第24話 怪猫、火の海を逃げ惑う

(空襲の前の晩、オレはまず、牛と馬に”逃げることができねえお前達は、可哀想だが覚悟を決めろ”と言った。


 だが、死期を悟ったあいつらは、不思議なくらい落ち着いていたな。

 パニックを起こして騒ぎ出すようなのは、一頭もいなかった。


 それから、猫と犬に、今すぐ逃げろと言ったんだが。


 どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。

 ご主人様をおいては行けないといって、誰も逃げようとしねえ。


 そして、とうとう、オレの告げた空襲の朝になっちまったのさ。


 だが、ご家族は少しも慌てた様子がなかったのは、本当にご立派だったと思うぜ。


 そうそう、「曲がり家」って知ってるか?


 このお屋敷は小さな曲がり家だったんだ。


 人間の暮らす母屋と、牛と馬のいる家畜小屋が繋がって、四角形の二辺の形になってる。

 だから曲がり家という。


 母屋の納戸を開けりゃ、もう目の前に牛馬がいる。


 もっと北の南部藩に多い作りで、潮騒市あのあたりじゃあまり見られねえんだけどな。


 それだけ、旦那様は家畜を実の家族として、大事にされてたよ。


 自分達だけ、バカみたいにデカい家に住んで、小作人も押し込めるボロボロの家畜小屋は敷地の隅の方、みたいなロクでもねえ地主共とは大違いだった。


 どうして、あんないい人達が........。


 いや、それでな。


 朝、いつもと変わらないように、真白様達は、お仏壇に手を合わせ、朝食を取られてたな。

 三人共、笑顔で、冗談も言い合い、それは楽しそうにされていたのによ。


 あれが、ご家族最後の朝飯だよ!チクショウ!何でだ!?


 朝食の間、オレはずっと真白様のお膝元で、ニャ~ン!ニャ~ン!と鳴き続け、同時に三人に思念も送り続けたんだ。

「逃げて下さい!逃げて下さい!もう最後です!」と。


 その時のオレの名は「田吾作」だよ。


 真白様は騒ぎ続けるオレを見て、ニッコリ優しく笑われてくれたんだ。

「田吾作、ありがとう。」と仰られたあの時の笑顔、80年経った今でも忘れられねえ。


 そしてよ。


 ご家族は犬と猫おれたちを木の檻に入れて、馬車に乗せ、裏山の奥の方まで連れて行かれてな。

 一頭づつ、抱きしめて放して下さったのさ。


 真白様は、オレを抱き上げると、額に優しく口付けして下さり、こう言われた

「田吾作、本当にありがとう。これからは自由に、好きに生きるんだよ。最期まで、看てあげられなくてゴメン。」


 真白さん..........。


 話を聞いていて、なんだか、僕は涙が滲んできたような氣がしている。

 ぽん太の言う通り、立派な家族だ。


 そして、怪猫は語り続ける。


(犬どもは、すぐに真白様達の後を追おうとしたがな。旦那様は強引に、追い払われたよ、目には涙を溜めておられたぜ。


 だが、ご家族の姿が見えなくなると、あいつらは一目散に家の方に走って、戻って行っちまった。


 猫はオレを入れて七匹だ。


 オレの親父も、お袋もまだ生きてて、その中に入ってた。


 それで、オレは猫どもに言ったんだけどな。

「今夜だけは、この山の中でやり過ごすんだ。そうすりゃ助かる。」と。


 だが、六匹の猫あいつらは「死ぬ時はご主人様と一緒」と言って、また、元来た道を戻り始めたのさ。


 仕方ねえ、オレも一緒だ。


 猫どもに言ったよ。

「オレから離れるな。予知能力ちからで、爆弾の落ちて来る位置は、オレは分かる。」


 この時にはもう、空母から飛んで来るアメリカの戦闘機が、町中に機関銃をぶっ放す映像がオレには視えていた。


 案の定、家に帰る道すがら、グラマンF6Fせんとうきのエンジン音と、機銃掃射の爆音がガンガン聞こえて来やがる。


 ヘルキャットグラマンF6Fが逃げ惑う町の人々に、機関銃を撃ちまくってるのが、山の高みから良く見えたさ。


 しかし、地獄の猫ヘルキャットたぁ、よく付けたもんだな!あんな氣持ちの悪い殺人兵器によ!

 おれたちをバカにしてるのか?失礼だぜ、猫を何だと思ってんだよ!?


 迎え撃つ日本の戦闘機なんか、一機もいやしねえ。


 まったく、この国の軍隊は、いつだって、国民を見殺しだな。

 ありゃ、何でなんだ?ジンスケ?)


「そんなこと、俺に聞かれても知らないよ。」


(そうだろうな。


 戦闘機ヘルキャットは、女子供の区別なく、銃弾を浴びせてたぜ。頭を撃ち抜かれて死んでいく子供も、何人も目に入ったよ。


 町の外に抜ける国道の辺りを、特に徹底的に攻撃してたな。逃げ道を塞ぐってことだ。


 だから、駅と列車は、ほとんど粉々って言っていいくらいにぶち壊されて、もう完全に機能停止だ。

 駅には大勢の人がいたから、辺り一面、血の海さ。


 慟哭と悲鳴がそこら中で上がって、まさにこの世の地獄だった。


 おい、ジンスケ。アメリカはキリスト教の国で殺生禁止なんだろ?

 あそこまで、念入りに民間人を攻撃しなくたっていいだろ?


