愛みゃ、愛の喪失感、愛への飢えが欲を膨らませるみゃ」
「愛への飢えかにゃ」
「そうみゃ。愛に満たされていれば魂の飢えも癒やされ、心が豊かになるみゃ」
「心が豊かになるとどうなるにゃ」
「心が豊かになれば、物質的に満たされたいという過剰な欲求は自然に消滅するみゃ」
「だから愛に満たされた人々は、心豊かに生きることができるんだにゃ」
「愛に目覚めた人々は愛を分かち合いたいと思うようになるみゃ。そうすると自然に富も分かち合うようになるみゃ」
「だから隣人同士が助け合うようになるのかにゃ」
「隣人同士が、地域同士が、国同士が助け合うようになるみゃ。そうすれば……」
「戦争はなくなるにゃ」
「みゃ」
屋根から城下をみると、明日の決戦に備える幾人もの兵士の姿が見えた。
友人と話しながら拳を上げて檄を飛ばす人。
足を組んで座り込み、不安そうに夜空を見上げる人。
酒に酔って勇気を奮い立たせようとする人、様々な人の顔があった。
ネジムとタミットは城壁伝いに宮殿の巨大な城門の所に行ってみた。
城門には数名の兵士と民間人がいて門の鍵をしっかり閉め、ペルシア軍がいつ攻めてきても絶対に門を開けさせないぞ、と気迫に満ちた顔をしていた。
城壁は巨大な石を隙間無く組み合わせ、外からどんなに恐ろしい敵が攻撃してきても絶対に壊れることは無いと思えるくらい高く分厚く造られていた。
城壁を一回りしたネジムとタミットは、宮殿の中のそれぞれの部屋に入ってみた。
無数にある部屋の中でも特に大きな食料庫には、麦、そら豆、ヒヨコ豆、クルミ、アーモンド、オリーブ、ナツメヤシ、玉ねぎ、ジャガイモ、ナス、トマト、ニンニク、セロリ、ラディッシュ、キュウリ、レタス、レモン、メロン、スイカ、ブドウ、無花果などの穀物類や野菜類、果物類が豊富にあり、さらに塩漬けの魚、ボラの卵のからすみ、チーズ、燻製された獣肉などが山のように貯蔵されていた。
広い調理場には料理前のカモ、ガチョウ、サギなどの水鳥の肉や、山羊や羊の肉、チーズに加工される前のミルクも豊富にある。
もちろん食料庫にもキッチンにも仲間の猫が数十匹常駐していてネズミから食べ物を守ってくれていた。
「そろそろ戻ろうにゃ」
「みゃ」
歩き疲れたネジムとタミットは宮殿の最も高い屋根に戻ってくると、屋根の下の部屋ではプサムテク三世を取り囲んでアキレスやディオをはじめとするギリシア傭兵団の姿や、ファラオに命を預けたエジプト軍の将校数名の姿があった。彼らは大きな地図を広げて明日の作戦について最後の打ち合わせをしているようだ。
人間達の姿を見守りながら二匹の猫は屋根の上で寄り添い、夜の闇に消えていく流れ星をいつまでも眺め続けた。
メンフィス城の中にはエジプト正規軍の残党と、生き残りのギリシア傭兵団の他に、プサムテク三世を慕ってついて来たメンフィスの三千人あまりの市民がいた。彼らの多くは弓も引いたことがなく、槍も投げたことがないただの民間人だったが、傭兵のギリシア戦士らが、彼ら民間人に剣や槍を使った戦い方を教練していた。
エジプト人もギリシア人も皆がエジプトの栄光を信じて王と一緒に最後まで戦う覚悟で集まってきたのだ。
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