古代エジプト猫帝国の興亡

あきちか

第1話 いざ夢の国エジプトへ

 紀元前527年5月、古代エジプト第26王朝、イアフメス二世王治世の時代。

 かつて栄華を極めたエジプトだが、内紛や異国の侵略を受け、もはや衰退の一途を辿るばかりだった。

 だが今日もまた近隣諸国の多くの移民たちが豊と成功を夢見て、黄金の王国、エジプトの国境を越えるのだ。

 

 リビア砂漠、エジプトとリビア国境沿い。


「ついにきたな」

 ムクターは馬車の速度を落とし、両目を輝かせ広大な砂漠を見つめた。

 目の前に広がる砂漠の大海原、同じ砂漠でも故郷リビアの砂漠とは比べ物にならないほど輝いて見えるのはここがエジプトだからなのか。

「父さん、ここから先がエジプトだね!」

 レイラはすぐにでも馬車から飛び降りたくてしょうがない。

「そうだよ、レイラ。夢の王国だ」

 ムクターは一人娘を振り返りながら、笑顔を見せた。

「憧れの黄金の都だわ」

 母親のマブルーカは黒い瞳を爛々と輝かせる。

「母さんは黄金という言葉に弱いよね」

 今年十四歳のレイラが悪戯っぽく言う。

「そりゃそうよ。愛より黄金だわ」

 マブルーカは当然とばかりに言ってのける。

「愛こそすべてだよ」

 ムクターはむすっとした顔で一言いって、彼方を眺めた。

「あなたのそんなところが好きで結婚したけど、愛だけじゃ食べていけないわ」

 マブルーカは夫の横顔をきつくみながら、リビアで如何に生活が苦しかったか不満を並び立てた。

「僕がプロポーズした時、君は本気で僕の愛を受け入れてくれた」

 ムクターはムキになって言い返す。

「あなたが言葉巧みに騙したんじゃない!」

 マブルーカは今にも噛みつきそうな形相で夫を睨む。

「父さんも母さんも、もうやめて!」

 レイラは黒くて大きな目を潤ませながら二人をにらんだ。

 娘の声にハッとし、夫婦は沈黙した。

「豊かなエジプトだから、みんな幸せになれるんでしょ。ね、父さん!」

 大きな瞳でレイラは両親を見あげた。

「そうだよ! だから来たんだ」

 ムクターは大きく腕をひろげ、それから腰にあてて胸を張る。

「母さん、あたしたち、もしかして黄金の宮殿に住めるかもしれないわ」

 レイラは胸の前で手を組み瞳を輝かせた。

「そ、そうね」

 マブルーカは恥じ入りながら娘に微笑む。

「プルルー」

 その時、聞いたこともない不思議な鳴き声がした。

 明らかに犬やネズミの鳴き声とは違う。

「あれれ? 今、変な鳴き声が聞こえたわ!」

 レイラは立ち上がり、右に左に上下にと馬車のあちこちに目をやる。

「シッ!」

 ムクターは人差し指を唇の前に立て、おんぼろ馬車を静かに止めた。

 ゴトゴト、ゴトゴト

「母さんが腰掛けてる木箱から音がするわ」

 マブルーカはさっと立ってムクターのそばに退く。

 レイラは母親が腰かけていた木箱の蓋に手をかけようとした。

「レイラ駄目だ! 後ろに下がっていなさい」

 ムクターはレイラとマブルーカに馬車から降りるよう指示した。

「あなた、用心して」

 マブルーカはレイラをそっと抱きしめた。

「わかってる」

 ムクターは長い棒切れを握り締めると、棒の先でそっと木箱の蓋を開けた。

「プルルー」

「あっ、子猫だわ!」

 木箱の中から、大きさからして生後三ヶ月と思われる、一匹のリビア山猫の子猫が姿をあらわした。

 毛は短めで虎猫のような毛色をして尻尾は長く先が細い。

「可愛いー。この子、男の子よ」

 レイラは馬車に飛び乗り、嬉しそうに木箱から子猫を抱きかかえる。

「にゃー、にゃー」

 可愛く鳴きながら愛くるしい目でレイラをみつめる。

 まるでお母さんを見るように。

「きみは、いつ木箱にもぐりこんだの?」

 レイラは猫に鼻を近づけて合わせた。

 猫は野生種なのにすなおに応じる。人なつっこさがすぐに伝わる。

「にゃー」

 耳元で小さく鳴く。

「おなかが空いているのね」

 レイラは山羊のミルクを与えてみた。

 鼻の頭をミルクで白く染めながらペロッと平らげた。

「プルルー」

 猫はレイラを見あげ嬉しそうに鳴く。

「その野良猫、変な声で鳴くわね」

 マブルーカが不思議な生き物でも見るように目を大きく見開く。

「ね、父さん、飼っていい?」

 レイラは子猫をギュウと抱き締めた。

「もちろん良いよ」

 ムクターはにっこり微笑む。

 猫は穀物や書類をネズミの害から守ってくれる、ありがたい存在だから断る理由はない。

 それに何よりリビア人はエジプト人に負けないくらい猫好きなのだから。

「わぁ、嬉しい! お父さんありがとう!」

 レイラは子猫の両脇をかかえて鼻キッスした。

「レイラ、よかったわね」

 マブルーカも思わぬ助っ人の登場に大喜びのようだ。

「あなたの名前はネジムにするわ」

「プルルー」

「ネジムは嬉しいとプルルって鳴くんだ」

「プルルー」

 ネジムが頬を繰り返しレイラの足に擦り付けるものだから、レイラは可愛くて仕方が無い。

 もうすっかりネジムは家族の一員となった。


「さ、エジプトに乗り込むぞ!」

 ムクターの掛け声と同時に馬車がリビアとエジプトの国境を越えた。

「きゃ! 父さんエジプトに入ったね! やったー! やったー!」

 レイラは胸が一杯になって立ち上がり、何度もジャンプした。

 ネジムは驚きまん丸い目玉をさらに大きくした。

「うん、エジプトだ」

 ムクターが手綱を握り締めた。

 家族の夢と希望を乗せた馬車が広大な砂漠を勢いよく走る。

「プルルー」

 ネジムが喜びの声をあげた。

 エジプトは猫の大国でもあるのだ。それをネジムは知っているのかもしれない。

「父さん、エジプトのどこの町に行くの?」

 レイラが期待をこめて大きな瞳を輝かせた。

 肩にかかる長い髪が風に揺らめく。

「猫の女神様バステトが守っている町、ブバスティスさ」

 ムクターはそう言ってネジムの頭を撫でた。

 バステトは古代エジプト神話に登場する猫の姿をした女神で、邪悪な霊や病魔から人間を守る慈愛の女神である。

 首都ブバスティスはナイルデルタにあるバステト神の崇拝の拠点なのだ。

「わぁ、すごい! 猫神様だなんて最高!」

 猫の神様と聞いてレイラは父親に思わず抱きついた。

「猫と人間の楽園だ」

 ムクターの胸も夢と希望に溢れた。

「ネジム、君はきっと幸せになれるわ!」

 レイラはネジムを拾い上げ満面の笑顔をみせた。

「プルルー!」

 ネジムもとびっきり嬉しそうに鳴いた。

 こうしてリビア人家族がまた一組、豊かさに憧れて黄金の都エジプトに移り住んだ。

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