 なんで、あんなに殺るんだよ?)


「だから、俺に聞かれても、知らないって。」


(そうか。

 んでな。機銃掃射のおかげで、なかなか家まで辿り着けねえ。


 やっと、真白様のお屋敷まで戻って来た時には、もうすっかり、日も暮れていた。


 ところが、家はもぬけの殻で、誰もいねえ。

 ご家族三人はもちろん、牛も馬も一頭もいねえんだ。


 避難してくれたのか?オレが一瞬、喜んだのも、束の間さ。


 先に戻っていた犬どもが言うんだ、「三人共、憲兵に連れて行かれた」とよ。


 空襲警報のサイレンが鳴り、あの悪魔みてえな爆撃機、B29の轟音が響いてきたのは、その時だった。


 そこら中の家の窓ガラスが、B29の翼の振動でビリビリ鳴り始めてな。

 人間の耳にも、不気味なエンジン音がハッキリ聞こえてくるくらいになった。


 あっという間に、空は爆撃機B29の大編隊で埋め尽くされちまう。


 んでよ、町中に焼夷弾がヒューヒュー音を立てて落ちてきて、地上でガンガン爆発しては燃え上がっていきやがる。


 夜空は炎で真っ赤に染まり、本当の地獄絵図だ。


 ウチのお屋敷にも、焼夷弾が直撃してよ。

 真白様との想い出の詰まった家が、ゴーゴー音を立てて、火だるまになっていくんだよ。


 焼夷弾は、次から次へと、まだまだ落ちてくる。


 オレは、猫と犬どもを引き連れて、爆弾をかわしながら、火の海を逃げ回ったんだがな。

 如何せん、火の回りが早すぎる。


 一匹、また一匹と、炎に巻かれて消えていき、氣がつけば、オレ一匹だ。


 もうダメだ。

 真白様.........!


 その時だ。

「田吾作ー!!!」


 火の海の中を、真白様がこっち目掛けて、走ってくるじゃねえか。


 真白様に思念を送ったつもりは、なかったのによ。

 犬猫どもを連れて逃げ回っている間に、思考が伝わってしまっていたらしい。)


 ここで一瞬、ぽん太の記憶の中の映像が、僕にも見えたのである。

 空襲の火の海の中を、防空頭巾にもんぺ姿の少女がかけてくるのだ。


 これが、真白さん?

 本当に、佑夏に生き写しだ、中学時代の彼女と言っていいくらい。


(真白様に抱き上げられて、その思考がオレの頭の中に入って来てよ。

 牛と馬は、旦那様のお言いつけでなく、真白様が逃がしていたと分かっちまう。


 あの、心の優しいお方は、オレを井戸の桶の中に入れると、そのまま井戸の中に投げ入れて下さったのさ。


 頭の上は火の海の轟音で、ガレキが崩れてくる。

 情けねえが、オレは怖くて、一晩中、井戸の中でガタガタ震えていたんだ。


 夜が明けて、やっとの思いで、井戸から這い出したオレが見たものは........。)


「もういい。ぽん太。辛いことは、思い出すな。」


(ああ、すまねぇな。

 旦那様と奥様も、火なんか消せるはずもねえバケツリレーに駆り出されて、命を落とされてたよ。


 そして、オレは仇討の為に、不老の身体になっちまったのさ。


 主人の仇を取るまでは、死ぬことは許されねえんだ。


 その氣になれば、猫又は虎よりもデカい化け猫に変身できるんだぜ。

 今、ここで、やってみせてやるか?)


 冗談じゃない!

「カンベンしてくれよ!怖いって!」


(ニャハハハ!そりゃそうだな。

 だが、どうやって仇を討つ?誰が仇なんだ?爆弾を落とした爆撃機B29のパイロットか?アメリカの大統領トルーマンか?


 そいつらは、みんな海の向こうだ、手も足も出ねえじゃねえか。


 あるいは、爆撃の司令官カーチス・ルメイでも斃せば、元の身体に戻れたかもな。


 だが、日本中から恨みを買ってるルメイが、この国に近づくはずもねえやな。


 こうして、オレは死ぬこともできず、独りで世界を彷徨うことになったんだよ。


 一度、人間に飼われていた猫は、他の野良猫には受け入れてもらえねえんだ。

 だから、猫の仲間もできねえ。


 仇を討てなかった猫又が元の身体に戻る方法は一つ。


 もう一度、自分を愛してくれる飼い主を見つけることしかない。


 終戦後の焼野原が広がる町で、オレは出来るだけ優しげな家族を選んで、声を掛け続けたよ。

 それも、真白様と歳が同じくらいの娘がいる家族にして、その娘っこにな。

「家族にして下さい」と、ニャ~ンニャ~ンとよ。


 だが、その娘達は口々に


「何?このブサイクな猫!?気持ち悪い~!!」


「甘ったるい声出して、自分をカワイイと思ってんの!?バカじゃないの!?」


「アンタなんか、飼ってやる訳ないでしょ!!あっち行け!!シッシッ!!!」


 と、薄汚ねえ化け物でも見る目をして、オレを追い払った。


 それまで、オレは自分のことをカワイイ猫だと思っていたんだ。


 オレが生まれてからずっと、真白様も、旦那様も、奥様も、オレのことを「カワイイ、カワイイ」と言って可愛がって下さったからな。


 真白様を失って初めて、オレは自分が二目と見られねえ醜い姿をしていると知ったのさ。)






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